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1巻

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【参】黒キ花嫁


「弥生さんの話では」

 零はハゼを口に入れる。

「毎週のように日本橋にほんばしの百貨店に通って、服を新調しているようです。そんな事をしていれば、どれだけお金があったって底をつきますよ。ご両親も心配なさる訳です」
「だから、ご両親には頼れず、自力で資金調達をしようと……」

 桜子は小鉢の底に鎮座ちんざする最後の一匹を眺めながら頷く。

「そんな風じゃ、お屋敷の中は大変でしょうね」
「私も気になりましてね。あわよくば、問題の蔵も見てみたいと、その翌日、行ってみたんですがね」

 桜子の視線に気付く素振そぶりもなく、零は最後の一匹を口に放り込んだ。

「門前払いでしたよ」


 ◇


 ――武蔵野の田園地帯。遠くに並ぶ工場の煙突と見比べれば、文明から取り残されたような印象を受ける。
 そんな田園風景の中で、御影家は一際ひときわ存在感を放つ屋敷だった。武家屋敷のような門構え。漆喰にいぶがわらの高い塀に囲まれた佇まいは、圧倒されるほどだ。
 しかし……と、零は門を見上げて腕組みした。
 所々、瓦が剥がれて土が覗き、枯れ草が生えている。ひび割れた漆喰も、修繕しゅうぜんされた様子はない。弥生の浪費は、彼女の話以上に深刻なのかもしれない。
 零はトンビコートを羽織った襟元えりもとを整え、声を張り上げる。

「御免ください」

 しばらくして、門の向こうに足音が聞こえ、くぐが細く開いた。

「……はい」

 そこから顔を覗かせたのは、細面ほそおもての女だった。年増としまではあるが、くっきりとした目鼻立ちは弥生に似ている。おそらく母親だろう。
 訝しげに見上げる彼女に、零は笑顔で名刺を差し出した。

「――古物商・犬神商会いぬがみしょうかい?」
「こちらに立派な蔵があるとお聞きしまして、ご不要なものがあればと」

 職業柄、零は適当な名刺を何種類か持ち歩いている。いきなり探偵だと名乗っては、警戒心をあおってしまうためだ。しかし今回は効果がなかった。

「ありません」

 彼女は眉をひそめてそう言い放つと、ピシャリと戸を閉めた。

「……まあ、そうなりますよね……」

 零は自分の姿を見下ろした。手持ちの中では地味な着物を選んだのだが、長閑のどかな農村では浮いている。
 仕方なく屋敷を外から見る事にした零は、塀に沿って左手に進む。その先に広がる農閑期の田畑には、所々に雪が積もっており、何とも寒々しい。
 そんな中を、褞袍どてらを着た年配の婦人がやって来た。

「こんにちは」

 零は挨拶してみたが、化け物でも見るような顔をして、婦人は通り過ぎていった。

「……やれやれ」

 零は肩を竦めた。
 少し行くと、右へ入る畦道あぜみちがあった。そこから御影家の屋敷全体を一望できる。
 かなり広い。母屋おもやだけでなく、使用人小屋やら牛小屋やら、別棟もいくつかあるようだ。
 問題の蔵は、最も奥の建物だろう。屋敷裏のやぶの竹が屋根に覆い被さるように伸びている。もう少し近くで見たいと、零はそちらに向かった。
 藪の小径こみちの先に沼がある。ちょうど屋敷の裏にあたる。
 木々に囲まれ、淡い木漏こもれ日がいだ水面みなもに映る。
 零は近付いて水面を覗いた。あまりに透き通っており、深淵しんえんに黒々と揺れるまでも見通せる。みずがあるのか、底なし沼を思わせるほど深い。
 それから屋敷を振り返る。藪越しに見える蔵のなまこ壁に、小窓がひとつ。観音開かんのんびらきの窓扉は閉まっている。
 ……しかし、何か違和感がある。もっと近くで見てみようと向かう途中、零は不意に足を止めた。

「……おやおや」

 あやうく蹴ってしまうところだった。零はその前にかがんだ。
 ――小さなほこら
 笹葉に隠れるように、それは佇んでいた。まだ見ぬ神に敬意を示し、零は手を合わせた。
 何が祀られているのかと覗き込んでみるものの、うず高く積もった枯葉に隠れて、中が見えない。これでは可哀想だ。零は祠に手を入れ、枯葉を掻き出していると……。

