久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
上 下
80 / 82
第伍話──箪笥

【捌】箪笥

しおりを挟む
 その足で桜子を浅草に送り、零とハルアキは事務所に戻ったのだが。
 午後のやわらかい日差しに照らされた応接の長椅子で向き合い、二人は黙り込んでいた。

 零が慶司の手に呪符を当てたのは、「あやかしに取り憑かれているかを確かめるため」である。
 あの呪符は、結界を張る時にも使うものだ。しかし零の扱う結界は少々特殊で、「あの世のこの世の狭間」を作り出すものである。そのため、何もない場所に結界は張れない。妖の気配が必要なのだ。
 つまり、触れたものに妖の気配がなければ、呪符は反応を見せない。だが、慶司の手に触れた途端、呪符は反応を見せた。

 その点をハルアキに伝えたところ、だが彼はこう答えた。
「あやつが取り憑かれているのではなく、あの屋敷自体が怪異けいの術中であると考えた方が良い」

 怪異けいとは、妖が為す、人の世では起こり得ない現象。
 そのような現状を起こす妖を、零は『鬼』と呼ぶ。
 人にとって害のない妖に対し、鬼は害を為す存在――それを滅するのが、彼の使命だ。

 要するに、あの屋敷に踏み入れた途端、何が起きてもおかしくない状況だったのだ。
 桜子が「気持ち悪い」と言っていたのも無理はない。彼女は人一倍、そういう気配を感じやすいのだから……そんな彼女が、妖に取り込まれなかっただけ幸運だったと言うより他にない。

 だが今のところ、それを「鬼」と呼ぶまでの怪異は起きていない。しかし慶司が既に妖の意のままにされているのであれば、放っておく事はできないし、この先、何も起こらない保証はない。

 零はハァと息を吐き、背もたれに身を預けた。
「この先は、桜子さんを巻き込む訳にはいきませんね」
「じゃが、未だ怪異の正体が見えぬ。如何いかがする気じゃ?」
 ハルアキは長椅子に胡坐をかき、零の淹れた紅茶にたっぷりと蜂蜜を溶かす。零の使命云々をハルアキは知らないが、何度も妖退治の場に居合わせているため、彼が何を必要としているか程度は理解しているのだ。

 天井の木目を眺め、零は答えた。
「その箪笥の中を、見てみたいですね」
 蛾に変化していたハルアキは、さすがに扉は開けなかったようだ。スプーンでカップをぐるぐると混ぜながら、チラリと零に視線を送る。
「あやつは屋敷の中を見られまいとしておる。雨戸が閉め切りなのもそのためじゃろう。どうやって奥座敷まで入るのじゃ」
「そこなんですよね……」
 零は顎を撫で、硝子窓の外を飛び回る羽虫に目を移した。
「ハルアキみたいに変化できるといいのですが……」

 そう言ってから、彼はふと顔をハルアキに向けた。
「――そう言えば、前、桜子さんを甲虫カブトムシにしてましたよね?」
太裳たいもの変化の術を自らに掛けるか他者に掛けるか、それだけの違いじゃからな」
 太裳とは、ハルアキの使う式神『十二天将』のひとつ。彼が最も頻繁に使う式神で、『変化へんげ』の術を使う。
 それを聞き、零はニヤリとした。
「一度に術を掛けられるのは何人まで?」
「以前は一人じゃったが、今なら十人はいけるじゃろう。じゃが、耐性のない者に掛ければ、その者は意識を失い、変化したものの本能に操られるぞ」
「耐性のある者なら?」

 ……つまりは、零である。十二天将の内でも髄一の扱い辛さである天一貴人てんいつきじん形代かたしろにされても平気だった彼が、変化の術程度で我を失うとは考えにくい。

 ハルアキはじっと零を見返す。
「何に化けるのじゃ?」
「警官です」
「…………」
「どうせなら、桜子さんにバレる前、今晩辺りにやってしまいましょうか」
 零はニヤニヤと顎を撫でた。


