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第二章 いつの間にか育まれていたもの
怒りのホコサキ(2)
しおりを挟む「違うんだ……」くぐもった声で彼が言った。
「謝るのは私の方だ。つい、ユイに当たってしまった。悪かった」
「いいのよ!気にしないで」
急いで言い返して、そのまま見守り続ける。
少しして落ち着いたのか顔を上げた彼だが、すぐに背を向けられてしまった。
しばらく新堂さんは左手に広がる海を無言で見ていた。
「……私が育った児童養護施設の、世話になった園長夫人が亡くなったんだ」彼がぽつりぽつりと語り始めた。
「えっ?」新堂さんが施設で育った……。それは衝撃の事実だった。
思えば彼の元に送られてきていた郵便物の中には、養護施設からの手紙がたくさんあった。
「あの日。おまえを何とか連れて帰ろうと張り込んでいた時に、連絡が入ったんだ」
こんな彼のセリフによって、私の中でこの疑問が再燃する。
「そうよ!張り込んでたってどういう事?エリックのケガも診てあげたって……」
「それだけでも、役に立てて良かったよ」
「何よ、それ!」
頭が混乱する中、新堂さんが話を戻した。
「園長は……すでに危篤状態だった。遅かった、遅すぎた!なぜもっと早くに言ってくれなかった?手紙には、そんな事は今まで一言も書かれてなかったのに……!」
悔しそうに下を向いて、彼が続ける。
「こういう時に役に立てなくて、何が医者だ!俺は今まで何のために……」
今、新堂さんは自分を〝オレ〟と呼んだ。私と話す時はいつも〝ワタシ〟と、他人行儀に言うのに。これはもしかしたら、彼の心の声かもしれない。
閉ざされた心の扉が、一瞬だけ開いたような気がした。
彼の苦しみがジワジワと伝わってきて、私の胸までが痛み出す。
「それで、その人とは話せたの?」
他にも多々聞きたい事はあったが、これだけ尋ねた。
「ああ、幸いにも。これからも、人の役に立つ事をしてくれと笑ってたよ。最も救うべき人間さえ救えない俺に!……自分は一体、今まで何をして来たんだ?」
彼が呆然と立ち尽くす姿が目に浮かんだ。
「新堂さん……」
かける言葉が見つからなかった。
「死んだ人間を生き返らせる事ができたらと、本気で思ったよ。だが、神でもあるまいし!そんな事は不可能だ。誰にも……!誰にもできないんだよ、ユイ」
「……ごめんなさい、私、軽々しくあなたなら助けられるなんて、あんな事を……」
少し前の自分の発言をすぐさま反省した。
「この悔しさを、どこにぶつければいいのか分からないんだ!」
私にはいつでも憎む対象がいた。父親やテロリスト、腐りきった裏社会の連中。だから私は、そんなヤツらに怒りを向ければ済んだ。
でも新堂さんは?彼は自分を責めている。大切な人を助けられなかった自分を。
何とかしてこの人を救いたい……。どうすればいいのだろう?
「こういう場合、死ぬ気で詫びる以外にないんじゃない?」
単純な私にはこんな発想しかなかった。サムライは、腹を切って詫びる。
「ユイ?」
驚いて振り返る新堂さんに、「私も付き合うわ」と笑顔で言う。
「運転、代わってくれる?」
そう言って彼を車から降ろすと、ポジションを交替した。
「おいユイ!何をする気だ?おまえはケガをしてるんだぞ、運転は……」
「さあ新堂さん。あなたの怒りを全て海にぶちまけて、懺悔するのよ!愛車のベンツと共に……!」
痛む左腕をハンドルに乗せると、右手で彼の手を掴みウインクする。
「ははっ!ユイ、私と心中でもするって言うのか?」
エンジンを思い切り吹かすと、アクセルを目いっぱい踏み込んだ。後続車がいないのを確認して、左に急ハンドルを切る。
頑丈なベンツは橋の欄干を突き破り、瞬く間に空へ飛び出した。
それにしても、何て迷惑な行為だろう……。
その後私達が、あらゆる方面の方々から数多くのお叱りを受けたのは言うまでもない。
この行為で、どれだけあの人の心が癒せたのかは分からない。でもその後、彼はまたいつもの彼に戻った。
いつもの、クールで考えの読めない男に!
新堂さんの治療の甲斐あって、私の左肩のケガは順調に回復しつつある。
彼の部屋にて。テーブルの上に散らかったままの、郵便物の山を前に口にする。
「ねえ。この手紙って……」
中を見た形跡すらない物も多数ある。そこから、養護施設から送られてきた一通を抜き取った。
「ああ、それか……。そうしてやってくるのは事後報告だ。確認する必要はない」
「事後報告って、もちろんお仕事のよね?」
「いや……」
新堂さんが、私の持っていた封書を取り上げた。
「全国、津々浦々から来てるみたいだけど……」
やはり返事はもらえないと判断し、諦めておどけてみる。「新堂さんて、案外、お友達多いのね!」
「そういう関係ではない。相手は単なる資金の援助先だ。その礼状さ」
「な!何ですって?」
我が耳を疑った。この人が資金援助だなんて!
