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第肆話──壺

【拾伍】形代

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 零の体が光に包まれる。視界を奪う眩さに、
「何!?」
 と大吉も怯んで一歩退がる。
 それを見て、ハルアキは命じた。
「天一よ、そやつを斬り刻め」

 ハルアキには分かっていた――零ならば、形代としての役割を果たせるだろうと。
 そのために、彼をここに残したのだ。

 形代には通常、式札に擬似魂となる呪念を封じたものを使う。
 だが今の彼には、式神の能力を保つための力が足りず、呪念を消費するだけの時間しか召喚が叶わない。
 そのために、「魂のある」形代で力を補う方策を何度か試したのだが、形代になった生き物は、大抵は式神に魂を吸われて命を落とすか、或いは正気を失うという結果となった。
 だが、形代に、つまり、魂の量に制限がない者を使えば、その恐れはないのではないか。
 ハルアキはそう考えたのだ。

 勿論、不死などという実験台が容易に手に入るはずもなく、試した事はない。
 しかし、理論上は可能なはずなのだ――彼が「名無し」であれば。

 初め見た時から、間違いないと思った。
 これほど似た容姿――並外れた美貌を持つ者が二人とあるとは思えない。ましてや、「不死」と言った時のあの態度。
 本人は否定しているが、否定せねばならぬ何らかの事情があるに違いない。
 ならばこちらも、それに合わせた素知らぬ顔で、彼の素性を探ってみよう。
 そのために、「依頼」という形で彼の近くにいる事を選んだ……勿論、この大吉とかいう「悪魔」を退治するためが、主な目的ではあるが。

 ……だが、もし万一、零が本当に不死でないのならば。
 彼はただでは済まない。
 果たして、天一は無事召喚できたのだろうか……。
 
 光の中で、零の姿がグラリと揺れる。
 だが倒れる前に踏みとどまり、二本の足で立つその姿は、零のものではなくなっていた。

 天一貴人。
 緩く纏ったほうを揺らし、獅子のかたちの仮面で顔を隠すその姿が、光が薄らぐと同時に躍動する。
 踏み込むと同時に、宝刀が黄金の軌跡を描く。咄嗟に飛び退く大吉の胸元から赤い筋が迸った。

「……何なの、これは……」
 大吉の赤い目が揺らぐ。
「生あるものに式神を降ろすなんて、禁じ手じゃないの」
「知った事か」

 再び振られた宝刀から逃れようと駆け出した大吉だったが、天一貴人の動きの方が早かった。軽い跳躍で瞬く間に距離を詰め、無防備な背に斬撃を穿つ。
「――――!」
 赤い飛沫が散り床を濡らす。
 このままやられる一方では持ち堪えられないと悟ったのだろう、背の傷が塞がる前に大吉が反撃に転じた。
「あああああ!」
 熱した鋼ように赤く光りだした爪が、獅子の仮面を貫こうと繰り出される。だが天一貴人はひらりと身を翻したかと思うと、鮮烈な一閃をその腕に叩き込んだ。

 大吉の右腕が両断され、宙を舞う。
 それは放物線を描く最中に形を失い、床に落ちる頃には赤い水と化していた。
 ビシャンと床に飛沫が広がる。
 それを見て、大吉が歯軋りした。
「畜生――!」
 前に伸ばす格好の肩から腕が生える。既に見た目を意識している余裕はないのだろう、透き通った赤い液体を、腕の形に取り繕っただけのものだ。
 だが宝刀は容赦がない。生えたばかりの腕を再び斬り落とし、更に刃を返して首元に一撃を食い込ませた。
「うぐっ」
 頭が飛ぶ。それを受け止めようと大吉が手を伸ばすが、無情にも彼女の頭は腕の間をすり抜け、ビチャンと床で弾け散った。

「……何よ……何なのよ……」
 首から生えた頭が辛うじて呻く。それは美女の容貌を捨てた、痩せて醜い山羊のものだ。ただ赤い目だけは爛々らんらんと光らせ、横長の瞳孔をキッと細めている。

 その姿は、ひと月前にハルアキが謎の本から召喚した悪魔に違いなかった。と同時に、ハルアキは気付いた。
 ――悪魔の姿が、以前よりも小さい。
 恐らく、天一貴人の攻撃でホムンクルスを構成する赤い水を失い、しぼんできているのだ。

 ……人の姿をして、この結界に入り込んできた時から、ハルアキはその正体に勘付いていた。
 勿論、逃がさぬ事に主軸を置いた配置となってはいるが、並の妖では近付く事すらできない強力な仕様だ。そこに悠々と入って来られたという事は、結界はこの存在をと認識している。
 その原因は、「ホムンクルス」という特殊な形代にあるのだろう。擬人の器で魂を覆っているために、結界の判別が狂うのだ。
 ホムンクルスについては、ハルアキもある程度の知識を心得ていた。西洋では「エリクサー」と呼ばれる不老不死の霊薬――今大吉が垂れ流している、あの赤い水だ。そこに魂を入れる事で、ホムンクルスが形作られる。
 とはいえ、エリクサー自体が精製不可能とされている物質だ。それから作られたホムンクルスをどう壊すか、というところまでは考えが及んでいなかった。
 天一貴人が切り刻めば何とかなるだろう。その程度の認識だったのだ。
 ――それを、名無しの奴が見抜きおった。

