大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

25.予知夢(1)

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「どうした?ぼんやりして」
「……え?」

「今の話、聞いてたか?」
 私の部屋に来ていた新堂さん。様子を探るように聞かれる。
 彼の声は私の耳には入っていなかった。「ごめんなさい、聞いてなかったみたい」
「全く!」彼がため息をついて私を見る。
「体調、もういいんだろ?まさか、またどこか具合でも……」

 私達がモロッコから帰って約ひと月半。今回で三度目となる主治医(あえてこう呼ぶ)の訪問を受けている。

「そうじゃない、至って元気よ!少し前に見た夢のせい。過去を思い返してただけ」
「どんな夢だ?」
「ひ・み・つ!」笑顔で答える。
「どういう意味かな?朝霧ユイ」

 ここは一つ、意地悪をしてみよう。
「初恋の人の夢だからって、妬かないでよね、新堂さん?」

 すると無表情ながらも、一瞬言葉に詰まった様子。
「……で、そいつとはどうなったんだ」それは、不本意だが聞いてやるとでも言いたげな口ぶりだ。
「気になる?」
「まあ。強いて言うなら、そいつの安否が気がかりだな!」

 こんなコメントに、嫌味と分かっていながら真顔で答えた。
「それは心配ない。だって、あの人は私よりも遥かに強いもの」
「それはそれは!で、そいつは今、どうしてるんだ」
「それが……どこで何してるのか知らないの。確かに、安否は気がかりね」
 彼が、そうなのか?と素っ気ないながらも興味を示した。

「新堂さんに会う一年半前だったかな。別れて、それっきり」
「なら九年は経つな。……今会ったら、どうする」

 この質問に、彼から視線を離して窓の方を見た。そして考えに耽る。
 あの人の事は一度だって忘れた事はない。でも、そんな事は考えてもいなかった。私の師匠、キハラ・アツシとの再会なんて。

「どうだろう……。向こうは私の事、恋愛対象として見てなかったからなぁ」
 新堂さんが何も言わないので「また会ったらかぁ。恋心が再燃しちゃうかも!」と、わざと言ってみる。
 すると彼は心配そうに私を見てきたではないか。こんな顔も始めて見る顔だ。

「ふふっ!新堂さんったら……そんなに困った顔しないでよ、冗談だってば。それに、どうしてあなたが困るの?」
「……。別に困ってなんかいない」

 私は疑わし気にその機嫌を損ねた顔を見やり、そしてまた笑った。

 拳銃講義をした事で昔の記憶が呼び起こされ、今まで以上にキハラに会いたいと強く願うようになっていた。その願いがまさか、叶ってしまうとは!新堂さんとのこのやり取りの数日後、私は本当にキハラに再会したのだ。
 夢を見たのは、その前兆だったのかもしれない。



 その日の夕暮れ時。依頼を受けて、山下埠頭内の指定された倉庫を訪れた。
 春の暖かさは倉庫内には届かず、中はひんやりとした空気に包まれている。薄暗く、辛うじて積荷や人影が判別できる程度だ。

「例のものは?代金はここよ」

 ある組織の代理で取引を任された。金と引き替えに物品を受け取るという、どうという事もない仕事だ。
「金を確認させろ」男の一人が言う。
「疑り深い人達ね、ニセ札なんか入ってないわよ?」

 昨夜は睡眠が浅かったせいか、無性にイラ立つ。こんな仕事は早々に済ませて、美味しいワインでも飲みたい!

「女、一人か?そっちの連中はどうした!」取引相手が声を荒げる。
「私が社長の代理よ、何かご不満でも?」
 こんな言葉を浴びせられるのはいつもの事なので、手慣れた感じであしらう。
「それはボスが決める。よし、金を持ってこっちへ来い」

 ようやく受け入れてくれたようだ。
 小さくため息をついてから、トランクを手に二人の男に案内された方へと進む。
 倉庫内の奥は部屋になっていた。ソファまで備え付けてある。そこに男が一人、深々と腰掛けて煙草をくゆらせていた。

