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第肆話──壺
【拾捌】屋根裏ノ住人
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――一方、ハルアキである。
彼はヤキモチを焼いていた。
……これまで二年間、零と二人三脚でやってきた中に桜子が入り、どうもむず痒くて仕方ないのだ。
とはいえ、家出する気もない。彼の気位の高さが、浮浪児に戻るのを猛烈に拒否するのである。
それに、あの壺の処置に責任を取らねばならない。元々は彼が零を巻き込んだのだ。その程度の分別は持ち合わせている。
とは言うものの、勢いで飛び出して来てはみたが行き場がない。零と桜子が出掛けた頃合を見計らって納戸に戻るにしても、まだ早いだろう。
仕方なく、ハルアキは神田川沿いの並木道に置かれた縁台に腰を下ろした。
堤に植えられた桜が丁度見頃で、穏やかな水面にはらはらと白い花弁を降らせている。
とはいえ、今のハルアキはそんな情緒を楽しむ気分ではない。
「……暇だの」
処理し切れない心のモヤモヤを口先に込め、桜見物の通行人に聞かれない程度の小声で呟く。
すると、誰かが返事をした。
「なら、団子でも食べないか?」
――その瞬間まで、その気配に全く気付かなかった。
背中合わせに縁台に座るその人物が、串団子の皿をハルアキの横に差し出す。
その手を掴もうとした瞬間、反対側の脇腹に鋭い感触を覚え、ハルアキは硬直する――式神である。
「君たちの前には二度と顔を出さないと約束したからね。振り向かないでくれるかな?」
その声に、ハルアキは目を閉じた。
忘れたくても忘れられない。彼らを手玉に取り、無様なまでに振り回した怪盗――!
「……鴉揚羽が、何の用じゃ?」
すると、彼女は不敵に笑う。
「その名前では呼ばないで欲しいな。ようやく世間が忘れかけてきた頃だ。『サナヱ』でいいよ。今は女の子の格好をしてるし」
頭を動かさないよう、そっと横目を向ける。確かに、おかっぱ頭に花柄のちゃんちゃんこを羽織った少女である。
……その中身は、百戦錬磨の陰陽師なのだが。
彼女は団子をパクつきながら言った。
「君も気付いていないかな? ――凄く嫌な感じがするんだ」
「何の話じゃ?」
醤油の焼けた香ばしい匂いが漂う。だが迂闊に団子に手を伸ばせない。彼女の扱う式神に、仕込んだ食品を食べた者を操るものがあると知っているから。
そんな思考は彼女の想定内とみえて、サナヱは楽しげに笑う。
「心配する事ないよ。そこの売店の焼きたてさ。式神を仕込んだりはしてない」
「信じられぬ」
「まぁ、いいけどさ」
サナヱが団子の皿を引く。舌打ちしたい気分でハルアキは目を川面に向けた。
「嫌な感じとは何じゃ?」
「ずっと飼ってたから、君たちは感覚が麻痺しているんだと思う――壺の中の悪魔の様子さ」
「貴様……!」
思わずハルアキは立ち上がりかける。しかし、式神の刃がそれを許さない。
彼女の式神は、ハルアキの使うものと違い、その正体を見せない。結果だけが伴うから厄介だ。
「振り向かないって約束したよね?」
「約束などしておらぬ。それより、何故おぬしが壺の事を知っている?」
歯軋りするような詰問に、彼女はさらりと答える。
「君たちが居候しているあのお屋敷、随分と屋根裏が広いからね、快適だよ」
「…………」
ハルアキは頭を抱えた……密かに屋根裏に住み着き、彼らの様子を監視していたのだ。
全く気付かなかった――。
ハルアキは嘆く。
「なぜそのような事を……!」