 宝刀の乱舞は続く。ホムンクルスの傷が塞がる前に、次なる傷を穿ち続ける。
 赤い水が床を、壁を、天井を濡らす。無残絵のような様相を呈した結界内で、だが天一貴人だけは眩いばかりに美しかった。
 袖が揺れ、髪がたなびき、黄金の仮面が輝く。トンと床を蹴り跳躍し、刀を持つ腕を大きく回す。しなやかな肢体が宙を踊り、光の刃が弧を描く。
 夢想の如き幽玄の舞に、ハルアキは呆然と魅了されるばかりだ。

 ――と、突如、逃げ惑う一方だった大吉が方向を変えた。
 子供ほどの大きさとなった体でピョンとハルアキに飛び掛かるや、彼の体を抱えて後ろを向く。
 正面には、天一貴人の刃が迫る――盾にされたのだ。

「ヒイッ!」
 悲鳴と同時に思わず目を閉じる。しかし、痛みはやってこなかった。恐る恐る瞼を上げれば、鼻先一寸のところで、冷徹に輝く切先が制止しているではないか。
「…………」
 全身を冷汗が濡らす。その背後で、大吉が狂った調子の高笑いを吐き出す。
「やっぱり、斬れないよねぇ。こいつを斬れば、おまえも死ぬから」

 ……道理である。
 天一貴人の主はハルアキであり、術者であるハルアキが亡き者となれば、式神である天一貴人は消滅するのだ。

 弱点を見抜いた大吉は、得意気な笑い声を上げながら、鋭い爪でハルアキの動きを封じる。引き摺るように向きを変え、壁に背を当てながら室内を移動する。
 ――すると、床や壁や天井に散らばった赤い水が、彼女の体に戻っていくのだ。
 体の大きさを戻していく大吉に、ハルアキは為す術もない。

 一方、天一貴人はその場に立ち尽くしたまま、視線だけをこちらに向けている。
 じっと仮面の奥から眺めていたが、やがて、刀を持たない左の手が上がり、仮面をずらしたである。

 十二天将との付き合いは長いが、彼がこんな動きを見せたのは初めてだった。
 ハルアキは固唾かたずを呑んで、仮面の下を注視する。

 細い顎から口が見え、薄い唇が動く。
「あなたがボーッと突っ立ってるから、これまでの労力が無駄になってしまったではありませんか」

「…………?」
 ハルアキは眉根を寄せる――その声に聞き間違いようはない。犬神零のものだ。
 だが――と、ハルアキは彼を睨む。生きた者に式神、或いは妖を憑依させる場合、形代の意識は乗っ取られる。眠った状態になるのだ。

 ――式神に憑依された状態で、形代が言葉を発する事など、あり得ない。
 これはどういう事だ?

 仮面は尚も上がり、鼻、そして目が覗く。
 そして、斜めに頭に乗せられた仮面の下から、切れ長の澄ましたまなこが呆れたようにハルアキを見た。
「その上人質になるとは情けない。あなた、自分の立場を分かってます?」

「う、うるさい!」
 咄嗟に反論したものの、ハルアキは脳内で目まぐるしく状況を確認していた。
 ――これはつまり、、としか、考えられない。
 この男――犬神零とは、一体、何者だ――!

「グダグダ言ってんじゃないわよ。剣を捨てないと、こいつを殺すわよ!」
 大吉の爪がハルアキの喉にピタリと当たる。ハルアキを殺してしまえば天一貴人を無力にできるのだが、大吉も混乱しているようだ。だが敢えて指摘してやる必要もない。
 山羊頭に睨まれて、零は小首を傾げる。
「おや、妙な事を仰いますね。私が命じられたのは『あなたを切り刻む事』。ハルアキの身などどうでもいい」
「……お、おい……!」
 焦ったのはハルアキだ。
「待て! 余が死ねば、そなたも死ぬぞ!」
「式神が、ですよね。でも、私はこうして生きていますから」
「…………」
 煌びやかな装束に包まれた零の足がこちらに向く。
「そもそも、こんな厄介事に巻き込まれただけでなく、了承もなしに形代にされて、私は不満です」
「そ、それはじゃな……」
「あなたが来なければ、私はごく平凡な日常を送れていたのに」
「…………」
「ですが、今更追い出すのも感じが悪い」
 零が宝刀をぶら下げてこちらにやって来る。大吉の腕がハルアキの首を締め上げた。
「こ、こいつが死んでもいいのか……!」
「だから、いいって言ってるじゃないですか」

 目の前で足を止めた零は、冷ややかな目でハルアキを見下ろす。

「いっそ、二人まとめて斬り刻みましょうか」

 宝刀が振り上げられる。
「ま、待て――!」
 ハルアキの悲鳴は、鋭く振り下ろされる刃に遮られた。
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