大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

 キケンな賭け(2)

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 光が煌々と私を照らしている。昼なのか夜なのか、その判別もつかないくらいの明るさだ。その眩しさに耐えながら、重い瞼を何とか開き辺りを眺める。
 窓のカーテンが閉まっているのに気づいて、ようやく夜だと分かった。

 胸に取り付けられた心電図モニターが、絶え間なく規則的な音を鳴らしている。
 両腕には点滴がしてあった。血管が細いはずの右腕にも……。それを見つめた後、口元の酸素マスクを外して大きく息を吸ってみる。

「まあまあね」
 勝手に判断して起き上がるも、相変わらず変な咳が出て頭がクラクラした。

 その時、いきなりドアが開いて新堂が姿を現した。

「勝手な事をされては困る」
「そっちこそ、勝手に入らないでよ」
 負けずに言い返す私にツカツカと近づく新堂。マスクは再び私に取り付けられた。
「いらないってば!」一度は払い退けたものの、強制的に付けられる。
「大分体力が戻ったようだな」ニコリともせずに言う。

「お陰様で!」
 そう返した直後、息苦しさを感じて目を閉じる。そして咳き込む。

「君の肺に障害が起きている。熱はほぼ下がったが、まだ微熱が続いてる状態だ」
 新堂は私を見下ろして続ける。「この点滴を三日間続けて様子を見る。肺の炎症が治まってくれば、息苦しさも咳も徐々に良くなるだろう」
「三日……。今日は、はぁっ、……何日っ!?」息切れを起こしつつ尋ねる。

 ふと約束の日を思い出した。あれから一体、何日が過ぎたのだろう。

「ギリギリ、ちょうど今日で一週間だな。おかしな再会だったが」
 新堂のこの言葉で、もうすぐ今日が終わるのだと分かる。
「それじゃ、改めて……」ここまで言って遮られる。
「朝霧ミサコのオペは済んでいる。安心しろ、彼女はもう大丈夫だ。あと、そうだな、五十年は生きられるだろう」

「え?どういう事……?」
「どうもこうもない。今言った通りだ」
「お母さん、助かったの?……死なないのね!」たちまち喜びの涙が込み上げる。
 だがすぐに疑問が湧き出す。
「でも私、まだ報酬を支払ってないわ」

 ここで、先日の片岡先生と新堂の会話にピンときた。気紛れで受けた依頼というのは、やはり母の手術だったのだと。

「中里から預かった分は、そのままいただくぞ」新堂が無表情で淡々と口にする。
 そしてこんな質問をした。「ヤツとの契約は、二千万で間違いないのか?」
「……はい?」
 始めは何を言われているのか分からなかった。
「私との契約金額を誤っているのでは、と思ったからさ」

「ご心配なく!残りのお金も用意してありますから」
 せっかくこの男を見直していたところだったのに!呆気なく怒りの感情が生まれた。

「二千万は間違いじゃなかったのか……」まだブツブツ言っている。
「何よ、間違いって。何か文句ある訳?」
「いや、こっちの話だ。しかし恐れ入ったね。こんな事までするとは!」
「うるさいわね。余計なお世話よ。これくらいしないと作れない金額って事でしょ?覚えておいてよね、新堂先生!」
 これに対しては返答はなかった。

「それにしてもだ……。下手をすれば死んでいたんだぞ?分かってるのか!」
「分かってるに決まってるでしょ!」負けずに声を張り上げたつもりだ。満足する声は出せていなかったが。
「まるで自殺行為だな」吐き捨てるように言ってくる。
「お母さんを助けるためなら、何だってするわ」

「中里が言っていたが、始めから貧血だったって?君の体は全て検査したが、どこからも出血は見られない。造血機能にも問題はない。つまり……」
「なっ、何よ……」
「意図的に抜き取った」
「どうしようと、あなたには関係ないでしょ!」

 少し考えた後に新堂が言う。「まあな。臓器売買や、売春行為までされていなくて良かったよ」
「……!何ですって?」
「その疑いは晴れている。安心しろ」

 臓器の売買なんて、義男みたいな事をする訳がないじゃない!それに売春だなんて。どこまで私を蔑むつもり?
 この男といると気分は最悪!早急に話を終わらせて一人になりたい……。

「残りのお金だけど。お母さんの病室の、一番奥のロッカーにある。どうぞ持って行ってください」これまでとは打って変わって小声で告げる。
「いや。急がないから、君が持って来てくれ」
 さすがに患者のロッカーを勝手に暴く事はできないらしい。

「くれぐれも大人しく寝ているように。あまり興奮すると、今みたいに苦しい思いをする事になるぞ」
「誰がそうさせたのよ!」と言い返して、早速咳き込む。
「何かあったら呼んでくれ」

 私の言葉など耳に入らなかったように、点滴の具合だけを確認すると、新堂は部屋を出て行った。

 どっと疲れが出た。医者ならもっと患者を心配してくれてもいいだろうに!
 母の手術のお礼を言うのも忘れて、不機嫌な眠りについたのだった。



「おい、朝霧ユイ。起きろ」
 誰かが私の名前を呼んでいる。

「おい!」
 再び呼ばれて左腕を掴まれた時、私は無意識の自己防御反応で、掴んできた相手の手首を反対の手で取って捻り上げていた。

「痛いじゃないか。どういうつもりだ?」
 掴まれた手を私の腕と共に持ち上げてそう言ったのは新堂だった。
 一気に現実に引き戻される。
「……ああ、悪かったわ。不審者かと思って?」私は新堂の手を離した。