「あんた、何やってンだい!」

 するどい声が飛んできた。ドキッとして振り返ると、先程すれ違った褞袍どてらの婦人が、同年代の婦人を三人引き連れてこちらを睨んでいた。

「見慣れない顔だね。泥棒かい!」
「さっき、御影さんの所に行ったそうじゃないか。何が目的なのさ!」
「警察を呼ぶよ!」

 口々にまくてる四人の婦人に、零は慌てた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 私は決して、怪しい者ではありません。こちらの祠に祀られているものが、気になっただけなんですよ」

 彼は人懐こい笑みを浮かべると、袖口そでぐちから名刺を取り出してご婦人がたに見せた。

「……帝東大學ていとうだいがく民俗学准教授みんぞくがくじゅんきょうじゅ?」

 訝しげな目線を返す彼女らに、零は愛想笑いを振り撒いた。

「郷土史の研究をしています。湧き水のある沼には、いわれがある事が多くてですね。丁度そちらにお屋敷があったので、お話を伺えるかとお邪魔した次第です」

 名刺の効果があったのか、首に手拭てぬぐいを巻いた婦人が言った。

駄目だめだったろ?」
「はい、門前払いでした」

 零は苦笑した。

「この祠には、何が祀られているのです?」
「竜神様だよ」

 褞袍どてらの婦人が前に出て、積もった枯葉を取り除く。すると、竜の頭を象った素朴そぼくな石像が現れた。

黒沼くろぬまの守り神さ」

 こめかみに膏薬こうやくを貼った婦人が、名刺と零の顔を見比べてニヤニヤした。

「あんた、良く見りゃいい男だね」
「だけどさ、大学の先生がこんな珍妙な格好をしてるモンかい?」

 もんぺを穿いた婦人が、疑わしげに零を見上げた。零は精一杯の笑顔でつくろう。

「いつも見た目で損をしているんですがね。郷土研究をするのに、背広にソフト帽じゃ似合いませんから。浄瑠璃はお好きですか? あれは、地域の特色がある物語と、絢爛豪華けんらんごうかな衣装が実に興味深い。どっぷりハマってこのザマですよ、ハハハ……」

 すると、ご婦人がたも釣られて笑った。
 ……どうやら、過度な警戒は解けたようだ。零は胸を撫で下ろした。

「うちに来な。祭りでやる浄瑠璃じょうるりの話をしてやるよ」

 褞袍どてらの婦人がそう言って、先に立って歩き出した。


 ◇


「……浄瑠璃か。なぜそう思うた」

 いつの間にか事務所に現れた少年が、零の話に口を挟んだ。

山勘やまかんです。よくあるじゃないですか、村祭りで浄瑠璃やら田楽でんがくやらをやる所が。それに、弥生さんの衣装に対する執着にもつながる気がしましてね」
「目の付け所は悪くない」

 桜子はしばらく、この少年に気付かなかった。しかし、彼が空の小鉢を見て――

「余の佃煮は如何いかがした!」

 と金切り声を上げた事で、全てを思い出した。
 まぎれもなく、納戸にいたあの生意気なガキンチョである。彼女は少年の首根っこを掴まえた。

「あんた、私に何をしたのよ!」
「放せ、無礼者!」

 少年はジタバタして桜子の手を振り解くと、零の背後に身を隠した。

「この女子おなごを何とかせい、ナナシ」
忘却ぼうきゃくの術が解けるとは、あなたの力も落ちましたね。それに、私はナナシではありません」
「『零』すなわち『無』じゃ。名が無なら名無しナナシであろう」
「やれやれですね……」

