上 下
79 / 82
第伍話──箪笥

【漆】帝釈天

しおりを挟む
 ――翌日。
 柴又駅を降りた零は、桜子と連れ立ってとある場所に向かった。
 帝釈天への参道を外れ、江戸川に向かいしばらく行った場所。田んぼと竹藪に挟まれた場所に、その屋敷はあった。

 芝垣に囲まれた趣き深い和建築。本家ほんやというより、金持ちが道楽に建てた別宅のような印象だ……二号を囲っておくような。
 用途としては間違っていないのだろうが、伯爵家の御曹司の新邸としては、いささか不釣り合いに見える。

 芝垣に身を潜ませ、桜子が首を伸ばし屋敷を覗いた。
「ね、ちょっとおかしな感じじゃない?」
 桜子が少し屈まなければならない高さの芝垣だ。零はほとんど中腰になりそっと目を出す。
「確かに……上等な建築が、これでは台無しです」

 金持ちが道楽に建てた別宅……そういう趣向のため、軒や土壁にも洒落た造形が施されているのだが、手入れされていないため黒ずんでいる。窓を覆う雨戸は、開いた事がないかのように苔で緑色だ。建物に見合うよう拵えられた坪庭も、松は伸び放題、草が生い茂って庭石を隠してしまっている始末。まるで空き家のような有様だ。桜子の言う通り、「生活感がない」というのも頷ける。

「気になるわよね」
 零の袖を引っ張り、桜子がキリッと輝く目を彼に向けた。
「潜入するんでしょ? 何か方法は考えてあるの?」
「ええ、まぁ」
 と、零は懐から封筒を出した。
「ご母堂からお預かりした依頼金を返しに来た、という名目で」
「なるほど、それなら怪しまれずにいけるわね」
「しかし、相手は殺人犯かもしれないんですよ?」
 零は忠告するが、桜子は気にもしない。
「大丈夫よ、私を誰だと思ってるの? 靴べらが一本あれば、盗賊団だってやっつけるんだから」
 桜子は背を伸ばし、門を向き前を指した。
「いざ、参らん!」


 ◇


 玄関の格子戸から顔を覗かせた久世慶司は、二人の顔を見ると一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐにあからさまに不快な表情を浮かべた。
「関わらないでくれと言ったでしょう」
「しかし、お母上様にお預かりした依頼金だけはお渡ししなければと」
 零は懐から、それなりに厚みのある封筒を覗かせた。それに目を向け、慶司はゴクンと唾を呑むように喉を鳴らす……やはり、金には困っているようだ。

 この時代、「華族」というだけで安泰に暮らしていける世ではない。父母の代からして、資産を切り崩してやりくりしていたのだ。九段坂の洋館を売った金が入るという目論見もあったのだろうが、五人も惨殺された上、犯人も見付からぬ屋敷が、思うように売れたとは思えない。
 彼の生活力のなさが、この屋敷に現れているのだ。

 現に、彼の着ているものからしてみすぼらしいものだった。元は上等そうな絹の着物ではあるが、虫食いやほつれ、綻びが目立つ。それをだらしなく纏った様子は、とても伯爵家の御曹司とは思えない。

 そんな慶司は無言で封筒に手を伸ばした。しかし零は、サッとそれを懐に戻す。
「いやあ、まだ五月というのに暑いですねぇ。駅から歩いてきただけで喉が渇いてしまいました。申し訳ありませんが、お水を一杯、頂けませんでしょうか」

 ――渋々通された、玄関のすぐ脇の部屋は、本来は居間として使われる場所のようだった。とはいえ、家具らしいものは何もない。埃を被った床の間と、色褪せた畳が敷かれているだけである。しかも、雨戸が閉まっているから真っ暗で、慶司が壁のスイッチを捻って電灯を点けなければ、何も見えない有様だ。淀んだ空気は埃っぽく、これからの時期はカビ臭さも加わりそうで、他人事ながら慶司の健康状態が心配になってくる。
 そんな部屋に一歩足を踏み入れた途端、桜子があからさまにどきまぎと部屋を見回すから、零は軽くゴホンと咳払いをした。
「水を持ってきます」
 慶司がそう言って奥へ向かう。零は桜子を導き、窓の前に座った。

「……本当にこんなところに住んでるのかしら?」
 座った途端、桜子はブルッと身震いして零に顔を寄せた。
「気味悪いを通り越して、あり得ないわ……いやに寒いし」
 彼女は二の腕を擦る。
「どうやらお手伝いさんもいないようですね。お公家さまですから、生活の仕方が分からないのかもしれません」
「でも、窓の開け方くらい分かるでしょ」
 と窓を振り向いた途端、大きな蛾が羽ばたいて、桜子はキャッと短く悲鳴を上げた。
「へへ変な虫とか、出ないわよね」
「怖いんですか、虫」
 悪戯っぽく零が聞くと、
「虫や蛇が嫌いだから田舎を飛び出して東京に来たって話、しなかった?」
 と、桜子は肩を竦めて零に身を寄せた。

 蛾はひらひらと電灯の周囲を一周し、戸口から廊下に出て行く。それを見送りながら、零は心の中で呟いた。
「よろしく頼みますよ……ハルアキ」

 ――あの蛾は、ハルアキが式神により変化へんげした姿だ。素直に屋敷の中を見せてくれるとは到底思えず、偵察に連れて来た……いや、勝手について来た。
 彼はどうも桜子にライバル心を燃やしているとみえ、彼女の活躍に勝る活躍を見せたいと、出掛ける際、零の着物の柄に同化してくっついてきたのだ。
 とは言え、現状、彼のライバル心が非常に役立ちそうなのは否定できない。この部屋からでは、屋敷の中の様子が分からない。とりあえず、お玉の所在を確認事が分かれば、こちらの目的は達したとしていいだろう。
 後はハルアキに任せよう。