「ボス、女が代理で来たと言ってるんですが」
「通せ。俺がこの目で見て判断する。信用できるか否か……」
 そう言って、ボスと呼ばれた男が回転式拳銃のシリンダーを回した。
 金属音が辺りに響く。

「この音……コルトのリボルバー?」音に聞き覚えがあった。
 そして次の瞬間。強烈なライトが私に向けられた。「まぶし……っ!」

「女、名ぐらい名乗ったら……」
 奥にいた男が近づいて来て、顔を覗き込まれたのが気配で分かる。向こうからは、光に照らされている私が良く見えた事だろう。
 男はなぜか、言葉に詰まったようだった。
「ちょっとっ!眩しいんだけど?」こちらからは何も見えない。
「ユイ、お嬢さん……?」男の呟く声が聞こえた。

「何か言った?」良く聞き取れずに、再度問い返すも反応がない。
 片手で視界を遮りながら、目の前の男に向かって続ける。
「名乗るのが遅れて悪かったわ、私は朝霧ユイ。社長の代理で取引に来たんだけど、どうすれば信用してもらえる?」

「ライトを離せ!それから、お前等全員、席を外せ!」
 そう叫んだ声にも、聞き覚えがあった。

 ライトの光が消えて薄暗がりに目が慣れてくると、次第に男の顔がはっきり見えてきた。男は立ったまま、無言で私の反応を待っている。

「キ、ハラ?ウソでしょ……っ!本当に、キハラなの?」
 その男こそが懐かしの師匠、キハラ・アツシだったのだ!
「これは驚いたな……まさか、こんな形で再会するとは!」

 私達は、お互いの姿を頭の天辺から足の先まで確認し合った。そこでキハラの右腕がない事に気づいた。

「朝霧ユイ。いい女になったな。こんな事ならあの時、母上の言い付けなど破って、モノにしておくんだったよ」
「ちょっとその腕!どうしたの……!?」
 本気とも冗談とも取れないコメントを無視して尋ねる。

「ああ、これか?指どころか、腕ごと切られちまったよ。ま、お陰であそこから抜ける事ができたがね」あっさりと言って退ける。
「そんな……。あいつ!」今は亡き宿敵に、久々に底知れない怒りを感じた。
 朝霧家を抜ける条件として、利き腕を犠牲にしたというのか?あり得ない!

「構わんさ。自分で撒いた種だ。それより、元気そうだな。母さんの方はどうなんだ?」
 対する本人は意外なくらいあっさりしていた。
「あ、ええ……母は元気にしてる。ねえキハラ、いつからこんな事を?どうして……」
 聞きたい事が山ほどあり過ぎて、何から話せばいいのか分からない。
「色々あってね。お前だって人の事言えるのか?……親父さん、死んだって聞いたが。大変だったな」
「病死した。本当は私が仕留めるはずだったのよ!何かと邪魔が入って。断念」

 しばしの沈黙の後、キハラが誘ってくれた。
「仕事が済んだら、食事でもどうだ?」
「もちろん。私の仕事はあなた次第で終わるって事、忘れないでね?ボス!」
「はっはっは!そうだったな」

 こうして二人で、すっかり暗くなった夜の街へと繰り出した。

 どこから散ったものか、桜がハラハラと舞っている。ようやく夜も心地良い気温になった今日この頃。まるで、夢の続きを見ているかのように並んで歩く。

 何度も横のキハラを見上げて、堪らず問いかける。
「ねえ!これって夢じゃないよね?」
「確認してみるか」
 そう言うと、キハラが私の手首を掴んで捻り上げた。
「いたたたぁ……っ!!ギブですっ!」

「どうだ、夢か現実か分かったか?」表情一つ変えずに尋ねてくる我が師匠。
「この痛さは現実です!」
 泣き笑いをしながら即答すると、キハラが笑った。


 近くのレストランにて。向かい合ってテーブルについた私達は、料理が運ばれてくるのを待つ。
 キハラが最初の煙草に火を点けた。

「夢が叶った!キハラと今こうして、普通に会話してるんだもん!」
 この人は当時、子供の私相手にも関わらず、常に敬語で話していた。
「私、寂しかったのよ?」
 必要以上の事は決して口にしなかったキハラ。昔と同じ厳しくも優しい目が私に向けられる。

