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第三章 一途な想いが届くとき
22.黄土色の街並み(1)
しおりを挟む私達はチャータしたプライベートジェットで、アフリカ大陸モロッコへと旅立った。
機内にて、私の左腕に点滴を装着しながら彼が解説する。
「長旅が可能か、先日検査をしておいたんだ」
それを見つめながら問い返す。「もし不可能だったら?」その可能性は大いにあったはずだ。
「そうだな……また考えるよ」
この言い方は、真剣に答えていない時の言い方だ。
昔も良くこんな返答をされた事を思い出して、つい笑ってしまう。
「何がおかしい?」不満そうに見下ろされる。
「ううん、何でも!それより。ねえ新堂さん、確認してもいい?」
私にはどうしても確認したい事があった。
「何だ」
処置を終えた彼は、私の前の席に向かい合って腰を下ろした。
「今、あなたがしてるこの行為は、私の依頼って事になる?」
少し考えているようだったが、すぐに明確な答えが返された。
「依頼された覚えはないから、自分から望んでしている事になるだろうな」
何とも偏屈な答えに、さらに突っ込んで質問する。
「私を助ける事を、望んでるっていうの?」
「ミサコさんに、おまえの事をよろしくと頼まれてるからな」
「そんな理由?!あのさぁ、そういうのって普通、ただの挨拶っていうか……」
まさかその〝よろしく〟を真に受けて、今まで私の事を?冗談でしょ!!
「自分でも不思議なんだが……おまえを、助けたいと思った」彼が続けた。
「どうして?」
「ユイは……、大事な人だから」そう言って、彼が少し微笑んだ。
こんな事を言う新堂さんに、ドキリとしてしまう。
「そっ!それはっ!私があなたの命を、何度か救ったりしたからでしょ」
「もちろん、最大のきっかけはそれかもしれない。だが、それだけじゃない」
「じゃあ他に何が……」ここまで言って遮られる。
「先は長い。もう休め」
この際とことん追求しようと思ったのに!
席を立つと、彼がブランケットを掛けてくれる。
「もう強がらなくていい。何も心配する事はないんだから」そう言って、優しく私の頭を撫でる。
ずっと虚勢を張っていた自分が、この時あっさり崩れ落ちた。
本当は辛くて苦しくて、体より先に心が死にそうだった。なのに誰にも言えずに平気な顔をしてやり過ごしてきた。
そんな事が、この人には全部分かっていたというの……?
不覚にも涙が出そうになり、慌ててブランケットを頭まで被ったのだった。
新堂さんの話していたカサブランカの病院で、ひと月に渡って治療を行なった。
それはもちろん辛い辛い入院生活ではあったけれど、周りのスタッフ達はとても陽気で、加えて新堂さんの相変わらずの上からな態度に腹を立てたりしながら(!)、いつの間にか乗り越えていた。
無事に自宅療養ができるまでになり、彼と共に小洒落たアパートメントへと移った。
「ユイがフランス語を話せて良かったよ」
ここモロッコは過去フランス領だったため、第二言語としてフランス語が使われているのだ。
「本当は、アラビア語ができた方が良かったけどね」
これを痛感したのは、例のエリック救出のためにこちら方面に来た時以来、二度目になる。
「できたとしても、ここのアラビア語はモロッコ訛りが強くて、理解できないかもな」
「そうなの?」
アパートの室内にて、会話は続く。
「それにしてもブルータスは元気がいいな。おい、そんなに纏わり付くなよ!」
新堂さんの周りをグルグル回った後に、堪らずに飛びかかるブルータス。
「ずっと遊び相手がいなかったから。嬉しいのよ」
「おい。私は遊び相手か?」
「ブルータス、始めからあなたに懐いてた。新堂さんが犬好きだったなんて意外!」
「昔から犬は好きだよ。それにしても、シーザーはユイにべったりだな」
私の足元で体を横たえているシーザーを見て言う。
「あら~ぁ?妬いてるの?」あえて素っ気ない口調で言ってみる。
「面白い事を言うじゃないか」彼はニコリともせずに答えた。
するとブルータスが唐突に吠えた。
「こいつは今何を訴えた?」
「さあ。あなたにもっと遊んでほしいんじゃない?でも残念!ブルータス、シーザーと遊んでらっしゃい」
足元のシーザーを起こすと、ブルータスの元へ行かせる。
二匹は素直にそのまま部屋を出て行った。
「ユイの言う事は良く聞くんだな、あいつら!」
「……だって。あのままだったら、私がブルータスに嫉妬しちゃうじゃない……」
こんな事を呟いてみるも、残念ながら意図が伝わらなかったのか、反応はなかった。
伝わらなくて内心ホッとしている。
なぜならその意図とは……ブルータスみたいに、あなたとじゃれたい!だから。
思わずニヤケた私に指摘が入る。「何百面相してるんだ?」
「っ!は?何よ、百面相って?」そんなにコロコロと表情が変わっていたのか?