 苦笑しながら、零は仁王立におうだちする桜子に少年を示した。

「紹介が遅れました。先程話した親族の子供――ハルアキです」
「自分で名乗りなさいよ。やっぱり礼儀を仕込まなきゃ……」
「そなたのような無礼者に名乗る名などない」

 ぷいと顔をそむけるハルアキに、桜子は思わず歯噛はがみする。

「あったま来た……!」
「まあまあ、落ち着いてください。いもを焼きますから」

 零はそう言って、干し芋を薪ストーブの上に並べた。

「……話を続けますよ。それから私は、褞袍どてらの婦人のお宅にお邪魔したのですがね……」


 ◇


 そこは、御影家と比べるとあまりに粗末だった。藁葺わらぶきき屋根ののきを潜り、土間を上がる。
 囲炉裏端いろりばたに腰を落ち着けると、見た目以上に暖かかった。四人のご婦人がたが手際良てぎわよく湯呑みに白湯さゆを注ぎ、囲炉裏の金網に干し芋を並べ、漬物や干し柿を持ち寄れば、またたく間に座談会の場が出来上がる。

「これ食ってみ、美味いから」

 膏薬の婦人に勧められるまま、零は瓜漬うりづけを摘まんだ。

「……で、御影さんのとこ、どうだった?」

 手拭いの婦人が興味深げに零を覗き込んだ。

「そこから聞くのかい」

 突っ込みながらも、もんぺの婦人も興味津々きょうみしんしんのようだ。

「門前払いでしたから、お屋敷には入っていません。しかし、奥方は随分と綺麗きれいな方ですね」
「まあね、ご当主の源三げんぞうさんは、そりゃあ面食いだからね」
「奥方の庸子ようこさんは、両国の米問屋の娘らしいけど、輿入こしいれの前にも色々うわさがあったからねえ」

 ご婦人がたは顔を見合わせニヤニヤしている。

「だけどさ……」

 手拭いの婦人が沢庵たくあんかじりながら零に目を向けた。

「御影さんとこがおかしくなったのは、庸子さんが嫁に来てからだよ」
滅多めったな事を言うモンじゃないよ」

 褞袍どてらの婦人がシッと指を立てて、御影家のある方角に目を遣る。

「御影さんとこに何かあったら、小作のうちらは食ってけねえ」
「そりゃそうだけどさ……」

 手拭いの婦人は声を低くした。

「あのお宅、普通じゃないよ」


 ◇


「これはその時のお土産みやげです」

 香ばしく焼かれた干し芋を載せた皿がテーブルに置かれる。すかさず手を出したハルアキが、アチチと耳たぶを摘まんだ。

「御影さんのお家事情を聞くのは簡単でした。私は白湯を飲んで話に耳を傾けていただけです」

 そう言いながら、零は薬缶の湯をティーポットに注ぐ。

「先にご家族を紹介しましょう。まず、ご当主の御影源三さん。ご結婚の少し前に先代を亡くし、事業を引き継ぎました。地主の他にも、色々と商売をされているようです」

 そしてカップに紅茶を注ぎ、桜子の前に置く。

「その源三さんのところへ、十八年前にとついだのが庸子さん。商売上の関係の深い、米問屋の娘さんです。老舗しにせ大店おおだなで、花嫁行列は、街道を埋め尽くすほどの嫁入り道具に、専属の女中も従えて、そりゃあ豪勢ごうせいだったそうです」
老媼ろうおう茶話さわじゃ。話半分に聞くのじゃな」

 ようやく冷めた干し芋に、ハルアキはかぶり付く。

「田舎の嫁入りを甘く見ちゃいけないわ」

 桜子は眉根を寄せた。相手も決まっていないのに、座敷を埋めていく嫁入り道具。それらに釣り合う婿むこを選べという両親の圧力。その窮屈きゅうくつさといったら……。
 気分を変えようと、桜子は紅茶を口にし――すぐテーブルに戻した。

「桜子さんの仰る通り。大事な一人娘の嫁入りですからね。しかしまあ、ここまではよくある話です。そして、弥生さんですが……」


 ◇


「嫁入りの時には、もう腹にいたのさ」

 もんぺの婦人がニヤリと干し柿を手に取った。

「源三さん、女たらしとは聞いてたけど、まさか許嫁いいなずけにまで手を出してたとはねえ」
「その前にも、カフェーの女給に入れ上げたとか、浮いた噂は絶えなかったけどさ」
「そりゃあ、先代の忌中きちゅう喪中もちゅうも待ってられなかったろうよ」

