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第二章 いつの間にか育まれていたもの
メヒョウの狙い(4)
しおりを挟む昼過ぎになって新堂が帰って来た。
「ただいま」
「お帰りなさい。ねえ、どこ行ってたの?」
仕事用の鞄を持たずに行ったので、依頼先でない事は分かっている。
私の質問に答えずに彼が言う。「確認するが……最近、変わった事はなかったか?」
「はい?どういう意味かしら」質問の意図が分からずに聞き返す。
「だから例えば……おまえの周囲に、おかしな人物が現われたりとか」
「おかしな人物?あなたの事じゃなくて?」これは満更冗談でもない。
「やはり覚えてないか。……一体どの辺りからの記憶が……」私の言葉など無視して彼が呟く。
「ねえ。私、何か忘れてるの?やっぱり昨日何かあったのね?」
またも質問には答えずに、「その後、頭痛は?」と聞かれる。「それならだいぶ治まったわ」素直に応じると、彼が頷いた。
「どうせバレるし……。まあ、いいだろう」
そう言って、彼がテレビをつけてソファに腰掛けた。
無意識に画面の方に視線が移る。ちょうどニュース番組が始まったところで、そこにはなぜか見覚えのある風景が映っている。
「え?ちょっと!ここ私のマンションじゃない?どういう事!……爆弾?ウソでしょ」
目の前の映像を見て、たちまちパニックに陥る。
新堂からテレビのリモコンを奪いあちこち放送局を変えて見るも、どこの局もこぞってマンション爆破事件を取り上げていた。
リポーターの話では、昨日の午後、突然マンションの一角が爆破されたという。
住人は行方不明?それ、私なんですけど!
食い入るようにテレビ画面を見ている私に新堂が言った。
「さっき行って来たのは、そこのマンションの所有者の所だ」
「どうして先生が?」立ち上がって尋ねる。
「私が過去に関わった人物が起こした事なんだ。責任は私にある」彼は座ったまま答えた。
過去に関わった人物?この人の事を恨んでいる人間は山ほどいそうだが。
「それでなぜ私の部屋が狙われたの?」
そう問いかけた時、突然また頭痛が始まって、しゃがんで頭を抱えた。
「頭痛か?ここに座るんだ」すぐさまソファへ誘導される。
「うう……っ。一体、何がどうなってるのっ!」
彼がテレビを消して私に向かい合った。
「その頭痛は二日酔いのせいではない。恐らくあの毒物、もしくは解毒剤の副作用だ」
「どっ!毒?!」その恐ろしい言葉に、思わず身を竦めた。
「おまえの兄上に、こっ酷く叱られたよ……」
「神崎さんに?……何で先生が叱られるのよ」
「ユイ、本当に申し訳ない……。とんだ事に、おまえを巻き込んでしまった」
私の質問には答えず、謝罪の後にうな垂れる彼。
そんな落ち込んだ様子に慌てる。「新堂先生……そんな、やめてよ!」
何だか分からないけれど、この人にこんなに頭を下げてほしくなかった。あんなに威圧的だったのが、今の新堂和矢はまるで別人だ。
文句の一つも言ってやろうと思っていたのに、そんな気分ではなくなってしまった。
翌日。「私、一度家へ戻るわ」意を決して彼に訴える。
このままでは、どうしても気にかかって落ち着かない。
「まだ行かない方がいい。今住人のおまえが出て行けば、連中の格好の餌食だぞ?」
彼の言う連中とはマスコミの事だ。
「でも、やっぱり気になるし!」意地でも行こうとした。「必要な物があるなら、私が取って来る」彼も透かさず反論する。
「そういうんじゃないの」負けずに今度は立ち上がって言う。
座っていた彼が私を見上げる格好になる。そして彼の手が私を引き止めた。
「ユイ。頼む、行かないでくれ」新堂がまたしても私に頭を下げている。
「ちょっと、やめてよ……、新堂さんってば」
しばし固まりため息をついた後、とうとう彼の前に腰を下ろした。
「ねえ?責任を感じてくれるのは嬉しいんだけど。そもそも犯人は、本当に新堂さんの関係者なの?それにあなたこそ、まだ狙われてたりするんじゃ……」
だとしたら、犯人を突き止めて始末しなければならない。そういう事なら私の仕事だ。
何しろ私はこの人のボディガードなのだから?
「その心配はない。犯人はすでに……この世にはいない」無表情でこんな事を口にする。
「それって、死んだって事?」まさか、自分で殺したのだろうか……?
