大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

  黄土色の街並み(2)

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 モロッコ、カサブランカのアパートにて、静かな昼下がりを迎えている。
 緩やかな時間が流れる中、いきなりこんな質問が飛んできた。

「なあユイ。父親の血液型は、本当に分からないのか?」
「何よ唐突に?知らないわよ。本人が調べてないって言ってたし」
「ミサコさんもそう言っていた」
「ならそうなんでしょ。今さら死人の血なんて、どうでもいいじゃない!」
 思い返したくもない事が多すぎて、自然と口調がきつくなる。

 ふと口にしたこの言葉に、新堂さんが飛びついた。「おい、死んだのか……、おまえの父親は?」
「そう言えば、話してなかったね」
「まさか、おまえが殺したんじゃ、ないよな……?」

「私がやる前に、お母さんに先を越されたわ」
「何だって?」
「……いいえ。何でも」さすがにこの辺りは説明しずらいので割愛する。
 けれど新堂さんは引き下がる様子もない。「おい、ミサコさんがどうしたって?」

「知らない!詳しい話は、本人から聞いてくださいっ!」
 これは私の見解であって、真実は本人しか知らないのだから。
「とにかく。どの道、死は目前だったの。末期ガンだったんだから」

「末期ガン、か……」彼が感慨深げに繰り返す。
 新堂さんの大切な人、園長夫人もそうだったか。
「だからって安楽死なんて、理解できないけどね」
「安楽死、させたのか?……ミサコさんが!」

「あるいは……」不意におかしな発想が浮かんだ。
 あのマキという男は、催眠術も得意と聞いた。義男が末期ガンだという催眠を掛けられていたとしたら?母はマキを使って、本当にあいつを殺したのかもしれない。

「おい、ユイ?」
「……ああ、ごめんなさい」こんな憶測はやめよう。
 けれど新堂さんは、私の次の言葉を辛抱強く待っている様子。

 私は話の矛先を義男に変えた。
「元はと言えば、今回はあいつのせいでミスしたようなものよ?……全く!死んでまで迷惑かけないでって話!」
「ミス……。刑事に撃たれた事か?」
 顔をしかめながらも、事実なので頷くしかない。

「何だかんだ言っても、やっぱり親子だな」
「は?どういう意味よ」
「父親を亡くしたショックで、ミスしたんだろ?」
「バカ言わないで。そんなんじゃないから」本気で否定した。百パーセントありません!

「ま、私にはどうでもいい事だが」
 熱くなる私とは裏腹に、冷血男新堂にあっさり突き放されてしまった。

 だったら聞かなきゃいいじゃない!自分は両親の記憶すらないって?勢いでそう言いそうになったところを止めるのには、とても苦労した。



 こうしてついに、念願のショッピングに出かけるまでに回復する。

「散策するにはちょうどいい時期になった」
「こっちにも一応、四季ってあるのね。知らなかった」
 ここモロッコの暑い暑い夏が終わり、束の間の秋がやって来ている。

 市場へと向かう道中、彼がいきなり私の手を持ち上げた。仕切りに私の指先の辺りを観察している。
「どうかした?」
「ユイ、こういうのはダメだ」

「え、こういうのって……まさかマニキュアの事?」
「そうだ。爪は、健康状態を把握するのに重要なんだぞ?」真面目な顔で言ってくる。
「いいじゃな~い、このくらい!だって久しぶりの外出なのよ?私にだって、オシャレする権利くらいあるでしょ」久しぶりのデート、なのに……。

「マニキュアは今後、禁止とする。いいな?」一向に引かない彼に、ついに判決を下される。
「ええ~っ!……何て事!」
「それに、こんなに長く伸ばすのも禁止だ」さらに追加の制裁が加わる。
「もう……分かりました。切って落とせばいいんでしょ!ただし帰ってから。ね?」
 上目遣いで彼を見上げてせがむ。せめて今日一日だけでも楽しませて!

「まあ、いいだろう」威厳たっぷりに許可が下りた。
「ああ良かった……。だけどこれ、そんなに長いかしら?全然伸びてないし!」
 気が収まらずに、自分の両手を見てはブツブツ言った。

「まあ……。そういうオシャレとやらに、気が回るようになったのはいい事だな」
「え?」指先にあった視線を彼に向けて聞き返す。
「いや。何でもない」
 生きる気力のなかった私が、その気力を取り戻した。彼はそれを言ったのだ。

 それもこれもこの人のお陰。感謝の気持ちを込めて、新堂さんの横顔を見た。

 ずっと楽しみにしてきた今日のデート(?)。初っ端からダメ出しを食らい、どうなる事かと思ったけれど、その後は楽しく市場を見て回る事ができた。


 カサブランカに滞在したのは半年程だ。全快した私は、晴れて帰国する事になった。
 まさかたったの半年で元に戻れるなんて思ってもいなかった。無事に二十五歳を迎える事ができた訳で、改めて我が主治医、新堂和矢の偉大さを思い知った。

 シーザーとブルータスは、この地に残して行く事にした。ご近所の懇意にしていた犬好き夫婦に引き取ってもらう手筈が整ったから。

「大型犬は、何かと出費がかさむからな」
 当面の彼等の食費も忘れずに添える。この提案は、驚いた事に新堂さんから!
 こんな細かな気配りができるようになったのは、大きな進歩だと思う。

「何か言いたそうだな」
 妙な表情で自分を見つめている私に、彼が不審がる。
「え?何?何も言ってないけど~!」慌てて誤魔化した。

 シーザーとブルータスに会えて、私はとても幸せだった。そういう意味では、あの刑事に撃たれた事も満更不運とは言えない?
 そして何より、私が辛い日々を乗り越えられたのはこの二匹のお陰。
 これからもこの子達には幸せに生きてもらいたい。

 シーザー、ブルータス!元気でね!


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