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第参話──九十九ノ段
【拾弐】女郎蜘蛛
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――鯉若。
その名から連想されるのは、やはり九十九段の天井絵である。
……もし、篠山栴檀と彼女に繋がりがあるとすれば、あの天井絵は、鯉若を表現したものかもしれない。
ハルアキは思った。
「鯉若花魁は、竜睡楼へよく来たの?」
桜子も同じ事を思ったのだろう。小鮎にそう問う。
「姐さまには旦那さんがおいでんしたから、時折お休みを取って、出掛けていなさりました」
「旦那さん?」
仕方なく、ハルアキが口を挟む。
「つまりじゃ。遊女を身請けする男じゃ。基本、遊女は遊郭からは出られぬ。じゃが、身請けの約束をしておったため、他の遊女とは待遇が違っておったのじゃろう」
「なるほどね。……って、ガキンチョの癖に詳しいのね」
「や、喧しいわ……」
ハルアキは慌てて銀杏を口に放り込んだ。
……千年も生きていれば、色々あるのだ。
「ねえ、その旦那さんはどんな人なの? 社長か何か?」
それに答えたのは小依だった。
「画家さんでありんす」
「画……家……?」
ハルアキは眉根を寄せた。
さり気ない様子を装いながら、桜子が続ける。
「相当有名な方なのかしら、その画家さんって。興味があるわ。……その画家さんの、お名前は?」
すると、小鮎が答えた。
「篠山栴檀画伯でありんす」
「…………」
ハルアキと桜子は顔を見合わせた。
――そして、それをどう解釈すべきか、ハルアキは思案を巡らせる。
鯉若と栴檀。
恐らく二人が知り合ったのは吉原であろう。そして、栴檀は鯉若を見初めた。
その後、栴檀が竜睡楼の仕事を受けた際、彼は鯉若を思い描いた作品にした。
それを見せるために彼女を竜睡楼へ招き、珊瑚の間――そして、瑪瑙の間で逢瀬した。
しかし、疑問が残る。
階段の天井絵の錦鯉、そして突き当たりの屏風の吉原は分かる。
だが、ここ珊瑚の間の魚は、どういう趣向だというのか?
――いや……。
ハルアキは目を細めた。
絵葉書の竜宮城。
この座敷はそもそも、瑪瑙の間――即ち、寝所の控えの間であったとしたら。
竜宮城の乙姫は、その欲望を表現しているとすれば辻褄が合う。
そして、何らかの理由で瑪瑙の間を封じた際に、珊瑚の間を通常の接待に使えるよう、模様替えした、と……。
――しかし、零に聞いた限り、篠山栴檀はこれまで独身を貫いてきたらしい。
ならば、鯉若はどこへ消えた?
ともあれ、収穫はあった。
だが、そうなると次なる疑問が出てくる。
この禿たちは、なぜこうも易々と、彼らに話をしたのだろうか。
ハルアキはそう考えながら小依に目を向け――そこで固まった。
目が、八つある。
白目のないぬめぬめとした漆黒の目が、大小互い違いに二列に並んでいる。
そして、それは桜子の横の小鮎も同じだった。
――なるほど。事情をこちらに知らせたのは、生きて帰す気がないから、という訳か。
禿二人は、ハルアキたちが女将の元へ行くのを阻止しに来た。その目的はとうに達している。
しかし、すぐに敵意を向けようとはしなかった。
――その理由は恐らく、彼らを逃がさないための準備が必要だったから。
蜘蛛が、巣を張るように。
ハルアキは茶碗蒸しをそっとお膳に戻し、ニッカポッカのポケットに手を差し入れた。
指先に紙片が触れる。人の形を象ったそれは、呪念を封じてある『式札』。式神を召喚するために欠かせない小道具だ。
それを中指と薬指の間に挟み、ハルアキは禿たちの様子を観察する。
白く愛らしい顔は失われ、目だけでなく、口も黒い牙の生えた蜘蛛のものになっていた。
……しかし、桜子は相変わらず、機嫌よくお酌を受けている。――全く、見えぬというのは幸せなものだ。
相手が構えぬうちに、斬り捨ててしまいたいところではある。
だが、桜子が邪魔だ。このまま召喚すれば、式神・天一貴人の宝剣は、二人とも真っ二つにするだろう。
桜子を小鮎から引き離さねばならない。
ハルアキは少し考えた末、腰を浮かせて桜子にこう言った。
「厠へ行きとうなった。そなた、付き合え」
「は? ひとりで行きなさいよ」
ハルアキは心の中で舌打ちした。分からぬ奴だ。
しかし、桜子をこのままにはしておけない。……もし桜子が取り憑かれたら、最悪の事態である。
ハルアキは意を決した。
「いやあー! 僕、ひとりでお便所に行くのが怖いんだよー! お姉ちゃんが一緒に来てくれないと漏れちゃうよー!」
そう叫びながら、両手で顔を覆う。――何という屈辱!
