大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第二章 いつの間にか育まれていたもの

  メヒョウの狙い(3)

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「ショウ、コ……」
「やっと会えたわね、カズヤ。そちらがユイ・アサギリ?想像と違ったわ。まだガキじゃない!」女は流暢な日本語で答えた。

 私を見て散々な言いようだ。ガキで悪かったわ、オバさん!

「こいつの事まで……。一体どこで調べた?相変わらずやる事が派手だな、君は!自分が何をしたのか、分かってるのか!」
「あら。お気に召さなかったかしら?だって相手は〝お嬢サマ〟だったから!」
 またも私を小馬鹿にしたようなセリフ。
「中途半端なご挨拶では、失礼かと思って?」嫌味な笑みを浮かべて続ける。

「なぜ今頃俺の前に現れた?話す事は何もないと電話でも言ったはずだ。関係のない人間まで巻き込んで、どういうつもりだ!」
「あなたと同じで、私、悪運だけは強いみたい」
 女は私の存在など忘れたかのように、新堂だけを見つめ陶酔した様子で続ける。

「こうして生き延びる事ができたのは、神のお導きよ。あなたとやり直すための。ねえカズヤ。今なら私達、元に戻れるわ。そうすれば最強の……!」
 仕舞いにはブロードウェイ女優のように大袈裟なジェスチャーまで加わる。

 新堂は女の身勝手な言い分を遮るように声を張り上げた。
「最強の何だ?俺は君が望むものは与えてやれない。それを知ったから切り捨てたんだろう?今さら元に戻るなどと、精神分裂でも起こしたか!」
「あなたはやっぱり最強のパートナーなのよ。離れてみて分かったの」
「俺も分かったよ。お陰で今はしがらみのない自由な世界で、望み通りの仕事ができる。逆に感謝しないとな」

「望み通りの仕事ですって?」
「ああ。危ない橋を渡るのはやめた。今はただの全うな外科医さ」彼は毅然と言った。
「ウソよ!あなたが医師免許を返上したのは、もっともっと上を目指すためでしょ?法律の垣根を越えたところで!それ以外に、理由なんてないはず!」

「嘘じゃない。俺はもう君の知っている新堂和矢ではない。こいつが、彼女が変えてくれたんだ」
 新堂はすぐさま言い返し、酔ってふらついている私を強く抱き寄せる。
 私の左手にはまだコルトが握られたままだ。

 女が悔しそうに拳を握るのが見えた。
 この人は元恋人に、一体何を言っているのだろう。新堂を見上げて、酔った頭でひたすら考え込む。

「何よ!そんな小娘のどこがいいっていうの?あなた、女の趣味まで変わったのね!」
 女はさらに私への罵倒を続ける。
「彼女を侮辱するような言葉は慎め。こいつの方がずっと大人だ。精神的にも経済的にも。自立して一人で立派に生きてる。親の富に縋るお前と違ってね」
「くっ……!」女が一層悔しそうな顔で私を睨んだ。

「それと……俺は、こいつの血に命を救われたんだ」
「何ですって?それって……!」女が予想外にうろたえ始める。
「彼女も、ナルなのさ」
 新堂は意味深な笑みを女に投げつける。この発言が何を意味するのか分からない。
 絶句する女。

 不意に会話が途切れて、私は口を挟んだ。
「ふう~ん!あなたが新堂さんの元カノかぁ~」
 女が私を見て笑った。「良く生きてたわね!あなたも、相当の悪運よね」
 これを受けて、これ見よがしにコルトを弄びながら言う。
「そうそう。さっきは、ご大層な贈り物ありがとう!お陰でステキな天窓ができたわ」

 そして女に返される前に続ける。「良く生きてたですって?そんな事言って、殺すつもりなんてなかったんでしょ!わざと不在の時を狙って爆破した、違う?」
 図星を突かれたからか、女は黙り込んでいる。
「確実に仕留めるなら、夜の方がお勧めよ?」私は構わず続けた。

「あなた、頭の回転だけはいいようね。カズヤは優秀な女がタイプなのよ。あなたのそこだけは認めてあげる」女は上から目線でこう言い放った。
 カッと頭に血が上る。このメギツネ!……いや、キツネは可愛すぎる。メヒョウめ!

 そのメヒョウがさらにこんな戯言を吐く。
「ご心配なく!いずれにしろあなたは、もう時期死ぬんだから」

 我慢の限界で反論しようとするも、新堂が先に牽制した。
「ユイにこれ以上手を出したら許さない。彼女は無関係だ!」
「残念だったわね、もう手遅れ!もはや時間の問題よ。彼女はもう……」女は私の方を見て言う。
 ポカンとする私を確認した後、新堂が女を振り返って叫ぶ。「何かしたのか!」
「彼女の飲んでいたグラスに、ちょっとね」

 この言葉を受け、新堂が慌てて私を覗き込む。今の自分は泥酔しているだけだ。
「出任せを言うな。何ともないじゃないか」
 彼もそう判断したらしい。

「さすがは怪しげな新薬をいくつも接種した体。多少免疫ができているのかもね」
「そんな事まで調べたのか……なぜそこまで!」新堂が私から目を離して、女に向かって叫ぶ。
「やる時は徹底的に!でしょ?そんな事はもちろんすべて計算済みよ。私は絶対にあなたを取り戻すの。こんな小娘に、この私が負ける訳がない!」

 女の勝ち誇った顔を、憎々しげに睨んだ矢先だった。
 急に息苦しくなり胸を押さえて俯いた。咳までも出始める。これは明らかに、以前経験した呼吸困難の症状だ。

「ユイ?どうした、大丈夫か!」
「ほら、だから言ったでしょ?」
 女がほくそ笑むのが目の端に入った。

「しっ、新堂先生……!ううっ、息が、苦しいよっ!また……?」
 新堂の上着にしがみ付く。呼吸が上手くできない。
「酷い熱だ……あまりに突然だな。この症状はあの時の副作用と全く同じ。おいショウコ!一体何を飲ませた?まさか例の……」
 中里さんの研究所で最後に服用した薬か。朦朧としながら考える。だがそんなものをどうやって入手したのだろう?