 すると、蛾と入れ違いに慶司が戻ってきた。
「どうぞ」
 と差し出された湯呑には、確かに水が入っている……が、湯呑は欠けて黒ずんでおり、楢崎家の飼い猫であるクロの水飲みよりお粗末な有り様だ。
 桜子は薄ら笑いを浮かべたまま手を伸ばさない。
「わ、私はそんなに喉は乾いてないかな……」
 と零に横目を向けるから、彼は覚悟を決めざるを得なかった。
「いただきます」
 一気に水を喉に流し込み、
「いやあ助かりました」
 と、白々しく言い放った。

「ところで、お一人でお住まいなんですか?」
 湯呑を返すついでにシレッと尋ねると、明らかに慶司の様子がおかしくなった。目を泳がせ、落ち着きなく膝を揺らす。
「つ、妻は、悪阻つわりで寝ています……奥で」
「それは大変ですね。家の事も慶司さんがなさっているのですか」
「ええ……もういいですよね。あの、お金を」
「あぁ、申し訳ありません」
 零は懐から取り出し、差し出された慶司の手に置いた。

 ところが、それは封筒ではなかった。何やら複雑な文字が書き込まれた呪符……それが慶司の手に触れた途端、文字が蠢くように動いたものだから、慶司も桜子も目をみはった。
「え……!?」
「あぁ、これは失礼」
 慌てた様子で、零は呪符を懐にしまう。
「依頼の内容によっては、悪霊祓いのような事もいたしますので、その道具です」
「で、でも、今、字が動いたわよね?」
 桜子が突っ込むが、零は笑顔を返した。
「見間違いではありませんか?」
「そ、それもそうね……」
 無理矢理納得しようとしている桜子を後目に、零は今度こそ封筒を出し、慶司に差し出した。
「お邪魔してしまいました。ではこれで失礼いたします」


 ◇


 ――帝釈天門前の茶店。
「あーもう、気持ち悪いったらありゃしない」
 と、桜子は何度も袖を払う素振りをしてから、おかめそばを啜った。
「部屋が薄暗いから、物陰に変な虫がいるんじゃないかって思って、気が気じゃなかったわ」
「それはお気の毒でしたね」
 零もざるそばに箸を付け、「しかし……」と桜子に目を向けた。

「花嫁は、いないでしょうね」

「同意ね」
 桜子は頷きながらかまぼこを齧る。
「あんなところで寝てたら、赤ちゃんを産む前に病気になるわ」
「左様……しかし、そうすると、花嫁――お玉さんは、はどこにいるんでしょう?」

 しばし二人の間を沈黙が包む。
 慶司の言葉に嘘がある以上、この先に明るい展望があるとは思えない。

 やがて桜子は、丼をに口を付けてつゆを飲み干した。
「それにしても、お玉って芸者さん、それなりに売れっ子だったみたいだし、幾らでも相手を選べたでしょうに。どうしてあんな冴えない男を選んだのかしら?」
 すると、二人の脇で誰かが答えた。
「母性本能をくすぐられた、といったところじゃろうて」

 聞き覚えのある声はハルアキのものだ。
「虚栄心にまみれた花街で生きる芯のある女子おなごほど、どうしようもない駄目男にコロッといくものじゃ」
 と、彼は桜子の横に座った。
「知ってるような言い草ですね」
 零が細い目を向ける。するとハルアキは目を背け、壁のお品書きを指した。
「余もおかめそばが良い。草団子も忘れるでないぞ、二皿じゃ……それと、あんみつも」
「はいはい……って、なんでガキンチョがここにいるのよ?」
 桜子が不審そうに眉を寄せる。だがハルアキは得意気に腕組みをした。
「偵察じゃ。二人とも役に立たぬ故」
「はあ?」
「まぁまぁ……実を言うと、慶司さんの注意を我々に向けた隙に、ハルアキが忍び込む手筈だったんです。子供ですから、もし見付かっても怒られるだけで済みますし」
 零が苦笑を浮かべてそう誤魔化すと、桜子は一応納得したようだ。
「で、どうだったの? あの屋敷の中は」
 と、彼女は興味津々な目をハルアキに向ける。

 すると、先に出された草団子を摘み、ハルアキは答えた。
「あの屋敷、少々おかしな造りになっておる」
「おかしな造り?」
「台所がない」
 零と桜子は顔を見合わせた。
「確かに、普通あり得ないわね……」
「すると、先程出された水は……」
「便所の手洗いかもしれぬぞ」

 零が複雑な顔で口に手を当てるが、ハルアキは構わず、運ばれてきたおかめそばに箸を付けた。
「おかしいのはそれだけでない。何もないのじゃ」
「どういう事?」
「箪笥じゃ」
「箪笥?」
「あの屋敷にある家具らしいものは、奥座敷に置かれた大きな嫁入り箪笥、それきりなのじゃ」
しおりを挟む
ファンタジー要素なしの本格ミステリな番外編
百合御殿ノ三姉妹(R-18)(完結)
も、宜しくお願いいたします♪
感想 8

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。