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第肆話──壺

【弐】ハジマリハ留置場ニテ

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 ――この悪魔がどういう存在であるのか。
 その出会いは、二年前、大正八年の冬にさかのぼる――。

 その日、犬神零は神田署の留置場にいた。

 ……東京に来てから、逮捕されたのは二度目である。
 一度目は、スリを捕まえた時に勘違いをされて。
 そして今度は、道を歩いていたら職質をされ、指名手配犯に似ているから、という理由で。
 前回は、被害者の証言ですぐに無罪放免となったのだが、今回はそうはいかなかった。

「身元を証明するものは?」

 強面の警官にそう訊ねられても、何とも返答ができないのだ。
 生まれた場所はおろか両親も知らず、名前すら知らない。
 ――およそ千年を生きている不死であるなどと、言えるものではない。

 その上、商売道具の「短刀」を見咎みとがめられた。
「これをどう言い訳する?」
「紙も切れないただのお守りです。やってみてください」
 言われた警官が調書を半分に折って刃を当てるが、力を込めてようやく紙が破れる程度の切れ味に呆れ返った。
「なぜ使えないものを持ち歩いているのだ!」
 挙句、無造作な束ね髪や女物のような柄物の着物にも突っ込まれ、不審者として留置場に放り込まれてしまった。

「……やれやれ」

 顔写真もなく、「長身で痩身の優男」というだけで引っ張られるとは、運が悪いとしか言いようがない。
 背後でガシャンと閉まる鉄扉の響きに肩を竦め、零は薄暗い房内を見渡した。

 幾つかある房の三番目の部屋。
 ここは相部屋となっているようで、先客が四人いた。
 いずれも一目見て堅気かたぎではないと分かる容貌をしており、新入りにギロリと横目を向けると、すぐさま思い思いの格好で退屈を持て余しだした。

「……どうも」
 零は軽く会釈し、さてどうしたものかと思案する。

 六畳ほどの、モルタルで固められた無機質極まる空間。
 その奥の両角に二人、左右の壁に二人が、既に腰を落ち着けている。
 五人目というのは厄介なもので、誰かと関わりを持たなければ、居場所を作るのも難しい。
 ……ならば、できるだけ害の少ない、大人しそうな客を選びたい。

 零は薄暗さに慣れた目で一人ひとりを観察し、ふと気付いた。
 ――左奥の角に身を預け、膝を抱えている人物。
 やけに小柄ではないか?
 もしや、子供か?

 陰になった一角によく目を凝らしてみると、長めの短髪は乱れ、着物は随分と汚れてはいるが、身なりがいい。かすりに角帯、綿わた入りのちゃんちゃんこ。そのいずれも正絹の上物に見える。
 ……少なくとも、他の三人のような粗野さを感じない。

 しかし、なぜ子供がこのような場所に?
 迷子や浮浪児なら、それなりの収容施設があるはずだが。

 そう疑問に思うものの、この四人の内で誰か話し相手を選べというのなら、一択だった。
 零は心を決めた。
 冷たい床に踏み出し、少年の横に腰を下ろす。そして、持ち前の愛想のいい笑顔を向けた。
「お隣をお借りしますよ」

 だが少年はピクリとも動かない。
 抱えた膝に額を埋め、表情も窺えない。

 だが、それでめげる零ではない。彼は機嫌良く語りだした。
「いやあ、今日は冷えますねぇ。こんなに暗くては、余計に寒いです。せめて窓を南向きにして、もっと大きくしていただかないと」

 ……何を言っているんだこいつは、という視線を、少年以外のところから感じる。
 しかし、少年が顔を上げる事はなかった。

 零としては、何とか「少年と会話をしている」というていを作っておきたかった。他の目付きの悪い三人に絡まれたくなかったからだ。子供と喋っていれば、さすがにそのような事態は避けられると思ったのだ。

 色々話しかけてはみるものの、だが少年は俯いたままだった。
 さすがに気まずく思いながらも、零は尚も続ける。
「いやあ、参りましたよ。私はまるきりの冤罪なんです。ただ通りを歩いていただけで、警官に目を付けられましてね。いやはや、法治国家となってどれだけ経つのやら。酷い話です。……ところで、あなたは随分お若いご様子ですが、なぜこのような場所に……」
うるさい、黙れ」

 初めて少年が口をきいた。
 子供らしい甲高い声だが、言葉遣いが随分と居丈高いたけだかだ。

 零は苦笑しつつも更に続ける。
「実を言うと、私、探偵でして。勿論、公立探偵ではなく、自称でしかない私立探偵ですが。……ここはひとつ、当て物遊びといきましょう」
「…………」
「そうですね――とりあえず、あなたがどこから来たのか、当ててみましょうか?」

 少年は答えない。
 構わず零は、少年の様子をしげしげと眺めながら口を動かす。
「――あなた、京都から来たのではありませんか?」

 すると、少年はバッと顔を上げた。
何故なにゆえ、それを……」

 その顔にあるは、キラキラと輝く黒曜石のような瞳に、熟れた桃のような滑らかな頬。いわゆる紅顔の美少年というやつだ。
 ……何をしたのか、あちこちに擦り傷はあったが。

 ところがその顔が、零の顔を見るや、凍り付いたように固まったのである。

 しばらく視線を受けてはいたが、さすがの零も居心地が悪くなり問い掛けた。
「あの、私の顔に何か付いていますか?」

 すると、少年は慌てて、
「な、何でもない。気にするな」
 と再び顔を伏せる。

 零は眉を寄せた。この不審な態度を、気にするなというのは無理な話だ。
 どう追求しようかと考えていると、少年が顔を伏せたまま言った。
「……なぜ、京から来たと分かったのじゃ?」
「おや、京都で当たっていましたか」

 零の返答に、再び少年は顔を上げる。
「おぬし、今、余が京から来たと当てたではないか」
「当ててなどいません。可能性のひとつを言ったら、たまたま当たったんです。カマをかけて相手の反応を読むのは、探偵の常套手段ですよ」
「…………」
「しかし、京都と名を出したのに根拠はあります。……そのお着物、西陣絣にしじんつむぎですよね? それに、下に召された襦袢じゅばん京友禅きょうゆうぜんではありませんか。東京では、そのように上等な着物を子供に着せる事は滅多にありませんので。上流階級のボンボンとなれば、洋装が多いですからね。……そこでもうひとつ、当て物にいきましょう。あなたがなぜ、留置場になどいるのか」

 少年はまたもや顔を伏せた。話を聞いてはいるだろうと、構わず零は言葉を継ぐ。
「あなたのお宅は、京都の良家、恐らく京友禅の問屋、といったところではないですかね? あなたはそこをしました。直接の罪状としては無賃乗車でしょう。それが万世橋駅でバレてしまったが、大人しく捕まっては京都に連れ戻されてしまう。ですので、断固として身元を明かさずに暴れて、手を焼いたお巡りさんがとりあえずの保護と、ここに連れて来た。……違いますか?」

 少年は頷きも否定もしなかった。これは恐らく肯定の意味だろうと思っていると、少年の声がした。
「……ならば、余も当て物をして進ぜよう」
「それは面白いですね。私の何を当てていただけますか?」
 冷やかし半分に笑顔を向ける零に、少年は横目を向ける。

「――そなた、不死じゃな」
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