「私のコルトを使って……あなたが、とか?」
こんな事を言ったのは、弾の残数が記憶した数と合っていなかったからだ。
一発足りないのだ。そして私は記憶を失くしているらしい。何かあったのは間違いない。この人が使ったのか?そんな事は想像もしていなかった。
「お願い、答えて、新堂さん」返事をくれない彼に促す。
「確かに拝借した。私が、彼女を撃ったんだ。軽蔑するか?」
「彼女……」犯人は女か。
本当にこの人が撃ったかは定かではないが、今確かな事は、医者が殺しという行為に手を染めた、軽蔑されて当然だと彼が思っているという事。
事実はどうあれ、私はすぐに言い返した。
「それは、私を守るためにしてくれたんでしょ?」
彼が、自分の大事なものを誰かが奪おうとしている、というような事を言っていたのを覚えていた。前後の記憶はないのに、どういう訳かそこだけが鮮明に頭にある。
「決まってるだろう。おまえをこんな事に巻き込んだ上に、命まで……あり得ない!」
珍しく感極まった様子だ。
こんな彼の答えに、安心してこう伝えた。「軽蔑なんて、する訳ない」
「私の命の次に大切なコルトだけど、新堂さんが使ったなら許す」言った後に、小さく笑って見せる。
彼を軽蔑できるはずがない。何しろ私はその〝殺し〟が最も身近な世界に身を置いているのだから。
大切なものの命を守るためならば、私は躊躇しない。例えそれが、人の道を外れる行為であったとしても。
そして三日が過ぎた。
「ねえ?体調も戻った事だし、いい加減自宅に戻りたいんだけど。仕事の連絡、家の電話に入るのよ。確認しなきゃ」
記憶の部分は相変わらずだったが、頭痛は完全に消えた。
「その事で相談なんだが……」彼が控えめに申し出る。
「おまえの部屋の完全復元をと試みたんだが……どうやら無理のようだ」
その後の説明によると、あらゆる業者に直談判したが、損傷の激しさと無理な要求(!)に、どの業者もお手上げだったとの事。
「あの場所でなければダメか?」私の様子を窺うように聞いてくる。
「ダメ、って事もないけど……」
私の答えに表情がやや明るくなる。「よし。であれば、今すぐに引越しだ!どこか、手頃な物件は……」と言いながら立ち上がる彼。
「あっ、ねえ?私が選んで、いいんでしょ……?」
勝手に決められても困る!あの部屋だって、選ぶのにかなり慎重になった。生活の面だけでなく、仕事の事も含めると何かと制約があるのだ。
自分だけ先走っていた事に気づいたのか、彼は私に大きく頷いて、もちろんだ、と言った。
こうして私は、またも引越しする事となった。
「最っ高~!こんなに早く夢が実現するなんて?」
新たな住居は夢にまで見た高層マンションだ。そしてまたしても最上階。今度は何と三十階。
実はここ、以前から目を付けていた物件なのだが、予算の関係で断念していたのだ。
「ウォーターベッドが無事で、本当に良かった」彼が改めて言う。
「新堂さんも気に入ってたものね」
彼がこれに答えて小さく笑った。
「でも、本当に良かったの?前の所と、金額の桁が違うと思うけど!ここ……」
ここは分譲マンション。相当の頭金を支払ったらしい。
「いいんだ。ユイが気に入ったなら」平然とこう返してくるので、慌てて「残りの支払いは自分でするから!」と断った。
「ああ、そうしてくれ」彼は何の感情もない声で答えた。
いくら弁償してもらったとはいえ、倍くらいの価値がありそうな部屋。全額支払わせたりしたら居心地が悪い。
「しかし。また最上階の角部屋とは、おまえも懲りないな!」
荷解きが一段楽して、ソファに腰を降ろした彼が言う。
「あら。何かあったとしても、ここが一番他人に迷惑かからないじゃない?」
そう返しながら、お茶を二つ入れて運ぶ。
「ありがとう」彼が礼を言った。
横に腰掛けて、一緒にお茶を飲みながら室内を見渡す。前の部屋とは比べものにならないほど広い。家具の少なさも相まって、よりだだっ広く見える。
彼の方をチラリと見る。こんな広い部屋を一人で使う事について、この人はどう考えているのだろうと思案しながら。
「何だ?」視線に気づいたのか、彼が私を振り返る。
「ん?いいえ、別にっ!」とぼけて視線を窓の方へと移す。
「新堂さん。引越し、手伝ってくれてありがとう」
「いや。私のできる事なら何でもする。これからも、遠慮せずに言ってくれ」
「そんな!ご多忙な外科医先生の時間を、専門外の事で独占するのは申し訳ないわ」
「気にするな。依頼などどうとでもなる。それより、おまえの仕事に支障が出ないといいんだが……」思案顔で私を見つめる。
それは、こちらとしても同感デス……。
どうやら私は、例の爆破事件の前後の記憶を失くしているらしい。自分でもどこから忘れてしまっているのか分からない以上、対処のしようもない。
それにしても!異様なまでに協力的な新堂には、大いに面食らっている。
「さて。それでは一旦帰るよ」彼が体勢を起こす。「ええ」私も続いて立ち上がる。
「明日また来る」と言う彼に、「記憶の事心配してくれてるなら、その必要はないから」と透かさず断りを入れた。
この言葉に、玄関に向かった彼が立ち止まって振り返る。
「何かあったら、私の方から呼ぶから!」納得させるべく、言葉を言い変えてみる。
「そうか。そういう事なら分かった」
受け入れてもらえて心からほっとした。この人に毎日家に通われるのは、監視されるようで堪らない!
彼が出て行った後、扉を閉めて改めて部屋を見渡す。
開かれた真新しいカーテンの隙間から、外の景色が見えている。街並みの向こうに海も見える。昔から憧れていた海の見える部屋!
「大好きな街で、こんな部屋に住めるなんて!こんなに簡単に手に入れちゃって、いいのかしら……」
記憶を失くした事などすっかり忘れて、あっさり手に入れてしまった夢に、いつまでも酔いしれる私なのだった。
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