指の隙間から桜子を覗けば、当然、彼女は呆気に取られた顔でこちらを見ていた。……もう一押し!
ハルアキはニッカポッカの股間を押さえて地団駄を踏む。
「早くー! 漏ーれーるー!」
「分かったわよ! 静かになさい!」
桜子は立ち上がり、
「ごめんなさいね」
と小鮎に苦笑を見せた後、ハルアキの手を引いて階段への襖へ向かった。
ところがである。
「……あれ?」
襖を引いた向こうに現れたのは、襖だった。柄が違う。桃に鶯がとまる花鳥図。
――なるほど。禿らが張った罠とは、こういう事か。
ハルアキの背筋を冷や汗が伝う。
だが桜子は、「おかしいわね」と首を傾げて再び引手を引く。
次に現れたのは水墨画。見事な筆致の山水画だ。
桜子はやはり酔っているようだ。トロンとした目をして次々と襖を開け放つ。
白地に金箔で波を模した模様。御殿を描いた平安絵巻。歌舞伎の役者絵……。
何度襖を開いても、また襖が現れるだけで、一向に出口は出てこない。
桜子はハルアキを見下ろした。
「我慢できる?」
「いや、そういう問題ではなかろう」
ハルアキも隣の襖を開け放つ。だがやはり、現われるのは襖のみ。
その隣もその隣も、階段へも、濡れ縁にも繋がっていない。ただ嘲笑うかのように、次々と艶やかな襖面を現すだけだ。
座敷を囲む襖を一通り確かめていく。
固く閉ざされていた床の間の横の襖も動き、幾重もの襖絵を晒す。
床の間を過ぎ、本来階段へ向かい位置にある襖に戻ると、桜子はハルアキの顔をまじまじと眺めた。
「漏らしてないわよね?」
「それは忘れよ……」
そしてハルアキは室内を振り返った。
二人の禿は畳にシャンと座ったまま、こちらに顔を向けている。――その彼女らの周囲に垂れ下がる、黒い影。
女郎蜘蛛。
無数の蜘蛛が糸を伸ばし、天井から逆さまに垂れ下がっていた。折れた針のような脚がざわざわと蠢くさまは、殊更虫を嫌ってはいないハルアキをも総毛立たせるものがある。
「――早くここから出ねばならぬ」
「やっぱり我慢できないのね」
「たわけ!」
この異様さすらも、桜子には見えていないのだ。
だが、説明している余裕はない。小蜘蛛はポトンポトンと畳に落ちると、さわさわとこちらに集まってくる。――とても踏み潰せる数ではない。
ハルアキは式札を掲げた。
「――白虎!」
伸ばした中指と薬指の間から、人の形を象る紙片が飛ぶ。それはひらりと宙を駈け、黄金の焔となった。
焔は瞬く間に激しさを増し、やがて白銀の突風を靡かせる神獣と化した。
――式神・白虎。
鋭い爪が柱を蹴る。目にも止まらぬその軌道は座敷に大きく五芒星を描き、その跡には五枚の御札が残されていた。
次なる『術』が外部へ影響を及ぼさぬようにするための結界だ。
ハルアキはすぐさま次の式札を投げた。
「朱雀!」
それは翼を広げるように膨張すると、深紅に輝く姿を現した。
――式神・朱雀。
日輪の如き美しい翼の一閃で、全ての穢を焼き尽くす焔が座敷に満ちる。
「……え? 何?」
式神自体は、常人には見えない。しかしそれが起こす現象は、五感を通して伝わる。
桜子も、異様な光と熱を感じたのだろう。室内を見渡す素振りを見せたが、ハルアキは襖を向かせて鋭く制した。
「動くでない! 目を閉じよ」
ハルアキも些か悔やんでいた。
桜子と背中合わせに朱雀の焔を眺めるが、金張りの襖に反射したその眩しさで、視界が閉ざされてしまった。
