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第肆話──壺
【拾】ハートのジャック
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――極楽堂店主。
その正体を、零も知っている訳ではなかった……人外であろうという事以外は。
鬼か妖か、或いは神か――。
だが、太乙が捨て置いている存在であるため、敵ではないのだろうとは思っている。
そんな存在が何の気紛れか、このような場所に居着いて、怪しげな書物ばかりを集めた本屋をやっているのだ。
……とはいえ、こんな店構えでもそれなりに客はいるようで、殊に、他へ言えない魔術や呪術を欲する者からは、相当ぼったくっているらしい。
そして、その方面に詳しい情報通でもある。そのため、零は何かあると頼りにしているのだ――勿論、タダではないが。
「厄介者を連れて来た責任を取れ」と命じられ、零はハルアキと店内の片付けをする羽目になった。
何とか本棚を立て直し、散乱した本を戻していく。ハルアキが床に散らばった本を拾い零に渡すのだが、すぐさま興味が本に移ったらしく、座り込んで読み始めたから零は肩を竦めた。
そうして作業をしながら、零が簡単に事情を話すと、店主は帳場の奥から本を一冊取り出した。
「悪魔を呼び出す方策が書かれていたというのは、こういう本ではないかね、坊主」
「坊主と呼ぶな、余は……」
と顔を上げた途端、だがハルアキは固まった。
「その本――!」
「やはりな」
と、店主はそれを文机にポンと置く。
「何ですか、それは」
零が眉根を寄せると、店主は鷹揚に答えた。
「昔の商魂逞しい商人が、金持ちの蒐集家に売るために、デタラメに作った異世界の本だ」
「…………」
「何年か前、そのうちの一冊が欧州で見付かり騒ぎになった。発見者の名から『ヴォイニッチ手稿』とも呼ばれている。昔はよくあるものだったが、今はそんな手間を掛けずとも儲かる手段は幾らでもあるからな、自然と廃れた」
「やはり……」
零がハルアキを見ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「そのうちの一頁だけ、意味が分かるものを挟んでおいたのでしょうね」
「分かった……もう言うな……」
◇
何とか本の片付けを終え、目当てのものを手に入れて帰途に就く……迷惑料だの何だのと、それなりにぼったくられたのは、言うまでもない。
すっかり軽くなった財布から、何とか団子代をひねり出す。
事務所に戻ると、ハルアキは長椅子に陣取り、
「また団子か……」
と文句を言いながら包みを解いた。
「食べられるだけマシです……ところで」
零は事務机に腰を預け、極楽堂で買った本を三冊、机面に並べる。そのうちの一冊を手に取り、彼は頁を捲りながらこう言った。
「おかしいのですよ」
「何がじゃ?」
「あなたの言う『悪魔』が、です」
「…………?」
団子を食べる手を止め、ハルアキは零を眺める。
「契約の悪魔……つまり、『魂と引き換えに願いを叶える』と言われているのは、メフィストフェレスと呼ばれる悪魔です。その契約の内容も、この世の願いを叶える代わりに死後の魂を支配下に置くというもので、生者に死を求めるものではありません。それに、メフィストフェレスは赤い服を着た男性として描かれる事が多いです」
零が本にある挿絵を見せると、ハルアキは呆然と目を見開いた。
「一方、あなたの言う『山羊の頭に漆黒の翼を持つ女性』という特徴から見ると、バフォメットがそれに当て嵌るかと……とはいえ、両性具有という設定ですが。ですがこちらは、黒魔術を司る、キリスト教に対しての異教の神。願い事を叶える契約などしません」
と、別の本の頁を示す。
「……つまり……」
眉間に皺を立てるハルアキに、零は言った。
「あなたが契約した相手は、本当に悪魔なのでしょうか?」
すっかり黙り込んだハルアキを横目に、零は煙草入れを取り出す。煙管の火皿に刻み煙草を詰めて、薪ストーブの火を移す。一息吸って吐き出すと、紫煙が天井へと流れていく。