「鍵の仕舞い場所と乙女心は秘密にしておくものさ」
……零に片想いをして、付き纏っている、といったところか。
「いつからじゃ?」
「あの事件の後、すぐから」
「どこから出入りを?」
「僕は空を自在に飛べるのを知っているだろ?」
屋根裏の換気窓を勝手に取り替えたに違いない。
「今度、招待してもいいよ。君が空を飛べれば」
「断る!」
癖のある髪を両手でくしゃくしゃと掻き乱してから、ハルアキは顔を上げた。
「……で、悪魔がどうしたと?」
「封印して何年になるの?」
「二年じゃ」
「それだけの時間があれば、随分と力を蓄えられただろうね」
サナヱはそう言うと、団子の皿があった場所に一冊の本を置く。
「これは?」
「実家の書庫にあった、賢者の石についての本だよ」
「――――!」
ハルアキは目を剥いた。サナヱに情報が筒抜けである事もだが、その本の出処にである。
サナヱの姓は、土御門。
正統なる陰陽頭の家系なのだ。
「うちは先祖代々、書物の収集癖があってね。帝国図書館から資料の問い合わせがある程さ。……これは、二番目の兄が英国に留学した時に、何を思ったのか知らないけど集めてきた錬金術に関する本のひとつ。アラビヤ語は読める?」
「ば、馬鹿にするな!」
「なら、貸してあげるよ。この著者、賢者の石の精製に成功したらしいんだ。けれど、それは危険なものだから、用が済んだら必ず壊すようにって、そう書いてある」
「――――!!」
「読んだら返してよ。勝手に持ち出してきたからね。二番目の兄、冴えない顔して怒ると怖いから」
そう言うと、彼女が背後で立ち上がった気配があった。
「今はともかく、君はすぐに帰った方がいい――」
言葉が終わった瞬間。
旋風がハルアキの周囲に渦を巻く。桜吹雪を巻き込んだそれが解けると同時に、ハルアキは後ろを振り返る。
「おい――!」
だがそこに、少女の姿はなかった。
青い革表紙の本と、団子の串だけが載った皿と……
「お勘定は?」
と立つ、団子屋の女将以外。
「彼奴め――!」
ニッカポッカのポケットの小銭を女将に投げ付け、ハルアキは本を抱えて駆け出した。
彼はヤキモチを焼いていた。
……これまで二年間、零と二人三脚でやってきた中に桜子が入り、どうもむず痒くて仕方ないのだ。
とはいえ、家出する気もない。彼の気位の高さが、浮浪児に戻るのを猛烈に拒否するのである。
それに、あの壺の処置に責任を取らねばならない。元々は彼が零を巻き込んだのだ。その程度の分別は持ち合わせている。
とは言うものの、勢いで飛び出して来てはみたが行き場がない。零と桜子が出掛けた頃合を見計らって納戸に戻るにしても、まだ早いだろう。
仕方なく、ハルアキは神田川沿いの並木道に置かれた縁台に腰を下ろした。
堤に植えられた桜が丁度見頃で、穏やかな水面にはらはらと白い花弁を降らせている。
とはいえ、今のハルアキはそんな情緒を楽しむ気分ではない。
「……暇だの」
処理し切れない心のモヤモヤを口先に込め、桜見物の通行人に聞かれない程度の小声で呟く。
すると、誰かが返事をした。
「なら、団子でも食べないか?」
――その瞬間まで、その気配に全く気付かなかった。
背中合わせに縁台に座るその人物が、串団子の皿をハルアキの横に差し出す。
その手を掴もうとした瞬間、反対側の脇腹に鋭い感触を覚え、ハルアキは硬直する――式神である。
「君たちの前には二度と顔を出さないと約束したからね。振り向かないでくれるかな?」
その声に、ハルアキは目を閉じた。
忘れたくても忘れられない。彼らを手玉に取り、無様なまでに振り回した怪盗――!
