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第一章 大嫌いな人を守る理由
ヤミ世界からの使者(3)
しおりを挟む翌日、私はとある会社の前にいた。
目前にそびえ立つビルを見上げながら、電話ボックスから電話をかける。実は私はまだ携帯電話を持っていない。
「もしもし。社長にお話があるんだけど、いらっしゃいますか?」
『失礼ですが、どちら様ですか?』
電話越しから、例の秘書と思われる男の低音が響く。
今連絡を取ろうとしているのは、お察しの通り神崎社長だ。
「ア・イ・ジ・ンっ」精いっぱいの色っぽい声を出して言ってみる。
『……少しお待ちください』
こんな大胆発言に動じる事もなく、太い低音でそう返された。
秘書の大垣がどう取り次ぐのかを想像して、笑いが堪えきれない。電話ボックスで一人笑う姿は、きっと不審者に見えた事だろう。
少しして、神崎社長の声が聞こえてきた。『もしもし、神崎だが。ユイか?』
「ピンポーン!分かっちゃったか」ちょっぴりつまらない。
『久しぶりだな。バイトはもう辞めたらしいな』
「ええ。ちょっと忙しくなってね」
受験生だから、と言えたら一番良かったのだが、理由は全く別のところにある。
『会えなくなって寂しいよ』
何も聞かずにこう言ってくれる彼が、堪らなく素敵に思えた。
『で、公衆電話みたいだが、どこからかけてるんだ?』
「実は、会社の前の電話ボックス」
『何だよ、早く言えよ!今下に行くから』そう早口に言うと、電話は切れた。
神崎さんはすぐにやって来た。社長が突然一階ホールに現れた事に、周囲の社員達が慌てている。
「ユイ!」
「ごめんなさい、わざわざ来てもらっちゃって。お仕事の邪魔したんじゃ……」
「ちょうど手が空いたところだ。気にするな。それより……」
神崎さんは私の顔を間近で見つめる。
「あっ、ねえ!今夜、時間ある?」急いで顔を反らして話題を振る。
貧血は一晩では治まらない。私の顔色はまだ良くないようだ。
「俺は構わんが、お前の体調の方が……」
「私は平気!昨夜あんまり寝てないだけ。これから帰って寝るもん」
「そうか。では、いつもの店で会おう」
こうして無事に約束を取り付けたのだった。
そしてその夜。いつものバーで飲んでいる。もちろん私の飲み物はノンアルコールだ。
「神崎さん、何も聞かないのね」
「金の事か?」グラスを片手に答える彼。
「ええ。こんなに大金、高校生に簡単に渡していいの?」
結局、またこの人に頼ってしまった。もちろん借りたのだが。
その額何と二千五百万円!私の手にはその額が記入された小切手が握られている。
「金で解決できるなら、喜んで手を貸す。その程度の額は俺にとっては大金ではない。だが……学生が何に使うかは、気にかかるところだな」
悪い事をする訳ではない、そう断言する事はできない。新堂との契約が犯罪なのは間違いないのだから。
「絶対に返すから!ごめんなさい、こんなお願いできるの神崎さんしかいなくて」これだけ伝える。
「返さなくていい。言っただろ、そんな額はどうって事ないって?」
こんなセリフに唖然としつつも、「でも、そういう訳には……!」と食い下がる。
「この話は終わりだ。それよりユイ、やっぱり顔色が悪いぞ。風邪でも引いたんじゃないのか?」と顔を覗き込まれる。
「そ、そう?風邪は引いてないと思うけど……。気のせいじゃない?慣れないファンデーションなんか、塗ってみたせいかも」
血を売って貧血になったなどとは絶対に言えない。
「ふうん、そうか。高校生のクセに、化粧なんて生意気だな!」
ようやく私から目を反らしてくれた。
「このくらい、今どき皆やってるよ?」今度は私が彼の顔を覗き込んで答える。
「そんな事しなくても、ユイは可愛いよ」
久しぶりに可愛いと言われて照れた。自慢じゃないけれど、これでも幼い頃は良く言われたものだ。
「本当にお前は俺の……、いや。お前の力になれるなら、惜しむものなど何もない」
途中、言葉を濁しつつ彼がそう呟いた。
こんな言葉をかけられたら、好意を持たれていると思ってしまうではないか?
でも私は今、赤尾先輩とお付き合いしている訳で、心境的には複雑だ。例えその交際が、ほぼ自然消滅の方向にあったとしても……。
一度に何人もと付き合えるほど器用じゃない。私の心は揺れ動いた。
「神崎さん、ホントにありがとう。これで最後だから、こんな事頼むのは……」自分に言い聞かせるように口にする。
この人は私が五千万貸してほしいと言えば、すんなり出してくれたのだろう。でも、それでは意味がない。少しでも自力で稼がなければ。
あの冷徹な男を必ず見返してやる。こんな学生の私でも、死ぬ気で向かえば成し遂げられるのだ。泣き言など言うものか!
思い知らせてやるのだ。人が生きるという事の重みを!
「俺は頼ってくれて嬉しいけどな」
何も知らない彼は、グラスを片手に微笑んでいる。
「本当に、絶対借りは返すからね。お金を受け取ってもらえないなら、ボディガードでも何でもするし!」
「お前がボディガード?冗談だろ!俺はそんなに弱く見えるか?」
私は彼をまじまじと見つめた。
この人を打ち負かす事は容易いはずだ。私の強さを知らなければ、小娘相手に本気で向かってくる男はいない。先手必勝だ。
私はあらゆる技術を身に付けている。それは幼い頃から叩き込まれてきた、格闘技や護身術だ。中学に入ってからは射撃や語学も学んだ。高校生になって、ヘリコプターや船舶の操縦まで覚えた。
なぜそんな事ができたかというと、朝霧家は広大な敷地を有していて、敷地内には射撃場やトレーニングスペース、ヘリポートまでがあったからだ。
義男がライフルの免許を所持しているため、射撃場もある。その弾丸の保管庫や武器庫など、様々な倉庫があって探検するには持って来いだ。そのほとんどは違法なシロモノなのだが。
もちろんヘリコプター完備、専属のパイロットも雇っていた。罪が暴かれた暁には、いつでも逃避行できるように?そんな義男の魂胆が見え見えだ!
