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第参話──九十九ノ段

【肆】失踪者

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 ――翌日。
 桜子が出社したのは昼近くだった。

「行ってきましたよ、目黒署の失踪人係」
 靴音高く事務所に入ってくると、彼女は書類束を零の座る事務机に広げた。
「失踪届の写しよ。竜睡楼関連の」

 それを見て、零は桜子をニコリと見上げた。
「素晴らしいです。ありがとうございます。……ところで、どうやって警察に取り入ったんです?」
「別に何もしてないわ。だって私、怪盗団を一網打尽にした事あるでしょ? だから、警察の中では有名人みたいなの」

 書類を並べ終わると、桜子は鼻唄混じりにお茶の用意に奥の茶箪笥に向かう。その後ろで、零は応接椅子のハルアキと顔を見合わせた。……確かに、彼女がこの屋敷に忍び込んだ賊を、靴べら一本で叩きのめしたのは、まだ記憶に新しい。

 しかし桜子はそんな二人の様子に気付く事なく、茶葉を入れた急須に、薪ストーブに置かれた薬缶の湯を注ぐ。
「それはともかく、大変な事件よ、これは。なんで今まで見過ごされてきたのか不思議なくらい」
「そう、ですね……」

 机に並ぶ書類は十数枚にも及ぶ。――つまり、竜睡楼が建ってからそこで失踪した者は、警察が把握しているだけでそれだけの人数いる、という意味だ。
 場所柄、行先を告げずに出掛けた者、或いはお榮のように、不本意な理由を突き付けられ泣く泣く引き下がった者も含めれば、もっと増えるだろう。……もちろん、自らの意思で姿をくらました者もいるだろうが。
 零はそう考えて顔をしかめた。

 桜子が番茶を机に置く。
「一体警察は何をしてたんだって、叱り付けてきたわよ。でもね、同席してた画壇の重鎮やらその弟子やらの証言があるから、事件性はないって事になって、警察では手が出せないみたい」
 桜子にやり込められた警官に、若干同情しながら、零は書類に目を通していく。
 するとハルアキもやって来て、桜子の持つお盆から湯呑みを取るが、アチチとすぐに机に置いた。
「どう? 何か手掛かりになりそう?」

 お茶を飲むのを諦め、ハルアキは書類をひとつひとつ手に取り眺めていく。
「……皆、若い男か」
「そうなのよ。しかも、なかなかのイイ男揃いなのよね、ここに写真はないけど」
 桜子は覗き込むように零を見た。
「どう? 昨日あなたが言ってた、お陸の怪談噺に繋がらない?」
「確かに。茶屋の女将さんの話では、お陸の怨霊が取って喰うのは、若い男という話でしたからね。……しかし、どうも気になります」
 零は失踪者の職業欄を順に読み上げていく。
「画家、美大生、襖絵師、挿絵師。……共通点がありませんかね?」
 それを聞いた桜子は、手をパチンと打った。
「今回の依頼の鱒三さんも、画家の卵って言ってたわね」
「きな臭いのう」
 ようやく少し冷めたお茶を、ハルアキが恐る恐る啜る。
「それと、もうひとつ。失踪者が出始めた時期です」
 零は書類をザッと見渡し、一番日付の古いものを取り上げた。
「明治十二年。……竜睡楼が建てられたのは、明治五年です。仮にこの失踪事件の犯人がお陸の怨霊として、この間の七年間は、何をしてたんでしょう?」
 それには、桜子も首を捻るばかりだ。

「しかし、これは大きな収穫です。調べるべき対象が絞れましたから」
「で、次は何を調べるの?」
 目を輝かせる桜子に、零は苦笑を見せた。

 ――昨夕、ハルアキが言った通り。
 一連の失踪事件がお陸の怨霊であろうがあるまいが、この事件の根源は、相当に強い『鬼』と思われる。
 そんな事態に、桜子を関わらせたくない。
 ……彼女に自覚はないが、桜子は滅多にお目にかからない程の憑依体質なのだ。
 好奇心旺盛かつ同情しやすい性格が、妖に付け入られるのだろう、と零は思う。
 だから、こういう生業なりわいの彼の元に置けば、妖に近付かないようにできるのではないか、と考えたのが、桜子を雇った理由のひとつでもある。
 だが彼女は、積極的に事件に関わろうとする。以前、置いてけぼりにした事を強く根に持っているらしい。
 ならば探偵助手として、時間のかかる仕事を彼女に任せ、その隙に片を付けてしまおうと、零は考えた。

 書類をぼんやりと眺めながら少し考えた末、零は顔を上げた。
「そうだ。竜睡楼について調べてもらえませんか? 例えば、創業当時の写真とか、できるだけ多くの情報が欲しいですね」
 言うが早いか、桜子は肩掛け鞄を手に取った。
「任せてちょうだい!」
「あ、今日はそのまま上がってもらって大丈夫……」
 零の言葉が終わらぬうちに、桜子はバタンと扉の外に消えた。

「……やれやれ」
 零は椅子に身を沈めた。冷めた湯呑みを手で覆い、そして不機嫌そうなハルアキに目を向ける。
「どうかなさいましたか?」
「何でもない」
 そう言いながらも、ハルアキは口を尖らせたまま、応接の長椅子に身を投げた。

 要するに、桜子ばかりに頼っているから拗ねているのだ。

 零は立ち上がり、茶箪笥の干菓子をテーブルに置くと、ハルアキと向き合い腰を下ろす。
「昨日、言われたじゃありませんか。勝手にしろと」
「だからと、余よりもあの女子おなごを頼るは納得がいかぬ」

 長椅子に伏せ、足をバタつかせるハルアキに干菓子を差し出す。彼は不本意そうな顔をしながらも身を起こし、菓子器に手を伸ばした。

「しかし、確かに、あなたの仰る通り、相当厄介な相手には違いなさそうですね」
「だから言うておる。早う断れ」

 しかし零は、昨日とは違い返事をせず、じっとハルアキを眺める。
 干菓子をモグモグと頬張っていたハルアキだが、やがて居心地悪そうに零を睨んだ。
「何じゃ?」
「自信がないのでしょう」
「…………」
「知っていますよ。安倍晴明たるあなたですが、無理に転生を繰り返したため、その力を大幅に失っている」
「…………」
「かつてなら、鬼の一匹や二匹、難なく倒せたでしょう。しかし、今のあなたにその力はない」
 ハルアキは頬を膨らませてぷいと横を向く。
「それを認めたくないんですね?」
「うるさい」
 ハルアキは両手に干菓子を掴むと、納戸の扉に消えた。
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