大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

 大きなアメ玉を頬張る男(2)

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 不安は多々あったけれど、その後私はこの新たなバイトを無事勤め上げている。

 あくる夜、入院中の母から電話がきた。
『ユイ、最近顔を出さないけど、何かあった?』
 欠かさず学校帰りに見舞いに行っていたのが、夏休みに入って一度も顔を出していない。こう指摘されるのは当然だ。

「ううん、何もないよ。勉強が大変で!あと、ちょっと風邪引いたりとか」
『まあ……。あなたは良く風邪をこじらせるから。気をつけなさいね。治ってからでいいから、顔を見せに来てね』
 いつもの優しい母の声に、思わず涙ぐんでしまう。
「うん。ごめんね、行けなくて」泣くまいと、無理に明るい声で答える。

『いいのよ。それで熱はあるの?』
「もう平気。食欲もあるし」ついた方が良い嘘もあると、私は思う。
 実は熱がある。風邪ではなく、早速闇新薬の副作用と思われる症状が出ているのだ。

 近況を手短に報告し合って電話を切ったのだった。


「参ったな……。こんなんじゃ私、どんだけ病弱な女子高生よ?」
 二学期に入ってからは、こんな体調不良の日々が続いている。
 友人にもクラスメイトにも恋人の赤尾先輩にも、こんな姿をさらし続ける訳には行かない。例の仕事のせいで、私の体調は常にどこかしら悪いのだ。

 こんな体調不良の真っ只中にも関わらず、無謀にも修学旅行に行った。
 旅行から帰っても体調が戻らず、とうとう中里の研究所に入院する羽目になる。


「我慢はするなと言っただろう。なぜもっと早く来ない?」
「だって、修学旅行よ?行きたいじゃない!」
「修学旅行?」
 繰り返されて、自分が二十一歳だという事にやっと気がついた。

「間違えた、社内旅行!ほら、親睦を深めないと?」慌てて言い直す。
 不審そうな顔で見られ、さらに仕事を辞めた事になっていたのも思い出す。
「あっ!じゃなくて、えっと……、だからっ」
 言い訳を探していると、「良くもまあ、そんな体調で行けたもんだ。褒めてやるよ」と呆れた口調で返された。

 どうやら気づいていないようだ。ほっとしつつ、「最初は微熱だったし。報告したら、服用をやめて様子を見ろって言ったじゃない」と言い返す。
「そうだ。言ったさ。意味分かってるか?それはつまり、安静にしろって事だ!」
「してたもん」ただの旅行だ。

 解熱剤を点滴中のベッドに横たわる私を見下ろしながら、中里がため息をついた。

「まあいい。やはり若年層には発熱の副作用あり、か」
「役に立ったかしら」
「大いにね」ため息混じりに答えてくる。「なら、報酬は追加ね!」と元気に返す。
「高熱の割に、良く働く脳ミソだな」

 そんな嫌味も何のその。「褒め言葉って事にしてあげる」そう言って、いつの間にか眠りについた。


 翌朝には熱も下がり、食事も摂る事ができた。

「若さってろは、武器らな」
 感心したように何度も頷きながら私を見ている。頬をアメ玉で膨らませながら!
 出された食事をペロリと完食してふんぞり返る私を、これまたふんぞり返って見ている中里。

 一見長閑な朝のひと時。この光景を誰かが見ていたなら、私達はどんな関係に見えるのだろう。

「あ~あ。帰って勉強しなきゃ……かったるいなぁ」
「勉強?」
 問い返されて、思わず口に出してしまった本音に焦る。
 背伸びして伸ばした両腕をやり場なく下ろし、「あ……。ほらっ、会社で試験がね!」と言い訳を始める。

「仕事、辞めたんじゃなかったか?」今度はこう突っ込まれる。
「あ……、え?だからっ!新たな会社に入るための試験よ」苦し紛れに誤魔化す。
 明らかに怪しいのに「それはそれは。中断させて悪かったな」と全く疑いもしない。
 何であれ、納得してくれた事に安堵……。嘘をつき通すって大変だ。

 本当は、もうすぐ中間試験なのだ!


 中里研究所にて。

 今日も私はベッドに横たわりながら、背を向けてデスクに向かう中里に声をかける。
「ねえ」
 こんな光景にも慣れてきた。
「なんら」そしていつもの素っ気ない返事。
「何でいつもアメ玉舐めてるの?しかもそれ、デカ過ぎない?」

 この日、ついに尋ねてみた。この人が事あるごとに、デスクの引き出しから大きなアメ玉を出しては頬張る理由を。

「きんえんひていあい、くきはみひくへな」
「は?」何を言っているのか全く聞き取れず。
「……らから、きんえんひて……」
「禁煙ですって!あなたでも、長生きしたいとか思うんだ~」つい本音が出てしまう。

「お前も食うか?」
「やめとく。甘い物は太るし。中里さん、太るよ?」
 そうは言ったけれど、彼はとても痩せている。
「俺は常に頭を使ってるから、エネルギー消費換算でプラマイゼロだ。心配ない」
「別にっ、心配なんてしてないけど!」

 私達はウマが合うらしく、こんな会話はいつも楽しい。向こうも満更でもなさそうだ。
 白衣にあんなに拒否反応を示していた私だが、いつの間にか中里の白衣姿には何とも思わなくなっていた。
 医師免許はあっても彼は医者ではなく研究者。そんな暗示を、自分で無意識に掛けたのかもしれない。
 まあそれ以前に、この人には医者みたいな威圧感がないからだと思う。

「じゃ、帰るわ」
「ああ。気をつけて。また何かあったら、すぐに来いよ?」

 手をひらひらさせて、まるで友人と別れるように部屋を出た。


 こんな生活を半年ほど続けながらも、私は無事三学年に進学した。この頃には預金残高も順調に増えていたが、母の容態の方は思わしくなかった。
 自分の体調も考えると、これ以上、中里研究所の仕事を続けるのはどうしたものか。

 そして五月のゴールデンウィークも終わり、もうすぐ梅雨が始まろうという頃、ついに決断を下す。

「しばらく、このお仕事休みたいんだけど」
「……そうか。お袋さん、良くないのか」中里が沈んだ声で言う。
 母が入院してもう一年になる。入院中の母の事は最初に話してある。
「そうなの。今は……側にいてあげたいから」

「デカい仕事を朝霧に頼みたかったんだが……。致し方ない、他を当たるよ」
「悪いけどそうして」そう言って立ち上がる。
「またいつでも来てくれ。こっちはいつでもウェルカムだ」私を見上げて彼が言った。
「考えとく。それで、デカい仕事ってどんなの?」試しに聞いてみた。

「ああ!成功すれば、一儲けできるぞ?」ワルの顔になって言う。
 この顔を見て思う。根っからの生真面目研究者のこの人に、こんな顔は似合わないと。

「ふうん。何だか大掛かりな感じね。それやる人は、死んじゃうかもしれないって?」
 冗談のつもりで言ったはずが、「その通り。今までとは比べものにならない。報酬にも上限は付けられない」と彼は神妙な顔で答えた。
「それはまた!一千万でも二千万でもって?」大袈裟に言ってみる。
「場合によっては」

 これを聞いて、信じられない世界だと思った。この時はまだ。


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