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第二章 いつの間にか育まれていたもの
南十字星のもとで(2)
しおりを挟む日が昇り、辺りがすっかり朝の空気に包まれた頃、エリックがようやく目を覚ました。
「(あ~、良く寝た!)」
「(こんな所で寝ちゃって。どうしようかと思ったわ)」
「(ここは久しぶりに来たんだ。ちゃんと皆にご挨拶して回らなきゃならない。今日は忙しいよ!)」
「はい?」泥棒のセリフとは思えず首を傾げる。
そして代金も払わずに店を出る。
「(ねえ、お金、払わなくていいの?)」
後ろを振り返ると、店の若いウェイトレス達が名残惜しそうに彼に手を振っていた。
「(あれね。全部、僕のガールフレンド!)」
絶句している私に彼が続ける。「(ご馳走してくれるってさ)」
「あっ、そ……。(もしかして、これから挨拶して回る相手って)」女達か?
「(安心して。ユイは中でも特別だから!)」
「(そんな事は心配してません!)」
「(さて。徒歩で行くのは骨が折れる。どこかで車を調達しよう。手伝ってくれるよね?)」
「(何を?)」
繁華な通り沿いには、様々な店が並んでいる。その中の、高級車ばかりが並ぶカーショップに入って行く。
「(いらっしゃいませ。お探しのものがございましたらご案内いたします)」
一人の店員が近づいて来て私達に話しかける。
「(奥様、よろしければこちらに)」
「おっ、奥様?!違うけどっ!」
たじろぐ私をよそに、エリックはお気に入りの一台を見つけたらしく、そこから微動だにしない。
「(ハニー。これなんかどうだい?)」
満面の笑みの店員。そして目を瞬くしかない私。
「(なあ、ハニー。昨夜、僕が寝てしまった事、まだ怒ってるのかい?)」
「(は?)」
話を飲み込めないでいる私に近づくエリック。
「(付き合ってくれるって言ったろ?話、合わせてくれよ)」そう耳元で囁いた。
店員が見守る中、私達は視線をぶつけ合う。こんな光景も、傍から見れば単なる夫婦ゲンカと思われるはず。
「(……もう、ダーリン。私、寂しかったのよ?もう二度とイヤよ?)」
観念してこんなセリフを口にしてみると、「(今夜は、きちんと挽回するよ)」とウインクを投げられた。
「(ええ、お願いね)」全く何をやってるんだか私は!
こんなやり取りをしつつ、彼に手を取られてお目当ての車の場所まで進む。
「(どうだい、これ!爽快に飛ばせそうじゃないか)」
「(あらホント!いいじゃない?)」目の前のセンスの良いスポーツカーに、ついテンションが上がる。
私も車は好きな方だ。エリックの目の付け所は良くなかなかのチョイス。こんな派手好き男と趣味が合うとは思っていなかった。
「(これ、主人が気に入ったみたい。エンジン、かけてみていいかしら?)」私から店員に声をかける。
「(ええ!是非。こちらは、とてもパワフルなエンジンですよ)」
店員は手際良く車のドアを開けて、キーを挿入してくれる。
「(さあどうぞ、ご主人)」
エリックが礼を述べて乗り込む。「(ハニー、君も隣りに乗ってみてよ)」
店員の方を見て確認すると、笑顔で助手席のドアを開けてくれた。私も軽く礼を言って、そこに収まる。
「(最高じゃないか!なあハニー?)」
「(本当に!こういうの、乗ってみたかったのよね~)」
半ば本音が混じっているだけに、相当な演技力だったと思う。
「(よし。決めた。これにしよう)」
「(そうね。じゃ、これいただくわね)」
店員の、ありがとうございます!という張りきった声が聞こえた。
次の瞬間、車はショーウインドーを突き破って通りへと飛び出していた。
後ろから微かに聞こえる店員の叫び声が、次第に遠ざかって行く。
「(いや~、最高だ!思った通り、ユイとは息が合うよ!)」
無言の私にエリックが陽気に聞いてくる。「(ユイ?どうかしたかい?)」
どうもこうもない!ここがどこかも分からないのに、私は一体見知らぬ国で何をやっているのだろう?
「(さっさと用事を済ませて、次の目的地へ行くよ)」
「(私にこんな事させて……。私を巻き込まないでよ!)」
「(忘れないでくれ。君は、僕に誘拐されたって事をね)」エリックは私に向けてウインクした。
先が思いやられる……。ため息をつくしかない自分に、大いに落胆するのだった。
こうして訳が分からないまま例の挨拶回りとやらを終えて、長い一日が幕を閉じようとしていた。
ホテルのロイヤルスイートにて。
「(やっと二人になれたね)」
「(何言ってるのよ。今日一日中、一緒だったじゃない)」
「(僕には常に、皆の憧れの視線が付き纏う。解放されるのはこの時間だけさ)」
「(……ちょっと!くっつかないでよ)」
ソファで並んでワインを飲んでいるのだが、次第にエリックとの距離が狭まって、ついに彼が体をピタリと付けてきた。
「(ユイは照れ屋だなぁ。誰も見てないよ?)」
「そういう事じゃなくて!」日本語で叫ぶ。
「(今夜、挽回するって宣言したろ?覚悟してね)」
「(何の事?)」
どうやら、日中のカーディーラでのやり取りの事を言っているようだ。
「どうしよう……」彼に背を向けて呟く。
こんな女たらしの男に初体験を奪われたくない!私のこんな態度にエリックが首を傾げる。
「(私はまだまだ飲み足りないわ。さあ、もう一本開けてちょうだい!)」
こうなったら、しこたま飲ませて眠らせてしまえ。
私はどんどん彼のグラスにワインを注ぎ続けた。
そして小一時間後、思惑通り酔い潰す事に成功した。
「本当に弱いわ、この人!」
ボトル二本目を飲み終える頃には、もう夢の世界に突入していたのだから?
