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── 春の章 ──
(20)居場所②
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初めて三人で食べるお昼。
相変わらずのバクダンおにぎりを頬張りながら、ココはさくらのお弁当箱が気になって仕方がない。
「色々入っているのだな」
「家政婦さんが作ってくれる。欲しいの?」
「そ、そんないやしい事は言っておらん……供物と言うのなら、やぶさかではないが」
さくらは苦笑しつつ、蓋に卵焼きとウインナーを乗せてココの前に差し出した。
それからさくらは、不意に語りだした。
「私ね、中学は不登校だったんだ」
「そう……なの?」
「『殺人鬼の娘』……ずっとそう呼ばれて、嫌だった」
「なんで?」
ギョッとする私に、さくらは悲しそうな笑みを向けた。
「母、ミステリーを書くでしょ? それに、あんな屋敷を建てたし。誰が言ったか知らないけど、『作家は経験した事しか書けない』なんて噂が学校で広まってね。もちろん、本気じゃないだろうけど。冗談のつもりでも、私の居場所をなくすには十分だった」
「…………」
「家にいても、私は自分の部屋、母は書斎に閉じこもってるから、お互い何日も顔を合わせないとかザラ。私は母が人殺しの話を書いてるおかげで食べていけるって知ってるし、母もそのせいで私が学校に行けないのも知ってた。でも、言ったところでどうしようもないから、避けてた……もちろん、家政婦さんがご飯を運んできたり、家庭教師の先生が来たりはしてたけど、こうして誰かと食事するのって、すごく久しぶり」
心なしか穏やかな口調でそう言うと、さくらは最後のプチトマトをココの前に置く。
「保健室は、狭い割に人数が多くて窮屈だったから。やっと、この学校に居場所ができた……そんな気がする」
⿻ ⿻ ⿻
――午後からは、刷り上がった図書館新聞をクラスごとに仕分けする作業。
テーブルに積まれたプリントを数えて、人数分を束にしていく。
榛名先生は司書室のパソコンで何かしていたが、やがて鼻歌混じりにやって来た。
「ジャーン」
右手に掲げたものは、ラミネートされた看板――『文芸同好会』と印字されている。
「教務の先生にお願いしてね、正式に認めてもらったよ」
私とさくらは顔を見合わせた。
なんだかとても嬉しくなって、自然と笑顔が浮かんだ。
図書館新聞を片付けた後は、部屋の飾り付け。一応、『周防真由美歓迎会』の体裁を整えるためだ。
折り紙の鎖を作りながら、しかしさくらは浮かない表情をしていた。
詳しい事情を知らない榛名先生は、花を折る手を止めて彼女を見た。
「やっぱり、無理してる?」
「…………」
「学校にお母さんが来るのって嫌だよね。おまけに、この部屋にまで呼んじゃうのって……」
「いいの、決めたから。ちゃんと向き合うって」
伏せた目をテーブルに向けて、さくらは自分に言い聞かせるように続けた。
「ずっとこのままじゃダメだって、自分でも分かってた。これは、私が前に進むための試練……逃げちゃダメなの」
⿻ ⿻ ⿻
――講演会当日。
私とさくらはクラスの列に合流はせず、講堂の後ろで聞いていた。
さすが売れっ子作家。ユーモアを交えながら自身の体験を語り、そこに「女性としての生き方」という議題を落とし込む内容は、素晴らしく説得力のあるものだった。
けれど。
ひとつ違和感があるとすれば、さくらの存在が少しも出てこない事。
もちろん、当人がここにいるから気を使っている、とも考えられる。けれど……。
チラリとさくらに目を向ける。
カーテンの閉められた暗い講堂では、彼女の表情は分からなかった。
――その後。
舞台を降りる周防真由美を、私は榛名先生と一緒に舞台袖で迎えた。
「図書館司書の榛名みずきと言います。今図書館で、先生の作品を特集してるんです……図々しいお願いで申し訳ないですけど、看板にサインを頂けると……」
⿻ ⿻ ⿻
周防真由美は、レトロなままの図書館の空気を吸って笑った。
「全然変わってなくてビックリしたわ」
彼女は黒のパンツスーツにエスニックな柄のスカーフを巻いていて、耳にインドの神様みたいなピアスを付けている。個性的なファッションという点では、さくらに似ていると思った。
スリッパの音が高い天井に響く。開け放たれた窓からの風が校庭の歓声を運んできて、シーリングファンにかき混ぜられて消える。
天井近くに施された飾り窓から柔らかい光の帯が降り注ぐ中を、まるでランウェイのように歩いて、周防真由美は貸出カウンターに向かった。
成功者のオーラなのだろうか……店にやって来た時もパリッとした印象の人だと思ったけど、今日は近寄り難いまでのオーラを放っている。
圧倒される心地で私は、特集コーナーに並んだ自著を手に取った彼女を眺めていた。
「懐かしいわね、『かもめ荘の惨劇』。初めて大きな賞を頂いたのが嬉しくて、サイン本を送り付けたのよね」
「私もこの学校のOGなんですけど、この本、借りさせていただきましたよ。サイン本を読めるなんてすごく贅沢で、両親に自慢しました」
「それは嬉しいわ」
雑談をしながら、榛名先生はあの部屋の話題を出すタイミングを見計らっているようだ。
図書館にいるのは、周防真由美と榛名先生と私の三人。
さくらは
「さすがに無理」
と、保健室に退避している。
やはりここは、榛名先生に任せるのではなく、私が動くべきなんだろう……さくらの『覚悟』を後押しするためにも。
何度か深呼吸をした後、意を決して私は前に出た。そして、特集コーナーの本を一冊手に取った。