焔の中がどうなっているか、全く伺えない。
――ならば、全てを焼き尽くすのみ。
ハルアキが手を掲げれば、朱雀の焔はその勢いを増した。焔の渦が結界内を満たし、燃え切れた蜘蛛の残骸が、灰となって火中を漂う。
ハルアキには自覚があった。
式神の召喚には「力」を使う。その力とは、体力とも精神力とも違う、言わば霊力のようなもの。
かつての安倍晴明はその力に優れていたため、四神をはじめ、強力な式神を自由に扱えた。
……ところが、千年の転生を繰り返した今は、転生に力を費やし、かつてのように式神を扱えるだけの力が残されていないのだ。
激しく燃え盛る焔は、間もなく勢いを失い、黒く舞う煤を残して鎮火した。
――今は、力を短時間に集中して、式神の能力を保つしかない。
全ての力を朱雀に費やした彼に、次なる一手は残されていなかった。
祈るような気持ちで、ハルアキは目を凝らした
室内に動くものはない。あの数の蜘蛛も、さすがに焼き尽くされたのだろう。
煤が薄らいだ座敷には、座布団とお膳が残されていた。朱雀の焔は不浄なものしか焼かない。そのため、畳や襖もそのままの状態である。
――と、ハルアキの目に入ったものに、彼は戦慄した。
畳の上に転がる、ふたつの繭。
それは、ちょうど子供が膝を抱えたくらいの大きさだった。白い糸を幾重にも巻き付けたその表面は焦げているものの、繭であると認識できる程度に、その形は残っている。
それが何を意味するか理解したハルアキの前で、ふたつの繭が揺れた。
その名から連想されるのは、やはり九十九段の天井絵である。
……もし、篠山栴檀と彼女に繋がりがあるとすれば、あの天井絵は、鯉若を表現したものかもしれない。
ハルアキは思った。
「鯉若花魁は、竜睡楼へよく来たの?」
桜子も同じ事を思ったのだろう。小鮎にそう問う。
「姐さまには旦那さんがおいでんしたから、時折お休みを取って、出掛けていなさりました」
「旦那さん?」
仕方なく、ハルアキが口を挟む。
「つまりじゃ。遊女を身請けする男じゃ。基本、遊女は遊郭からは出られぬ。じゃが、身請けの約束をしておったため、他の遊女とは待遇が違っておったのじゃろう」
「なるほどね。……って、ガキンチョの癖に詳しいのね」
「や、喧しいわ……」
ハルアキは慌てて銀杏を口に放り込んだ。
……千年も生きていれば、色々あるのだ。
「ねえ、その旦那さんはどんな人なの? 社長か何か?」
それに答えたのは小依だった。
「画家さんでありんす」
「画……家……?」
ハルアキは眉根を寄せた。
さり気ない様子を装いながら、桜子が続ける。
「相当有名な方なのかしら、その画家さんって。興味があるわ。……その画家さんの、お名前は?」
すると、小鮎が答えた。
「篠山栴檀画伯でありんす」
「…………」
ハルアキと桜子は顔を見合わせた。
――そして、それをどう解釈すべきか、ハルアキは思案を巡らせる。
鯉若と栴檀。
恐らく二人が知り合ったのは吉原であろう。そして、栴檀は鯉若を見初めた。
その後、栴檀が竜睡楼の仕事を受けた際、彼は鯉若を思い描いた作品にした。
それを見せるために彼女を竜睡楼へ招き、珊瑚の間――そして、瑪瑙の間で逢瀬した。
しかし、疑問が残る。
階段の天井絵の錦鯉、そして突き当たりの屏風の吉原は分かる。
だが、ここ珊瑚の間の魚は、どういう趣向だというのか?