 手拭いの婦人が零に干し芋を勧める。

「でもさ、それからだよ、おかしくなったのは」
「具体的には、どうおかしいんで?」

 零が尋ねると、ご婦人がたが代わる代わる答えた。

「屋敷に入れてくれなくなったのさ」
「祭りに使う人形やら道具やらが、御影さんとこの蔵に仕舞ってあるから、祭りの準備となりゃ、前は大旦那おおだんなさんや使用人や、みんな総出でにぎやかにやったモンさ」
「ところがさ、庸子さんが来てから、誰も屋敷に入れてくれやしない」
「そりゃあ、気まずいってのはあったろうよ。道で会っても、顔を合わせもしないし」

 零は干し芋を味わいながら眉根を寄せた。
 ……多少時期は違ったにしろ、嫁いでから生まれた子である。そこまで人目を避けなければならない理由になるのだろうか?

「そんなんだからさ、祭りがやれないんだよ」

 膏薬の婦人が暗い表情で囲炉裏を掻き回す。

「大旦那さんの喪中は分かるよ。けれど、自分は祝言しゅうげんをやってンだ。なのに、村祭りは何年もやらないとは、納得いかないね」
「準備は村のモンでやるから、蔵にだけでも入れてくれって、みんなで頭を下げに行っても、門前払いさ」

 ご婦人がたは口々に不満を漏らす。
 すると蜜柑を手に、もんぺの婦人が呟いた。

「……祟りだよ」

 足の裏を囲炉裏に当てながら、零に意味深な視線を送る。

「弥生ちゃんの事は、竜神様の祟りだよ」


 ◇


「……で、弥生さんの浪費癖の話に入ります」

 テーブルには、干し柿や蜜柑みかんが並んでいる。これもお土産だろう。
 ヘタを摘まんで干し柿にかぶり付きながら、桜子は零の話に耳を傾ける。

「ご婦人がたも、弥生さんの衣装への異常な執着はご存知でした。狭い田舎、しかも必然的に注目されるお宅ですし」
「だから田舎は嫌なのよ。隠し事のひとつもできやしない」

 するとハルアキがジロリと桜子を見た。

「そなたは田舎に居た方が良い」
「は? どういう意味よ」
「あなたはこれでも食べていてください」

 零に蜜柑を押し付けられ、ハルアキは口をとがらせ皮に爪を立てた。

「やはり、その散財っぷりは、ご本人が仰っていた以上のものでした」

 ティーカップを手に、零は続けた。

「物心ついた頃から、衣装へのこだわりは相当なもので、仕立て屋を呼び寄せるのは日常茶飯事。それでも可愛い娘さんの事ですし、ご両親は我儘わがままを聞いていたそうです。ところが……」


 ◇


「弥生ちゃん、商売の金に手を出してね。源三さんの代になってから、先代のようには上手くいってなかったみたいなんだけどね……」

 白湯をすすって、褞袍どてらの婦人が言った。

「弥生ちゃんがその金を使い込んで、商売は一気に傾いたのさ」

 手拭いの婦人が、薬缶から立つ湯気に手を当てる。

「使用人にいとまを出し、牛や馬を手放して、終いにゃ田畑を売り払う始末だよ」
「少しでも金のある小作は、その機に上手い事やったようだけど」
「後の連中は、村を出て工場へ働きに行ったりして、散々だったよ」
「で、残ったのは、うちらみたいな、どうしようもない貧乏農家だけって訳さ」

 さすがのご婦人連中も、これには重い溜息しか出ないようだ。
 しみじみと頷いて、零は話を促した。

「それは大変でしたね……。それで、弥生さんは……?」
「変わりゃしないよ。祟りってのも、信じたくなるくらいさ」

 膏薬の婦人が吐き捨てたのをきっかけに、ご婦人がたがヒソヒソとささやう。

「でもさ、そこまで落ちぶれても、蔵だけは手付かずだって話だよ」
「あの蔵には何があるんだろうね、まったく」

 確かに、気味の悪い話である。

「お祭りに使う浄瑠璃人形も、蔵にあるんですよね」
「そのはずさ」
「人形が無事でいてくれるといいけど」
「どんな人形なんですか? お祭りの内容も気になりますね」

 すると、ご婦人がたの表情がパッと明るくなった。やはり、祭りは村のほこりなのだろう。

「あんたが見てた竜神様から村の神社まで、着飾った浄瑠璃人形を踊らせながら練り歩くんだよ」
「竜神様と黒姫様くろひめさまが結ばれる、花嫁行列なのさ」
「黒姫様?」
「黒沼に残る伝説にある、悲しいお姫様さ」

