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玄関を開けたのは、深夜零時を回っていた。
リビングでは相変わらず、テレビがうるさく鳴っている。
その前のソファーでは、夫がいびきをかいていた。
私はそれを無視し、息子の部屋の前に立つと、キッチンから持ち出したフライパンを、ドアノブに叩き付けた。
「開けなさい! ケンタ! 出てきなさい!」
喚きながら何度もフライパンを振り下ろす。
だが、息子が部屋から出て来る様子はない。
代わりに、さすがに気付いたのか、夫が現れ私を咎めた。
「何時だと思ってるんだ!」
しかし夫は、私の顔を見て、凍り付いたように言葉を切った。
私は再び、フライパンをドアノブに振り下ろした。
すると、不快な音がして、ドアノブが廊下に落ちたから、私はドアを蹴り開けた。
……ちょうど息子が、天井に吊るしたベルトに、首を掛けたところだった。
私は彼に駆け寄り、椅子から引きずり下ろし、床に押し倒しすと、息子に馬乗りになり、拳で殴った。
「馬鹿! 逃げるな! 卑怯者!」
頭と言わず肩と言わず背中と言わず、構わず殴り続ける。
「おまえのせいで! おまえのせいで、母さんがどんな気持ちなのか、分かるのか! 家族が壊れたのから逃げるのか! 卑怯者!」
拳が裂け、血が滲む。
息子に深い怪我はないが、私の血で、彼の肌は赤く染まっていく。
「自分で始末をつけろ、馬鹿息子! おまえは、おまえは……ッ!」
「もう、やめなさい」
夫が私の腕を掴んだ。
その途端、体じゅうの力が抜けて、私は床に崩れ落ちた。
……その後、家族三人で、何もない食卓で顔を向き合わせる事になった。
夫の手当てを受け、私は不器用に包帯の巻かれた手を、隠すように膝に置いた。
事情は説明した。
顔じゅうに青あざのある息子よりも、夫の方が青白い顔になった。
「何て事をしたんだ……!」
「騙されたんだ」
反抗する気力もない様子で、息子はボソリと答える。
「俺が誘った奴が、あいつらとグルだったんだ。そいつは敢えて、犯行には参加せずに、逃げたら俺に誘われた事を学校に言うって……」
狡猾なやり口だ。
居場所を奪い、逃げ場をなくし、奴隷のように悪事に手を染めさせる。
私はつい口を挟んだ。
「どうして母さんに言わなかったの?」
「母さんが泣くのを、見たくなかった」
俯くその顔は、悪戯を隠しきれずに白状した、優しい息子のままだった。
「だが、お金の持ち逃げなんかを、なぜ……」
「一千万なんて大金、使える訳がないわよね。ね、まだ持ってるんでしょ? 出しなさい」
しかし、息子は涙を流して首を横に振った。
「俺をいじめてた奴らに、取られた……」
絶望的な状況に、色を失っていた夫の顔色は、更に紙のように白くなった。
「あの計画は元々、あいつ……さっき、母さんが会ったあの男が、組織に内緒でやったのを、横取りしたんだよ。あいつ、言ってたんだ。上の組織に半分持ってかれるから、たまにこっそりやるんだと。それを、先輩――いじめグループのリーダーだよ――そいつが知ってて、横取りしようと言い出したんだ。横取りしたって、上には言えない金だから大丈夫だって……」
狡猾な者の元には、より狡猾な者が寄るのだ。
純粋な息子が取り込まれたら、抗う術などなかっただろう。
「しかし、どうするんだ一体……」
一方、夫は頭を抱えて悶えている。
「一千万もの金を、どうやって用意すればいい? この家にはローンも残ってるし、売ったところで大した金にはならない。退職金も端金だったし、借りるにしても、俺は無職だ。警察に言ったところで、そんな組織の手から助かるとは思えない」
「そうでしょうね。詐欺の捜査から逃れたくらいだもの、うまく逃げて、報復に来るわ。それに……」
息子をこれ以上、罪人にしたくない。
「夜逃げはどうだ?」
「簡単にいくものじゃないわ」
私はそう答えてから、顔を上げた。
「腎臓を売ればいいのよ」
その言葉に、息子と夫は目を見張った。
「おまえ……」
「ケンタは身から出た錆よ。覚悟しなさい。あなたも、健康診断の結果だけはいいんだから、ね。もちろん、私も。可愛い我が子のためだもの、腎臓だろうが肝臓だろうが、痛くなんてないわ」
絶句して顔を見合わせた息子と夫だったが、やがてゆっくりと頷いた。
「そうと決まれば、明後日――実質明日ね、それまで待つのは得策ではないわ。そこでゴネられたら、期限を守らなかったと利息を付けられるかもしれない。……ケンタ、連絡取れるんでしょ? あいつに連絡しなさい」
しばらく躊躇していた息子だが、私たちの決意の前に逃げ場はないと観念したのか、スマホを操作した。
その手が震えているのが見て取れる。
やがて、電話が繋がったようで、息子は部屋の隅に向かった。
「はい……はい……」
消え入りそうな声で返答をするその様子から、相当きつく脅されているようだった。
やがて電話を切った息子は、私たちを振り返った。
「明日、待ち合わせる事になったから」
「どこで?」
「町内の北の端にある古い洋館。あそこが、グループのアジトだったんだ。一度捜索を受けてるから、逆に安全だろうと」
「すぐ近くじゃないの」
私は唖然とした。まさか、こんな近くに犯罪者がたむろするアジトがあったとは。
