大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

  ポッカリ空いた穴(2)

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 懐かしすぎるこの人を前にして、意識が飛びそうになる。足に力が入らず、よろよろと崩れ落ちた。

「っ、おい!大丈夫か?」彼が駆け寄って私を支える。
 その感触が伝わってきて、どうやら夢ではないと分かるも、やはり信じられない。
 何とか自分を必死で奮い立たせ、その顔を見上げた。

 新堂さんの姿は以前と変わらず素敵だ。強いて挙げるなら、若干日に焼けたか。

「腰でも抜けたか?驚きすぎだ!ようやく見つけた、久しぶりだな」
 どう返せばいいのか分からず黙り込んでいると、彼が足元に目をやった。
「こいつはブルータスか。という事は、そっちはシーザーかな?」言いながら、自分にじゃれ続けるブルータスを再び撫でる。

「当たり。やんちゃなのよ、ブルータスは。……ごめんなさい、スーツ汚した?」
 見るからに高そうなスーツだと思いながら尋ねる。
「気にするな。これ、ユイに」懐かしい笑顔で花束を差し出してくる。

 やっぱりこれは夢だ。
 百歩譲って自分がまだ生きているとしても、きっとまた知らずに倒れて夢の中にいるに違いない。
 だってこんな光景、前にも見た事がある。夢の中で!

「ユイ?」無反応の私に、再度声がかかる。
「……ごめんなさい、状況が、うまく飲み込めなくて……」
「夢か何かだと思ってるのか?何なら、あの時みたいに引っ叩いてやろうか」
 片手で花束を抱えながら、叩く仕草をしている。

 そんな彼を見ていて、気づけば私は笑っていた。「今度やったら、やり返すからね?」
 そして自分が、どれだけこの人に会いたかったかを思い知らされた。
 もう夢でもいい。こうして新堂さんにまた会えたのだから。

 受け取った花束を抱き寄せると、良い香りが私を包み込んだ。
「どうして花なんて?」
「久々の再会なのに、手ぶらじゃ申し訳ないだろ?」
 答えに驚きつつも頷いて見せる。この人にしては、まともな事を言うものだ。

「これは、カサブランカ?新堂さん、海外に行ってたのよね。もしかしてモロッコにでも行ってたとか!」日焼けした彼の顔を見ながら言う。
 モロッコにカサブランカという港町があるから、洒落のつもりで言ったのだが……。
「正解だ」
 どうやら当たってしまったようだ。

「ユイ、痩せたな。貧血のようだが……」と彼が私を見て続ける。
「いつ戻ったの?」あえて話題を変える。
「ああ、春にな」

 麻の白いワンピースを着た私を見て眩しそうに目を細めながらも、その眼差しは明らかに医者の目だ。
 それ以上に、この人に見つめられると透視されてでもいるように感じてしまう。昔からずっとそうだった。
 恥ずかしくなり、慌てて体ごと視線から逃れようとした。

「どうした?」
「別にっ!それよりなぜ来たの?こんな所まで……」

 新堂さんの足元では、まだブルータスがじゃれている。
 彼はしばらく私を見ていたが、しゃがんで再び犬の相手をし始めた。その楽しそうな顔をしばし見つめる。
 この人のこんな顔を、今まで見た事があっただろうか……。そんなふうに、あの頃を思い出しながら。

「そっちこそ、全然連絡も寄越さないで酷いじゃないか。散々探したんだぞ?携帯、解約しただろ」ブルータスを構いながら、チラリと私を見て言う。
 そして私から目を離して続ける。
「ユイのマンションに行ったら、ポストに郵便物が山になってたぞ」
 答えない私に彼が続ける。「一応、全て部屋に運んでおいたよ」