「新堂さんは、ちゃんと最後まで付き合ってくれるのに!」
翌朝。ぼんやりしながら起き上がる。
「私、いつの間に寝ちゃったのかしら……」
昨日までと違う景色に、すぐに移動させられた事に気づく。またクロロホルムで眠らされた?冗談じゃない!
「(ねえ。ここ、一体どこなの?いつの間に私を運んだの!)」
返事をしないエリックに、少しだけ冷静になって言葉を続ける。「(逃げたりしないから、こんな真似はやめてくれない?)」
「(悪かった。あそこはもう用済みなんでね。分かるだろ?一箇所に長く滞在できない理由は)」
エリックはあの場所で、本来の仕事をすでにこなしていたらしい。もちろん高級外車を盗む事などではなくだ。
「(ねえ。いつまで付き合えば返してくれるの?)」
「(寂しいなぁ。ユイは僕といるのが楽しくないのかい?)」
「(こんな一方的な旅、楽しい訳ないじゃない!)」
「(正式にパートナーになれば、一方的じゃなくなるけど。どう?考えて……)」
エリックの言葉を遮って声を上げた。「(ふざけないで!)」
「(残念だな。君とならいいパートナーになれそうなのに)」
この私が盗人の一味に成り下がるなんて!それでは義男と変わらない。
何でも完璧にこなしたい性分の私。この人と長くいるのは危険だ。きっとそのうち、自ら進んで盗み行為を働き兼ねない!全くイヤな性格……誰に似たのか?
エリックとの時間が楽しくなかった訳ではない。彼はとても軽快で聡明で、新堂さんとはタイプが違う。危機に陥ってもユーモアで切り抜けてくれそうな頼もしさがある。
多少強引なところは似ているが!
また、お酒に弱いという意外な一面もあり。これのお陰で私は毎晩、危機(?)を免れる事ができている。
そして何よりもこの、女性なら誰でもときめいてしまいそうなルックスがいけない。
「(ユイ。人生は楽しまなきゃダメだ。人間、冒険を忘れたらお仕舞いだよ?分かるだろ!もっともっと、人生を楽しもうじゃないか!)」
私はどんどん彼の魅力に惹きつけられてしまうのだった。
こんな調子で数日が過ぎた。
「(ねえエリック。聞いてもいい?)」
「(何だい?ユイ)」
「(あなたには、世界中にパートナーがいるんでしょ?)」
ガールハントが趣味のエリック〝ハント〟。名前が全てを表している!それとも、そういう血筋なのか?
「(プライベートのパートナーなら大勢いるよ)」彼は意外にもあっさり認めた。
「(だけど、ビジネスパートナーは……今のところの有力候補は、ユイ・アサギリだけかな)」
「それはそれは!」
申し訳ないが、盗人の片棒など担ぎたくはない。もちろん、大勢の中の一人のガールフレンドになるつもりもない。それを今度こそきちんと伝えようとした。
すると不意に彼が接近してきた。私の顎に手を添えて、軽く持ち上げられる。
とても整った顔が近づく。
西洋人にしては少々小柄だ。もっと身長があったなら売れっ子モデルにだってなれた事だろう。そんな事を考えながら思わず見つめてしまう。
そしてエリックはそのまま私の唇を奪った。
私はこの時、新堂さんの事を考えていた。理由は分からない。
なぜか高校生の時、あの人に無理やりされたキスの事を思い出していた。
「(ユイ。君はいつもストレートだね……。好きだよ、そういうところ)」そう言ってエリックが体を離した。
「……え?」我に返った私は、彼を見上げて目を瞬く。
「(僕の事なんて、全然眼中にないんだもんなぁ、参ったよ。君のカレが羨ましい!)」
「あの……何の事?」無意識に日本語で答えてしまう。
「(余計に虚しくなるだろ、そんな顔するなよ!僕は天下のエリック・ハントだぞ?女性にフラれたのなんて、君が初めてだよ)」
私はどんな顔をしていたのだろう。「(……今度それ、自慢するわ)」
私達は顔を見合わせて笑った。
「(さてと。それじゃそろそろ、君を解放してあげようかな)」
彼がポケットから二つの物を取り出した。私のコルトと例の宝石だ。
ずっとそんな無防備に持っていたのか?それなら簡単に奪い返せたじゃないか!
「(やけに呆気ないのね……どうしてそんなにあっさり?)」
当初は、撃ち合いや殴り合いだって覚悟していたのに。
「(ユイは約束通り、僕に付き合ってくれたからね)」と言って微笑んだエリックの白い歯がキラリと光った。
「(こんな宝石なんかよりも、もっと価値のある出会いを手に入れた。日本に行って正解だった)」
「エリック……」
「(本当は、君を手放したくない。このまま連れ去って、僕の正式なパートナーに迎え入れたい!だが……仕方ないね)」そう続けて私を見つめる。
何も言い返せない。この人が泥棒でさえなければ、私はその手を取って……いや、それはない!こんな女たらしなんて?
「(僕と組む気になったら、いつでも声をかけてくれよ、ユイ!)」
その言葉を最後に、私だけを小型の旅客機に乗せた。
「さよなら、イケメン怪盗さん」小さな窓から見えている彼に向かって呟く。
私を一瞥した後、終始爽やかな怪盗エリック・ハントは身を翻す。そして一人、次なる獲物の元へと向かうのだろう。あの魅力的な笑みで、またどこかの女性を虜にして……!
「あんな軽い男、キライ!」
そう口にしつつも、私の表情は穏やかだった。
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