 すると今度は私が両腕を掴まれる。
「ちょっと、そっちこそ痛いじゃない!」
 その両腕には、点滴針を無理に引き抜いた跡が残っている。
「勝手な事をされては困ると言ったはずだ。君は一応、私の患者なんでね。さあ、ベッドへ戻るんだ」そのまま引っ張られて、立ち上がるよう促される。

 どうしても気になって、勝手に母の病室にやって来た。知らずのうちに眠ってしまっていたようだが。
「お願い、お母さんの目が覚めるまでいさせて!話をしたいの……」

 何度か懇願して、ようやく承諾を得る事に成功した。
「仕方ない。少しだけだぞ」
 彼を見上げて、笑顔で小刻みに頷いた。

 それから少しして、ようやく母が目を開けた。
「お母さん!良かった……」

「ユイ、あなたの体調はどうなの?先生から聞いたわよ」
 この母の第一声に驚き、「え?何を言ったの!」慌てて後ろにいる新堂を振り返る。
「体調を崩したので、様子見のために入院させていると伝えただけさ」
 そう早口に私に答えた後、今度は一転、声の調子を変えて母に語りかける。
「ミサコさん、気分はどうですか?術後の経過は良好ですよ」
 母に対する新堂の態度は、あまりにも自分へのものとかけ離れていた。

「本当に、ありがとうございました。それに、娘までお世話になってしまって」
「お母さん、私は何でもないってば!」
「ほらユイ、あなたも先生にお礼を言いなさい」
 引き下がらない母に成す術なし。私は仕方なく頭だけ下に向けて誤魔化す。

「お構いなく」
 こんな新堂の返答は、素っ気ない言葉ながらもどこか温かみを帯びている。

「私はこんな病気になっても、こうして助けていただく事ができたけれど……。もしこの子が同じように……」母の血液型は特殊なものではない。
 下を向いたままの私の頭を撫でながら、母は感極まっている様子だ。
「私は病気じゃないから!そんなに心配しないでよ」そう言って安心させる。

 すると新堂が補足するように言った。
「ご安心ください。現時点で、娘さんは特に異常はありませんでしたから」
 私の方をチラリと見て嫌な笑みを浮かべる。

 今回の闇新薬治験で起こった副作用の件を、暴露されなかっただけマシか……。

「この子は、あまり体が丈夫な方じゃないので……それが心配なのです」新堂に向かって縋るように母が言う。
 そんな母が疎ましくて、「人間、鍛えれば強くなるものよ!お母さん!」と胸を張って宣言する。
 私は十分鍛えられた。そして、人並み以上に強くなったつもりだ。
「それに、マイナスの血の人くらい探せばいるって!」こう付け足す。

「……そうよね。あなたのおばあちゃんも、そうだった訳だし……」
 私達が納得し合う中、新堂だけは右手を口元に当てて、何やら思案しているように見えた。

「新堂先生。この子の事、よろしくお願いしますわね……」唐突に母がこんな事を言う。
「ちょっとお母さん?何、その変なお願いは!」
 私の言葉などなかったように新堂が答える。「はい。今後のユイさんの事は、私が責任を持って」
「これで安心ですわ……。ありがとうございます、新堂先生」
 こんな調子で、二人は見つめ合って微笑んでいるのだ。

「お母さん、どういう事?今後の私の事って何?新堂先生、一体何の事よ!」
 興奮して体に負担がかかったのか、急に呼吸が苦しくなった。咳が出始める。

 そんな私の状況に気付いた新堂が、私の手を掴み廊下へ連れ出す。

「朝霧ユイ。今後の事と言うのは、体調が戻るまでの君の生活の事だ。もちろん詳細は母親には話していないが」
「何で勝手にそんな事……っ!」咳き込みながら訴える。
「この件はすでに母親の了解は得ている。君にとっても悪い話ではないと思うが。何か反論は?」苦しむ私に、新堂は構わず捲くし立てた。

「もうっ!はぁ……勝手にして……」
 倒れそうになる私の腕を、強引に掴んで姿勢を保たせるこの男に、微塵の優しさも感じられない。
「交渉成立だな」ただ一人満足気な新堂。

 納得行かないながらも、再び母の病室に戻る。

「いい事、ユイ。先生の指示にちゃんと従うのよ?それと、失礼のないようにね」
「う、うん。私、すぐに良くなるから。そしたらまた一緒に暮らそうね、お母さん!」
「……ええ、そうね」
 そう答えた母だが、その言葉はどこか歯切れが悪く聞こえた。
「では、ミサコさん。お大事に」新堂は笑顔で母にそう言った。
 続けて「さあ、行くぞ」と、私にはニコリともせずに言い放つ。

 腕を掴まれ、そのまま引き摺られて、泣く泣く母の病室を後にしたのだった。


 元いた自分の病室に戻ると、新堂がてきぱきと私に点滴などを装着し直し始めた。

「あの、新堂先生?」
 改まって問いかけた私にチラリと目を向けるも、すぐにその視線は外された。もちろん返事すらくれない。
 それでも構わず、「お母さんの事、助けてくれて、本当にありがとうございました」と、言えていなかった手術のお礼をようやく伝える。

「これ以上、面倒を起こすなよ」
 彼はそれだけ言って出て行った。

「もう!こっちがお礼を言ってるのに。答えてくれたっていいじゃない?」
 不愉快さだけを残して去って行った新堂に、一人悪態をつくのだった。


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