 ◇


 その晩の事。
「すいません! すいません!」
 柴又の久世邸の戸を、二人の警官が叩いた――変化した零とハルアキである。
 眠気まなこを擦りつつ現れた慶司は、夜回りの巡査二人を見て目を丸くした。
「ど、どうしたんですか?」
「すぐそこで空き巣がありまして、犯人がこちらの方へ逃げたものですから、この辺りのお宅を確認して回っております」
「…………」
「お宅の中を拝見してよろしいでしょうか?」
 押し入ろうとする背の高い方の警官――零を、だが慶司は両手で押しとどめた。
「そ、それは困ります。こんな夜中に、迷惑です」
「お時間は取らせません。すぐ終わりますから」
「で、ですが、奥で、妻が臥せっておりますし……」
「もしや、犯人を匿っているのではあるまいな」
 背の低い方の警官――ハルアキに睨まれ、慶司は顔色を変えた。
「そ、そんなバカな!」
「なら、拒む理由はあるまい」
「安倍巡査、そんな言い方は良くありません……もしかしたら、犯人が彼を人質に取って立て籠もっているかもしれませんし」
 零は慶司の肩越しに奥を覗き込む。
「違いますよ! 私の他に誰もいません!」
 慶司がそう声を上げたのを聞き、零はしてやったりとばかりにニヤリとした。
「おや? 奥様がいらっしゃるというお話では?」

 言葉に詰まった慶司を押し退け、零は玄関に踏み込んだ。
 左手に懐中電灯、右手に警棒を持った二人は、土足のまま屋敷に上がり込む。そして手分けをする格好で、零は居間へ、ハルアキは奥座敷へと向かった。
「ほ、本当に、空き巣などいませんから……!」
 慶司が迷わずハルアキを追うのを見て、零はやはり……と部屋着姿の背を見送った。よほど奥座敷を見られたくないのだろう。
 一応格好だけ、零は他の部屋も覗いて回る。だが何処いずこも居間と同じで、何もない埃っぽい空間があるだけだ。押し入れを開き懐中電灯を向けてみても、隅々まで何ひとつ置かれていない。徹底極まる簡素さは、異様を通り越して不気味ですらある。

 一方、ハルアキは盛大に捜索しているようだ。ゴトゴトと派手な物音がする。
「この襖か?」
「こ、ここは納戸です」
「何も置いていないではないか。ならば、この戸が怪しい」
「便所です……」
「そうとなれば、ここか!」
「そ、そこは……!」
 どうやら、奥座敷に踏み込んだようだ。ハルアキは大きく声を上げた。
「この大きな箪笥は何だ?」
 それを合図に、零も奥座敷へと向かう。

 屋敷の中心を貫く廊下の突き当りが奥座敷となっている。寝所として使われているここだけは修繕したらしく、埃っぽさがない。青々とした畳に一組の布団が敷かれ、その横に、これまた真新しい、大きな観音開きの洋箪笥が一さおポツンと佇んていた。
 桐板と飾り金具でこしらえてある、嫁入り道具としてはごく一般的な形の洋箪笥。上部の七割を観音開きが占め、下に二段の引き出しが付いている。

 それにも関わらず、お玉の姿などどこにもない。

 トドメを刺すような調子で、ハルアキがのたまう。
「ここなら大人一人は隠れられそうだ。おい、開けてみよ」
 顎で指図され、半ば苦笑しつつ零が前に出る。すると、慶司がハルアキを突き飛ばすようにして彼を遮った。
「な、何の権限があるんだ! 空き巣などいない! 勝手に開けるな、ゆ、許さないぞ!」

 箪笥に張り付くように阻止する彼の姿に、零とハルアキは顔を見合わせた。これでは「この中に隠しているものがある」と白状しているようなものだ。
 ハルアキは顔を戻し、慶司の鼻先に警棒を突き付けた。
「どうしても拒むのなら、公務執行妨害で逮捕するぞ」
 ハルアキはノリノリである。しかし、こういう恫喝どうかつは交渉の材料として得策でないのを零は知っていた。
「や、やれるモンならやってみろ!」
 と居直られては、こちらが困るのだ。

 零はハァと息を吐き、ハルアキに横目を向けた。
「安倍巡査、彼は久世伯爵のご子息ですよ。そのような無礼な物言いをしてはなりません」
「しかし、この箪笥に空き巣が隠れているやもしれぬのじゃぞ……だぞ!」
「仕方ありません、ここは引きましょう……いや、大変な失礼をいたしました」
 零は頭を下げる。すると慶司はいくらか安堵した表情を浮かべ箪笥から離れた。
「なら、さっさと出て行ってください」
 慶司は憤った声でそう言い、不満げな顔を浮かべるハルアキの背を押す――その隙に、零は箪笥を開いたのである。

 ――しかし、その中はがらんどうで、何も入っていなかった。

 零の行動に気付いた慶司は、烈火の如く怒鳴り声を上げた。
「貴様ら! ふざけるなよ、訴えてやる!」

 これ以上はまずいと悟った二人は、そそくさと屋敷を後にした。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。 架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。