「どうも私には、別のもののような気がするのですが……」
そこでようやく、ハルアキが反論する。
「じゃが、古本屋の横柄な店主も、悪魔じゃと申しておったではないか」
「確かに、この国の『妖』に対して、西洋の悪霊の類を示す言葉としての『悪魔』というならば、間違ってはいませんがね……」
零が紫煙を吐く度に、天井に漂う靄は濃度を増していく。
「あなたを騙した行商人の手の込みようといい、どうも相手は、何か目的を持って動いていると思えるのですよ。それだけの事を『悪魔』が単独で企むとは思えません。何者かの思惑に従い、動いていると考えるべきかと思います」
「それはつまり……」
零は机の灰皿に煙管を置き、もう一冊の本を手に取る。
「使い魔、もしくは――式神」
と、やおら天井に留まる煙を見遣る。
「そうですよね――そこにいる誰かさん」
ハルアキがハッと見上げる。
すると、煙は人の姿のように渦を巻いており、零の言葉に反応するように素早く天井を這いだしたのだ。
ハルアキが咄嗟に手を伸ばす。
「天一!」
ハルアキの指先から、式札が黄金の光の刃となって宙を飛ぶ。そして一瞬、天将が姿を現すと、宝刀が煙の塊を切り裂いた。
「イヤあああ!」
甲高い悲鳴が響く。そして、煙が霧散すると同時に、ハラハラと何かが落ちてきた。
「手応えがなかった。逃げられたようじゃな」
と、ハルアキは次の団子に手を付ける。
零は床に落ちたモノを拾い上げた。厚紙のカードのようなものが、鋭利な刃物――天一貴人の宝刀により、真っ二つにされていた。
「ですが、先程の店主よりは、効果があったようですよ。少なくとも、手掛かりを残していく程度には」
と繋ぎ合わせれば、零でもそれが何であるかが分かった。
トランプ。
ハートのジャックのカードだ。
零は目を細める。
かのモノが式神かそれに類似するものとすれば、これは「式札」に当たる使い方をされたものだろう。
逃がしはしたものの、アレの背後にいる何者かの存在がすぐ近くにある事は、確定したと見ていい。
その正体を、零も知っている訳ではなかった……人外であろうという事以外は。
鬼か妖か、或いは神か――。
だが、太乙が捨て置いている存在であるため、敵ではないのだろうとは思っている。
そんな存在が何の気紛れか、このような場所に居着いて、怪しげな書物ばかりを集めた本屋をやっているのだ。
……とはいえ、こんな店構えでもそれなりに客はいるようで、殊に、他へ言えない魔術や呪術を欲する者からは、相当ぼったくっているらしい。
そして、その方面に詳しい情報通でもある。そのため、零は何かあると頼りにしているのだ――勿論、タダではないが。
「厄介者を連れて来た責任を取れ」と命じられ、零はハルアキと店内の片付けをする羽目になった。
何とか本棚を立て直し、散乱した本を戻していく。ハルアキが床に散らばった本を拾い零に渡すのだが、すぐさま興味が本に移ったらしく、座り込んで読み始めたから零は肩を竦めた。
そうして作業をしながら、零が簡単に事情を話すと、店主は帳場の奥から本を一冊取り出した。
「悪魔を呼び出す方策が書かれていたというのは、こういう本ではないかね、坊主」
「坊主と呼ぶな、余は……」
と顔を上げた途端、だがハルアキは固まった。
「その本――!」
「やはりな」
と、店主はそれを文机にポンと置く。
「何ですか、それは」
零が眉根を寄せると、店主は鷹揚に答えた。
「昔の商魂逞しい商人が、金持ちの蒐集家に売るために、デタラメに作った異世界の本だ」
「…………」
「何年か前、そのうちの一冊が欧州で見付かり騒ぎになった。発見者の名から『ヴォイニッチ手稿』とも呼ばれている。昔はよくあるものだったが、今はそんな手間を掛けずとも儲かる手段は幾らでもあるからな、自然と廃れた」
「やはり……」
零がハルアキを見ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「そのうちの一頁だけ、意味が分かるものを挟んでおいたのでしょうね」
