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第肆話──壺

【廿漆】浅草ニテ

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 ――浅草の、とある劇場。
 楽屋で鏡に向かう男の横に、若い女が現れた。
 淡い金髪をラジオ巻きにし、磁器のような白い肌は芸術品のように美しい。異国の女だ。
 繊細な造りの顔立ちに表情はなく、薄く血の色を透かす唇にも、感情が欠片もない。
 彼女はその唇から淡々と、流暢な日本語を発した。

「磨羯宮が消滅しました」

 報告を受けた男は、口髭を整えていた手を止めた。
「そうか」
 と答えた男は、くしを手に取り髪に当てる。
「で、石は回収したのか?」
「奪われました」
「奴らにか?」
「はい、子供が呑みました」

「……呑んだ?」

 七三に分けた前髪の下、濃く整った眉が跳ね上がる。
「呑み込んだというのか?」
「はい」
「……で、子供は生きているのか?」
「生きています」
「無事なのか?」
「無事です」

 それを聞いた男は、椅子に背を預ける。そしてゆるりと顎を撫でた。
「これは面白い事になってきた」

 彼は考える。
 生身の人間が賢者の石を取り込んだという事例は、これまで聞いた事がない。
 恐らく、賢者の石の影響を受けた体は不死となる。だが、不死といっても色々だ。病気に罹らない不死もあれば、体の傷を瞬時に癒してしまう不死もある――ホムンクルスのような。
 その子供がどんな適応性を見せるのか、非常に興味がある。それに……

 その子供――安倍晴明の能力が、この先、どのように変化するのか。

「場合によっては、計画の変更も視野に入れて良いだろう」
 人間を不死にできれば、ホムンクルスなどという面倒な器を作る必要がなくなる。その上、能力次第では、新たなる「商品」を展開できる可能性すらありそうだ。

 ただ問題は、その人物が備えた「自我」がどうなるか。
 そこがはっきりするまでは、迂闊に先走らない方が賢明だ。

「賢者の石の回収はいたしますか?」
 彼の興奮をよそに、見当外れな質問をする女は淡々と無表情だ……まだまだ「擬似魂」の精度が足りないのだろう。
「このままにしておいてくれ……いや」
 どうせなら、手元に置いてじっくりと観察したい。
 男はようやく振り返り、彼女のに命じる。
ごと回収しよう。詳細は後で伝える」
「かしこまりました」


 楽屋の扉から消える、締まった腰から緩やかに流れるドレス姿を見送ると、男は葉巻に火をつけた。そして紫煙を吐き出して、遠い目をする。

 ――十二月将・大吉。
 山羊座の守護神……という、自我を持たせている魂である。

 三年前、式神を使う小僧がいると知り、行商人に化けて様子を伺いつつ彼を煽り、大吉に行く手を探らせた。
 すると、不死と思われる男の元へと駆け込んだところまでは良かったのだが、奴は捕まって封印されるという失態を犯した。
 しかし、賢者の石を人間の体に取り込む実験の被験者を得られたのは有り難い。またとないこの機会を、存分に利用させてもらう。

 ……それはともかく、大吉を失ってから二年余り、彼女を助けようとしなかったのには理由があった。

 不死の血を得るよりも、もっと大きな事が起こる未来に、興味が移ったからだ。

 そちらの計画を進めている今、大吉の存在は既に用無しであった。
 ――ホムンクルスは、あと十二体ある。ひとつ欠けたところで、大勢に影響はない。
 全ては大義のため――彼女らはそう信じ、彼の為なら命を惜しまない。優秀極まりない手駒たちだ。

 そして、時はあと二年余り――その時までに為すべき事はまだまだある。
 あの二人からも、目は離せない。

 ――安倍晴明――犬神零――

 今はこちらをだと認識しているようだ。
 不死が二人、邪魔をされたら厄介だ。
 早いところこちらへ取り込むためにも、まずは安倍晴明の身柄を得よう。
 そうすれば、犬神零は逆らえまい。

 ――いや、互いに互いを牽制し合うよう、制御下に置きたい。
 賢者の石は賢者の石でしか壊せない。
 ならば、不死と不死をぶつける事が、用済みとなった際の奴らを処分する、唯一の方法となるだろう。


 ……と、扉がノックされ、思考は中断された。
 劇場の支配人が彼を呼びに来たのだ。
「そろそろお時間でございます。お支度は宜しいので?」
「勿論、いつでも舞台に出られるよう、準備は万全に整えております」
「それはそれは、さすが山名やまな先生。大入おおいりのお客も、先生の登場を待ちかねております」
「それは嬉しいですね、はるばる日本に戻ってきた甲斐があります」

 恭しく頭を下げて出ていく支配人に目を送り、その姿が扉の向こうに消えた後、彼は最後の仕上げと、黒い小さなトランクの蓋を開ける――手品で使われるものだ。
 そしてその中に、ルビーの輝きを持つ、飴玉ほどの大きさの石が入っている事を確認すると、丁寧に蓋を戻した。
 そして、シルクハットを被り、トランクとステッキを手にした彼は楽屋を出る。
 廊下の途中、劇場職員、他の出演者、誰しもが彼に拍手を送る。

