大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

  シニガミの置き土産(3)

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 あれほど悩まされた、宿命の天敵がこの世から消えた。
 〝Y・アサギリ〟裏の世界で名を轟かせた、らしい男。

 ただ、あの人の射撃の腕を受け継いだ事だけは感謝している。これのお陰で、この世界でやって行けると言っても過言ではない。

 そんな父の葬儀は〝朝霧義男〟と〝神崎龍造〟の二度執り行われた。
 朝霧家については、宣言通り神崎さんが全てを引き継いだ。これで表裏ともに神崎龍司が実権を握った事になる。
 朝霧家の面々が、突然現れた神崎さんに驚いた様子が目に浮かぶが、そんな中彼はあっけらかんと言ったそうだ。自分は朝霧の隠し子だ、と!

 まだ義男の二重戸籍が判明する前、兄は私が神崎龍造の隠し子だと思っていたらしい。
 それがまさか自分の方だったなんて?そんな事もあっさり受け入れてしまう懐の深い兄を、私はやはり越えられる気がしない。

 この大尊敬する神崎龍司は、これから命を狙われる危険が増えるだろう。その事だけがどうしても心配だ。

 そこで私はある事を実行する事にした。


「大垣さん、だったわね」
「あなたは……」

 時刻は夜の二十二時を回った。神崎コーポレーション、オフィスビル前の通りにて。
 今、私の前には巨体のスキンヘッド男がいる。何とか単独で掴まえる事ができた。

「お願いがあって来たの」その巨体の上の方を見上げながら告げる。
 それにしても相変わらずデカい!まともに会ったのは高校生以来だが、この男は何も変わっていない。

「社長ならご自宅へ帰られましたが?」大垣がやや困った様子で答えた。
「今日は、あなたに用があるの」
「私にですか?」とても驚いた様子で私を見下ろす。
「少し時間をくれない?私と、本気で手合わせしてほしい」
「……はい?」

 神崎さんのいない所でこの人物に接触を図った理由。それは、この男がどれだけの力を持っているのかを確認するためだ。
 大垣とは、いつか手合わせ願いたいと思っていた。もちろんそんなのはほんの興味本位での話だった。
 けれど状況が変わった。

 万が一神崎さんに危険が及んだなら、本人の実力はさて置き、頼れるのはこの人しかいない。
 私の大切な兄を守れる力があるかどうか、見極めておかなければ……。単なる見掛け倒しだとしたら一大事ではないか!

「何をバカな。もう遅い。早く帰れ」
 案の定、全く取り合ってくれる様子もない。
「ちょっと待ってよ!私はもう、あの頃のような学生じゃないわ!」

 一度背を向けた大垣が振り返る。街灯に照らされたスキンヘッドが眩しい……。
 そんな事を思いつつも、真剣な眼差しを向け続けた。場合によっては、コルトで脅してでも従わせる!
 そう思った時、大垣のため息が聞こえた。

「昔から感じていたが。お前のその殺気は……どうにも見過ごせんな」
「褒め言葉として、受け取っておくわ」
 殺気か……。それはコルトに手を掛けた瞬間に、私が発したに違いない。でも、昔からというのは?
 こんな疑問を抱きながらも、少しだけ緊張の糸を緩めた。

「手加減はなしよ。どちらかが参ったと言うまで続ける、いいでしょ?」
「ケガをしても知らんぞ。本当にいいんだな?」

 どうやら受け入れてくれたようだ。それはつまり、私が自分と対等に戦えるレベルにあると判断したという事。
「ええ」

「神崎社長はこの事を知っているのか?」
「それならわざわざ、あなたを待ち伏せてお誘いしたりしないわ」
「……龍司さんはこんな事、決してお許しにならない」
 大垣が、幾分思いつめたような表情で続けた。「あの方は、妹のあなたの事を大いに可愛がっていらっしゃる……」
 言い終えて眉間に寄ったシワ。これは何を意味するのか。この人にとって喜ばしい事ではないようだ。

「ついて来い」
 元の表情に戻った大垣が、私に背を向けて歩き始めた。


 大垣について歩く事二十分弱。辿り着いたのは、日頃使っているというトレーニング施設の道場。遅い時間帯だったためか使用中の者はいない。

 数分後には、お互い道着に着替えて向かい合っていた。
「決してケンカでも、リンチでもないからな」大垣が確認するように言うので「もちろん。殺し合いでもなくね!」と言い返した。
「それじゃ、始め!」

 七年越しに、ついに念願の戦いが始まる。
 最初に仕掛けてきたのは大垣だ。巨体と腕力を生かした攻撃。それを交わして足を払うも……ビクともしない。
 反対に軽々と持ち上げられて投げられる。反動を殺すため、空中で回転してから着地する。

 高校時代、器械体操部に所属(幽霊部員ではあったが!)していた事からも分かるように、空中遊戯は大得意だ。子供の頃など、周囲の大人達にサーカスに売り飛ばされないように気をつけろ!とからかわれたくらいだ。
 今考えると、あれは満更本気だったのかもしれない。義男ならば、そんな事もやり兼ねないから!

