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1巻

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 第壱話―――― 扉



【壱】犬神いぬがみ怪異探偵社


 ――大正十年、山茶さざんの頃。
 椎葉桜子しいばさくらこはウンザリしていた。
 目の前に座るこの男、見場みばはこの上なく良い。良いのだが……。
 切れ長ですずしげなんだまなこ、色白で整った顔立ちは浮世離れしており、はらりと流した長い前髪が魅惑的みわくてきにそれを引き立てている。その上、細身の長身にまとう、鮮やかな柄物がらものの着流しがいき洒脱しゃだつで、女と自覚する者なら、多くが一目で恋に落ちるだろう。桜子も例外ではなかった。
 ――ほんの少し前までは。
 男の言葉使いは丁寧だし、柔らかく微笑む表情に悪意は見えない。しかし、かれこれ三十分もつらつらと興味の引かれない話をされるのは、かなり辛い。
 徳川家康とくがわいえやすがどうとか、江戸の結界がどうとかという妙な話に、桜子は適当に相槌あいづちを打ちながら、テーブルに置かれた紅茶で場を持たせるのだが、これがあまりにしぶくて閉口する。
 ……何なのよ、この人。そう心の中で舌打ちしつつ、どうやって話を切り上げようかと、桜子はずっと考えていた。
 そもそも、ここに来るまでにも、彼女を不機嫌にする出来事が重なりすぎていた。


 ◇


 家出した桜子が上京して十日。
 田舎いなか生活せいかつに嫌気が差し、職業婦人にあこがれて東京にやって来た彼女だったが、ここが夢の都などではない事に気付き始めていた。
 求人面接に何度も落ち、母の箪笥たんすから拝借したお金も心許こころもとなくなった。家賃を払えなければ、せっかく入居できた下宿にも居られなくなる。
 そこで心機一転、有り金をはたいて断髪ボブにし、洋装を整えた。先進のモダンガールをよそおえば、田舎者だと馬鹿ばかにされることもなくなる、そう思ったのだが……。
 乗り込んだ市電がギュウギュウで、目的の駅を乗り過ごしてしまうし、次の万世橋まんせいばしで押し出されたものの、初めて見るモダンな駅舎に感嘆かんたんする余裕もない。神田川かんだがわから吹き上げる寒風に、クロッシェ帽とワンピースの裾を押さえてすくむ姿は、モダンガールとはほど遠い。
 慣れない革靴で足が痛む。桜子は求人チラシ片手にぎこちなく歩き出したものの、えない事この上ない。
 何とか目印の神田明神かんだみょうじんまで辿たどいたものの、その先の地図があまりに大雑把おおざっぱで、目的地が分からない。入り組んだ裏通りをぐるぐるとめぐり、疲れ果てた桜子は、鳥居の脇に置かれたベンチに腰を下ろした。

「もうちょっとマシな地図を描きなさいよ」

 チラシをうらめしくながめて、桜子はこの日何度目かの溜息を吐いた。
 このチラシは、下宿げしゅくの大家であるシゲが持ってきたものだ。東京に不慣れな桜子にとって、シゲ乃は頼もしい事この上ない存在だった。
 チラシの主は、シゲ乃の知り合いのご近所さんらしく、仕事の内容は雑用とお茶汲ちゃくみ。それで日給一円とは、悪くない条件だ。
 ……チラシのはしのある「探偵社」という言葉が、少々気掛かりではあったが。


