大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

文字の大きさ
上 下
59 / 117
第三章 一途な想いが届くとき

  予知夢(2)

しおりを挟む

 私達は食事の後、バーに移って大好きなアルコールを堪能中だ。
 カウンター席の中央にて。

 きっと私は今、これでもかというくらい幸せオーラを放っているはずだ。だって隣りには、左肘をテーブルについてウイスキーを飲むキハラがいるのだから!
 私の左隣に座るキハラは、仕舞いには体ごと私の方に向けて観察を始める。

 その視線が、妙にこそばゆい……。

「ねえキハラ?結局、あなたには恋人、いたの?結婚、……してるの?」恐る恐るこんな事を聞いてみる。あの当時、最後まで答えてくれなかった質問だったのだ。
「ああ。いたよ」
 今回は案外あっさりと答えがもらえた。

「いたけど……死んだよ。結婚前にね」と続ける。
 あっさりと、最大級に重い答えが返ってきて大いに焦る。「あのっ!……ごめんなさい。余計な事、聞いちゃったね」
「いいさ。もう昔の事だ。それよりお前はどうなんだ?」
「私?シングルだけど」
「でも、相手くらいいるんだろ?」
「パートナーはいる、かな。恋人かどうかは不明」
「何だそりゃ?」

 それ以上答えられずに、私は両手を広げて肩を竦めた。

「複雑なんだな」どうやらキハラも理解するのを諦めたらしい。
「うん。私にも良く分かんない」
 私達は笑い合った。

「ねえキハラ。あなたに、会ってほしい人がいるの!」
 改めてキハラの方に体を向けて、姿勢を正して目を見て言った。
「そのパートナーの男か」グラスを傾けたまま答えるキハラに、「ううん、別の人」と即答する。
「何だ、他にも男がいるのか!」
「そうじゃなくて!実はね、私に兄がいたの」

 この言葉に、キハラは意外にも驚かなかった。
「もしかして知ってたりする?」
「前にな、ボスが話しているのをチラッと耳にした。あの話、本当だったのか……」
「なぁんだ、知ってたのか。その人ね、神崎龍司って言うんだけど」

「神崎グループのだろ」
「それも知ってるの!さすがキハラ……。で、父が死んだ今、彼が後を継いだの」
「そうか。それは大変だな」
 他人事のようなこの返答に、何だがちょっぴり悲しくなる。まあ、この人にとってはすでに他人事ではあるが。

「で。俺がその神崎に会ってどうするんだ?」
「どうもこうもないよ。ただ会ってほしいってだけ。間違っても力試しとかはやめてよね?そういうのは頼んでないから!」
「何だ。てっきりそっちかと思った」キハラが残念そうにする。

「言っとくけど、だからって神崎さん、そんなにヤワじゃないと思うよ。ボクシング、強いみたいだし?」これは本当の事。どこまで強いかは不明だが。
 それを聞いて、キハラが楽しそうに何度も頷いていた。

 少しして、小声でポツリと言ってみた。「あなたがいれば、絶対にボスになれたのに」
「娘のお前と一緒になるから、とか?」
「そっ!」キハラを見て笑顔で即答。
「そういう未来も、良かったかもな……」しみじみとキハラは言った。
「うん」
 そういう未来なら、私も考えてもいいと思った。義男は大嫌いだけど?

「どっちにしろ悪の道だな」と言って笑う。つられて笑う私。
 この時の私達は様々な悪事を思い浮かべて、相当な悪人顔をしていたに違いない。

 しばらくそのまま、それぞれの思いを巡らした。

 無意識に腰に装着したコルトに手が伸びていた私に、キハラはすぐに気づいた。こんな仕草に反応するなんてさすがだ。
 我が師匠を撃つつもりなんて、これっぽっちもありませんが?

「キハラがくれた餞別の品、大事に使わせてもらってる。それでさ、これって、……あなたのよね?」
 これが義男の物でない事を、どうしても確認したかった。キハラはコルトをこよなく愛していたから、当然キハラの物に違いないと思うのだが……。

「ああ、それか。もう大分古いだろ?って言いながら、俺は未だにコルトパイソンを愛用しているがね」キハラは質問には答えずにこう言った。
 コルト・パイソンは、コンバット・パイソンよりもサイズが大きい。大柄なキハラには、そっちの方が断然似合っていると思う。

 やはりこの人はコルトを愛用している。それだけで十分だ。例え真相がどうであれ。キハラとコルトは、切っても切れない関係という事で?

「やっぱりね。シリンダーの回転音で分かった。キハラだって」
 質問をやめて話題を変える。
「そうか。役に立ってるようで良かったよ。引き続き、大事にしろよ?」
「もちろんよ!」衣服越しに、相棒に手を置いて満面の笑みで答える。

「なあユイ。これだけは忘れるな」改まった様子でキハラが語り出した。
「それは、誰かを殺すための道具じゃない。お前や、大事な人の命を守るための道具だ」
「その事なら、常に肝に銘じてる」
 私の答えに、キハラが頷く。

「それを忘れなければ、決して躊躇う事はないはずだ。一瞬の躊躇が手遅れになる」
「直感を信じて、でしょ?」
 その昔に何度も言われたセリフ。今でも深く胸に残っている一言だ。
「ちゃんと、教えを守ってるようだな」キハラが口角を上げて言った。
「当然よ!」

