上 下
54 / 82
第肆話──壺

【拾】ハートのジャック

しおりを挟む
 ――極楽堂店主。
 その正体を、零も知っている訳ではなかった……人外であろうという事以外は。
 鬼か妖か、或いは神か――。
 だが、太乙が捨て置いている存在であるため、敵ではないのだろうとは思っている。
 そんな存在が何の気紛きまぐれか、このような場所に居着いて、怪しげな書物ばかりを集めた本屋をやっているのだ。
 ……とはいえ、こんな店構えでもそれなりに客はいるようで、殊に、他へ言えない魔術や呪術を欲する者からは、相当ぼったくっているらしい。
 そして、その方面に詳しい情報通でもある。そのため、零は何かあると頼りにしているのだ――勿論、タダではないが。

 「厄介者を連れて来た責任を取れ」と命じられ、零はハルアキと店内の片付けをする羽目になった。
 何とか本棚を立て直し、散乱した本を戻していく。ハルアキが床に散らばった本を拾い零に渡すのだが、すぐさま興味が本に移ったらしく、座り込んで読み始めたから零は肩を竦めた。

 そうして作業をしながら、零が簡単に事情を話すと、店主は帳場の奥から本を一冊取り出した。
「悪魔を呼び出す方策が書かれていたというのは、こういう本ではないかね、坊主」
「坊主と呼ぶな、余は……」
 と顔を上げた途端、だがハルアキは固まった。
「その本――!」
「やはりな」
 と、店主はそれを文机にポンと置く。
「何ですか、それは」
 零が眉根を寄せると、店主は鷹揚おうように答えた。
「昔の商魂たくましい商人が、金持ちの蒐集家しゅうしゅうかに売るために、デタラメに作った異世界の本だ」
「…………」
「何年か前、そのうちの一冊が欧州で見付かり騒ぎになった。発見者の名から『ヴォイニッチ手稿』とも呼ばれている。昔はよくあるものだったが、今はそんな手間を掛けずとも儲かる手段は幾らでもあるからな、自然と廃れた」
「やはり……」
 零がハルアキを見ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「そのうちの一頁だけ、意味が分かるものを挟んでおいたのでしょうね」
「分かった……もう言うな……」


 ◇


 何とか本の片付けを終え、目当てのものを手に入れて帰途に就く……迷惑料だの何だのと、それなりにぼったくられたのは、言うまでもない。
 すっかり軽くなった財布から、何とか団子代をひねり出す。
 事務所に戻ると、ハルアキは長椅子に陣取り、
「また団子か……」
 と文句を言いながら包みを解いた。
「食べられるだけマシです……ところで」

 零は事務机に腰を預け、極楽堂で買った本を三冊、机面に並べる。そのうちの一冊を手に取り、彼は頁をめくりながらこう言った。
「おかしいのですよ」
「何がじゃ?」
「あなたの言う『悪魔』が、です」

「…………?」
 団子を食べる手を止め、ハルアキは零を眺める。
「契約の悪魔……つまり、『魂と引き換えに願いを叶える』と言われているのは、メフィストフェレスと呼ばれる悪魔です。その契約の内容も、というもので、生者に死を求めるものではありません。それに、メフィストフェレスは赤い服を着たとして描かれる事が多いです」
 零が本にある挿絵を見せると、ハルアキは呆然と目を見開いた。
「一方、あなたの言う『山羊の頭に漆黒の翼を持つ女性』という特徴から見ると、バフォメットがそれに当てはまるかと……とはいえ、両性具有という設定ですが。ですがこちらは、黒魔術サバトを司る、キリスト教に対しての異教の神。願い事を叶える契約などしません」
 と、別の本の頁を示す。
「……つまり……」
 眉間に皺を立てるハルアキに、零は言った。

「あなたが契約した相手は、本当に悪魔なのでしょうか?」

 すっかり黙り込んだハルアキを横目に、零は煙草入れを取り出す。煙管キセルの火皿に刻み煙草を詰めて、薪ストーブの火を移す。一息吸って吐き出すと、紫煙が天井へと流れていく。
「どうも私には、別のもののような気がするのですが……」
 そこでようやく、ハルアキが反論する。
「じゃが、古本屋の横柄な店主も、悪魔じゃと申しておったではないか」
「確かに、この国の『妖』に対して、西洋の悪霊の類を示す言葉としての『悪魔』というならば、間違ってはいませんがね……」
 零が紫煙を吐く度に、天井に漂うもやは濃度を増していく。
「あなたを騙した行商人の手の込みようといい、どうも相手は、何か目的を持って動いていると思えるのですよ。それだけの事を『悪魔』が単独で企むとは思えません。何者かの思惑に従い、動いていると考えるべきかと思います」
「それはつまり……」
 零は机の灰皿に煙管を置き、もう一冊の本を手に取る。
「使い魔、もしくは――式神」
 と、やおら天井に留まる煙を見遣る。

「そうですよね――そこにいる誰かさん」

 ハルアキがハッと見上げる。
 すると、煙は人の姿のように渦を巻いており、零の言葉に反応するように素早く天井を這いだしたのだ。
 ハルアキが咄嗟に手を伸ばす。
「天一!」
 ハルアキの指先から、式札が黄金の光の刃となって宙を飛ぶ。そして一瞬、天将が姿を現すと、宝刀が煙の塊を切り裂いた。

「イヤあああ!」

 甲高い悲鳴が響く。そして、煙が霧散すると同時に、ハラハラと何かが落ちてきた。
「手応えがなかった。逃げられたようじゃな」
 と、ハルアキは次の団子に手を付ける。
 零は床に落ちたモノを拾い上げた。厚紙のカードのようなものが、鋭利な刃物――天一貴人の宝刀により、真っ二つにされていた。
「ですが、先程の店主よりは、効果があったようですよ。少なくとも、手掛かりを残していく程度には」
 と繋ぎ合わせれば、零でもそれが何であるかが分かった。

 トランプ。
 ハートのジャックのカードだ。

 零は目を細める。
 かのモノが式神かそれに類似するものとすれば、これは「式札」に当たる使い方をされたものだろう。
 逃がしはしたものの、アレの背後にいる何者かの存在が事は、確定したと見ていい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。