大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第二章 いつの間にか育まれていたもの

  ハイエナの功能(2)

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 目の前に広がるのは殺伐とした砂漠地帯。照り付ける強烈な太陽光に、思わず目を細める。
 立ちはだかるテロリスト達は、頭から布を巻き付けてその表情を隠している。

 風に巻き上げられた砂が時折視界を遮る中、エリックが私の前に立って囁く。
「(ユイ、君だけでも逃げるんだ)」
「(冗談でしょ!あなたは私の依頼人よ?報酬を先払いでいただいたからには、必ずあなたを逃がすわ)」

 向けられたカラシニコフを前にこんなやり取りをしていると、リーダー格の体格の良い男が英語で言った。
「(東アジアの小娘!こんな場所に拳銃持ってのこのこやって来たお前は、一体何者だ?)」
 この男だけは顔を覆ってはいなかった。自信に満ち溢れた顔を見せつけるように!

「(良かった、英語なら分かる。私はユイ・アサギリ。友人を助けに来ただけよ)」
 一歩前に出て、隣のエリックを支えながらそう言うと、男の顔色が変わった。
「(Y・アサギリだと?……別人か)」男は何やら小声で言っている。
「(良く聞こえないんだけど?言いたい事があるなら、はっきり言いなさいよ!)」
「(威勢のいいお嬢さんだな)」

 たくさんの銃口が向けられている中、無謀にも交渉を試みる。
「(彼だけは解放して。私が代わりに残るから)」
「(ユイ!何を言ってるんだ?僕達、せっかく会えたのに)」
「(バカ!こんな所で会えたって嬉しくない!それに今あなたは私の依頼人。いい加減、自覚してよね?)」

 私達のこんな会話を、目を細めて眺めていた男が言う。
「(Y・アサギリ。お前にどんな価値がある?」

 どう答えて良いか分からず黙り込む私に、男が続ける。「(そこの多少名の知れたコソドロよりも、我々に貢献できる特技でもあるなら考えてやろう)」
「(コソドロとは!言ってくれるね、ロリコン野郎!ユイ、アイツには気をつけろよ)」

 エリックの言い分に小さく頷いてから、私は改めて男との交渉に意識を集中させる。
「(私の特技か……。ひと通り何でもこなせるけど!強いて言うなら、射撃かしら?)」
「(そうかそうか!ならば見せてもらおうじゃないか)」
 男はなぜか納得したように何度も頷き、自分の所持していた短銃を投げて寄越した。
「(こんなんじゃダメ。私のコルトを返して)」

 透かさず言い返し、一旦受け取った拳銃を投げ返す。

「(何してるんだ!せっかく武器が手に入ったのに……。バカだな!)」
 嘆くエリックに、吐き捨てるように答える。
「(こんな状況で銃一つ手に入れたところで、ムダな悪あがきよ)」
 言いながらも男から目を離さないでいると、仲間に何か指示を出したのが見えた。
 私達はその様子を黙って見守る。

「(いいだろう。返してやる。もしおかしな行動を取ったら、その時は分かってるな?)」
 男が周囲を見渡して言った。
 それはつまり、ハチの巣という事だ。重々承知!私は両手を広げて頷いた。

 少しして、仲間の一人が私のコルトを手に戻ってきた。
 相棒の姿を一目見ただけで、全身に力がみなぎるのを感じた。

「(これでいいか?)」
「(十分だわ)」弾丸数や状態を素早くチェックした後に答える。
 コルトは私の左手にピタリとフィットした。まるで生きているように熱を帯びるその姿に、師匠キハラを思わずにはいられない。

「(それで、何を狙えばいい?)」勝手に撃ち放って、敵に誤解を与えるのも愚かだ。
「(そうだな……)」
 男が手頃な的を見つけるために、辺りを見渡す。
 そしてその視線は、高く掲げられた旗のところで止まった。風が強いせいで威勢良くはためいている。
「(あれがいい。あのたなびく旗を撃ってみろ)」