「分かった……もう言うな……」
◇
何とか本の片付けを終え、目当てのものを手に入れて帰途に就く……迷惑料だの何だのと、それなりにぼったくられたのは、言うまでもない。
すっかり軽くなった財布から、何とか団子代をひねり出す。
事務所に戻ると、ハルアキは長椅子に陣取り、
「また団子か……」
と文句を言いながら包みを解いた。
「食べられるだけマシです……ところで」
零は事務机に腰を預け、極楽堂で買った本を三冊、机面に並べる。そのうちの一冊を手に取り、彼は頁を捲りながらこう言った。
「おかしいのですよ」
「何がじゃ?」
「あなたの言う『悪魔』が、です」
「…………?」
団子を食べる手を止め、ハルアキは零を眺める。
「契約の悪魔……つまり、『魂と引き換えに願いを叶える』と言われているのは、メフィストフェレスと呼ばれる悪魔です。その契約の内容も、この世の願いを叶える代わりに死後の魂を支配下に置くというもので、生者に死を求めるものではありません。それに、メフィストフェレスは赤い服を着た男性として描かれる事が多いです」
零が本にある挿絵を見せると、ハルアキは呆然と目を見開いた。
「一方、あなたの言う『山羊の頭に漆黒の翼を持つ女性』という特徴から見ると、バフォメットがそれに当て嵌るかと……とはいえ、両性具有という設定ですが。ですがこちらは、黒魔術を司る、キリスト教に対しての異教の神。願い事を叶える契約などしません」
と、別の本の頁を示す。
「……つまり……」
眉間に皺を立てるハルアキに、零は言った。
「あなたが契約した相手は、本当に悪魔なのでしょうか?」
すっかり黙り込んだハルアキを横目に、零は煙草入れを取り出す。煙管の火皿に刻み煙草を詰めて、薪ストーブの火を移す。一息吸って吐き出すと、紫煙が天井へと流れていく。
「どうも私には、別のもののような気がするのですが……」
そこでようやく、ハルアキが反論する。
「じゃが、古本屋の横柄な店主も、悪魔じゃと申しておったではないか」
「確かに、この国の『妖』に対して、西洋の悪霊の類を示す言葉としての『悪魔』というならば、間違ってはいませんがね……」
零が紫煙を吐く度に、天井に漂う靄は濃度を増していく。
「あなたを騙した行商人の手の込みようといい、どうも相手は、何か目的を持って動いていると思えるのですよ。それだけの事を『悪魔』が単独で企むとは思えません。何者かの思惑に従い、動いていると考えるべきかと思います」
「それはつまり……」
零は机の灰皿に煙管を置き、もう一冊の本を手に取る。
「使い魔、もしくは――式神」
と、やおら天井に留まる煙を見遣る。
「そうですよね――そこにいる誰かさん」
ハルアキがハッと見上げる。
すると、煙は人の姿のように渦を巻いており、零の言葉に反応するように素早く天井を這いだしたのだ。
ハルアキが咄嗟に手を伸ばす。
「天一!」
ハルアキの指先から、式札が黄金の光の刃となって宙を飛ぶ。そして一瞬、天将が姿を現すと、宝刀が煙の塊を切り裂いた。
「イヤあああ!」
甲高い悲鳴が響く。そして、煙が霧散すると同時に、ハラハラと何かが落ちてきた。
「手応えがなかった。逃げられたようじゃな」
と、ハルアキは次の団子に手を付ける。
零は床に落ちたモノを拾い上げた。厚紙のカードのようなものが、鋭利な刃物――天一貴人の宝刀により、真っ二つにされていた。
「ですが、先程の店主よりは、効果があったようですよ。少なくとも、手掛かりを残していく程度には」
と繋ぎ合わせれば、零でもそれが何であるかが分かった。
トランプ。
ハートのジャックのカードだ。
零は目を細める。
かのモノが式神かそれに類似するものとすれば、これは「式札」に当たる使い方をされたものだろう。
逃がしはしたものの、アレの背後にいる何者かの存在がすぐ近くにある事は、確定したと見ていい。
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