大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

2.大きなアメ玉を頬張る男(1)

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 貯金もついに底をついてきた。

 この夏休み中に、もっと収入の良いバイトを見つけなければ……という事で、私は意を決して裏ルートでの職探しを始める事にした。
 裏ルートというのは、大嫌いな父の会社絡みでという意味だが、それはもはや犯罪に近い行為となる。

 何しろ父、朝霧義男はいわゆるヤクザの親玉で、裏の世界では名の知れた悪党だ。
 麻薬の取引から不法な武器や臓器売買、それに絡む殺しに至るまで、儲かる事なら何にでも手を出しているまさに金の亡者!
 捕まらないのが不思議なくらい。もしかすると、警察にコネがあったりするのかもしれない。


 昼前からすでにうだるように暑いこの日、およそ三十分ほど電車に揺られて、ようやく目的地に辿り着いた。
 林になっているお陰で、ここは暑さが少しだけ和らいでいる。
 一息つきながら辺りを見渡す。

 私は今、薄暗い林にひっそりと佇む、小さな研究施設の正面入り口に立っている。

「こんにちは~、どなたかいませんかぁ?」ボタンを押しながらインターホン越しに声をかけるも、反応がない。
「おかしいな……ここで間違いないと思うんだけど」
 門に掲げられている〝中里新薬研究所〟という名称を改めて確認する。
 額の汗を拭って再度インターホンを押すも、静まり返った敷地内は何の動きもない。

 一歩下がり、二階建ての建物を見上げる。「留守、かな……」

 諦めて引き返そうとした時、インターホンから男の声が聞こえた。『誰だ』
 慌てて振り返る。
「あの!朝霧です。先日お電話で申し込みを……」最後まで言う前に遮られ『ああ、アンタか。ドアは開いてる、入ってくれ』と男が言った。
「はい!……何だ、開いてたの」

 重いドアを開けて中に入ると、建物内はさらに暗く感じた。その何とも言えない雰囲気の中、不安は一気に高まる。
 闇の求人広告の中から、この〝若年女性急募〟に飛びついたのは、何しろ報酬が桁違いだったからだが、ちょっぴり後悔し始める。

 中はひんやりしていて、大の苦手な消毒液のような臭いが立ち込めていた。それも病院のものとはどこか違うようで、思わず生唾を飲み込む。

「失礼しま~す……」
 指定された部屋に入ると、白衣姿の男が回転椅子をクルリと回して私を見た。
「ようこそ。待っていたよ、朝霧ユイさん。中里だ、よろしく」
 中里という男は、声から想像していたよりも強面ではなかった。
 研究者にありがちで陰気な感じだが、顔立ちは整っている。髪がボサボサで清潔感がないところが残念だ。

「そこへ掛けて」
 示された椅子に座った私を、マジマジと眺め回す中里。
「あっ、あの……何か?」
 私は白衣が苦手だ。異様なプレッシャーを感じて、嫌な汗が背中を伝う。

「君は……本当に二十代か?」履歴書に目を通しながら尋ねられる。
「ええ二十一歳ですよ。何なら免許証でも確認します?」
 高校生など間違っても採用されない。そう分かっていたから、またも虚偽申告だ。もちろん免許証なんて持っていない。

「いや失敬。そこまでの必要はない」
 男の納得した様子に、心から安堵した。
「それで、君のような若い女性が、この手の仕事になぜ興味を?」再び紙面に目を戻して質問を続ける。
「新薬の開発に貢献したい、なんて言った方がいい?」

 私の返答に驚いたのか、中里が顔を上げた。
「はっはっは!面白いな、君は。気兼ねはいらん。本音を言ってくれればいい」
「なら。もちろんお金のため。他にある?」さらに続けて「いろいろ掛け持ちしてるの。合間にできたら一石二鳥ね」と調子に乗って答えた。

 すると途端に中里から笑顔が消えた。
 恐怖に押し潰されそうになりながらも、平静を装って足を組む。顎を持ち上げて不安な気持ちを封印し、返答を待つ。

「申し訳ないが、そんな片手間にできるほどこの仕事は甘くはない」
「えっと……あのっ!」
「そのくらい分かるだろ?でなきゃ、一回の報酬に三十万も払う訳がない」

 ここへ来て、初めて恐ろしさを感じた。自分の浅はかさを思い知らされる。

「こちらは決して強制はしない。嫌ならやめてくれて結構だ」黙り込む私に畳みかける。
 ここまで来て引き下がる訳には行かない!「やめません!掛け持ちはやめます、もっと詳しく聞かせてください!」
 私は改めてこの仕事に立ち向かう決意を固めた。