 それは恐らくこの組織のシンボル。かなり年季の入った布地のようだ。
 そんな事を思いながら、指定された的をじっと見つめる。横では、エリックが不安そうに私と旗を交互に見ている。
 私は最後にもう一度男を見た。その口角の吊り上がった表情は、笑っているようにも見える。

 ……何か企んでいる顔とみた。
 意を決して、ゆっくりとコルトの銃口を的に向けて構える。

「(外すなよ、ユイ!……おお、神よ!)」エリックが神頼みを始める。
 ちょっと?神に頼む必要なんてないわよ、朝霧ユイは決して獲物を逃がさないんだから!そう心の中で反論する。

 コルトは二度火を吹いた。
 弾は、旗を留めていた上下のヒモに当たり、切り離されて空高く舞い上がった。
 周囲からはどよめきの声が上がる。
「(何て事だ、ユイ!外したのか……!)」エリックの嘆きの声が横で響く。

 旗はカラシニコフを構えて立つ男達の方に向かい、その一人にバサリと覆い被さった。ちょっとした混乱となり、その間だけ銃に狙われる威圧感から解放された。
 けれど私は動かず、ただ男の反応を待つ。

「(上出来だ!気に入ったよ、Y・アサギリ!)」男は満面の笑みだった。
 エリックは予想外の敵の反応に驚いている。
「(一体どうなってるんだ?)」

「(見て、あの旗。あれだけの年季の入り方よ?あんなボロボロの状態でも使い続けるって事は、相当大事にしてるって事じゃない)」
 エリックが目を瞬きながら旗を見つめる中、解説を続ける。
「(そもそも!組織のシンボルを容易く撃ち抜けなんて、普通言わないでしょ!)」
 男にも聞こえるように、後半はわざと声を張り上げた。

「(その通りだ。試して悪かった。だがこれでお前の賢さも証明された)」
 男が続ける。「(そこのコソドロ、どこへでも行くがいい!お前はもう用済みだ)」

「(エリック、早く行って。どうか無事に逃げて……!)」私は彼の背中を押した。
「(ユイ!君は?僕一人逃げるなんて、卑怯な事できないよ)」
 私は毅然と首を横に振る。
「(大丈夫。私も後から脱出する。足、お大事にね)」そう小声で伝える。

 エリックはしばらく私を凝視していたが、ビッコを引きながら、ゆっくりと私から遠ざかり始めた。
 その様子を、敷地の外に出るまで見守る。
「機会があれば、また会いましょう、エリック・ハント……!」

 エリックの姿が視界から消えるまで、それほど時間は要しなかった。砂煙が巻き上がり、時には数メートル先さえも見えなくなるからだ。

「(それで。Y・アサギリ!)」
 リーダー格の男が声を上げた。まだいくつもの銃口は向けられたままだ。

「(これからどうするか、お前が決めろ)」
「(あら!選択肢をいただけるのね。嬉しいわ)」
「(我々の仲間になるか、このまま捕虜として生活するか)」
「(あなた達を皆殺しにして、私が一人勝ちするっていう選択肢はないの?)」

 私のコメントを聞き、男は高笑いを始めた。
「(つくづく面白い小娘だ!大いに気に入ったよ。どうだ?お前を捕虜にしておくのは惜しい。仲間にならないか)」
「(もう牢屋はたくさん。もちろんお仲間にしてくれるなら、その方が助かるわ)」

 私の答えに頷いた後、男は再びコルトを奪おうとした。
「(何するの!)」瞬時に抵抗する。
「(お前を百パーセント信用したつもりはない。武器を持たせる訳には行かない)」

 もう二度と手放さない……。命の次に大切なこの相棒を!
 私は必死に考えた。考えた末にポケットの石を思い出す。これだ!
「(ねえ。もう一度交渉しましょうよ)」と話を持ち出す。「(これ。何だか分かるでしょ。これと私のコルト、交換しない?)」例の石を男に差し出して見せる。

「(そ、それは!なぜお前が持っている?いつの間に……!今朝、金庫を確認した時はちゃんとあったぞ)」男が取り乱し始める。
「(そんな訳ないでしょ……。もう三日も前からここにあるわ)」
「(それではやはりあのコソドロだな!アイツめ!すり替えてやがったのか)」
 彼の去った方角を睨みつけて言う。

