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第三章 一途な想いが届くとき
予知夢(2)
しおりを挟む私達は食事の後、バーに移って大好きなアルコールを堪能中だ。
カウンター席の中央にて。
きっと私は今、これでもかというくらい幸せオーラを放っているはずだ。だって隣りには、左肘をテーブルについてウイスキーを飲むキハラがいるのだから!
私の左隣に座るキハラは、仕舞いには体ごと私の方に向けて観察を始める。
その視線が、妙にこそばゆい……。
「ねえキハラ?結局、あなたには恋人、いたの?結婚、……してるの?」恐る恐るこんな事を聞いてみる。あの当時、最後まで答えてくれなかった質問だったのだ。
「ああ。いたよ」
今回は案外あっさりと答えがもらえた。
「いたけど……死んだよ。結婚前にね」と続ける。
あっさりと、最大級に重い答えが返ってきて大いに焦る。「あのっ!……ごめんなさい。余計な事、聞いちゃったね」
「いいさ。もう昔の事だ。それよりお前はどうなんだ?」
「私?シングルだけど」
「でも、相手くらいいるんだろ?」
「パートナーはいる、かな。恋人かどうかは不明」
「何だそりゃ?」
それ以上答えられずに、私は両手を広げて肩を竦めた。
「複雑なんだな」どうやらキハラも理解するのを諦めたらしい。
「うん。私にも良く分かんない」
私達は笑い合った。
「ねえキハラ。あなたに、会ってほしい人がいるの!」
改めてキハラの方に体を向けて、姿勢を正して目を見て言った。
「そのパートナーの男か」グラスを傾けたまま答えるキハラに、「ううん、別の人」と即答する。
「何だ、他にも男がいるのか!」
「そうじゃなくて!実はね、私に兄がいたの」
この言葉に、キハラは意外にも驚かなかった。
「もしかして知ってたりする?」
「前にな、ボスが話しているのをチラッと耳にした。あの話、本当だったのか……」
「なぁんだ、知ってたのか。その人ね、神崎龍司って言うんだけど」
「神崎グループのだろ」
「それも知ってるの!さすがキハラ……。で、父が死んだ今、彼が後を継いだの」
「そうか。それは大変だな」
他人事のようなこの返答に、何だがちょっぴり悲しくなる。まあ、この人にとってはすでに他人事ではあるが。
「で。俺がその神崎に会ってどうするんだ?」
「どうもこうもないよ。ただ会ってほしいってだけ。間違っても力試しとかはやめてよね?そういうのは頼んでないから!」
「何だ。てっきりそっちかと思った」キハラが残念そうにする。
「言っとくけど、だからって神崎さん、そんなにヤワじゃないと思うよ。ボクシング、強いみたいだし?」これは本当の事。どこまで強いかは不明だが。
それを聞いて、キハラが楽しそうに何度も頷いていた。
少しして、小声でポツリと言ってみた。「あなたがいれば、絶対にボスになれたのに」
「娘のお前と一緒になるから、とか?」
「そっ!」キハラを見て笑顔で即答。
「そういう未来も、良かったかもな……」しみじみとキハラは言った。
「うん」
そういう未来なら、私も考えてもいいと思った。義男は大嫌いだけど?
「どっちにしろ悪の道だな」と言って笑う。つられて笑う私。
この時の私達は様々な悪事を思い浮かべて、相当な悪人顔をしていたに違いない。
しばらくそのまま、それぞれの思いを巡らした。
無意識に腰に装着したコルトに手が伸びていた私に、キハラはすぐに気づいた。こんな仕草に反応するなんてさすがだ。
我が師匠を撃つつもりなんて、これっぽっちもありませんが?
「キハラがくれた餞別の品、大事に使わせてもらってる。それでさ、これって、……あなたのよね?」
これが義男の物でない事を、どうしても確認したかった。キハラはコルトをこよなく愛していたから、当然キハラの物に違いないと思うのだが……。
「ああ、それか。もう大分古いだろ?って言いながら、俺は未だにコルトパイソンを愛用しているがね」キハラは質問には答えずにこう言った。
コルト・パイソンは、コンバット・パイソンよりもサイズが大きい。大柄なキハラには、そっちの方が断然似合っていると思う。
やはりこの人はコルトを愛用している。それだけで十分だ。例え真相がどうであれ。キハラとコルトは、切っても切れない関係という事で?