次の瞬間、澄まし顔で誤魔化した。
ここでの時間は、ゆったりと流れている。
体調はここへきて一気に回復し始めた。それもこれも、我が優秀な主治医の治療のお陰だ。
なぜ新堂さんがこちらの病院に私を連れて来たのか、分かった気がする。
もちろん気分を一新するという意味で、日本とは違うこの国の雰囲気は最適だ。私もとても気に入った。
けれど一番の理由は、日本では認められていない治療をするため……なのでは?
これは単なる推測だが。
「不思議……。自分がこうして、何の苦痛もなく穏やかに生活してる事が。しかもあなたと、こんな異国の地で」
窓から見える黄土色の街並み。そこへゆっくりと沈む太陽を、目を細めて見つめる。
「気に入ってくれたか?」
「ええ、とっても!ステキな所ね」
「この国はな、イスラムやアフリカ、ヨーロッパなどの様々な文化が融合した、特異な国なんだ」彼が解説を始める。
「そっか~。この独特な雰囲気はそのせいなのね」
海外の楽しいところは、こういう異文化に触れられる事だと思う。
「もっと元気になったら、マラケシュにお買い物に行きたいなぁ」
マラケシュというのは、ここから少し南下した所にある街だ。
「ああ、あそこの市場は楽しいぞ」
「でも、いつになったら行ける事か……」
彼が同意してくれるものの、回復しつつあるとはいえ自信がない。
「何、時期に行けるさ。それだけ食欲が出れば、もう時間の問題だ」
無反応の私に、新堂さんがやや不満顔になる。
「……さては、信じてないな?」と目を覗き込まれる。
何しろ私は、医者にサジを投げられた患者。どうしてもそう簡単に治るとは思えない。
「今まで私が嘘を言った事があるか?」
「いいえ……」
この人に嘘はないと思う。むしろ自分の方がついているかもしれない。
「いいかユイ、考えてもみろ。黄金の血液のストックが、ここにたっぷりあるんだぞ?」
彼が自らを指して言う。
〝黄金の血〟とは何とも大袈裟なネーミングだが、私達の持つRhナルは、そう呼ばれる事があるのだそうだ。
この血液型の人間は、二百万人に一人の割合と言われている。黄金のように貴重だという意味だろう。
「そうだね」微笑んで答えた。
その昔、新堂さんに支払うための五千万を稼ぐのに血を売った事があったが、あんなに高額で買い取られた理由は、朝霧の名声のお陰などではなく〝黄金の血〟だからだったのかもしれない。
そうだとしたら、何ともお恥ずかしい勘違いではないか?
「今回の事、本当に昔の治験のせいじゃないのね」
ずっと疑っていた。例の未認可薬剤の治験のせいではないかと。
「完全否定はできない。その要因にはなったかもな。これからも、どんな後遺症が現れるか分からない」
「そっか……」
「だからユイ。これからも不調が現れたら、必ず私に言う事。まあ、自分からその辺の医者にかかったりはしないだろうがね」
大の医者嫌いの私に、嫌味も忘れず口にする。
「もちろんそうする。するに決まってるでしょ?」
他に一体誰が闇新薬の後遺症について考えてくれると言うのか?治療の前に逮捕されてしまう!
「それにしても。恐ろしい事をしたもんだよな……!」私を改めて見て、ため息混じりに半ば呆れた調子で言う。
負けずに返す。「あら。誰かがそれをしない限り、医薬品は進歩しないのよ?」
別に闇新薬研究の肩を持つつもりはないが。
「似たような事をやっていた、自分が言うのも何だが。あまりに無責任だと思うよ」
そう、彼は実験のような外科手術を何度もしてきた人間だ。
「それじゃあなたは、自分のしてきた事、後悔してるの?」
「おまえのこれからを思うと、そんな気にもなるって話だ」
「そんな必要なんてない」
私のこの言葉に、彼が強い視線を向ける。
「私の体には、まだ何も起こってない。それに、しっかり見返りはいただいた。双方に利益があれば問題ないでしょ?」
「全くおまえは……!治験といい、血まで売って、逞しい女子高生だったよな!」
「新しいものを開発するのに、犠牲はつきものよ。それを恐れていたら、前には進めない。向上心を忘れたらお仕舞いだって、あなたも言ってたじゃない」
「あなたは、その実験的な手術によって、新たな手法をたくさん手に入れた」
何も言わない彼に、私は一人語り続ける。
「それが今、新堂さんの一番の武器なんでしょ?」
「それはそうだが……」
彼は自分のして来た行為に、まだ踏ん切りが付かないでいるようだ。
そこで最後にこう締めくくった。
「だったら気にする事なんてないじゃない!他人の事を気にするなんて、新堂さんらしくないわ」
しばらく会わないうちに、この人はさらに普通の人間に近づいたようだ。
彼は大きく息を吸い込んだ後「らしくない、か」と、吐き出すように言った。
「被験者側のそういう意見を聞いて、気が晴れたよ」
彼の表情は、ようやく明るくなった。
そうそう、らしくない!自信のない新堂和矢なんて、威圧的な姿よりも見たくない。
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