 今の今まで気づかないとは!どうりで騒いでいない訳だ。

「(ブツはここにある、もういいじゃない!彼を追い駆けたら許さないわよ?これは返すから、私のコルトを取らないでっ)」
 何とも無茶苦茶な交渉だが……エリックにロリコンと命名された男に、上目遣いで訴えてみる。

 するとこれが、意外にもあっさり通ってしまったのだ。どうやらコイツ、本当にロリコンだったらしい。
 日本人は小柄だから、年齢よりも若く見られる傾向にある。小柄な私は相当幼く見えているに違いない。

「(それと私の名前はユ、イ!〝ワイ〟じゃないから)」〝Y〟と呼び続ける男に向かって堪らず訴えた。
「(おお、済まん。時に、お前はY・アサギリを当然知っているよな?)」
「は?誰の事よ……。確かにアイツも、イニシャルはYだったけど。まさかねぇ」
 思わず日本語で答えてしまう。

 義男を思い浮かべたがすぐに否定した。こんな遠く離れた国で、どうしてヤツの名前が出てくるのか。

「(ヨシオ・アサギリ。射撃の名手であり、最高級の武器を提供してくれる、我らの味方だ!)」
 この言葉には耳を疑った。
 しかしこの段階では、同姓同名の可能性だってある訳で……。

「(Yが、オリンピックに出場するという噂が広まった時は、我々も色めき立ったよ。結局、出場は叶わなかったようだが)」と男が続ける。

 確かに義男は射撃の腕を見込まれて、様々な大会への出場要請があったし、何度か出場していた事がある。その証拠に、家には多くのトロフィーやら賞状が飾られていた。オリンピックの件は、確か二番手の警察官が出場する事になったと聞いた。
 後ろ暗い経歴や数多くの犯罪疑惑を持つ男を、国の代表として晴れの舞台に立たせる訳には行かないだろう。

「何て事……。アイツって、そんなに有名人だったの?ウソでしょ!」
「(お前はヨシオの娘だな?その愛用銃を見てピンときたんだ。もしや、とね)」
「え?」
 これは師匠キハラにもらったもので、ヤツは関係ないはずだ。

「(お前がここに現れた時点で、我々の関心はすでにお前に移っていた。あんな気取ったコソドロよりもな!)」
 見張りの者全てを撤去して、私がどう出るか試したという訳か。
「(二世が必ずしも優秀とは限らないからな!まさか女とは予想外だったが……)」
 男の視線が、私を上から下まで舐め回すように移動する。

「(射撃の腕は文句なしだ。機転も利くようだし?あんなコソドロよりも、宣伝効果も抜群だ!今後、大いに我らの役に立ってくれ)」
「何よ……宣伝効果って!」

 こんな具合に、何とも複雑な心境のまま、テログループの仲間入りを果たしたのだった。



 時間は刻々と過ぎて行く。一刻も早く脱出しなければならない。

 炊事班に任命された私が食事に毒を盛るのは簡単だった。料理というものを生まれて初めてやった私だから、毒無しでも百パーセント無害かは不明だが!
 そんな微妙な味付けに、ここの連中は不満一つ言わなかった。単なる味覚オンチかもしれない。

 隙を見ては銃弾をこっそりかき集めて、そこから鉛を削り取って粉末状にする。調理場で一人になった隙にそれを混ぜ込むのだが、誰も気付く様子はない。
「お宝をすり替えられて、三日も気づかないようなヤツ等よ?」
 お間抜けなテロリスト集団で、本当にラッキーだった。

 とにかく連中を弱らせる事に専念した。何しろ敵は多勢。話はそれからだ。

 そんな計画がトントン拍子に上手く行った。次第に連中には、慢性の腹痛やら貧血等の症状が現れ始め、仕事に支障が出始めた。
 こんな状況になり、外からやって来た私は真っ先に疑いの目を向けられる。

 そろそろ潮時だ。さあ、どうやって暴れてやろうか?


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