大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第二章 いつの間にか育まれていたもの

11.メヒョウの狙い(1)

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 三月の昼下がり。私は今、フォーミュラーレッドの真新しいコンバーチブルで、横浜ベイブリッジを快走中だ。
 待ちに待った成人の仲間入りをついに果たし、今日は記念すべき最初のイベント。

「この走り、爽快~!」ハンドルを握りながら声を出す。
「やっぱり、まだ寒くないか?こんな時期にオープンなんて。目立ってるぞ……」
 助手席には新堂が乗っているのだが、対向車からの視線が気になっている様子。
 そんな彼に意地悪な質問を一つ投げかける。
「あら。目立つのはお嫌い?」

 当然返事などなく、この空間だけ体感温度が二度くらい下がった心持ちだ。
 そんな空気に耐えられず、一人話を続ける。「仕方ないでしょ、屋根修理中なんだから。大丈夫よ、これくらいでパトカーはやって来ないから!」
「だから私の車で行こうと言ったんだ」
「イ、ヤ、です!私、ベンツは嫌いなの。それに、これの方が性能いいから?」

 何しろベンツを見ると、実家での忌々しい生活を思い出してしまう。
〝ヤクザ、イコール、ベンツ〟という方程式は、子供でも知っている!

「新車なのに、すでに故障しているようだが?」嫌味は忘れずに口にする新堂。
 現在はこの新車のBMWが新たな相棒だ。この人が礼だと持ってきた例の現金二千万を、早速使わせてもらった。
「ちょっと油断しただけよ。まさか、上空から物が落ちて来るなんてさ~」
「一体、どんな状況だったんだ?そんな危険な目に遭いながらも、オープンカーに乗るとはね!」上から物を落とされたら自分に直撃だろ、と続ける。

「私は開放的なのが好きなの。それに屋根があったら、ますます上空の安全確認ができないじゃない?」
「……恐れ入るね」
 新堂が反論するのを断念した。ああ、今日は気分がいい!

 イベントというのは、神崎さんの会社の創設記念パーティ。それに招待されて今向かっているところだ。カップルでの出席が条件だったため、彼を誘ったという訳だ。


―――話は一週間前に遡る。
 久しぶりに新堂の携帯に連絡を入れてみると、思いのほかすぐに掴まった。

「もしもし、新堂先生?来週の日曜、何か予定ある?」
『ユイか、久しぶりだな。どうかしたのか?』
「別にどうって訳じゃないんだけど……ちょっとお願いがあって」
『ケガでもしたか?』
「だとしたら、一週間後の予定なんて聞かないでしょ!」

『それもそうだな。偶然にも、日曜は何も予定はないよ』真面目な調子で返される。
 偶然にも、か……と思いつつも、気を取り直して本題に入る。
「じゃあ、付き合ってくれない?医者としてじゃなく、男性として付き合ってほしいの」
 医者としてじゃなく、と念を押した。

 回線が切れたかと思うほどの沈黙が続く。

「新堂先生?聞こえてる?」
「ああ。それで、何に付き合えばいいんだ?」
 返事をもらっていないが来るつもりらしい。ほっとして質問を始める。
「ところで。先生ってタキシードとか持ってる?」このパーティにはドレスコードが設定されていた。
「持ってなかったら用意しといてね!」―――

 そんな公の場に、何かと訳アリのこの人を連れ込んでいいのか?という不安もあったが、本人の同意も得た事だし(!)気にしない事にした。
 実をいえば……新堂和矢のタキシード姿が見てみたかったというのもある。

 そして今実際に見てみて思う。やっぱりこの男を呼んで正解だ。ルックスは文句なし!