 その後より詳しい内容が伝えられ、この日いくつかの検査を受ける事になった。
 どれも大した検査ではなく、すぐに終わる。

「最後に採血をする。腕を出して」空の注射器を構えた中里が言う。
「え……。注射は苦手なんだけど!」
 本当に注射というものが嫌いだ。白衣も医者も大嫌いなのだが。それなのにこんなバイトなんて?我ながら無謀だ。

「注射じゃない、採血だ」
「針を刺すのは一緒でしょ!」両腕を隠して騒ぐ私に「なら、やめるか」と中里が言う。
「もう……っ!やめませんってば。やってください!」
 観念して右腕を差し出し、きつく目をつぶる。

「待て。……そっちの腕を出してくれ」なぜか、掴んだ右腕を離してそう言う。
「何でよ」
「血管が細すぎる」
 そんな事を言う医者に初めて出会った!
「そうかしら」自分の右腕を眺めながら呟く。

「言っただろう、俺は研究者で、医療行為はしない。わざわざ面倒な事はしない主義なんだ」終始ぶっきら棒の中里。
「何それ!先が思いやられるわ……」


 こうして三日後。再び中里の研究所を訪れる。

「朝霧さん。おめでとう、健康面では問題ない。ただ……」
 健康面には自信があったので当然の結果なのだが。
「ただ、何?」私を見て口籠もる彼に、強気で聞き返す。

「君の血液型が、少々引っ掛かってね」
「確かに私はRHマイナスよ。でも、それほど特殊っていうのでもないでしょ」
「ああ。二百人に一人はいる計算だな」表情を変えずに答える。
「で、何が引っ掛かるっていうの?」

 幼い頃から、ケガにだけは注意するようにとは言われてきた。それが何か影響するのか。だとしたら予想外だ。

「まあ……いいだろう。合格だ」中里が考えた末に言った。
「それは良かった。是非お願いします。今すぐにでも!」安堵の息と共に答える。
 そんな私を、中里が無表情で見つめて言う。「最後に一つ、確認事項がある。とても重要な事だ」
「何ですか?」まさか、死ぬ覚悟でも聞かれるのか?

「この行為は、少なからず君の将来に影響を及ぼすだろう。特に、不妊になる可能性などだが……」
 言いにくそうに話す中里をよそに、「それなら問題ない。そういう平凡な幸せを望んでないから」とすぐさま答えた。
 十代にして、すでに人並みの幸せなど求めていない。その理由はもちろん私の実家、朝霧家にある。

 彼は目を細めただけで何も答えなかった。

 しばらくすると、中里は私に背を向けて引き出しから何かを取り出した。下を向いて何やらしている様子。
 横から覗き込むと、大きなアメ玉を口に放るところだった。

「お前も、……食うか?」私の視線に気づいて聞いてくる。
「遠慮するわ」
 この大事な話の最中にそれ?空気の読めない男!そう罵りたい気持ちでいっぱいになるも、体中の力が一気に抜けた。

 彼からは終始、口の中でアメ玉が転がるコロコロという音が聞こえる。
「で。ど、う、な、の!」
 堪り兼ねて声を荒げると、ようやく振り返って彼が立ち上がった。
 その頬は、アメ玉が作る膨らみでおかしな具合に変形していて、思わず噴き出してしまった。
「ぷ……っ!ねえ、ふざけてるの?」笑いながらも、次第にイラ立ちが募って行く。

「いいあ。まっかく。おえはちゅねに、しんけんら」
 確かにその表情は真剣そのもの。でも、デカいアメ玉のせいでちゃんと話せてない!
「そえれ、げんじゃいのしごろは?」
 話題が質問に変わるも、やっぱりちゃんと話せていない。

「仕事?」自分が二十一歳と名乗った事をうっかり忘れていた。
「掛け持ち、の件なんらが」
「ああ……それね!問題ない。宣言通り辞めてきた」
 レストランのバイトは早々に辞めた。学業の方は辞める訳には行かないが。

「結構。であれば、もんらいは特に……」
 彼が話している途中に割り込む。
「確認だけど、もしかして毎回血液検査とかやるの?」恐る恐る尋ねた。
 この人に毎回注射されるのは遠慮したい!
「注射はきらいらったな。じゃあ、やっぱりやめるか?」

 一瞬無言になる私に、「子供じゃあるまいがね」と吐き捨てるように続ける。
「やめないってば!ただの確認よ!」

 マズイ。こんな調子じゃ二十一歳には見えないかもしれない……自分の言動を思い返しては反省するのだった。


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