「明日の夜、父さんと母さんと僕の腎臓で、あの一千万を払いたいって、お願いしてくる」
リビングでは相変わらず、テレビがうるさく鳴っている。
その前のソファーでは、夫がいびきをかいていた。
私はそれを無視し、息子の部屋の前に立つと、キッチンから持ち出したフライパンを、ドアノブに叩き付けた。
「開けなさい! ケンタ! 出てきなさい!」
喚きながら何度もフライパンを振り下ろす。
だが、息子が部屋から出て来る様子はない。
代わりに、さすがに気付いたのか、夫が現れ私を咎めた。
「何時だと思ってるんだ!」
しかし夫は、私の顔を見て、凍り付いたように言葉を切った。
私は再び、フライパンをドアノブに振り下ろした。
すると、不快な音がして、ドアノブが廊下に落ちたから、私はドアを蹴り開けた。
……ちょうど息子が、天井に吊るしたベルトに、首を掛けたところだった。
私は彼に駆け寄り、椅子から引きずり下ろし、床に押し倒しすと、息子に馬乗りになり、拳で殴った。
「馬鹿! 逃げるな! 卑怯者!」
頭と言わず肩と言わず背中と言わず、構わず殴り続ける。
「おまえのせいで! おまえのせいで、母さんがどんな気持ちなのか、分かるのか! 家族が壊れたのから逃げるのか! 卑怯者!」
拳が裂け、血が滲む。
息子に深い怪我はないが、私の血で、彼の肌は赤く染まっていく。
「自分で始末をつけろ、馬鹿息子! おまえは、おまえは……ッ!」
「もう、やめなさい」
夫が私の腕を掴んだ。
その途端、体じゅうの力が抜けて、私は床に崩れ落ちた。
……その後、家族三人で、何もない食卓で顔を向き合わせる事になった。
夫の手当てを受け、私は不器用に包帯の巻かれた手を、隠すように膝に置いた。
事情は説明した。
顔じゅうに青あざのある息子よりも、夫の方が青白い顔になった。
「何て事をしたんだ……!」
「騙されたんだ」
反抗する気力もない様子で、息子はボソリと答える。
「俺が誘った奴が、あいつらとグルだったんだ。そいつは敢えて、犯行には参加せずに、逃げたら俺に誘われた事を学校に言うって……」
狡猾なやり口だ。
居場所を奪い、逃げ場をなくし、奴隷のように悪事に手を染めさせる。
私はつい口を挟んだ。
「どうして母さんに言わなかったの?」
「母さんが泣くのを、見たくなかった」
俯くその顔は、悪戯を隠しきれずに白状した、優しい息子のままだった。
「だが、お金の持ち逃げなんかを、なぜ……」
「一千万なんて大金、使える訳がないわよね。ね、まだ持ってるんでしょ? 出しなさい」
しかし、息子は涙を流して首を横に振った。
「俺をいじめてた奴らに、取られた……」
絶望的な状況に、色を失っていた夫の顔色は、更に紙のように白くなった。
「あの計画は元々、あいつ……さっき、母さんが会ったあの男が、組織に内緒でやったのを、横取りしたんだよ。あいつ、言ってたんだ。上の組織に半分持ってかれるから、たまにこっそりやるんだと。それを、先輩――いじめグループのリーダーだよ――そいつが知ってて、横取りしようと言い出したんだ。横取りしたって、上には言えない金だから大丈夫だって……」
狡猾な者の元には、より狡猾な者が寄るのだ。
純粋な息子が取り込まれたら、抗う術などなかっただろう。
「しかし、どうするんだ一体……」
一方、夫は頭を抱えて悶えている。
「一千万もの金を、どうやって用意すればいい? この家にはローンも残ってるし、売ったところで大した金にはならない。退職金も端金だったし、借りるにしても、俺は無職だ。警察に言ったところで、そんな組織の手から助かるとは思えない」
「そうでしょうね。詐欺の捜査から逃れたくらいだもの、うまく逃げて、報復に来るわ。それに……」
息子をこれ以上、罪人にしたくない。
「夜逃げはどうだ?」
「簡単にいくものじゃないわ」
私はそう答えてから、顔を上げた。
「腎臓を売ればいいのよ」
その言葉に、息子と夫は目を見張った。
「おまえ……」
「ケンタは身から出た錆よ。覚悟しなさい。あなたも、健康診断の結果だけはいいんだから、ね。もちろん、私も。可愛い我が子のためだもの、腎臓だろうが肝臓だろうが、痛くなんてないわ」
絶句して顔を見合わせた息子と夫だったが、やがてゆっくりと頷いた。
「そうと決まれば、明後日――実質明日ね、それまで待つのは得策ではないわ。そこでゴネられたら、期限を守らなかったと利息を付けられるかもしれない。……ケンタ、連絡取れるんでしょ? あいつに連絡しなさい」
しばらく躊躇していた息子だが、私たちの決意の前に逃げ場はないと観念したのか、スマホを操作した。
その手が震えているのが見て取れる。
やがて、電話が繋がったようで、息子は部屋の隅に向かった。
「はい……はい……」
消え入りそうな声で返答をするその様子から、相当きつく脅されているようだった。
やがて電話を切った息子は、私たちを振り返った。
「明日、待ち合わせる事になったから」
「どこで?」
「町内の北の端にある古い洋館。あそこが、グループのアジトだったんだ。一度捜索を受けてるから、逆に安全だろうと」
「すぐ近くじゃないの」
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