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第伍話──箪笥

【壱】透明ナ花嫁

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 久世くぜ伯爵邸は、千代田の宮城きゅうじょうからほど近い九段坂のきわにある。
 白壁の明るい外装は、煉瓦造りの「山茶花さざんか御殿」のような落ち着きとは趣きが異なるが、元公家くげの家柄だけあり、気品が漂っていた。

 アラベスクの門構えの前で建物を見遣り、犬神いぬがみれいは隣の淑女に囁いた。
多ゑたえさんの話では、気さくな方だそうですよ。少し身構え過ぎではありませんか?」

 すると、ボンネット帽にビジティング・ドレス姿の椎葉しいば桜子さくらこがオホンと咳払いをする。
「だ、だって、お公家様でしょ? 失礼があってはいけないもの」

 「着て行く服がない」と、零が居候をする山茶花御殿の女主人・楢崎ならさき多ゑの若かりし頃の洋服を借りたのだが、大正も十年を過ぎたこの帝都で、明治の礼装は悪目立ちが過ぎる。

 しかし彼女はそれどころではないようで、長いスカートを何度も確認してから背筋を伸ばした。
「ご、ご挨拶は確か、スカートを軽くつまんで、膝を曲げるのよね」
 零は苦笑して自分の着物の袖を摘んで見せる。
「舞踏会じゃあるまいし。私はこの通り普段着です」
 すると桜子は横目で睨んだ。
「それ、女物の古着なんでしょ? 幾ら何でも失礼よ」

 顔がいい以外は身だしなみというのに全く気遣いのない零である。いつも通り、長髪を乱雑に束ね、派手な着流しに煙草入れをぶら下げた格好だ。
 こんな格好をして「探偵」を自称するものだから、大抵、胡散臭い目を向けられる。だが、本人は気にする様子もない。
「いいですか、これは仕事なんですよ。着慣れた格好が一番です――さ、行きますよ」
 彼はそう言うと、門扉のノッカーを叩いた。


 ◇


 久世伯爵夫人は、五十そこそこのふくよかな貴婦人だった。細かな柄の丹後ちりめんの着物は少々若作りであり、元公家と言えど、昨今の不景気には勝てぬとみえる。
 通された応接間も不景気さを物語っており、華麗な壁紙に対して、家財道具は寂しいほどに簡素だった。恐らく、持ち物を売り崩してやりくりしているのだろう。南向きの飾り窓の前に置かれた芍薬シャクヤクの花だけが、この場で栄華を誇っていた。

 メイドが運んできた煎茶に口を付けたところで、久世夫人は口を開いた。
「楢崎夫人からお噂はかねがねお伺いしております」
 と、彼女は朗らかな笑みを浮かべた口元を扇子せんすで隠す。
「犬神零と申します。どうぞお見知り置きを」
 名刺を差し出すと、彼女はホホホと笑った。
「それにしても、何とまあお美しいお顔立ちですこと」
 ご機嫌な様子の久世夫人に対し、彼女の向かいのソファー、零の横に座る桜子は不機嫌になる……容姿に自身のない彼女は、絶世と呼べる類の美男である零と比べられるのを嫌がるのだ。
 軽く肘で小突かれ、零は苦笑を浮かべた。
「多ゑさんから大体の事情は伺っております。ですが確認の為、依頼内容を詳しくお聞かせ頂けますか?」
「えぇ……お恥ずかしい話ですけれど、息子の嫁を探して欲しいのです」

 ――久世夫人の話を要約するとこうだ。
 半年前に一人息子の慶司けいじが結婚し、何処どこぞに新邸を構えたのはいいのだが、新邸の場所はおろか、嫁の顔も名も知らぬというのだ。

「いつかはこの屋敷を継いでもらわねばなりませんから、何度も嫁に会わせてくれと申しているのですが、いつもはぐらかされてしまって」
「あの……」
 と、ここで桜子が口を挟んだ。
「結婚式はどうなさったのですか?」

 彼女の役割は探偵助手。しかも、なかなかに洞察が鋭いため、零は近頃、面倒がありそうな案件には桜子を連れて行く事にしている……むしろ、そうしないと後が面倒なのもある。

 すると、久世夫人は困ったように眉を下げた。
「実を申しますと、既に身篭っているのです」
「おや……」
「ですので、大きな腹で式を挙げるのもみっともないと、出産してからという話になっておりますの」

 零と桜子は軽く視線を交わし、
「それは失礼を」
 と頭を下げた。

「お孫さんが産まれるのはいつ頃で?」
 零の問いに、久世夫人は応接間の傍らに置かれた衣紋えもん掛けを示した。そこにあるのは、純白の産着である。
「多分来月には。初孫ですもの、特注で作らせましたのよ」
 見るからに滑らかな正絹に、花菱亀甲はなびしきっこうの織り模様が施されている。自分の着物を諦めても、孫には良いものを着せたいという親心だろう。
「納屋に乳母車も用意してありますの。男の子か女の子か分かり次第、お節句の人形も注文する手筈になっておりますのよ」