 ふと、露出した私の左鎖骨の少し下に視線が向いた。
 そこには傷跡がある。どうやら見つかってしまったようだ。キハラが顔をしかめてそこを凝視している。

「……ああ、これ?憎きY・アサギリの姑息な手に掛かってしまって」
「何だって?!で。それは……銃弾ではなさそうだが?」
「うん。なぜかボーガン?」キハラならこの謎を解いてくれそうだ。
 何か考え込んでいるキハラだったが、残念ながら何も答えてはくれなかった。

「こんなケガしちゃって、キハラに知れたらお仕置きモノだって怯えてた」冗談めかして、笑いながら話を続けた。
「実の娘にそこまで……。全く、あの父親はどうなってるんだ!」
「全くよね~」

「……責任感じるよ、こういう世界に引き入れたのは、俺だ」キハラがうな垂れる。
「何言ってるの?私の家庭環境、あなたが一番良く分かってるでしょ。キハラのせいなんかじゃない、そういう血筋なの」

 コメントを出される前に続けた。「それに、キハラに鍛えてもらってなかったら私、とっくに天国、には行けないか……地獄にいるんだから」
「お前は天国に行っとけ」
「ダメよ!それじゃキハラに会えないもの」

「俺は地獄行き確定か!フフッ、そうかもな」そう言って、二本目の煙草に火を点けた。
「私にも、一本ちょうだい?」煙草を指してねだる。
 手にするのは赤ラーク。それは昔からキハラのトレードマークのようなものだった。
「それ、まだ同じの吸ってるんだね」
「ああ。お前もやっと堂々と吸える年か!」

 昔、こっそり内緒で何度か貰った事がある。
 舌を出しておどける私に、キハラが箱から抜き取った一本を差し出してくれる。
 お礼を言って火を点けてもらう。

 一息吸い込んで、衝撃を受けた。
「うわっ!相変わらず、これってキツイよね……」それはとてもヘビーな味がした。
 大人になった今でも、この味の良さは分かりそうもない。
 キハラが、そんな私を見て笑っていた。

「ところでユイ。お前、船舶とヘリのライセンスは、ちゃんと取ったんだろうな?」
「!……えっと、実は……まだ」
 囁き声で答えた私にキハラがキレる。「声が小さい!」
「取ってませんっ!」反射的に背筋を伸ばし、切れ良く回答し直す。

「何て事だ……!高校卒業したら、必ず取っておけと言っただろう?もったいない」
「そんな事ないよ。操縦、全然忘れてないから。今でもできるし!」
「アホか。無免許は犯罪だぞ」
「良く言うわ~、ボス?」

 キハラは正式な操縦免許を持っている。何でもできるこの人こそ、もっと別の職があっただろうに。

「お前なら一発合格間違いなしだ。俺が保証する。今からでも取れ」
「無理。そんな時間ないから!」
「おい!」

 キハラは身を乗り出して私に迫ったが、不意に動きを止める。私が急に下を向いてこんな事を口にしたからだ。
「……私っ、生きてて、良かったなぁ……っ」涙までが込み上げて鼻を啜る。
「おい……どうしたんだ、いきなり。どういう意味だよ」キハラが困惑している。

 私は意地を張ったせいで死にかけた。あの時、新堂さんが私を見つけて京都に来てくれなければ……。そうなっていたら、こうしてキハラに会う事はできなかった。

「ユイ!どうしたって言うんだ」
「ごめんっ!キハラに会えた事が、嬉し過ぎて……。変になったのかも?」
 ここで全てを打ち明けるつもりはない。キハラをこれ以上苦しめたくはないから。
 やめてくれ!と言って、身を乗り出していたキハラが椅子の背に体を預けた。

 しばらくして料理が並び、私達は食事を始める。利き手でないはずの左手で、器用にフォークを扱うキハラを見つめる。

「どうした。腹、減ってないのか?」
「……ううん!ペッコペコよ、いただきま~す!」

 なるべくキハラの腕の事は、考えないようにしよう……そう自分に言い聞かせて食事に集中した。
 こんな夢のような時間を、楽しまないなんて損だもの!


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