大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

  千里眼の持ち主(2)

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 剣術以外にも、キハラには実に様々な事を教わった。
 ヘリコプターと船舶の操縦もそうだ。

 ヘリの操縦に関してはもう一人教官がいる。義男が雇っていた専属のパイロット、フジタさんだ。
 フジタさんは朝霧家の一員ではなく、義男の古くからの友人で狩猟仲間。この人は正式な操縦免許を持っている。
 私が幼い頃、フジタさんと義男が連れ立って狩猟やら渓流釣りに出かけるのを、良く見かけた。

 趣味仲間のフジタさんが、なぜウチに雇われているのか事情は知らない。

 フジタさんは家の敷地のヘリポートで時々暇そうにしていて、そんな時はキハラの愚痴を言いに(!)よく遊びに行ったものだ。
 この人のいつも掛けているサングラスがとてもカッコ良くて、毎回ねだって付けさせてもらった。


―――「ユイちゃんには、ちょ~っとデカイかな?」フジタさんが私を見て笑う。
「そんな事ないもん!」

 機体の点検をする彼の真似をして、機体の回りをうろついてみたりするうちに、操縦席に乗せてもらうまでになり、ついには遊び半分で操縦までさせてくれた。
「お!いいね~、ユイちゃん!筋がいいんじゃない?免許、取っちゃえば?」
 この人はとても軽い感じの、ノリのいいオヤジだ。

 この日、本当に私は空を飛んだ。フジタさんの股の間に座って!大空を舞うこの感覚に私はもう病みつきだ。

「ユイちゃんがパイロットになれば、オヤジさんの仕事、手伝えるじゃない!」
「フジタさん、この仕事イヤなの?」
「いやぁ~。何しろ退屈でね。もっとこう、アクロバット飛行とか求めてくれたら、やり甲斐感じるんだけどさ!」
「すご~い!そんな事できるの!」ウソか本当か分からない内容にも一喜一憂。

「僕ね、凄かったのよ、昔は!」―――


 彼の武勇伝を拝聴するのは、お決まりのパターンだった。子供相手にふざけていただけなのだろう。何しろその内容は毎回違っていたから(!)。
 そんなフジタさんとのひと時は、とても楽しかった。

 お陰でヘリの操縦に関しては、上達が早かったと言っても過言ではない。私の飲み込みがあまりに早いので、キハラは相当驚いていたが!
 フジタさんが舌を出しておどける姿が、今も目に浮かぶ。我が師匠もこのくらい明るい性格だったら良かったのにと、何度思ったかしれない。


 そしてさらに、語学も堪能だったキハラに五ヶ国語を叩き込まれた。結果として勉強嫌いな私が習得できたのは、会話と少々の読み書きだけだが。
 学校の長期休暇を利用して、海外遠征にも行った。そこでしたのは、日本ではできない訓練だ。

 あれは、フランスに滞在した時だっただろうか。キハラが〝自分よりも強い人物〟についての情報をくれたのは。


―――「いいか、ユイ。ミスター・イーグルという殺し屋にだけは、絶対に関わるな」

 自分の育ったフランスの地で、何か大事な事を思い出したというように語り始めたキハラ。この時のキハラは、どこかいつもと違った。

「お前の敵う相手じゃない。いいな?命が惜しかったら、これを守るんだ」
「ミスター・イーグル……。それって、前に言ってたキハラより強いって人の事?」
 答えないキハラに質問を続ける。「ねえ、どこの人?そんなに……強いの?」

「強いて言うなら、奴は……自分が、最も恐れる男かもしれない」
「そ、そんなに……?私、絶対近寄らない!」―――


 当時の私は心底怯えた。怖くなってそれ以上は何も聞き出す事ができなかった。
 この海外遠征で数々の危うい訓練をこなしたけれど、師匠のこの衝撃の発言だけが強烈に残っている。


 こんなふうに一緒にいる時間が長くなるに連れて、キハラへの想いが段々と大きくなって行っても不思議はない。
 決して実る事のない初恋であったにも関わらず、私はキハラに夢中だった。

 そして不意に訪れた、愛しの師匠キハラとの別れ。それはあまりにあっさりしたものだった。十六歳。高校二年生になってまもなくの事だ。
 ついに両親の別居生活が始まった。卒業までは家にいるという約束だったが、出て行った母の事がどうしても気がかりで、こんな約束は呆気なく破られる。


―――「キハラ。私、この家を出る事にしたの」
 家の敷地の片隅にキハラを呼び出し、打ち明ける。

「もうあなたと、鬼ごっこはできないのよ……」
 涙を必死に堪えて、わざとふざけたセリフで別れを告げた。
 キハラはサングラスを外して、静かに私を見下ろした。

「タバコ、くれない?」
 キハラは何も言わずに胸ポケットから煙草の箱を出し、一本引き抜いて差し出した。
 小さくお礼を言って受け取る。
 煙草を吸ったのはこれが初めてではない。前にも何度か、こうやってキハラにもらった事がある。だからこの時も、暗黙の了解でくれたという訳だ。

 私達は木陰に並んで腰を下ろし、しばらく無言でそれぞれの煙草を吸った。

 私の目からついに涙が零れ落ちた。それと同時に、手にした煙草も地面に落下する。
 それを見て、キハラが優しく私の肩に手を置く。
「ユイお嬢さん……」
 そして私を諭すように語りかけた。「これからきっと、もっと辛い事がたくさん起こるでしょう。でも、ユイお嬢さんなら必ず乗り越えられる、自分はそう信じています」