「そう、ありがとう。携帯は、もう必要ないかなって……」
 そう答えながら、あの部屋の合鍵を渡したままだったのを思い出す。
「何だよ、必要ないって。連絡つけられないじゃないか」
 しゃがんだまま、彼が再び私を見上げた。
「本当は、帰国してすぐに会いたかったんだが。居所を突き止めるのに手こずってね」

 私は黙り込むしかなかった。

「ああそれから。神崎から何回か連絡があったぞ。おまえの居場所を教えてほしいってな」
「えっ、神崎さんが……新堂さんに?」
 二人が連絡を取り合っていた事には驚いた。

「あいつにも連絡してなかったのか。兄妹なんだろ?居場所くらい教えてやれ」
「ごめんなさい……。でも、新堂さんは良くここが分かったね」
「警察には知り合いが多くてね。しかし、おまえが刑事と関わってるとは驚いたよ」
「新堂さんが警察に知り合いって……それも驚きだけど」
「別の意味での付き合いだがね……。まあ、そっちの線から調べたら一発さ。何しろ、ラッキーな事におまえの関わった人物は、有名人だったから?」

 返す言葉がない。

「便りのないのは良い便りって言うが……」
 立ち上がった彼に改めて正面から見下ろされて、とっさに下を向いた。
「どう見ても、そうではなさそうだな」

 ため息混じりに呟く新堂さんに、感情を込めずに答えた。
「あなたにだけは、会いたくなかったわ」
「それはご挨拶だな!私はそこまで嫌われていたのか」
「別に!そんなんじゃない。こんな姿、あなたに見られたくなかったってだけ!」
「こんなって?」

「今にも死にそうな、弱い私をよ!あなたの前では、強い朝霧ユイでいたかったのに」
 下を向いたまま震える私の両肩に、彼がそっと手を置いた。
「私は、おまえの主治医なんだぞ?認めてくれてると思ったんだが……」
 顔を上げない私に続ける。「なぜ、弱い自分を見せたくない?」

「なぜって……。あなたのガードがまともに勤まるくらい、強くならなきゃいけないのに、こんな弱った姿を晒せる訳ないじゃない!」
 まだ私は下を向いたままだ。

「困った時はお互い様、だろ?ユイが教えてくれたんじゃなかったか?」
 こんな彼の言葉には、耳を疑わずにはいられなかった。過去の私の発言を、この人はちゃんと覚えていた。
「おまえの事だ、ずっと一人で強がって苦しんでたんだろ。聞かずともそれくらいは分かる。一体、いつからこんな……」そこまで言って、彼が言葉を詰まらせた。
 それくらい、今の私は痛々しかったのだろう。

 私の目から、ついに涙がポロポロと零れ落ちる。ぼやけた視界から、その粒が地面に吸い込まれてなくなるのを、ただ見つめる。

「すぐに診察をしよう」
「ダメよっ!」下を向いたまま即答すると、「なぜだ」やや声のトーンが下がった。
「私は、……もう治らないの。例えあなたでも治せないの!こんな手の施しようのない患者には、関わらない方がいい」一気にここまで伝えて泣いた。

「治せない?なぜそんな事が分かる。おまえみたいな素人に判断されたくないな」
「だってそうなの!誰にも治せないって。もう長くはないって……言われて……っ」
 嗚咽で、言葉がうまく続けられない。
「今さら言わせるのか?私はその辺の医者とは違う。治せないなどと決めつけるな」

 彼の言葉に、ようやく顔を上げてみる。
 新堂さんの意外なくらい穏やかな顔が、目の前にあった。

「だから、もう泣くな」彼が私の涙を長い指で拭ってくれる。
「診察、させてくれるよな?」
 後から後から溢れ出る涙を抑えて、何とか頷いてみせた。新堂さんを信じてみよう。そう自分に言い聞かせて。