 ――山名獅童しどう
 浅草界隈で最も名の知れた、新進気鋭のマジシャンである。

 軽やかな足取りでスポットライトの中へ進む。
 そして満席の客席の歓声に向かい、彼は高らかに呼び掛けた。

「It's show time!」


 ◇


 浅草駅前に現れた零とハルアキは、待ち合わせ場所に待つ人物を見て、ギョッとして足を止めた。
 ――桜子が、昨日と同じ橙のワンピースを纏っているからだけではない。
 彼女の横に、花柄のちゃんちゃんこを羽織ったおかっぱ頭の少女――鴉揚羽がいたからだ。

 彼女は二人を見付けると、桜子の後ろにそそくさと隠れる。それを見て、桜子は微笑んだ。
「大家さんの遠縁の子みたい。ご両親が亡くなって、身寄りが他にないからって預けられたの。で、ちょうど下宿の隣の部屋が空いてたから、昨日からそこに住んでるのよ」

 ……非常に巧みに、鴉揚羽は桜子の身近に居場所を作ったようだ。大家のシゲ乃を式神で騙したのだろうが、気のいいあの婦人なら、彼女を邪険にする事もないだろう。

「今日は大家さんがお出掛けでね、部屋にひとりも寂しいだろうから、連れて来ちゃった」
 桜子はそう言うと、自己紹介を促すように、彼女を前に押し出した。
 少しモジモジした後、鴉揚羽はペコリと頭を下げ、
「はじめまして、サナヱと言います、七歳です」
 と宣った。

「ちょっと照れ屋だけど、お利口さんなのよ。仲良くしてね、ハルアキ」
「よ、余がか!?」
「歳が近いし、ちょうどいいじゃない」
 桜子は全く悪気なく、サナヱとハルアキの手を繋がせるからたまらない。

 不服な顔をしながらも、桜子に気付かれないよう、ハルアキはサナヱに囁く。
「余のに姿を見せぬのではなかったのか」
「仕方ないだろ。それに今は鴉揚羽じゃない。この格好の時は問題ないって事にするよ」
「適当じゃな」

 以前の事件で、桜子も鴉揚羽を見ている。しかし変装の達人である彼女に掛かれば、桜子の目を誤魔化す程度の事は何でもないようだった。

「それに、君に伝えておかなきゃならない事があってね」
 と、鴉揚羽はニヤリとする。
「あの本だよ。燃やしてしまうとは酷いじゃないか」
「し、仕方なかったのじゃ……兄者に、怒られたのか?」
「いいや、僕はそれほど間抜けじゃない。あの、極楽堂とかいう本屋、とても品揃えがいいね、随分と高いけど」
「…………」
「ちょうど同じような本があってね、それを買って戻しておいたよ――ツケで」
「貴様……ッ!」
「仕方ないだろう? どうせ払うのは、君の保護者だし」


 ……子供二人が連れ立って先を行くのを眺めながら、零は思わずポツリと呟く。
「こういうのを、家族というんですかね」
「…………はあ?」
 答えたのは桜子である。
「赤の他人の集まりじゃない。妙な妄想をしないでくれる?」
 と、肘鉄を食らって零は苦笑する……間違いなく、いつもの桜子である。

 だが、劇場の窓口で、
「お子さん二人とご夫婦ね」
 と言われた時には、説明が面倒なのか否定しなかった。

 満員御礼の席に着く。
 四人連れの席がなかったために、ハルアキとサナヱは少し離れた席だ。
 桜子はクロッシェ帽を外して膝に置く。そのつばには、桜を象った七宝焼の小さなブローチが付いているのだが、彼女はその存在にまだ気付いていないらしい……一応、言っておくべきか。
「あの桜子さ……」
「家族、ね……」
「はい?」

「…………?」
「秘密を背負った男女と子供が家族を装って、それぞれの能力を活かして困難な事件に挑んでいくの」
「……はぁ」
「密偵モノに似合いそうね」
 桜子はニヤリと鋭い目を零に向ける。
「どう? 流行りそうじゃない?」
 すっかり、意識は活動写真に向いているようだ。零は苦笑した。
「小説家にでもなるつもりですか?」
「悪くないわね」
「では、擬似家族を体験するために、私と一緒に住んでみるというのは?」
「それはお断りするわ」
「ですよね……」

 活動弁士が演壇につく。
 すると銀幕に光が入り、弁士がトンと演壇を叩いて口上を高々と宣った。

「春もたけなわ、風光明媚なこの時節に敢えて、賑々しくご来館賜りました皆々様に、吉野の山の千本桜、富士の裾野の桜並木、食えぬ花より串団子、食えば終わりの団子より、心踊る冒険譚をお送りするのが、江戸の弁士の心意気。さて本日ご用意しました物語、何の縁かは言わぬが花、平安より千年の時を超えたかの陰陽師、安倍晴明が巡り会うは、素性怪しき謎の男。この二人の元に転がり込む、奇っ怪極まる事件の数々! 驚き桃の木山椒の木! 奇想天外な大冒険を、これよりお見せいたしましょう――」


 ──第肆話 完──
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