 引き続き車内にて。
 運転席のサンバイザーに挟んでおいた招待状を、横から新堂が抜き取り一瞥する。

「だが、相手は本当に私でいいのか?」珍しく控えめな発言が飛び出した。
「いい」
 頷いた後に急いで付け足す。「でも勘違いしないでよね?別に恋人になってくれなんて言ってないから!」
 新堂の〝恋愛はしない〟発言を受けて、ここは厳重に説明しなければ。ああまで言われては、こっちにだって意地がある。

「何だ!恋人くらいいないのか?」
 小バカにした調子で言われて、本当はいないのに「いない事もない」と即答。
「変なオトコ連れてったら、お兄ちゃんキレそうだし……!」と小声で付け加える。
 赤尾先輩を誘えたら一番良かったが、残念ながら先輩とはとうの昔に交際終了だ。

「兄?あの若社長がか」驚いた様子で運転席に目を向ける新堂。
「うん。腹違いの兄なの。私もつい最近知ったんだけどね」軽く笑って答えた。
「異母兄妹って意味なら父親が一緒のはず。おまえ達は姓が違うよな?」どういう事だ?と首を傾げている。

「まあまあ、詳しい事は抜き抜き!とにかく新堂先生なら、兄も一度会ってるし文句ないはず。それに、あなたなら見栄えもいいし?」真相は濁し、少しだけ持ち上げる。
 正装した新堂がとても素敵に見えたのは本当だ。
 中身は決して素敵な人間なんかじゃないが!

 おだてたお陰か(!)深く追及されずに済んだようだ。
 新堂が珍しく満足そうに言う。「超大型豪華客船に乗れる機会なんて、そうそうないからな。私としては大歓迎だね」あわよくばカモを見繕って一儲けしよう、と鼻で笑っている。
 やはり中身は腐っている。「……。あなたって人は!勝手にしてくださいっ」

「とにかく先生?今日一日は私のパートナーなんだから、兄の顔を潰すような事だけは控えてよね?それと、今日だけは先生って呼ぶのやめるから」
「分かりましたよ。ご自由に!」新堂が肩を竦めた。

 ここで会話は一旦終了。無表情の新堂をよそに、しばしドライビングを堪能する。
 少しして私から口を開いた。「そういえば、傷の方はもういいんでしょ?」

「ああ、もうすっかり」軽く笑って彼が答える。
「そう!良かった。それじゃ、そろそろ飛ばすわよ!」
 アクセルを強く踏み込んだせいで、体に圧が掛かりシートに押し付けられる。
「おい!スピード出し過ぎだぞ」
 この人が法令違反を気にしたのは意外だった。何しろ無免許医の新堂和矢は、最大級に法を犯している訳だから?

 指摘をスルーしてさらにアクセルペダルを踏み込んだ直後、今度は勢い良くブレーキを踏み込む。
「おいっ!何て運転だ……今度は何だ?」彼が体勢を立て直しつつ訴えてくる。

 一瞬、大気の振動を感じた。
 バックミラーを通して、後方の建物から黒煙が上がっているのを確認する。それは距離や方向から、私のマンションの位置と思われた。
 私の様子を見て、彼も後ろを振り返る。「何事だ?火事か?」

 違う。ただの火事じゃない。彼には爆発時の衝撃が伝わらなかった模様。

「おい、ユイ?」反応しない私に、再度声がかかる。
「……え?あ、ごめんなさい、急ブレーキなんて。あまりに意表を突かれたので」
「それはいいが……。あの辺て、おまえのマンションに近くないか?」
 彼も煙の上がる方角を見て思ったようで、やや心配げな表情を見せる。

「新堂先生、私、ちょっと忘れ物したみたい。戻ってもいいかしら」
「もちろん。まだ時間もある。今日はどこへでもお付き合いするよ。そういう依頼だからな」
 今日のこれは依頼という認識だったのか。妙に納得しながらチラリと彼を見た。

 短く息を吐き出し、意を決してギアをバックに入れて強引に方向転換する。タイヤから白煙が上がった事も気にせず、猛スピードで来た道を戻った。
「……上等じゃない、誰か知らないけど、たっぷりお礼しなきゃ!」

 疾走する季節外れのオープンカー。乗っているのは正装した男女。周りを走る車は慌てて道を譲る。
 ごめんなさい、緊急事態なので!私はパトカーが現れない事だけを祈った。