「……鴉揚羽が、何の用じゃ?」
すると、彼女は不敵に笑う。
「その名前では呼ばないで欲しいな。ようやく世間が忘れかけてきた頃だ。『サナヱ』でいいよ。今は女の子の格好をしてるし」
頭を動かさないよう、そっと横目を向ける。確かに、おかっぱ頭に花柄のちゃんちゃんこを羽織った少女である。
……その中身は、百戦錬磨の陰陽師なのだが。
彼女は団子をパクつきながら言った。
「君も気付いていないかな? ――凄く嫌な感じがするんだ」
「何の話じゃ?」
醤油の焼けた香ばしい匂いが漂う。だが迂闊に団子に手を伸ばせない。彼女の扱う式神に、仕込んだ食品を食べた者を操るものがあると知っているから。
そんな思考は彼女の想定内とみえて、サナヱは楽しげに笑う。
「心配する事ないよ。そこの売店の焼きたてさ。式神を仕込んだりはしてない」
「信じられぬ」
「まぁ、いいけどさ」
サナヱが団子の皿を引く。舌打ちしたい気分でハルアキは目を川面に向けた。
「嫌な感じとは何じゃ?」
「ずっと飼ってたから、君たちは感覚が麻痺しているんだと思う――壺の中の悪魔の様子さ」
「貴様……!」
思わずハルアキは立ち上がりかける。しかし、式神の刃がそれを許さない。
彼女の式神は、ハルアキの使うものと違い、その正体を見せない。結果だけが伴うから厄介だ。
「振り向かないって約束したよね?」
「約束などしておらぬ。それより、何故おぬしが壺の事を知っている?」
歯軋りするような詰問に、彼女はさらりと答える。
「君たちが居候しているあのお屋敷、随分と屋根裏が広いからね、快適だよ」
「…………」
ハルアキは頭を抱えた……密かに屋根裏に住み着き、彼らの様子を監視していたのだ。
全く気付かなかった――。
ハルアキは嘆く。
「なぜそのような事を……!」
「鍵の仕舞い場所と乙女心は秘密にしておくものさ」
……零に片想いをして、付き纏っている、といったところか。
「いつからじゃ?」
「あの事件の後、すぐから」
「どこから出入りを?」
「僕は空を自在に飛べるのを知っているだろ?」
屋根裏の換気窓を勝手に取り替えたに違いない。
「今度、招待してもいいよ。君が空を飛べれば」
「断る!」
癖のある髪を両手でくしゃくしゃと掻き乱してから、ハルアキは顔を上げた。
「……で、悪魔がどうしたと?」
「封印して何年になるの?」
「二年じゃ」
「それだけの時間があれば、随分と力を蓄えられただろうね」
サナヱはそう言うと、団子の皿があった場所に一冊の本を置く。
「これは?」
「実家の書庫にあった、賢者の石についての本だよ」
「――――!」
ハルアキは目を剥いた。サナヱに情報が筒抜けである事もだが、その本の出処にである。
サナヱの姓は、土御門。
正統なる陰陽頭の家系なのだ。
「うちは先祖代々、書物の収集癖があってね。帝国図書館から資料の問い合わせがある程さ。……これは、二番目の兄が英国に留学した時に、何を思ったのか知らないけど集めてきた錬金術に関する本のひとつ。アラビヤ語は読める?」
「ば、馬鹿にするな!」
「なら、貸してあげるよ。この著者、賢者の石の精製に成功したらしいんだ。けれど、それは危険なものだから、用が済んだら必ず壊すようにって、そう書いてある」
「――――!!」
「読んだら返してよ。勝手に持ち出してきたからね。二番目の兄、冴えない顔して怒ると怖いから」
そう言うと、彼女が背後で立ち上がった気配があった。
「今はともかく、君はすぐに帰った方がいい――」
言葉が終わった瞬間。
旋風がハルアキの周囲に渦を巻く。桜吹雪を巻き込んだそれが解けると同時に、ハルアキは後ろを振り返る。
「おい――!」
だがそこに、少女の姿はなかった。
青い革表紙の本と、団子の串だけが載った皿と……
「お勘定は?」
と立つ、団子屋の女将以外。
「彼奴め――!」
ニッカポッカのポケットの小銭を女将に投げ付け、ハルアキは本を抱えて駆け出した。
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