「やっぱりね。シリンダーの回転音で分かった。キハラだって」
質問をやめて話題を変える。
「そうか。役に立ってるようで良かったよ。引き続き、大事にしろよ?」
「もちろんよ!」衣服越しに、相棒に手を置いて満面の笑みで答える。
「なあユイ。これだけは忘れるな」改まった様子でキハラが語り出した。
「それは、誰かを殺すための道具じゃない。お前や、大事な人の命を守るための道具だ」
「その事なら、常に肝に銘じてる」
私の答えに、キハラが頷く。
「それを忘れなければ、決して躊躇う事はないはずだ。一瞬の躊躇が手遅れになる」
「直感を信じて、でしょ?」
その昔に何度も言われたセリフ。今でも深く胸に残っている一言だ。
「ちゃんと、教えを守ってるようだな」キハラが口角を上げて言った。
「当然よ!」
本心からこう答えられた自分を、今だけは褒め称えたい気持ちでいっぱいになった。
「お前も……色々あったんだな」
義男の事を言っているのだろう。あいつの狂気を。「うん」私はただ頷いた。
「でも、ちゃんと乗り越えられただろ?俺の目に狂いはない」
この言葉には、素直に頷けなかった。
「どうかな。逃げてばっかりだったよ。それでケガして、いつも新堂さんに助けられて。情けないわ。こんなんじゃキハラに叱られる!って、いつも思いながらね」
キハラは何も言わずに静かに聞いてくれた。
全然成長していないのかもしれない。義男にも散々言われた。いつまでも成長しない娘だと!こんな調子だから、今でも新堂さんのボディガードだと胸を張って言えない。
「ちゃんと乗り越えてるさ。俺の目にはそう映ってるぞ?ほら、見てみろ」そう言って、キハラが顔を近づけてくる。
私はその目を見つめた。
「キハラの目……。昔、その目が堪らなく怖かった事がある」
一人会話を続ける。「逃げても隠れても、必ずその目が私を捕らえるの。なぜかあなたは、すぐに私の隠れた場所を探し当てたよね」
この目からは、絶対に逃れられないと思った。
「全くおてんばだったな!本当に手を焼いたよ」今では笑い話だ、とキハラは笑った。
「あら、手を焼いてたようには見えなかったけど?」
「当然だ。そんな素振りを見せて、クビになりたくはなかったからな」
「それって、結構お給料、良かったとか!」
「ああそうだ。雇われた当初は、組織の仕事よりもお前のお守りがメインだったのにな」
「ちょっと?何よ、お守りって!」
少々不機嫌になる私に、「楽しかったよ、あの頃は」とキハラが言った。
「私も。始めはあなたが憎くて仕方なかったのに、そのうち気になる存在になって……今だから言うけど、中学の後半くらいからは、わざと逃げてたんだ」
「何だって?!」
これはさすがに見抜いていなかったようだ。
「あなたに追い駆けて来てほしくて。あなたに、見つけてもらいたくて……」
「何てこった!俺をおちょくってたのか?シゴくぞ!」
「キャ~ッ!!ご勘弁を!」
キハラがふざけて私に絡む。
無意識にジャケットの右袖を掴んでしまい、心臓がドキリとした。そこにキハラの右腕はない。なかったのだ。
「あ……っ」無神経な自分の行為に、申し訳なさで言葉を失う。「ごめ……」
謝罪の言葉をかけようと口を開いた時、キハラは何事もなく左手で私の手を掴んだ。
そして流れるような動きで、容易に捻り上げる。
「イタタタタっ!痛いっ……参った参った!」
それはあまりにも不意を突かれた一瞬の出来事で慌てた。けれどそれと同時に、片腕になった今でも健在の、師匠の見事な動きに安堵した。
「まさか、俺が弱くなったと勘ぐったな?腕一本失くしたところで、お前には負けん」
キハラがきっぱりと言い放つ。
力強いこの言葉に、大きく頷いた。「……うん、うんっ!」
「それにしても相変わらず……隙だらけだな、お前は!それなのに、この俺をおちょくるとはなぁ?」
「違うわ!あの時は……それしか、キハラと一緒にいる方法がなかったんだもん!でも。もう時効でしょ?」
ようやく解放された左手を擦りながら、今度はちゃんと身構える。
「お前に、そういう感情が芽生えてたのは気づいてた。ユイの母さんがすごく心配しててな、クギを刺されてたんだ。絶対に手は出すなって」
「どうせ、ガキの私になんて興味なかったんでしょ!」
「当たり前だ。俺はロリコンじゃない」
こんな言葉には、さらに不機嫌になったけれど……。
「……お前は、妹みたいな存在だったからな」キハラがポツリと言った。
「妹って……」ああ、やっぱりそういう事か。
分かってはいたが、面と向かって言われるとショックだ。
気を取り直して話を進める。「キハラは、家族は?」
「もうずっと一人さ。一緒に訓練した仲間は大勢いるがね」
「それって、傭兵、の?」
私の言葉に、キハラが微かに頷いた。
「なあユイ。一緒に海外へ行かないか?近々発つ予定なんだ」
「海外に、逃亡するとか?」頬杖をついて師匠を見る。
「まだ手配などされていない」若干不機嫌に返されるも、「まだ、ね!」と強調する。
一転して不機嫌さはどこかへ消え、真剣な目を向けてキハラが言う。
「一緒に来い」
こうして真っ直ぐに見つめてくるキハラの目は、昔のように私を釘付けにした。
「キハラ……。行きたいんだけど、だけど……」
踏ん切りがつかないでいた。
「あまり時間がない。三日だけ待つ。それまでに決めてくれ」
「うん……」
「いい返事、待ってるよ。じゃあな」
キハラはそう言って勘定を済ませると、先に店を出て行った。
残された私は、キハラの座っていた席をいつまでも見つめ続けた。
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