「早く言え!俺の気が短いのを忘れたのか?」
「嫌よ!私はあなたが欲しいの!」
 女は必死な様子で続ける。「私の元へ戻って来て?イエスなら、今すぐ教えるわ」
「何度も言わせるな。お前とはすでに終わった」
「私は、あなたがいないとダメなの!やっぱりカズヤじゃないと、ダメなのよ……」

 こんなやり取りが、辛うじて私の耳に入ってくる。

 女は一方的に語り続ける。
「あの時はどうかしていた。あなたの方がショックを受けていたのに……。いくら謝っても許されない事を、私は二つも……犯してしまった」
「そんな昔の事はもう忘れた。今さら懺悔されても困る」新堂の声は何の感情も込められていない。
「感染症で生死を彷徨ったのはその報い。でも、私は奇跡的に回復した!神が私にチャンスを与えてくれたのよ!」

 新堂は無言だ。なぜ否定しないのか?
 そして、女が新堂の唇を奪う瞬間を見てしまう。
「しっ、新堂、先、生……っ」やめて。やめて!今はそんなラブシーン、見たくない……。

 そしてついに、私の意識は闇の中へと落ちて行った。



 翌朝。海面に反射した日光が、辺りを一層明るくしている。昇りたての太陽が船窓から射し込み、寝ている私の顔に当たり始めた。

 眩しさで目が覚めて起き上がると、異様な頭痛が私を襲った。
「……うう~っ、頭が痛い。何なの?これっ!」
 部屋の隅には、丸椅子に腰掛けて腕組み姿で寝入る新堂。私の声に反応して彼が顔を上げた。
「目が覚めたか、ユイ!良かった、すぐに神崎社長にも報告を……」

 彼が立ち上がってドアノブに手を掛けた時、タイミング良く扉が開いた。

「ユイ!目が覚めたんだな、心配したんだぞ!」
 勢い良く駆け込んで抱きついてくる神崎さんに、ただただ驚くばかり。
「神崎さん?一体どうしたの。私、何で心配されてるの?」
 新堂の方を見て説明を求めるも、二人は顔を見合わせて難しい顔をしている。
「ユイ、昨夜の事、覚えてないのか?」新堂が逆に尋ねてくる。
「昨夜?ちょっと、ウイスキー飲み過ぎたかな……」

 全く記憶がない。それだけに何か問題を起こしたのではと不安になる。
 恐る恐る、二人の顔を交互に見る。

「熱は下がったようだな。取りあえず診察しよう」彼が私の前に座って改めて言う。
「熱……?」訳も分からず診察を受ける。
 その直後、何やら落ち着かない様子で神崎さんが腕時計を確認しながら言う。
「さてと!俺はそろそろ会社に戻らないとな。悪いが後は頼みますよ、新堂先生」
 胸元を晒している私に気を遣ってくれたのか。やっぱり神崎さんは紳士だ!

「もちろんです。色々と、ご迷惑をおかけしました」
「昨日から謝ってばかりね、新堂先生!」謝罪している彼を見ていて、こんなセリフが口を突いて出た。
 なぜか、またも二人は驚いたように私を見てくる。

「なっ、何?だって昨日、新堂さんたら……」そこまで言って口をつぐむ。
 彼が何に対して謝っていたのか、考えても思い出せない。確かに昨日、彼が複数の人に謝る姿を見た気がするのだが?


 それからすぐに、私達は客船を出た。
 私の体調を気遣ってか、新堂が運転を引き受けてくれた。

「どこへ行くの、私のマンションは向こうよ?」
 家とは違う方角に向かっている彼に問いかける。
「何言ってる?だっておまえの……」彼は言いかけて途中でやめた。
「私の、何?」

「どうやら、忘れているのは、飲酒のせいではないらしいな……」
「え?何を忘れてるって?……あ~、それにしても頭痛い!」堪らずに頭を抱える。
「大丈夫か」私の方を見ながら聞いてくる。
「ええ……」
「今は、……大人しくしていろ」それは、いつもの冷たい口調だった。

「何よ。してるじゃない!」
 気分まで害して、黙り込む私なのだった。


 そうして彼が向かった先は、例の来客用のマンションだ。

「あら?ここ、また借りたの」
 どういう訳か、室内はあの頃と全く同じだった。ここが空物件になった事を、数ヶ月前にこの目で確認したはずなのに!
「ああ。また必要になったんでね」あっさりとそう答える新堂。
 どうせなら、いっその事買ってしまえばいいのに。お金持ちなのだから?

「ねえ。新堂先生の家に行きたい。ダメ?」
 この億万長者がどんな所に住んでいるのか、前々から興味があった。

「なぜ行く必要がある。ここで支障はないだろう」これまたあっさり拒絶される。
 こんなのは想定内なので痛くも痒くもない。
「ねえ。何で家に帰っちゃダメなの?ただの二日酔いでしょ。自分の家で寝るわよ」
「まだダメだ。鎮痛剤を置いて行くから、痛みが治まらなければ四時間おきに飲むように。ちょっと外出して来る」そう言って彼が背を向ける。

「いいな?大人しく、してろよ!」振り返って、念を押す事も忘れない。
「分かったわよ……」
 私の扱いにも手慣れたものだと、変なところで感心しつつ渋々承諾した。

 今はそれどころじゃないくらいに頭が痛い。ここは大人しく言う事を聞いておこう。


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