「――お嬢さん、どちらまで?」

 顔を上げると、目の前に人力車が停まっていた。車夫が愛想あいそくこちらを見ている。

「え? あ、あの……」

 ドキマギする桜子に、車夫は不機嫌な声を上げる。

「ここは車待ちの場所なんだよ。休憩なら他所よそでやりな」
「ご、ごめんなさい!」

 桜子は飛び上がるように頭を下げて、裏通りへと逃げ込んだ。

「……今日は散々だわ」

 境内の木々が目に入らなくなったところで、桜子は足を止めた。
 どうにも足が痛い。仕方なく、防火用水にもたれて靴を脱いでみる。

「嫌だ、靴擦れができてるじゃない」

 おまけに、長靴下が破れて無惨むざん有様ありさまだ。桜子は周囲をチラリと見渡し、人目がないと見るとそれを脱ぎ捨てた。傷の手当てをし、靴に足を戻したものの、みっともない姿にまた溜息が漏れる。
 ……その時、足元で「ニャー」と声がして、桜子は「ヒッ!」と息を呑んだ。
 見ると、金色の目がふたつ、桜子をじっと見上げていた。ツヤツヤとした毛並みの真っ黒な猫。鈴の付いた首輪をしているから飼い猫だろう。チョコンと座り、物言いたげな目をしている。
 ――ただ、奇妙なことに、ひたいに星の模様が描かれた紙切れを貼られているのだ。

「……な、何かご用?」

 桜子が問うと、猫はもう一度ニャーと鳴き、ついて来いと言わんばかりに背を向けた。

「…………」

 困惑こんわくする桜子をかすように猫が振り向く。桜子は不審に思いながらも心を決めた。

「このまま帰るのもしゃくだから、ついて行ってあげるわ」

 すると、猫は尻尾をピンと立て、トコトコと裏通りを歩き出した。
 下町の街並みをキョロキョロしながら猫に従う桜子の姿は、はたから見れば滑稽こっけいだろう。
 そうして向かった先、ある建物の前で猫は座った。その金色の目が見上げる、小さな板切れ。


犬神怪異探偵社いぬがみかいいたんていしゃ


 お粗末な筆書きでそう書かれた蒲鉾板かまぼこいたが、煉瓦塀れんがべいに貼られている。
 チラシと見比べる。間違いない、目的地はここだ。しかし、と桜子は眉根を寄せた。

「……やる気はあるの?」

 迷いながら何度も通った場所だ。こんな看板では気付くはずがない。

「ニャー」

 猫は桜子の足元に擦り寄った後、看板横の外階段をスタスタと上っていく。
 桜子は狐につままれた気分だった。信じがたいが、この猫は彼女をここへ案内したのだ。
 その背中を目で追い掛けて、桜子はさらに驚いた。
 外階段のある建物が、下町とは思えない、立派な洋館だったからだ。
 赤煉瓦と漆喰しっくいの壁につたからみ、年月を経た瀟洒しょうしゃたたずまいは、まるで御伽おとぎの世界のよう。それを囲う山茶花の生垣いけがきが、現実と空想の境目に見えた。

「ニャー」

 鳴き声にハッと視線を戻す。猫は二階から、「早く来い」と桜子を見下ろしている。
 不思議な洋館に不気味な猫。桜子は躊躇ちゅうちょした。けれど、ここまで来た苦労を思えば、引き返す気にもなれない。
 彼女は恐る恐る階段に足を進めた。
 煉瓦の手すり越しに庭が見える。手入れされた洋風庭園は絵画のようで、目に心地好い。
 階段を上り切ると、いつの間にか猫の姿は消えており、代わりに右手にあるかしの扉が半開きになっていた。
 桜子はソロリと顔をのぞかせる。
 中は小さな玄関ホールだった。ぼやけた絵画が飾られているだけで、人気ひとけはない。
 左右を見回すと、右手に扉があった。
 木のタイルに響く靴音を気にしつつ、桜子はその扉に向かった。そして、チラシを肩掛け鞄に仕舞い、身だしなみを整えていた時。
 貼り紙がしてあるのに気付いて、桜子は目を細めた。
『開店休業中』――子供の悪戯いたずらきのようだ。

「……は?」

 桜子は戸惑った。踵を返して帰るべきだろうか。
 しかし、それを実行に移す前に、真鍮しんちゅうのドアノブがガチャリと動いた。
 扉から顔を覗かせたのは、派手な着物の若い男。
 彼は長身から桜子を見下ろした瞬間、目を丸くする。そして――