そのだだっ広い敷地で、中学の頃から車を乗り回していた。だから高校生にして、すでに車の運転などは余裕だった。
これらを指導してくれたのは、私の最愛の師匠、キハラ・アツシ。
彼は義男が雇う従業員(組員?)の一人で、年は神崎さんくらいだと思う。身長百八十センチを有に超える色黒の男だ。
様々な言語を操り、何でもできてめっぽう強い。
そんなキハラは、義男にとても気に入られていたようで、ヤクザ家業の他に私の教育係という名の監視役を任されていた。
それはまさに適任で、私がどこに逃げ隠れしようとも、容易に見つけ出されてはあっさり連れ戻されてしまう。
最初は嫌で逃げていたのに、それがいつの間にか……と、この辺の話はまた後ほど。
〝売られたケンカは買え〟というのも彼の教えだ。煙草の吸い方(!)も教わった。
これについては口外せぬよう、固く口止めをされている。
こんな私達は、最高の師弟関係だった。去年私が家を出た時に、キハラも朝霧家を離れたらしい。
詳しい事は知らされておらず、それ以来この愛しの師匠とは会っていない。
「おい、そんなに考えるなよ!」神崎さんの声で現実に引き戻される。
いつまでも黙り込んでいる私に、痺れを切らしたようだ。
「……え?ああ、ごめんなさいっ!で、何だったっけ」
「俺が軟弱な男に見えるのかって話だろ」
「そう、そうだった!ねえ、神崎さんて、何かスポーツしてるんでしょ。背も高いし、バスケとか?」
私の方が強いという意見は言わずにおく。この人が弱く見える訳ではないから。
出会った夜、ホテルの部屋で上着を脱いだ時の彼を思い浮かべて思う。
「球技はあまり得意じゃない。俺は断然、こっちだな」
彼はそう言って、座ったままシャドーボクシングをして見せた。
「なるほど、そっちね!」
思わず納得。機敏そうな身のこなしや立ち居振る舞いが、それを表していたからだ。
「ケンカには自信があるんだ」悪戯っぽい目になって言う。
「ふふっ!そっか。なら他に何か、私にできる事は……」
「こうやって付き合ってくれるだけで十分だよ」
彼の肩が私の肩に触れて熱が伝わる。私達は顔を見合わせて笑った。
こうして手に入れた大金は、見舞いがてら母の病院へ運んだ。
母を個室に移してくれた事が役に立った。何しろこの部屋にはたくさん収納場所があるのだから!
「ごめん、ここに置かせといてね……」
母が眠っている隙を見て、病室に備え付けられた一番奥のロッカーに札束入りのバッグを押し込む。
神崎さんが用意してくれた、見るからに大金が入っていそうな(!)シルバーのアタッシュケースから、カジュアルなバッグに詰め直すのも忘れずに。
そこに私の全財産の五十万と先日の五十万、そして口座から早速下ろした四百万も一緒に入れた。これでトータル三千万。あとひと分張りだ。
「ユイ……?来てたの」
「っ!お母さん!ごめん、起こしちゃったね」
口から心臓が飛び出そうになりながらも、平静を装って答える。
「いいのよ、むしろ起こしなさい。あなたが来てくれてるんだったら、会いたいから」
そう言った母の笑顔は神々しく、何だか後ろめたい気持ちになってしまう。
「うん……。ねえお母さん、もう少し頑張ってね。絶対に病気、治してあげるから」
「あら。ユイがお医者さんになってくれるのかしら」楽しげに言う。
「まさか!ムリムリ!言ってるでしょ、私、お巡りさんになりたいんだってば」
幼い頃から不正を正す正義の味方の警察官に憧れていた。
本気で採用試験も受けようと思っている。父親を調べられたら即不採用だろうが。
「ああそれと、私の私物、そこに入れさせてもらってるけど、気にしないでね」ここはなるべくさり気なく言う。
「ええ、どうぞ。私一人には広すぎる部屋だもの。ご自由に使ってくださいな」
予想通りの答えが返ってきてほっとする。
これで当日私が運べなくなっても大丈夫だ。
「あ、そうだお母さん。学資保険、満期になったって。お父さんが振り込んでくれたよ。そんなの掛けててくれたんだね。ありがとね」
「え?何の事?」ポカンと目を瞬く母。
「やだ!四百万も掛けてくれたんでしょ、大学に行かせたかったとか」
しばし沈黙する母だったが、「……あの人ったら」と小さく呟いた後、やがて朗らかに笑って口を開く。
「ああ、そうだったわ。大学に進むかはユイの自由よ。私達は何も強制しないわ」
「え……何?あのクソ親父、何かしたの?」
「ユイ!またそんな言葉を使って。いけません」
突然のお叱りの言葉に肩を竦める。
結局母はその後何も語らず、この件に義男が関与していたのかは分からず仕舞い。
「それよりユイ?何だかあなた、顔色が良くないわ。どこか具合でも悪いの?」
「ええっ?そんな事ないって!ちょっと……生理痛が酷いだけよ」
事情は違えど貧血には間違いない。体調が完全に戻るまでには、三週間くらいはかかると言われた。
私が今している事を母が知ったら、さぞ悲しむだろう。けれど手段を選んでいる時間は、もう残されていない。
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