――いや……。
ハルアキは目を細めた。
絵葉書の竜宮城。
この座敷はそもそも、瑪瑙の間――即ち、寝所の控えの間であったとしたら。
竜宮城の乙姫は、その欲望を表現しているとすれば辻褄が合う。
そして、何らかの理由で瑪瑙の間を封じた際に、珊瑚の間を通常の接待に使えるよう、模様替えした、と……。
――しかし、零に聞いた限り、篠山栴檀はこれまで独身を貫いてきたらしい。
ならば、鯉若はどこへ消えた?
ともあれ、収穫はあった。
だが、そうなると次なる疑問が出てくる。
この禿たちは、なぜこうも易々と、彼らに話をしたのだろうか。
ハルアキはそう考えながら小依に目を向け――そこで固まった。
目が、八つある。
白目のないぬめぬめとした漆黒の目が、大小互い違いに二列に並んでいる。
そして、それは桜子の横の小鮎も同じだった。
――なるほど。事情をこちらに知らせたのは、生きて帰す気がないから、という訳か。
禿二人は、ハルアキたちが女将の元へ行くのを阻止しに来た。その目的はとうに達している。
しかし、すぐに敵意を向けようとはしなかった。
――その理由は恐らく、彼らを逃がさないための準備が必要だったから。
蜘蛛が、巣を張るように。
ハルアキは茶碗蒸しをそっとお膳に戻し、ニッカポッカのポケットに手を差し入れた。
指先に紙片が触れる。人の形を象ったそれは、呪念を封じてある『式札』。式神を召喚するために欠かせない小道具だ。
それを中指と薬指の間に挟み、ハルアキは禿たちの様子を観察する。
白く愛らしい顔は失われ、目だけでなく、口も黒い牙の生えた蜘蛛のものになっていた。
……しかし、桜子は相変わらず、機嫌よくお酌を受けている。――全く、見えぬというのは幸せなものだ。
相手が構えぬうちに、斬り捨ててしまいたいところではある。
だが、桜子が邪魔だ。このまま召喚すれば、式神・天一貴人の宝剣は、二人とも真っ二つにするだろう。
桜子を小鮎から引き離さねばならない。
ハルアキは少し考えた末、腰を浮かせて桜子にこう言った。
「厠へ行きとうなった。そなた、付き合え」
「は? ひとりで行きなさいよ」
ハルアキは心の中で舌打ちした。分からぬ奴だ。
しかし、桜子をこのままにはしておけない。……もし桜子が取り憑かれたら、最悪の事態である。
ハルアキは意を決した。
「いやあー! 僕、ひとりでお便所に行くのが怖いんだよー! お姉ちゃんが一緒に来てくれないと漏れちゃうよー!」
そう叫びながら、両手で顔を覆う。――何という屈辱!
指の隙間から桜子を覗けば、当然、彼女は呆気に取られた顔でこちらを見ていた。……もう一押し!