 私は彼を屋敷の中へと案内した。廊下を進みながら会話する。

「ご大層な屋敷だな!ここにユイ一人で?」
「ほとんどは。この家、使ってなかったんだって。いつまででもいていいってさ!」
 周囲を見回しながら、彼が肩を竦めた。

「仕事が忙しいから、あの人はめったに来ないけど。私にはこの子達がついてる」
 静かについて来る犬達を振り返る。
「さあ。君達はここで待っててね」
 犬達を廊下に残し、新堂さんを寝室に入れてドアを閉める。

 彼がベッドに横になるよう促す。
「それ、脱げるか?」私の着ていたワンピースを見て言う。
「はい……」

 そして早々に診察が始まる。

「大分、貧血が進行しているようだが」
「あまり、食事を摂ってないから」貧血の理由はもちろんそんな事だけではないが、まずはこう伝える。
 キャミソール姿で仰向けに寝た状態となり、顔を両手で覆った。

「それで、病院へは?」
 彼は質問しながら、顔を覆った私の両手を払い退けて観察を続ける。
 新堂さんの困った顔が目に映って口を開くが、行っていないとは言いずらい。
「半年前に退院してからは、あんまり……」と濁して答える。

 しばしの沈黙の後に、「それで、そこの医者が治せないと言ったのか」と彼が続ける。
 私は彼の目を見て、静かに頷いた。

 キャミソールの肩紐が下ろされ、私の胸が露わになる。
 真っ先に右胸の銃弾痕に目が行ったようだったので、聞かれる前に撃たれた時の状況をかい摘んで説明した。

「原因は、この時の輸血副作用か……」
 さすがは新堂和矢。すぐに原因を言い当てた。
「厄介だな……。バカ野郎、なぜ輸血の時に俺を呼ばなかった!」新堂さんが声を荒げた。ここまで汚い言葉を使う彼を見たのは初めてかもしれない。
 私の視線に気づいて、我に返った様子で言い直す。「済まない……少々取り乱した」

 初めて目にした、これほどに動揺する新堂さん。
 それによって確信する。「やっぱり治せないんでしょ?いいのよ。別にもう、期待なんてしてな……」
「私はまだ、何の結論も言った覚えはないんだが?」こう私の言葉を遮って断言した彼に、先ほどの鬼気迫る様子はもうなかった。

「治せるっていうの……?」
「現時点で確実にイエスとは言えない。だが、諦めるのはまだ早い」
 いつでも自信たっぷりの新堂和矢が、こんな謙虚な回答をした。でもここで治せると言われていたら、私はこの人を信用しなかっただろう。

「それで、ここの主は責任を感じて、おまえをここに住まわせている訳か」
「そう。一生、面倒見てくれるみたいよ!」
「まさか、……結婚、したのか?」
 新堂さんがやや慌てたように見えた。

「心配?」あえて無表情で確認してみると、「まあね」負けずに無表情で、素っ気ない返事が返ってきた。

 私は体勢を起こして答えた。
「私はまだ独身よ。職業柄、あの人は結婚を望んでいない。でも、とても優しい人」
「そのようだな」
 彼は私に服を着るよう促すと、立ち上がって寝室のドアを開けた。

 ドアの前では、二匹が行儀良く座って待っていた。新堂さんが尻尾を振る二匹に笑顔を向ける。

「ユイ。これから、おまえを診察した医者に話を聞きに行く」
 二匹を寝室に入れた後、私を振り返って言った。
「ええ。どうぞご自由に。でもそこ、警察病院だから気をつけてね」
 入って来た二匹を交互に撫でながら答える。
「何を他人事みたいに言っている?おまえも来るんだ」

「え?私はイヤよ、行かないわ!」
 しゃがみ込んで、二匹を両腕に抱きながら訴える。
「そんな状態のおまえを、一人で残しては行けない」
「何言ってるの?今までだって、ずっとこうして一人だったの。平気よ」
「私が来たからには、もう二度とそんな事はさせない」

 新堂さんは頑固だ。きっとこの考えは覆せない。私は仕方なく、彼について行く事にした。


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