 そこで桜子が小さく手を挙げた。
「失礼ながら、そういうのは本来、お嫁さん側が用意なさるものでは」
 なかなかズケズケとものを言う……と、零は冷や汗混じりに久世夫人を見る。
 すると彼女は笑顔を消した。その様子に慌てたのは桜子だ。
「あ、あの、うちの両親が昔人間で、その、田舎だし、そういうのにうるさくて……余計な事を言ってすみません」
「いえ、構いませんわ。そう思われるのが当然ですもの」
 久世夫人は湯呑を静かに飲み干し、テーブルに置く。
「ここから先は、世間体がありますので、何卒なにとぞご内密にお願いいたします」


 ◇


 夕暮れの探偵事務所。
 山茶花御殿の二階の東端にあるこの部屋には、他より早く闇が訪れる。

 『犬神怪異探偵社』。
 桜子が帰った後の殺風景な空間にあるのは、ふたつの人影。

 裸電球を灯し、応接の長椅子に座ると、零は向かいで胡座あぐらをかく少年に目を向けた。
「その慶司という息子さん、深川の芸者、それも十も歳下の若い芸者に入れ込んでいたようでしてね」
「若い男ならよくある話じゃ」
 少年――ハルアキは、テーブルに置かれた饅頭に手を伸ばす。
「しかし、仮にも伯爵家の跡取りですからね。身籠ったと分かった途端、父君である久世伯爵が花街の顔役に話を付けて、その芸者を追い出したとか」

 饅頭をモグモグと頬張りつつ、ハルアキは零を見た。
「茶はないのか?」
「紅茶で良ければ淹れますよ」
「……それなら要らぬ」

 普段は事務所の横の納戸に引きこもっているこの子供、居候いそうろうの身分のクセに非常に生意気である。

 癖のある長めの髪を夕風に揺らし、ニッカポッカからはみ出した脚を革張りの座面に置いて、彼は饅頭をもうひとつ手に取った。
「で、その嫁というのが、実は追い出した芸者ではないかと疑っていると言うのじゃな?」
「左様。頑なに隠しているところを見ると、そうとしか考えられないと」
「じゃがお家の醜聞を、懇意とはいえ、この屋敷の女主人には言えなんだ、という訳か」

 ふたつ目の饅頭を口にねじ込み、ハルアキは最後の饅頭を掴み取る。零は呆れ顔でそんな居候を眺めた。
「そんなに食べて、夕飯、食べられます?」
「はんひはへつはらは(甘味は別腹じゃ)」
「まあ、いいですけど」
 零は足を組み、背もたれに体を預けた。
「一度は仲を裂いたものの、こうなっては仕方ないと、産着を用意したり、居所を探らせたり……そこまでなら、親としてあるべき気遣いかと思うんですがね……」
「他に何かあるのか?」
 ようやく飲み込んだハルアキは、三つ目の饅頭を口に運ぶ。その様子を眺めつつ、零はボソリと呟いた。

「孫だけは跡取りとして受け入れるが、元芸者などという身分の低い嫁の存在はあってはならない、と」

 さすがのハルアキも饅頭を食べる手を止めた。
「我々に居所を探らせ、赤ん坊だけを奪って母親を追い出す……と、久世伯爵はそう仰っているそうです」
「到底平穏に終わるとは思えんな」
 ハルアキはゆっくりと饅頭を口に入れる。零は溜息混じりに頭を搔いた。
「正直、断りたいところですが、多ゑさんの紹介ですからね……」
「仕方なかろう。よくある話じゃ」
 口端に付いた餡をペロリと舐め、ハルアキは長椅子に寝そべる。
「金の為じゃ、励むが良い」
「そんな無責任な」
「余に関係なかろう」
「そうおっしゃらず」
 零は身を起こし、懐から懐紙を取り出すと、手品のように饅頭を出した。
「その花嫁の居所を占ってくれれば、早く仕事が終わるんですけどね――安倍晴明あべのせいめい様」
 そして、つまんだ饅頭をハルアキの鼻先へ持っていく。だがハルアキは不機嫌に零に背を向けた。
わずらわしい。色恋沙汰いろこいざたには関わらぬと決めておる」
「成功報酬は弾んでくれそうですし、この饅頭、京都の皇宮の目の前にある老舗から取り寄せたものだそうですよ。久世夫人からの手土産です」

 するとハルアキはジロリと零を振り向いた……生粋の京人間である彼は、どこか東京を見下しているところがあるのだ。
「道理で美味であると思うたわ……」
 とのたまいつつ、ハルアキは饅頭を受け取る。
「仕方あるまい。後ほど占って進ぜよう……ただし、嫁がの話じゃが」
 零は目を丸くした。その発想はなかったのだ。
「しかし、間もなく赤ん坊も産まれると……」
 だが、パクリと饅頭を食べたハルアキは返事をせず、納戸へと姿を消した。
「…………」
 その小さな背中を見送った零の心には、暗雲が立ち込めていた。
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