大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

 カゴの中のコトリ(2)

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 こうして新堂不在の時間が始まる。これでしばらくは、プライベートタイムが確保された!ここへ来て以来、一人で落ち着く暇もなかったのだ。

 背伸びをしながら、今では見慣れた部屋に入る。
 制服のブレザーを脱ぎ捨ててネクタイを外すと、鞄を放り投げてソファに寝転がった。その拍子に、シャツの胸ポケットに入れた携帯が落ちて顔に当たる。
「イタッ!もう……こんなの渡して。そんなにユイさんを縛り付けたいの?」

 ふと、新堂がいつも使っている超薄型のノートパソコンが目に入る。
「これ、凄く高いんだろうなぁ」
 あの男の周りには、最先端のシロモノが何でも揃っている。
「うちのオヤジの事金持ちだなんて言ってたけど、自分の方がよっぽどお金持ちじゃない!」
 今回はよほどの急患なのか、いつも持ち歩くこれを取りに戻る間も惜しんで現場に向かったようだ。

「あの人の謎が、何か解けないかしら」これはチャンスではないか?
 恐る恐るノートパソコンに手を伸ばす。
 こんな暮らしを始めてもうすぐ二週間になる割に、あの男の事を何一つ知らない。
 期待を込めてパソコンを開くが、当然ロックされている。パスワードが必要だ。
「や~めた!」

 諦めて元に戻すと、今度はデスクの引き出しを上から順に開けてみた。一つには鍵が掛かっていて確認できなかったが、入っていたのはどれも他愛のないものばかりだった。
 結局進展なしで本日の捜索は終了となった。

 ここへ来て初めての一人で過ごす夜。早速携帯に電話かかってきた。

『朝霧ユイ。何も問題はないか』当然新堂からだ。
「ええ、ノー・プロブレムよ。先生の方は?お仕事上手く行った?」
『当然だ。だが、まだ帰れない』
「どうぞお構いなく!」と即答すると、『何だか嬉しそうだな』と返される。
「そっ、そんな事ないけど……っ」慌てて否定するも、嘘はバレバレだろう。

 数秒ほどの間の後、『まあ、元気そうで安心したよ』と彼がこんな事を言う。
 ここは大袈裟に驚いてやろう。「へぇ~、心配してくれてたんだ!」
『患者の心配をするのは当然だ』透かさずやや不機嫌な声が返ってきた。
「あの、新堂先生?」改めて呼びかける。
『何だ』
 素っ気ない答えにもめげず「心配してくれて、ありがとう」と素直に礼を伝える。

 再び数秒の沈黙の後に返される。『調子に乗って夜更かしするなよ、じゃあな』
 あっさりこう言って一方的に切られてしまった。

「んもう……、何よ!何であの人は〝どういたしまして〟が言えないの?」
 受話器を乱暴に戻しながら文句を付ける。結局こういう展開か。

 興奮したせいか、息苦しさを感じて気分が悪くなり出した。慌ててキッチンで水を汲んで飲み干す。
 やはり疲れが出たようだ。止められていた体育の授業、しかも柔道はさすがにマズかったか。あの程度で疲れたなどと我が師匠が知ったら、半殺しの仕置きをされる事間違いなしだが!

 キハラ・アツシのスパルタ訓練は、それはそれは厳しかった。その甲斐あって、今日の柔道だけでなく武道全般ほぼ無敵の私だ。


 翌日。今日は土曜で学校もなく、久々のプライベートタイムを楽しんでいる。

「サイアク!私の今日の運勢、最下位だったの!どうりで収穫がなかった訳だわ。ユイは?」知子が嘆いている。
「私は……何と一位!」胸を張って腰に手を当てながら答える。
 友人と三人でウインドウショッピングの帰り、喫茶店で星座占いの話題で盛り上がる。

「それで?いい事、何かあった訳?」とチエ。「ふふ!まあね~」ニヤニヤしながら答えるも、自分を縛り付けている男が不在だから、とは言えるはずもなく……。
「そっか~、やっぱ一位だといい事あるんだ」
 知子が話題を戻してくれて助かった。
「テンション上がるもんね~!」チエも賛同する。「そうそう!」終始ご機嫌の私。

「そうそう、ねえユイ!ずっと聞きたかったんだけど。赤尾先輩と、まだ付き合ってるんでしょ?どこまで行ったのよ?教えなさい!」知子が私にこう迫る。
「え……っ」突然の質問に思考が止まる。
「そうよ!最近、黒の外車の人が迎えに来てるけど。あれ、どう見ても赤尾先輩じゃないもんね」と、チエが私に疑いの視線を向ける。