「想像通りの怪力ね!」大垣に意識を戻して声をかける。
「そっちは、見かけに寄らず、軽やかな動きだ」
「何それ。私が鈍クサく見えるとでも言うの?」思わずムッとして反論する。

 こんな一瞬を突いて再び巨体で潰されそうになり、股の間からスルリと抜け出す。

「朝霧ユイ!逃げてばかりじゃ、俺は倒せないぞ!」
「く……っ!」
 正直に言えば攻撃するのが怖かった。例えこんな怪力野郎でも。相手が極悪人であれば、容赦なく攻撃できるのだが。

 けれど大垣の言う通り、逃げているだけでは勝てない。この男の強さは生半可ではなかった。この時点でもう十分と言えた訳だが、試合を途中で投げ出すのはご法度。
「さあ、もう終わりだ。参ったと言え!」
「……っ、しまった!」
 私はついに大垣に羽交い絞めにされ、首を絞められた。太い腕が首に絡まる。

 息が、できないっ!
「何をしている?殺したくはない、早く言え!」

 堪らずに、渾身の力で大垣のみぞおちに肘打ちを加える。
 大垣が声を上げて退け反る。力が緩んだ隙に、体を沈み込ませて脱出を図った。そして即座に足をすくって巨体を倒す事に成功。

 私達は同時に倒れ込んだ。
 咳き込む私と、突然の反撃に呆気に取られる大垣の目が合う。

「何てヤツだ!」大垣が上体を起こして叫んだ。
「ゴホッ……やるじゃない、大垣さん」咳き込みつつも、上から目線で言ってみる。
「それはこっちのセリフだ!朝霧ユイ、ここまでとはな……。見事だった」
「まだまだっ!あなたはまだ、本気出してないでしょ?」
「そんな事はない。久しぶりに投げ飛ばされたよ。参った!」

「ええ~っ!そこで言っちゃうワケ?」額の汗を拭いながら大垣を見る。
 こんな終わり方、拍子抜けだ!
「もう十分だろう?」
 おっしゃる通り十分確認した。敵に回したくないくらい、強力なボディガードだという事を。
「……ええ。これで安心した。神崎さんを、これからもよろしくね」

 しかしこれでは、関係のないこの人を悪の道に引き込む事にならないか?

 改めてこんな心配をしていると、大垣が言った。
「私はこれまでも、そしてこれからも、神崎社長を全力でお守りする。そんな事、今さらあんたに頼まれるまでもない」
「そっか」

 大垣の返答に安堵しながら考え込む。この人は一体何者なのだろうと。このキハラ並みの強さ。軍隊にでも所属していたのだろうか。それとも、ウラの世界で暗躍するヤバい集団の一味だったとか!

「あの方……龍司さんには、返しようのない恩があるんでね」ポツリと大垣が呟いた。
 この言葉に、この人の神崎さんへの強い忠誠心を感じた。
「あの方が行く所ならば、自分はどこなりともお供する」

「あの、大垣さん。それって……」
 それは、神崎さんが継いでしまった恐ろしい裏家業の事を言っている?確認しようとしたが、私の言葉は遮られる。
「朝霧ユイ。お前の事は調べ尽くしている。忘れたのか?」

 この答えが全てを物語っていた。大垣は全てを知っている。それはきっと、これから自分達が進む道が悪の道である事も。
「そう、だったね」

「でも……。私のそれって、どこまで……神崎さんに伝わってるの?」
 私の悪事の全てが、彼に伝わっているとしたら……今さらながら、合わせる顔がない。
「全てを報告する必要はない。余計な事を知って、あの方が心を惑わされるなど無意味な事だ」
 過去に大垣は調べ物が得意じゃないと言われていたが、単に報告されていないだけだった可能性があるのか。

「そういう事……。で、必要な情報かどうかは、どうやって選別するの?」探るように尋ねる。
「企業秘密だ」
 私のために黙っていてくれた、などという事もあるまいが!
「全てはあの方のためだ。私は常に、それだけに心を注いでいる」
「……。そうですか」私のため、じゃないらしい。当然か。

 それにしても恐ろしいまでの忠誠心!一体、どんな恩があるのだろう?

「さて。今日の事は、くれぐれも社長に内密に頼むぞ?私があなたに負けたと知れたら、即刻クビにされてしまうからな!」いきなりざっくばらんな口調になった。
「ふふっ!こちらこそお願いしたいわ」
 神崎さんに、あなたのボディガードと一戦交えたなんて言ったら……腰を抜かされそうだから。

 私達は笑い合い、そして固く握手を交わした。
 大きな大きな大垣の手を、この両手で強く握り返した。


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