「おやおや」

 と、穴が開くほど見つめてくるものだから、桜子はドキマギしながら言い返した。

「あの、何か?」
「いえ、昔の知り合いに似ていまして。失礼しました」

 気まずそうに目をらした男は、扉の貼り紙に気付くと、乱雑にがしてクシャッと丸めた。

「子供の悪戯です。お気になさらず。……どうぞ」

 通されたのは、木組みもあらわな武骨な部屋だった。入って左手に、応接テーブルを挟んで長椅子が二脚とコート掛け。中央のまきストーブには薬缶やかんが置かれ湯気を立てている。奥に茶箪笥と本棚が並び、右手の窓を背に置かれた事務机。装飾など一切ない。
 桜子は手前の長椅子に腰を下ろし、お茶の用意に奥に向かった男の様子を眺めた。
 年齢不詳な容姿ではあるが、落ち着いた物腰から察するに、歳の頃は二十代後半といったところか。そんな彼が言う知り合いとは? それに、こんな殺風景さっぷうけいな部屋に子供がいるのだろうか?
 ……そもそも、妖しげな風体ふうていのこの男。とてもこの洋館の主人には見えない。
 桜子がそんな疑問を脳裏に浮かべていると、ティーカップをテーブルに置きながら、男は心の声に返事をした。

「ここは間借りしているにすぎません。大家さんが女世帯なもので、用心のために住んで欲しいと頼まれまして。私自身は、正直、一文無しですね」

 桜子は驚愕きょうがくした。心を読まれるほど気味が悪い事はない。

「失礼します!」

 桜子が腰を浮かすと、今度は男が慌てた。

「驚かせてしまったのなら申し訳ありません! 私は決して、他人の心を読める訳ではないのです。探偵という職業柄、人の様子を観察するくせがついていまして。……あなたは先程、部屋の中の様子をご覧になった後で、私の格好に目を移した。きっと、立派な洋館に似つかわしくないと思われたに違いない。そう考えたのです」

 桜子をなだめながら、男は再び長椅子を勧めた。


 ……そうして桜子は仕方なく席に戻り、一方的にベラベラとしゃべられて、今に至るという訳なのだ。
 適当な相槌を打つのにもきて、窓に張り付くを眺める段になって、男はやっと我に返った。

「余計なお喋りが過ぎましたね。……要するに、鋼鉄の汽車が走ろうとも、煉瓦の建物が天をつらぬこうとも、あなたの悩みは決して不自然なものではない。むしろ、文明開化によりいにしえの結界が崩れつつある、そのための不可避な現象であるとお伝えしたかったのです。ただし、その怪異を呼び起こす要因は、必ず『人の心』にあります。そのため、解決するには、あなたやあなたに近しい方の秘密を明らかにしなければならない場合もあります。それは、あなたの立場や人間関係を崩壊させるかもしれない。その覚悟はおありですか?」

 ここで桜子はようやく気付いた。
 ――この人は勘違いをしているのだ。
 彼女は澄まし顔で男を見上げた。

「残念ながら、私にはそんな覚悟はないし、あなたの洞察どうさつには間違いがあります。……私は依頼人ではありませんの」

 桜子がかばんから取り出したチラシをテーブルに広げると、男はおやおやと頭をいた。

「これはとんだ失態でしたね。しかし、こちらも応募がなくて困っていました」

 クシャクシャと頭を掻く男を見て、桜子は思った。容姿はともかく、この饒舌家じょうぜつかと付き合っていくのは、とてもじゃないが面倒臭い。
 この求人は断ろうと心を決めた桜子は、容赦ようしゃなく突っ込んだ。

「こちら、とは?」
「いや、こんなご時世でしょう? いくら蘊蓄うんちくを垂れたところで、なかなか依頼人など来やしません。扉に貼ってあった悪戯書きは、満更嘘まんざらうそでないので、余計に腹立たしいです」
「仕事がないのに、どうして雑用係を募集するんです? ちゃんとお給料は払えるんですか?」