 さすが女子の目は鋭い。「だからあれは……」慌てて説明しようとするも遮られる。
「ないない!だって赤尾先輩、医学部に行ったのよ?そんな暇ないって!」と知子。
「知子には言ったでしょ、あれはウチの運転手!」ようやく弁解する。
「ああ、そうだった」
 そう答える知子だが、わざと忘れたフリをしたのは間違いない。

「何だぁ。そうなの。て~っきり新しい彼氏かと思った!」がっかりするチエ。
「で?先輩とはどうなのよ」知子が話題を戻す。
「うん……。それが実は、自然消滅っていうか……」
「ええ~っ!ウソ!それ聞いたら多香子、怒るよねぇ、きっと」とチエ。

「え?何で?」チエの言っている事が理解できずに聞き返す。
「知らないの?多香子、先輩の事好きだったのよ」あっさりと衝撃の告白をするチエ。
「……そう、なの?!」立ち上がって本気で驚く。
「まあまあ、男女の仲は複雑なのよ。ねえユイ」と知子がフォローを入れてくれる。

「そう、なの……」再び答えながら、脱力して席に着いた。

 多香子は一番の親友だ。私が先輩と付き合う事になった時、あんなに喜んでくれたのに?応援してくれていたのに、多香子も先輩を好きだったなんて!
 全然知らなかった。本当に、フクザツだ。


 二人と別れて、重い足取りでマンションへ戻る。

 ベランダに出て、ぼんやりと夕暮れの空を見上げた。
「あ~あぁ。私、先輩と付き合わなきゃ良かったな……」

 そんな事を呟いた時、玄関の開く音がした。

「外は冷えてきた。そんな所で何をしている?」新堂がベランダにいた私に言う。
「先生。お帰りなさい」振り返ってその場で出迎える。

「体調は?」真っ直ぐに私の方にやって来る新堂。
「平気」
「私が帰って、そんなにがっかりしたか」
「そうじゃないよ」
「電話越しでは、あんなにテンション高かったのにな!」

 こんな嫌味にも反論せず、「女子高生の悩みは尽きないの!」と言い放つ。
 あなたには一生分からないでしょうけど?

 お互い在宅の時でも、新堂と私が同じ部屋で過ごす事はほとんどない。
 私が使っているのは、リビング横のベッドの置かれている部屋。一応、扉がついていてプライバシーは守られる。
 そして新堂は、リビングに設置したデスクで仕事をするという具合だ。

「あ~あ……。勉強しないとなぁ……」

 しばらくぼんやりした後に参考書を捲り始めるけれど、少しも経たないうちにドアをノックする音が響いた。
「そろそろ夕飯にしよう」ドアが開き、声をかけられる。
「もうそんな時間?」

 そう答えた私を、新堂が見下ろす。

「やっぱり少し顔色が良くないな。横になれ。診察する」ベッドを顎で指して言う。
「そんな事ない、平気だったら」
 投げやりに答えるも有無を言わさず、ベッドに半ば倒される形で横になる。
「相変わらず乱暴ね!もう少し優しくしてよ」との私の言い分は却下。

「今は生理中か?」
 間近で顔をじっくり観察された後に言われる。

「……んなっ!何よ、エッチっ!」
 こんなコメントをサラリと言って退ける男なんてキライだ!
「何がエッチだ、ふざけるな。ただの問診だ、早く答えろ」
 負けたみたいで悔しすぎるけれど、頷くしかなかった。
「胸を見せろ」

 聴診器を持って命令してくる、身も凍えるような新堂にため息をつく。

 仕方なくブラウスのボタンを上から順に外して行く。何度も見られているのに、一向に慣れる事ができないこのシチュエーション……。
 恥かしさを堪えて胸を出す。そんな私とは裏腹に、至ってクールなドクター新堂は淡々と診察を進める。
 胸の音を一通り聞き終えてから、「今日は何を?」と尋問(まさにジンモン!)が始まる。

「友達とショッピングに」
「それで?」
「それだけよ。ほとんど喋ってたって感じだけど」
「何かあったのか」こう聞いてくれる割には素っ気ない口調だ。
「だから、色々あるって言ったでしょ!」

 私のこの返答に、今度は新堂がため息をついた。
 手に持っていた聴診器を鞄に仕舞って言う。「差し当たり異常はない。残念ながら、心の悩みは私には治療できない」
 私を見つめたままの彼に、「結構です!」と透かさず断りを入れる。
 何が悲しくて、こんな男に恋愛相談をしなくてはならないのか?

 気を取り直して起き上がる。「あ~、お腹減った!今晩は何にするの?」
 やや期待して尋ねたのだが、返ってきた答えは「近所の定食屋」だった。
「またぁ~?たまにはフレンチとかお寿司屋さんとか連れてってよ。自分はいつもそういうとこ行ってるんでしょ?」と詰め寄る。
 落ち込んだ女子高生を、美味しいもので元気づけてくれてもいいと思う!

