大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

 ハイエナの再来(3)

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「なあユイ?もう一つ確認したい事が……」
 神崎さんが珍しく落ち着きなくそう切り出した時、私のポケットが振動した。

「ん……待って、電話、かかってきたみたい」携帯を取り出して見せる。
 滅多に鳴らないので、その存在を忘れつつあった。

「携帯持ってたのか?だったら早く番号教えろよ!」私の手元を覗き込んで言う。
「違うの、これね、私のじゃないの」慌てて説明する。
 首を傾げながら、バイブし続ける電話を気にする神崎さん。
「とにかく早く出ろ」
 しかし振動はすぐに止まった。「あれ?電話じゃなかったみたい」

 どうやらメールが入ったようだが、操作方法を良く知らない。
 画面を見て固まっていると、神崎さんが困っている私に手を差し伸べた。

「貸してみろ」
 何事もなく操作してメッセージを表示させる。差出人はもちろん新堂だ。
「N三十五、二十六、十三、E百三十九、四十、三十七。何かの暗号か?」
「私にも見せて」

 しばらくして神崎さんが、「NとEは、何かの頭文字かもしれんな」と突破口を開いてくれる。
「新堂先生が、私に訴える事って……」
「何、新堂先生だと?先生から持たされてたのか」
「他にいる?こんな物で私を縛ろうとするヤツが!何かあったら連絡しろって……」
 そこまで口にして、自分があの人に言った言葉を思い出した。

「何かあったんだ。先生があいつに捕まった……。そこへ、行かなきゃ!」
 あのハイエナめ。ついに動き出したか。今度こそ容赦はしない!
「何だって?捕まったってどういう事だ?」
「今噂してた人物の仕業よ。どこまでも憎々しい!」
 私の言葉を聞き、神崎さんが沈黙する。

 再び画面を睨む事数十秒が経過し、ついに結論に至る。

「そうか、座標だわ!北緯三十五度、二十六分、十三秒。東経百三十九度、四十分、三十七秒。神崎さん、地図ある?」
 頷くや座標入りの地図を書棚から出してくれる。
「何でもあるのね!さすが社長室」意味もなく囃し立てる。
 異様にテンションが上がってきた。

「そうするとそこは……本牧埠頭のD突堤、か」神崎さんが地図上を指で示す。「一緒に行ってやりたいところだが、これから重要な会議があるんだ」
「一人で平気。ありがとう。ねえ、車貸してくれる?……返せないかもしれないけど」
「免許取ったのか。構わんよ、好きに使え」

「毎度、恩に着るわ!」
 実はこの時点ではまだ無免許だ。それには触れずに礼だけ言う。

 手際良く裏口に用意された社用車に飛び乗ると、座標の示した場所へと大急ぎで向かった。


 目的地付近に到着し、明かりの漏れる倉庫を探り当てる。
 四分の一ほど開かれたシャッターの隙間目がけて車ごと突っ込む。

 一番奥で拘束されている人影が見えて、その目と鼻の先まで突進し急停車する。

「新堂先生!無事ですか?!」叫びならがドアを開けて飛び降りた。
 辺りに漂うゴムの焼けるような臭いは、私が無謀な運転をしてきた事を物語っている。
「これは驚いた……。派手なご登場だな」
 そう言って私を見上げる新堂を確認する。

 顔には数か所に殴られた痕があるが、大きなケガはなさそうだ。
 すぐに彼に絡みつくロープを解いて解放する。

「いつの間に免許を?……無免許運転か」軽く肩を回しながら不審そうに語る彼。
 私が教習所に通う暇などなかった事を、この人は知っている。誤魔化しようがない。
「今はそんな事どうでもいいでしょ!」
 イラ立ち気味に言い返して、敵の方に目を光らせた。

 一同は呆気にとられた様子で微動だにしない。

「私の、先生に取り上げられちゃって。それ、ちょっと貸してほしいんだけど!」
 一番近くの一人に近づき、拳銃を持った方の手首を掴む。
「何をする!」男は力ずくで私を振り切ろうとする。
 その手首を素早く逆手に捻って銃を奪う。そしてすぐさま投げ飛ばした。

 次に私達に向けられている銃に狙いを定める。
「動かないでよね?死にたくなかったら!」
 そう断った後、片っ端から男達の手にする拳銃を撃ち落として行った。
 的を狙うのは大得意だ。

「お見事……!」新堂が私の拳銃捌きに目を丸くしていた。

 何人かが落ちた銃を拾おうと腰を屈める。
「動かないでったら!」移動しながら立て続けに発砲しては、それを弾き飛ばして行く。
 弾切れになった拳銃を捨てて、弾き飛ばした別のを拾い上げる。
 そして最後に、悪の根源、義男へと銃口を向ける。「今度こそ、息の根を止めてやる!」

「……ユイ!やめるんだ!」思い出したように新堂が叫んだ。
 それを無視して、照準を合わせるために再度グリップを握り直す。
「あんただけは私が殺す」

 銃を取り落とされて呆然とする奴の配下達に、今のところ死人はいない。
 全員の視線を感じる。

「やめろ!」まだ腰を落とした状態で、新堂が再び叫ぶ。
「なぜ止めるの?あなたは殺されかけたのよ!」
 無事を伝えようとしたのか、新堂はふらつきながら立ち上がって主張する。
「私は無事なんだ、もういい!」
 その様子をチラリと見て、腹の底から押し出すように言った。
「良くない!こいつは、何度でも同じ事をするんだから。今のうちに……」

 視線を義男に向け直す。なぜか無言を貫いている義男に。
 たった今、神崎さんの仇である事も判明した。絶好の機会ではないか。コイツは絶対に許さない!