 随分ずいぶんと失礼な物言いだが、男はハハハとティーカップを手にした。

「一度依頼があれば、報酬ほうしゅうは大きいので。今も一件、依頼を受けていましてね。調査で事務所を空ける事が多いのです。その間に他の依頼人に来られても、留守では申し訳ない。そんな訳で、留守番兼雑用係をお願いしたいのです」

 そう言って、男は冷めた紅茶を口にした。
 この不味まずい紅茶を平然と飲む味覚が信じられない。そう思いながらも、桜子は考え直した。
 この仕事は間違いなく暇だ。それで給料を貰えるのなら申し分ない。それに、これまで彼女が会った面接官と比べれば、目の前の男は紳士的な態度ではある。変な人なのは妥協だきょうすべきか。
 そんな桜子の様子をどうとらえたのか、男は愛想良く笑った。

「いつから来ていただけますか?」

 桜子は少し勿体もったいぶってから返事をした。

「明日からでも」
「ではお願いします」

 ……あまりに呆気あっけなく仕事が決まるのも、逆に不安なものである。余計な事だと自覚しつつ、桜子は質問した。

「あの……家出者ですが、大丈夫ですか?」
「おやおや」

 男は再び桜子をまじまじと見つめた。

「育ちの良いお嬢様に見えますが、随分と思い切った事をなさいましたね。早いところ、故郷へ帰られた方がよろしいのでは?」

 その言葉に、桜子はカチンときた。

「余計なお世話です」
「ごもっとも、ごもっともですけどね……」

 男は苦笑する。

「何かと物騒ぶっそうですからね、女性の一人暮らしは。そうだ、この屋敷に住まいを移すというのはいかがです? 部屋は余っていますし、ご主人にお願いしますよ。それに、ここは関東の鎮守ちんじゅである将門公まさかどこうまつった神田明神がすぐそこです。あなたには相応ふさわしいと思いますよ」

 桜子は眉をひそめた。
 ――妙な言い草だが、もしかしたら、口説くどいてるつもりだろうか?
 認めたくはないが、桜子は容姿に自信がなかった。だからこそ、簡単に落とせると思われたのだろうか。随分と甘く見られたものだ。
 桜子は毅然きぜんとした態度で言い放つ。

「やっぱりお断りしますわ。失礼します」
「待って! お気にさわりましたのなら謝ります。紅茶をれ直しますから」
「結構です」
「なら、二円、二円にしましょう。一日二円。それでもう一度、考え直してくれませんかね」

 あまりにも必死に引き留めてくる男の様子を不審に思い、桜子は首をかしげた。
 すると男は所在なげに頭を搔いた。

「正直に言いますと、求人を頼んだのが、良くしていただいているおとなりさんでして。その方が知り合いに頼んでくださり、あなたが来た。つまり、この求人が上手くいかないと、私は気まずいのです」
「……なるほど」

 しかし、日給二円とは好条件だ。桜子はオホンと咳払いをした。

「そこまでおっしゃるのなら、仕方ありませんわ。このお仕事、お受けいたします。ただし、私は下宿を出る気はありませんの。それに、二円のお約束、忘れないでくださいね」
「もちろんです」

 男は安堵あんどした顔で、桜子に封筒を差し出した。

「契約書です。後でお読みください。それから……」

 と、男はニコリと笑顔を見せた。

「素足では寒いでしょう。靴下代もバカになりませんから、着物でお越しいただけば大丈夫ですよ。私がこんな風ですし」

 それを聞いて、桜子はカッと顔を赤らめた。この男は、乙女の恥じらいを見て見ぬ振りをするという気遣いができないらしい。

「失礼します!」

 桜子は封筒をひったくり、扉に向かった。

「あと、もうひとつ」

 男が呼び止めた。桜子はキッと振り返る。

「まだ何か?」
「帽子とコートをお忘れですよ。それと、自己紹介を忘れていました」

 男は桜子に歩み寄り、握手あくしゅを求めた。

犬神零いぬがみれいです。どうぞよろしく」


 ◇


「……あのような言い訳をしてまで、何故なにゆえ斯様かよう女子おなごこだわる?」

 事務所に奇妙な声が響く。老人のような、青年のような、子供のような。零の他に人影はない。しかし、彼は不可解に思う様子もなくそれに答えた。

変化へんげして覗き見とは、悪趣味ですね」
「そなたの女子おなごを見る目には及ばぬ。気付いておらぬ訳ではなかろう。あの者は……」
「はい。あれだけの憑依体質ひょういたいしつの方は初めて見ました。よくもここまで、怪異に関わらずに生きてこられたものです」
「ならば何故なにゆえ雇った?」