ハルアキはニッカポッカの股間を押さえて地団駄を踏む。
「早くー! 漏ーれーるー!」
「分かったわよ! 静かになさい!」
桜子は立ち上がり、
「ごめんなさいね」
と小鮎に苦笑を見せた後、ハルアキの手を引いて階段への襖へ向かった。
ところがである。
「……あれ?」
襖を引いた向こうに現れたのは、襖だった。柄が違う。桃に鶯がとまる花鳥図。
――なるほど。禿らが張った罠とは、こういう事か。
ハルアキの背筋を冷や汗が伝う。
だが桜子は、「おかしいわね」と首を傾げて再び引手を引く。
次に現れたのは水墨画。見事な筆致の山水画だ。
桜子はやはり酔っているようだ。トロンとした目をして次々と襖を開け放つ。
白地に金箔で波を模した模様。御殿を描いた平安絵巻。歌舞伎の役者絵……。
何度襖を開いても、また襖が現れるだけで、一向に出口は出てこない。
桜子はハルアキを見下ろした。
「我慢できる?」
「いや、そういう問題ではなかろう」
ハルアキも隣の襖を開け放つ。だがやはり、現われるのは襖のみ。
その隣もその隣も、階段へも、濡れ縁にも繋がっていない。ただ嘲笑うかのように、次々と艶やかな襖面を現すだけだ。
座敷を囲む襖を一通り確かめていく。
固く閉ざされていた床の間の横の襖も動き、幾重もの襖絵を晒す。
床の間を過ぎ、本来階段へ向かい位置にある襖に戻ると、桜子はハルアキの顔をまじまじと眺めた。
「漏らしてないわよね?」
「それは忘れよ……」
そしてハルアキは室内を振り返った。
二人の禿は畳にシャンと座ったまま、こちらに顔を向けている。――その彼女らの周囲に垂れ下がる、黒い影。
女郎蜘蛛。
無数の蜘蛛が糸を伸ばし、天井から逆さまに垂れ下がっていた。折れた針のような脚がざわざわと蠢くさまは、殊更虫を嫌ってはいないハルアキをも総毛立たせるものがある。
「――早くここから出ねばならぬ」
「やっぱり我慢できないのね」
「たわけ!」
この異様さすらも、桜子には見えていないのだ。
だが、説明している余裕はない。小蜘蛛はポトンポトンと畳に落ちると、さわさわとこちらに集まってくる。――とても踏み潰せる数ではない。
ハルアキは式札を掲げた。
「――白虎!」
伸ばした中指と薬指の間から、人の形を象る紙片が飛ぶ。それはひらりと宙を駈け、黄金の焔となった。
焔は瞬く間に激しさを増し、やがて白銀の突風を靡かせる神獣と化した。
――式神・白虎。
鋭い爪が柱を蹴る。目にも止まらぬその軌道は座敷に大きく五芒星を描き、その跡には五枚の御札が残されていた。
次なる『術』が外部へ影響を及ぼさぬようにするための結界だ。
ハルアキはすぐさま次の式札を投げた。
「朱雀!」
それは翼を広げるように膨張すると、深紅に輝く姿を現した。
――式神・朱雀。
日輪の如き美しい翼の一閃で、全ての穢を焼き尽くす焔が座敷に満ちる。
「……え? 何?」
式神自体は、常人には見えない。しかしそれが起こす現象は、五感を通して伝わる。
桜子も、異様な光と熱を感じたのだろう。室内を見渡す素振りを見せたが、ハルアキは襖を向かせて鋭く制した。
「動くでない! 目を閉じよ」
ハルアキも些か悔やんでいた。
桜子と背中合わせに朱雀の焔を眺めるが、金張りの襖に反射したその眩しさで、視界が閉ざされてしまった。
焔の中がどうなっているか、全く伺えない。
――ならば、全てを焼き尽くすのみ。
ハルアキが手を掲げれば、朱雀の焔はその勢いを増した。焔の渦が結界内を満たし、燃え切れた蜘蛛の残骸が、灰となって火中を漂う。
ハルアキには自覚があった。
式神の召喚には「力」を使う。その力とは、体力とも精神力とも違う、言わば霊力のようなもの。
かつての安倍晴明はその力に優れていたため、四神をはじめ、強力な式神を自由に扱えた。
……ところが、千年の転生を繰り返した今は、転生に力を費やし、かつてのように式神を扱えるだけの力が残されていないのだ。
激しく燃え盛る焔は、間もなく勢いを失い、黒く舞う煤を残して鎮火した。
――今は、力を短時間に集中して、式神の能力を保つしかない。
全ての力を朱雀に費やした彼に、次なる一手は残されていなかった。
祈るような気持ちで、ハルアキは目を凝らした
室内に動くものはない。あの数の蜘蛛も、さすがに焼き尽くされたのだろう。
煤が薄らいだ座敷には、座布団とお膳が残されていた。朱雀の焔は不浄なものしか焼かない。そのため、畳や襖もそのままの状態である。
――と、ハルアキの目に入ったものに、彼は戦慄した。
畳の上に転がる、ふたつの繭。
それは、ちょうど子供が膝を抱えたくらいの大きさだった。白い糸を幾重にも巻き付けたその表面は焦げているものの、繭であると認識できる程度に、その形は残っている。
それが何を意味するか理解したハルアキの前で、ふたつの繭が揺れた。
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