 現場に到着すると、マンションの前にはすでに人だかりが出来ており、はしご車が十階の私の部屋目がけて、勢い良く水を浴びせている最中だった。
 私達は車から降りてその様子を見上げる。

「もしかしておまえ、部屋に時限爆弾でも隠し持ってたとか?」見上げながら彼が言う。
「生憎、そう言ったものに興味はないの」私も上を見上げたまま答える。
 彼が私の方に視線を移した。「何か心当たりはあるのか?」
「あり過ぎて検討がつかないわ!」いつかの彼のセリフを真似て言ってみた。

 その後まもなく火は鎮火した。
 次第に人だかりも消えつつあったので、人目を盗んでマンション内に入り、状況を確認しに向かう。
 家を出た時は変わった様子はなかった。不審な荷物も届いた覚えはないから、火元は外からか。角部屋はこんなふうに外から狙うのには最適だ。

「火事っていうか、やっぱり爆弾だな。大して燃え広がらなかったようだ。良かったじゃないか」
「ええ、そうね。天井が半分なくなったけど?」屋上にダイナマイトでも投げつけられたってところか……。
「しかもピンポイントで、ここだけ被害を受けている」彼も同じ事を考えた様子。
 つまり、私が狙われたという事だ。
「おい、……大丈夫か?おまえ、一体何をした?」

 こんな無謀な事をする奴は一人しかいない。でも娘に対してここまでやるだろうか?
 誰であれ、本気で殺す気なら深夜の寝込みを襲うはず。何かの警告のつもりか。

「もう~!誰が修理代払うと思ってるのよ!」壊された壁を拳で殴りつけながら叫ぶ。
 壁がポロポロと崩れ落ちて土埃が舞う。
「やめるんだ。せっかくのドレスが汚れるぞ?」と、彼に腕を取られる。
「ドレス……忘れてた」改めて自分の服装を見下ろす。

 私は今、赤のカクテルドレスを纏っている。この姿だけ見れば、パーティに向かう途中のどこにでもいる普通の女子大生。でも私は普通でも女子大生でもない。今はむしろ戦士でありたい!瓦礫を足でさばきながら、そんな事を考える。
 ドレスの色に赤を選んだのは、闘争心をかき立てるためなどではなかったのに。
 まさかこんな展開になるとは……。

「おいそこ、何か書いてあるぞ」
 彼が指で示した先の壁に、黒のスプレーで殴り書きがされていた。
「ゴー・トゥー・ヘル、ユイ・アサギリ。フロム・エス・エフ」彼が読み上げる。「まさか……、いや、しかし!そんなはずは……」と続く。
 何か心当たりがありそうだ。

「新堂先生?」
 私にはエス、エフのイニシャルに覚えはない。
 奴ではない事が判明してほっとしたその時、彼が声を落として言った。
「済まん。私のせいだ……」

「え?」意味が分からず聞き返す。
「まさか、ここまでするとは……」右手を口元にやり、ただただ呆然としている。
「何なに?もしかして、先生の元カノとか!?私、恋人と間違われて逆恨みされちゃった、みたいな?」
「ああ、そうかもな。本当に申し訳ない。私がすべて弁償するよ」
「……ホントに元カノ、なの」

 この人に恋人がいた事には心底驚いた。ある意味、部屋を爆破された事よりも衝撃だったかもしれない。すると彼は、この女に裏切られて恋愛できなくなったのか……。
 凄まじい状況にも関わらず詮索が止まらない!

 けれど今はそんな余裕はない。
「状況は分かったわ。間に合わなくなっちゃう、パーティに向かいましょ」
 彼の腕時計を覗き込んで、自分に言い聞かせるように言う。

「しかし……」凄まじい惨状を眺め回して、新堂が躊躇っている。
「部屋の事なら気にしないで。どうせ大したもの置いてないし。ね?行きましょ」
 そう、ここには拳銃の弾丸も現金も置いていない。
「まあ、おまえがそう言うなら……」

 こうして私達は、改めてパーティ会場へと向かった。


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