 零は事務机に腰を預けて、まど硝子ガラスはねを揺らす、季節外れの蛾に目を遣った。

「放っておけないんですよ。あのように無防備にこの魔都を歩き回ったら、この先どんな目にうか」
「そなたの近くに置けば災厄さいやくが防げると? 人助けとでも思うたか。浅はかな。そなたが対峙する怪異が、あの者にいたら如何いかがする?」

 蛾は鱗粉りんぷんを撒き散らしながらパタパタと羽ばたく。

「その時は、小丸に助けてもらいます」

 零はそう言うと、帯の煙草たばこれから根付ねつけを外し、てのひらに置いた。
 獣の骸骨がいこつかたどったそれは、カタカタとあごを鳴らす。まるで主人にじゃれ付くように。

「犬神などという下等な鬼に頼っておるから、そなたは成長せぬのじゃ」
「情け容赦のない式神しきがみよりは、私は好きですね。それに、猫を使って彼女をここへ導いたのは、あなたではないですか」

 零が反論すると同時に、蛾がけむりと化した。
 その煙は床の近くに寄り集まり、小さな人の形を成す。
 毛先にくるんと癖のある髪の少年は、不遜ふそんな目で零をにらんだ。

「客だと思うたのじゃ。そなたに商売気がないから、かせぎ時を見失わぬようにじゃな」

 少年は苛立いらだった様子で、茶箪笥から煎餅せんべいの袋を取り出す。

「とにかくじゃ。何があっても余は知らぬぞ、ナナシ

 彼はそう吐き捨てると、袋を抱えて応接の奥の扉へと姿を消した。

「――人助け、ですか……」

 それを見送り、零は渋い顔で肩を竦めた。

「分かってますよ、ハルアキ様」


 ◇


 浅草の片隅。遠く凌雲閣りょううんかくを望む場所に、桜子の下宿はある。
 木造二階建ての長屋の階段に向かう途中、一階の窓辺で大家のシゲ乃が煙管キセルくゆらせている。そして桜子に気付くと、ニヤリと金歯を見せた。

「面接はどうだった?」
「おかげ様で採用されました。明日から勤めます」
「そりゃあ良かった」

 シゲ乃は人情に厚く、東京暮らしに困っていた桜子が世話になれたのは、幸運というより他ない。……少々お節介なきらいはあるが。
 それからシゲ乃は、興味深々な顔で半纏はんてん羽織はおった身を乗り出した。

「サダちゃんの話だと、探偵さん、絶世の美男だそうじゃないか。実際どうだった?」

 サダとは恐らく、犬神零が求人を頼んだという隣人だろう。桜子は苦笑して答える。

「確かに、容姿はこの上なく良いんですけど、私は、ちょっと苦手かな……」
「おや、随分と面食いだね」

 シゲ乃はニヤニヤと桜子を眺めた。いや、容姿の問題じゃなくて……と言い掛けたが、せっかくの仲介に水を差してはいけないと、桜子は愛想笑いに留めた。


 桜子はシゲ乃に丁寧に礼を言ってから、二階の部屋に向かう。
 そして扉を閉めた途端とたん、どっと疲れに襲われて、彼女は立ち尽くした。
 四畳半の部屋を見渡せば、行李こうりひとつと煎餅布団。あまりに殺風景な部屋は、冬の空気以上に寒々としていた。
 彼女の故郷は北国だ。けれど家は裕福で、火鉢ひばちの火は絶えず、寒いと感じた事がなかった。


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