「ノーコメント」そう言って目を反らされる。
「ガッポリ儲けてるくせに。ケチ!」
「何とでも言え」
 あっさり交わしてくる新堂なのだった。

 食事はいつも外食か出前だ。それも洒落たレストランなんかではなく、近所にある寂れた定食屋が行きつけ。今ではすっかり顔馴染みになってしまった。
 部屋にキッチンはあるものの、この男が料理をするはずもなく、私も苦手なので自分から進んで作ろうとは思わない。
 それ以前に、誰がこんな男に手料理なんて振る舞うものか!


「ねえ?先生のお誕生日はいつ?」
 定食屋の食卓にて、シラけた場の雰囲気を和ませるべく話題を提供する。
「そんなの聞いてどうする」

 答えてくれない新堂に、自分から先に「私は二月二十二日よ」と教える。
 すると意外にも新堂が話に乗ってきた。「それは奇遇だ、私も二月だ」
「ホント~!何日?」
「七日だ」この答えにはちょっと驚いた。「ウソでしょ?お母さんと一緒……!」

 私の言葉に一瞬新堂の食事の手が止まったが、すぐに元の動きを始める。

「なら、先生は水瓶座ね!」
「それがどうした」
 見向きもせずに食事を続ける新堂に、「星座占いよ。今日友達と話してたの。私は今日の運勢一番だったんだ!」と明るく話す。
「くだらんな」新堂はどこまでも無愛想だ。

「結構当たるわよ?」コロッケを頬張りながら言い返す。
「それにしては、いい事があったような顔には見えなかったが?」
「え……、それはまあ、途中からね」
「差し当たり、私が家を空けていた事が嬉しかったんだろうが……」
 この図星のコメントに苦笑いで黙る私を見て、嫌味な笑顔を向けられる。

 店のオバサン店員が、こんな私達を見て微笑んでいるのが横目に入った。

「私は占いなど信じない。もう二度とそういう話はしてくれるな、虫酸が走る!」
 そう言って新堂が私から顔を背けた。
「何よ……、そこまで言わなくたって。つまらない人!」


 こうして奇妙な同居生活がひと月ほど続き、十一月も半ばとなった。

「もう限界!いい加減、自由が欲しいわ」
 体調が大分戻った事もあり、自分の判断で家に帰る事にした。申し出たところで、こんな要求は受け入れられるはずがないのは分かっているからだ。
 そうは言ってもお世話になったのは事実なので、置手紙を残して行く。

 荷物を纏めて鍵を閉めた時、どういう訳か名残り惜しいような不思議な気持ちになったのは、何度考えても謎だ。
「変なの!ただの主治医なのに。それも、飛びっきりイヤなヤツなのに?」

 久しぶりの我が家に戻るも、ここには私の他に誰もいない。
「お母さん……」薄暗く肌寒い部屋で一人呟く。

 母は退院してすぐに海外へ発った。それを知ったのは母からのエアメールを読んだからだ。新堂は事前に聞いていたのだろうか。仲の良さげな二人を思い返して思う。
「だから娘の事よろしくって新堂に言ってたのか……。あんな男に押しつけて!」

 こんな事をボヤキながら、返却できていない新堂の部屋の合鍵を見つめた。

 母からのエアメールはイタリアから出されていた。
 そこには長文で母の想いが綴られていた。内容は、私の体調をとても心配しているという事から始まる。事情があって、何も話せずに突然別れてしまった事を詫びていた。

「……今、共に暮らすイタリア人の恋人を心から愛してる。元気いっぱいで幸せなので心配しないで、か……」
 母親が娘よりも新しい恋人を選んだというのに、怒りも悲しみも感じない。
 これまでの辛そうな父との生活から解放された母に、今度こそ幸せになってほしいと心から思う。いつだって、自分の幸せは二の次にしてしまうような人だから。

「良かったじゃない、お母さん!……何々?続きは」手紙を読み進める。
「卒業式には、帰国してお祝いをしましょう、だって。うふふっ、嬉しい!その時に新しい恋人の事、問いただしてやるんだからね?」
 丁寧に書かれた文面を読み上げながら一人笑う。

 母が病床にあってもあんなに美しかったのは、恋をしていたせいだろうか。だとしたら羨ましい……何しろ私の恋は、もう終わってしまった。
 赤尾先輩が医学部に合格した事は、器械体操部の先輩から聞いて知っていたのだが、全く連絡を取っていない。先輩からも何の音沙汰もない。
 こちらから連絡を取るつもりはない。きっと勉強で恋どころではないだろうし。

 でもこれで良かったのだ。私は父と同じ世界に足を踏み入れようとしている。この先には間違いなく、過酷な人生が待ち受けているはずだ。
 愛とか恋とかそんなものに関わっている余裕は、私にだってきっとないから……。


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