 本心からこう答えられた自分を、今だけは褒め称えたい気持ちでいっぱいになった。

「お前も……色々あったんだな」
 義男の事を言っているのだろう。あいつの狂気を。「うん」私はただ頷いた。

「でも、ちゃんと乗り越えられただろ?俺の目に狂いはない」
 この言葉には、素直に頷けなかった。
「どうかな。逃げてばっかりだったよ。それでケガして、いつも新堂さんに助けられて。情けないわ。こんなんじゃキハラに叱られる!って、いつも思いながらね」
 キハラは何も言わずに静かに聞いてくれた。

 全然成長していないのかもしれない。義男にも散々言われた。いつまでも成長しない娘だと!こんな調子だから、今でも新堂さんのボディガードだと胸を張って言えない。

「ちゃんと乗り越えてるさ。俺の目にはそう映ってるぞ?ほら、見てみろ」そう言って、キハラが顔を近づけてくる。
 私はその目を見つめた。
「キハラの目……。昔、その目が堪らなく怖かった事がある」

 一人会話を続ける。「逃げても隠れても、必ずその目が私を捕らえるの。なぜかあなたは、すぐに私の隠れた場所を探し当てたよね」
 この目からは、絶対に逃れられないと思った。

「全くおてんばだったな!本当に手を焼いたよ」今では笑い話だ、とキハラは笑った。
「あら、手を焼いてたようには見えなかったけど?」
「当然だ。そんな素振りを見せて、クビになりたくはなかったからな」
「それって、結構お給料、良かったとか!」
「ああそうだ。雇われた当初は、組織の仕事よりもお前のお守りがメインだったのにな」

「ちょっと?何よ、お守りって!」
 少々不機嫌になる私に、「楽しかったよ、あの頃は」とキハラが言った。
「私も。始めはあなたが憎くて仕方なかったのに、そのうち気になる存在になって……今だから言うけど、中学の後半くらいからは、わざと逃げてたんだ」

「何だって?!」
 これはさすがに見抜いていなかったようだ。
「あなたに追い駆けて来てほしくて。あなたに、見つけてもらいたくて……」
「何てこった!俺をおちょくってたのか?シゴくぞ!」
「キャ~ッ!!ご勘弁を!」

 キハラがふざけて私に絡む。
 無意識にジャケットの右袖を掴んでしまい、心臓がドキリとした。そこにキハラの右腕はない。なかったのだ。
「あ……っ」無神経な自分の行為に、申し訳なさで言葉を失う。「ごめ……」

 謝罪の言葉をかけようと口を開いた時、キハラは何事もなく左手で私の手を掴んだ。
 そして流れるような動きで、容易に捻り上げる。

「イタタタタっ!痛いっ……参った参った!」
 それはあまりにも不意を突かれた一瞬の出来事で慌てた。けれどそれと同時に、片腕になった今でも健在の、師匠の見事な動きに安堵した。

「まさか、俺が弱くなったと勘ぐったな?腕一本失くしたところで、お前には負けん」
 キハラがきっぱりと言い放つ。
 力強いこの言葉に、大きく頷いた。「……うん、うんっ!」

「それにしても相変わらず……隙だらけだな、お前は!それなのに、この俺をおちょくるとはなぁ?」
「違うわ!あの時は……それしか、キハラと一緒にいる方法がなかったんだもん!でも。もう時効でしょ?」
 ようやく解放された左手を擦りながら、今度はちゃんと身構える。

「お前に、そういう感情が芽生えてたのは気づいてた。ユイの母さんがすごく心配しててな、クギを刺されてたんだ。絶対に手は出すなって」
「どうせ、ガキの私になんて興味なかったんでしょ!」
「当たり前だ。俺はロリコンじゃない」
 こんな言葉には、さらに不機嫌になったけれど……。

「……お前は、妹みたいな存在だったからな」キハラがポツリと言った。
「妹って……」ああ、やっぱりそういう事か。
 分かってはいたが、面と向かって言われるとショックだ。

 気を取り直して話を進める。「キハラは、家族は?」
「もうずっと一人さ。一緒に訓練した仲間は大勢いるがね」
「それって、傭兵、の?」
 私の言葉に、キハラが微かに頷いた。

「なあユイ。一緒に海外へ行かないか?近々発つ予定なんだ」
「海外に、逃亡するとか?」頬杖をついて師匠を見る。
「まだ手配などされていない」若干不機嫌に返されるも、「まだ、ね!」と強調する。
 一転して不機嫌さはどこかへ消え、真剣な目を向けてキハラが言う。
「一緒に来い」

 こうして真っ直ぐに見つめてくるキハラの目は、昔のように私を釘付けにした。
「キハラ……。行きたいんだけど、だけど……」
 踏ん切りがつかないでいた。

「あまり時間がない。三日だけ待つ。それまでに決めてくれ」
「うん……」
「いい返事、待ってるよ。じゃあな」
 キハラはそう言って勘定を済ませると、先に店を出て行った。

 残された私は、キハラの座っていた席をいつまでも見つめ続けた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

海の見える家で……

梨香
キャラ文芸
祖母の突然の死で十五歳まで暮らした港町へ帰った智章は見知らぬ女子高校生と出会う。祖母の死とその女の子は何か関係があるのか? 祖母の死が切っ掛けになり、智章の特殊能力、実父、義理の父、そして奔放な母との関係などが浮き彫りになっていく。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

処理中です...