 そんな決意を固めた時、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえた。恐らく呼んだのは神崎さんだろう。
「……余計な事をっ」もう時間がない。
「さあ、警察が来ないうちに、その銃を捨てろ!」私の横に辿り着いた新堂が、拳銃を奪おうとする。
「何するのよ!」

 振り切ろうとしたけれど……。この時、またしても新堂の表情が悲しそうに見えた。
 それはいつもの勝ち誇った顔とは違った。

 近づくサイレンの音もあり、仕方なく銃から手を離す。コンクリートの床に乾いた金属音が響いた。
 その音が合図になったかのように、義男達も移動を始めた。

「さあ、こっちも急ごう!」彼が私の腕を取る。
 突っ込んだ衝撃で無残な姿に変わり果てた車に駆け寄り、助手席のドアをこじ開ける新堂。
「早く乗るんだ!」
 私を中へ押し込むと、猛スピードでその場を脱出したのだった。


 サイレンの音を背後に感じながらしばらく走った後、新堂が声をかけてきた。
「大丈夫か?」

 一度に色々な事が起こりすぎて混乱していたが、この言葉で我に返る。大丈夫かは、こっちのセリフだ!
「先生こそ、ケガは?!」運転席の新堂を見て、改めて問いかける。
「ああ。おまえのお陰で、こうして生きてるよ」
 傷だらけの新堂は、チラリと私の方を向いて微笑んだ。

 それを見て思わず微笑み返す。
「……良かった」私はひどく疲れていた。

 不意に新堂が、助手席で両手を握り締めていた私の方に手を伸ばした。私の両手に自分の左手を重ねる。
 見る見る彼の体温が伝わってくる。冷え切った私の左手は、またも酷く震えていた。

「ありがとう、ユイ」
 あの新堂が嫌味ではなく礼を口にしたというのに、驚く気力もない。
「本当に、ごめんなさい……。私のせいで、あなたを危険な目に遭わせてしまって」
「なぜおまえが謝る?悪いのはあっちだろ。それに危険な目に遭うのには、案外慣れてるんだ。気にするな」
「でも……!」だからって許される事じゃない。

「そんな気遣いは無用だ。それにしても、鮮やかな身のこなしだった。驚いたよ。それと……、射撃、上手いんだな」
「それはどうも」私がそう答えた直後。「慣れては……いないみたいだが」と言いながら、震えが止まらない私の左手を握り直した。

「違う!これは……、寒いから震えてるだけ、だからね?」
 反論しながらも、彼の手を振りほどく力もない。

 ふと、新堂の左腕の腕時計が目に入る。そこには現在地の座標が示されていた。
「あの状況で、どうやって座標を確認したのかと思ったら……」
「簡単だろ?」彼が私から左手を離して腕時計を見せる。「気づいてくれなければ、意味がなかったがね」
 この言葉はいつもの嫌味なのだろうか。そう思いつつも素直に礼を言う。
「知らせてくれて、ありがとう」

「本当におまえに助けられるとは、思っていなかったが……」
「どういう意味?」
「いや、何でもない。独り言だ」

 どうやら新堂は、本気で私に助けを求めた訳ではなかったようだ。
 それを知っても気分は満更でもない。なぜなら、この人の想像を遥かに超える行動を取った自信があったから。少しは見直してもらえただろう。


 こうして大活躍した神崎社長の社用車は、何とか無事に私達をマンションまで運んでくれた。

「残念だが、この車はもうスクラップだな」
 車から降りて、新堂がしげしげと車体を見回す。
「神崎さんに謝りに行かなきゃ……」うな垂れて呟くと、「私が弁償するよ」と彼が言った。
「え?」驚いて斜め上の新堂を見上げる。
「いいんだ。私を救うためにしてくれた事だから」

 新堂の態度が、確実に今までとは違って見えた。けれど今はそんな事を考える余裕もない。
 部屋に入ると、吸い込まれるように闇の世界へと意識を沈めたのだった。


 目が覚めると、新堂の姿はなかった。
 ベッドサイドテーブルに、取り上げられた私のコルト・コンバット・パイソンが置かれていた。
「……やっと戻って来たわね、私の相棒!」喜びでいっぱいになり、それを抱きしめる。

 私が実家を出る時に、師匠キハラがくれた餞別の品。私の初恋の人からの宝物だ。
 そんなコルトを見つめて、しばしキハラとの思い出に浸った後、大判のハンカチで包んで通学用の鞄にそっと忍ばせた。


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