「有り余った金を他にどう使う?必要な所が使えばいい」
「余ったお金、ね……」
間違っているか?と言うように、私の顔を凝視する。
「新堂先生の、おっしゃる通りです!」
一体どれだけ余るのか、とても興味がある。そもそも彼の報酬と私のでは桁が違う。全く羨ましい限りだ。そんなセリフを一度でいいから言ってみたい!
かなり予想外だが、新堂和矢はただの金の亡者ではなかったのか。
しかし純粋に慈善活動なのかは、私には判断できない。きっと、真相は永遠に謎のままだろう。
「驚いた……。私はてっきり、自分のために稼いでるんだと……」
私の言葉を遮って彼が言う。
「おまえと違って、滅多に車も故障しないしな。身の回りの物以外、別段必要な物はない。もちろん依頼遂行のためには、惜しみなく使うがね」
「どうせ私は、散々車をスクラップにしては乗り換えてますけど!」
そうは言ったが、決して運転技術が劣っている訳ではなく、単に無謀なだけなので念のため。
このひと月、私達は週一回のペースで会っている。ケガをすれば、こうして新堂さんに頻繁に会えるのだ。そしてこうも思う。ケガをしないと会えないのだと。
「何をニヤケている?私の顔に何か付いてるか」
近所の喫茶店でお茶をしているのだが、無意識に彼を見つめていたらしい。しかもあろう事か、私の顔は笑っていた模様……。
出会った頃と何ら変わらない、新堂さんの斜に構えるこの感じ。ただ座っているだけなのに、どうしてこんなに絵になるのだろう?
普通の恋人同士みたいで嬉しいのよ、などと言えるものか。「別に何も!」
この人が孤児であった事が、思わぬ形で判明した。かつておんぼろアパート(!)に住んでいた彼。それを知っているからこそ頷けるこの事実。
いつでも高圧的で自信たっぷりだから、挫折を知らない資産家のお坊っちゃん、くらいに思っていた。
人の心が分からないとか、接し方が不自然だとかの原因は、そんな幼少時代の環境にあると納得したのだが……。
それにしても、この人は本当に変わっている!
「そんな事よりっ!」テーブルを両手で叩いて、彼の意識をこちらに向けさせる。
「何だ、いきなり」
私にとって重要なのは、もっと別の事だ。
「新堂さんは、私を助け出そうとしてくれたの?」
「何の事だ」
「だから!ルクソールに残った事よ!先に帰ってって言ったじゃない」
「実際、先に帰国したのは私だろ」
「そうだけど!連れて帰ろうとしてたって、言ってたじゃない」
「どうせなら、一緒に帰ろうと思っただけだよ」
「でも!」
エリックから依頼の電話があった日、彼は唐突に、自分にも同じ地域から依頼が入っているのを思い出したと言い出した。
でもあの時、私はまだ行き先の事を何一つ口にしていなかったではないか?
時間が惜しくて違和感を放置したのは失敗だった。
「もしかして新堂さん、私を心配して……」あんな口実を作ってついて来てくれたの?と続けたかったが、ポーカーフェイスの彼に怖気づいて言葉を飲み込んだ。
世界中から引っ張りだこの、多忙を極める新堂和矢。そんな人が、私のために時間を割いてくれたとしたら?それが意味するのは……。
「あ~あ~!もういいや」私は追及を断念した。
「おかしなヤツめ」
こちらの心境を知りもせずこんなセリフを吐く彼を前に、私はたちまち膨れっ面に変わるのだった。
「フンだ!」
それはそうと、心中事件とあえて呼ぶが、例の件について彼がした唯一のコメントが〝ああ……、私のベンツが!〟だったのには呆れた。
自分より(私よりも!)愛車の心配とは?まあ、そこが新堂和矢らしいとも言える。自分の身の危険なんて顧みないところが……。
「新堂さんて、泳ぎ、あまり得意じゃないでしょ」
なぜそう思ったかというと、彼が救助用の浮き輪にいち早くしがみ付いていたから!
凍てつくような冬の海に投げ出されては、誰でもそうかもしれないが。
こんな質問にも、表情一つ変えずに沈黙を貫く彼だった。
「それにしても、二人とも、鉄の心臓の持ち主で良かったわ~!」
「大体……おまえの行動は、いちいちメチャクチャなんだ」
「何よ!あなただって、満更でもなかったくせに?」
こんな言い合いをしながら、私達は笑った。思い返せば笑い話で終わる(終わらないかもしれない)この行為。自分でもあの時の心境は、良く分かりません!
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