 嗚咽を漏らしながらも、師匠の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、私は必死に耳をそばだてた。

「ここで、思いきり泣いてください。今だけは許可します。明日からは、一人で強く生きて行かなければならないのですから……」
 この言葉と共に、私はキハラにしがみ付いて泣き始めた。

「ありがと……キハラ。どうせなら、あなたがこんなに優しい男だって、もっと早く気づきたかったよ」
 ようやく涙が収まった頃、泣き腫らして不細工になった顔を上げて言う。
「優しいかどうかは、自分では判断でき兼ねますが……」
 困った顔で呟いた後、今度は思い立ったように口を開く。
「それでお嬢さん、タバコの事ですが……くれぐれも内密に願いますよ?これが知れたら大事だ!」おどけるように右手人差し指を口元に当てて言う。

 ありがとう、キハラ。気を遣ってくれたのね……。それとも、照れているの?

「ふふっ!分かってる。だけど、あなたから学んだ事は本当に数えきれない。もちろん、これも含めてね?」
 地面に落ちたまま、まだ煙を上げていた煙草を摘まみ上げる。
 それを横目にキハラが苦笑した。

 一息ついて、私達は立ち上がる。グッと背伸びをする私の横で、キハラが何やら懐を探り始めた。

「ユイお嬢さん。これを、あなたに使っていただきたい。受け取ってくれますか?」
 そう言って差し出したのは、あの拳銃だった。
 三インチのコルト・コンバットパイソン。深みのある青味を帯びたブラックのボディが美しい、コルト社の最高級品だ。

「それ、キハラの大事な物じゃない!そんなの受け取れないよ!」
「あなたに是非、使っていただきたいのです」
「何で?何で私に……」キハラを見上げて尋ねた。
「これは自分のお守りでした。自分はもう十分守ってもらった。これからはきっと、あなたを守ってくれるはずです」

 キハラが再び愛用銃を差し出す。「……も、きっとそれを望んでいるはず」
「え?今何て?」最初の言葉が聞き取れず聞き返す。
「いえ。独り言です。さあ、受け取ってください」

 私はしばらくキハラとコルトを交互に見ていたが、ついに受け取った。
 これに触れるのは、この時で二度目。まさか自分の元にやってくるなんて……。

「キハラ……。ありがとう、大事にするね!」―――


 私の過酷な運命を、キハラは予感していたに違いない。そうでなければ、あんなに大事にしていた愛用の銃をくれるはずがない。
 今ではかけがえのない相棒となったコルトを手に、当時の事に思いを馳せた。

 キハラに再会したその日の夜は、様々な考えが頭に浮かんでは消え、とても寝付けなかった。


 朝になるのを待ち、取りあえず新堂さんに連絡を入れる。この大きな決断を伝えるために。
「朝早くにごめんなさい。ちょっと話があるんだけど……」

 幸い午後に会える事になり、約束の時間に新堂さんがやって来た。

「待ってたわ、新堂さん。急に呼び出してごめんなさい」
「別に構わないよ。おや?ユイ。髪、切ったのか」
「ええ」髪に手をやりながら答える。
 キハラと共に行くならロングヘアは邪魔なだけだと、午前中に美容院に行って伸びていた髪を切ってきた。

「また切ったんだな。似合ってるよ」ショートボブの私に彼が言う。
 高校時代はセミロングだったが、その後は主にこのヘアスタイルだ。彼にとっても見慣れない髪型ではない。
「ありがと」軽く礼を述べる。

「何か、あったのか?」
 室内に入りソファに腰掛けると、キッチンにいる私を眺めながら聞いてくる。
「え、何で……?」
「女性が髪を切る時は、何かあるって言うからな」
「切ったって言っても、ちょっとよ?」と誤魔化すも、本当は大当たりだが。
 それにしても、この人が良くそんな事を知っていたものだ!

「違ったならいい。ところで、顔色があまり良くない。どこか具合でも悪いか?」彼が話題を変えた。
「何でもないの。またいつもの不眠よ。体調は平気。それでね、新堂さん……」
 新堂さんは、私の様子がいつもと違う事に気づいたようだ。

「もしかして、あいつに会ったのか」
「えっ!」私はまだ何も言っていないのに。驚いた事に彼の方から言い当てた。
「んなっ!何で分かったのっ?」

 この問いには答えず、彼はこんな事を言った。
「ユイ。私は、おまえを縛るつもりはない」
「それって、つまり……?」
「おまえは、おまえの思うように生きて行け。私もそうする」それはまるで、自分を諭すように……。

「新堂さんは、どうするの?」
「私は、ユイの幸せを願ってる」
「私がキハラを選んでもいいって言うの?だって、この間はあんなに……!」
 冗談紛いとはいえ、キハラを選ぼうとした私に向けられたあの表情。あれは間違いなく嫌悪感を抱いていたはずだ。

「私に、おまえを止める権利などない」
「ごめんなさい、新堂さん。私……!」
「謝る必要はない。私はただ、おまえの体が気がかりなだけだ」

 この新堂さんの優しさに、私のゆるゆるの涙腺はたちまち崩壊したのだった。


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