 水の湧く沼というのは、とても貴重なものだ。そのため、昔話や伝承で親しみを持たせ、後世まで大切にしようとする例は、全国各地に存在する。黒姫伝説も、その類だろう。

「――昔、この辺りを治めていた領主様のところに、娘が生まれてね。ところが可哀想に、その子の肌は墨のように真っ黒だったんだよ」

 食べるのに飽きたのか、褞袍どてらの婦人が縄をないながら語り出した。

「だから、どんなに着飾っても似合わない。いつも黒い着物を着て、誰にも姿を見せないよう、奥座敷で静かに暮らしていたんだ。だから、黒姫様さ」
「なるほど……」
「けどさ、領主様にしちゃあ、どんなにみにくい娘だろうが、年頃になりゃ嫁に出したいわな。だから、家来のところに嫁がせたんだよ。けれど、そいつがひどい奴でね……」

 手拭いの婦人が話を継ぐ。

「その家来、黒姫様を座敷牢に閉じ込めて、若いめかけうつつを抜かしたんだと」
「普通なら、領主様がカンカンになるところだ。だけど、醜い娘を貰ってくれただけで満足しなきゃならないと、見て見ぬふりをしたんだよ」


 ◇


「可哀想な黒姫様……」

 桜子はハンカチで目元を押さえた。

「それで、どうなったんです?」
「境遇に耐えられなくなった黒姫は、屋敷の裏手の沼に身を投げたそうです」
「つまり、御影家の屋敷のある場所が、黒姫が嫁いだ先であったと」

 零はハルアキに頷いた。

「本当に可哀想……。男たちに罰が当たればいいのに」
「はい。そうなりました」
「……え?」
「黒姫は、そんな境遇となろうとも夫を愛していた。最期までその思いを貫くため、入水の際、白無垢しろむくを着ていたそうです。それを見た沼の竜神が、黒姫を不憫ふびんに思った。そして、男たちに復讐ふくしゅうをするのです」

 伝承によると、大洪水が起き、村一帯が水浸しになったそうだ。
 家も田畑も流され、大飢饉だいききんが発生した。その上疫病も流行し、領主も跡取りも病死。お家は取り潰しになったという。
 それから、黒姫のたましいなぐさめるために、黒姫に見立てた浄瑠璃人形を豪華に着飾って、村の神社まで行列するようになった。それが祭りの起源とされている。

「――つまり、黒姫が竜神様と再婚するための花嫁行列という訳です。ですから、浄瑠璃人形の顔は、墨のように黒いそうです。……そして、人形に着せる衣装に、禁忌きんきの色がありまして……」

 零は白磁はくじのカップを示す。

「――それが、白なんです。黒姫が入水の際に着ていた、白無垢の色です」
「花嫁行列というのに白を着せぬとは、変わっておるな」
「最初の辛い結婚を思い出させてしまうから、でしょうかね」
「黒姫様には今度こそ、幸せになってほしいわ」

 桜子はくしゃくしゃのハンカチで、干し柿で汚れた口元を拭った。

「これじゃから女子おなごは……」

 ハルアキは桜子にさげすんだ目を向けた。

「黒姫の怨念おんねんとは即ち、人々の水に対する恐怖じゃ。自然という絶対的なものに対する畏怖いふじゃ。だからこそ、神という形にして、対話を試みるのじゃ」
「…………」
「斯様な伝承を残しておるところを見ると、何かあるのじゃろう。との対話の手段である祭りをおこたるとは……」

 一体こいつは何者だと、桜子は唖然あぜんとハルアキを見た。

「ですが、庸子さんが輿入れしてからも、洪水は起こっていません。祭りでない他の方法で、黒姫は気持ちを慰めているんでしょうね」
「そうであろうな」
「……え、何? どういう事?」

 戸惑う桜子に、零は蜜柑を手渡した。

「そのうち分かります。……で、その翌日……」


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