すると周防真由美は私に目を移し、
「あ、若宮さんとこの」
と微笑んだ。
私はペコリと頭を下げた。
「娘さんと……さくらさんと一緒に、文芸同好会を始めました」
周防真由美は少し驚いた様子で
「あら、そう。あの子、家では何も言わないから」
と答えた。
これまでの闊達な口ぶりとは違い、その言葉にはくぐもった影があるように聞こえた。
そこで私は、手にした本を彼女に差し出す。
――『星になる』。
彼女は先程、デビュー作であるこの本を避けるように『かもめ荘の惨劇』を選んだ。
やはり、何か思うところがあるのではないか……と、私はそれを彼女に突き付けたのだ。
周防真由美の目が揺れる。
……「盗作」なんて、まさかと思っていたけれど、ひょっとして、彼女の中にもその自覚があるのか……。
心臓に締め付けられるような痛みを感じながら、けれど私は逃げてはいけないと思った。
私はさくらの友達になる――そう決めたんだから。
私は言った。
「――『ますお みゆ』さん、ですよね?」
「星になる」の上に、私は薄黄色の表紙のコピー本を置く。
『メアリのために』
それを見た周防真由美は、凍り付いたように言葉を失った。
相変わらずのバクダンおにぎりを頬張りながら、ココはさくらのお弁当箱が気になって仕方がない。
「色々入っているのだな」
「家政婦さんが作ってくれる。欲しいの?」
「そ、そんないやしい事は言っておらん……供物と言うのなら、やぶさかではないが」
さくらは苦笑しつつ、蓋に卵焼きとウインナーを乗せてココの前に差し出した。
それからさくらは、不意に語りだした。
「私ね、中学は不登校だったんだ」
「そう……なの?」
「『殺人鬼の娘』……ずっとそう呼ばれて、嫌だった」
「なんで?」
ギョッとする私に、さくらは悲しそうな笑みを向けた。
「母、ミステリーを書くでしょ? それに、あんな屋敷を建てたし。誰が言ったか知らないけど、『作家は経験した事しか書けない』なんて噂が学校で広まってね。もちろん、本気じゃないだろうけど。冗談のつもりでも、私の居場所をなくすには十分だった」
「…………」
「家にいても、私は自分の部屋、母は書斎に閉じこもってるから、お互い何日も顔を合わせないとかザラ。私は母が人殺しの話を書いてるおかげで食べていけるって知ってるし、母もそのせいで私が学校に行けないのも知ってた。でも、言ったところでどうしようもないから、避けてた……もちろん、家政婦さんがご飯を運んできたり、家庭教師の先生が来たりはしてたけど、こうして誰かと食事するのって、すごく久しぶり」
心なしか穏やかな口調でそう言うと、さくらは最後のプチトマトをココの前に置く。
「保健室は、狭い割に人数が多くて窮屈だったから。やっと、この学校に居場所ができた……そんな気がする」
⿻ ⿻ ⿻
――午後からは、刷り上がった図書館新聞をクラスごとに仕分けする作業。
テーブルに積まれたプリントを数えて、人数分を束にしていく。
榛名先生は司書室のパソコンで何かしていたが、やがて鼻歌混じりにやって来た。
「ジャーン」
右手に掲げたものは、ラミネートされた看板――『文芸同好会』と印字されている。
「教務の先生にお願いしてね、正式に認めてもらったよ」
私とさくらは顔を見合わせた。
なんだかとても嬉しくなって、自然と笑顔が浮かんだ。
図書館新聞を片付けた後は、部屋の飾り付け。一応、『周防真由美歓迎会』の体裁を整えるためだ。
折り紙の鎖を作りながら、しかしさくらは浮かない表情をしていた。
詳しい事情を知らない榛名先生は、花を折る手を止めて彼女を見た。
「やっぱり、無理してる?」
「…………」
「学校にお母さんが来るのって嫌だよね。おまけに、この部屋にまで呼んじゃうのって……」
「いいの、決めたから。ちゃんと向き合うって」
伏せた目をテーブルに向けて、さくらは自分に言い聞かせるように続けた。
「ずっとこのままじゃダメだって、自分でも分かってた。これは、私が前に進むための試練……逃げちゃダメなの」
⿻ ⿻ ⿻
――講演会当日。
私とさくらはクラスの列に合流はせず、講堂の後ろで聞いていた。
さすが売れっ子作家。ユーモアを交えながら自身の体験を語り、そこに「女性としての生き方」という議題を落とし込む内容は、素晴らしく説得力のあるものだった。
けれど。
ひとつ違和感があるとすれば、さくらの存在が少しも出てこない事。
もちろん、当人がここにいるから気を使っている、とも考えられる。けれど……。
チラリとさくらに目を向ける。
カーテンの閉められた暗い講堂では、彼女の表情は分からなかった。
――その後。
舞台を降りる周防真由美を、私は榛名先生と一緒に舞台袖で迎えた。
「図書館司書の榛名みずきと言います。今図書館で、先生の作品を特集してるんです……図々しいお願いで申し訳ないですけど、看板にサインを頂けると……」
⿻ ⿻ ⿻
周防真由美は、レトロなままの図書館の空気を吸って笑った。
「全然変わってなくてビックリしたわ」
彼女は黒のパンツスーツにエスニックな柄のスカーフを巻いていて、耳にインドの神様みたいなピアスを付けている。個性的なファッションという点では、さくらに似ていると思った。
スリッパの音が高い天井に響く。開け放たれた窓からの風が校庭の歓声を運んできて、シーリングファンにかき混ぜられて消える。
天井近くに施された飾り窓から柔らかい光の帯が降り注ぐ中を、まるでランウェイのように歩いて、周防真由美は貸出カウンターに向かった。
成功者のオーラなのだろうか……店にやって来た時もパリッとした印象の人だと思ったけど、今日は近寄り難いまでのオーラを放っている。
圧倒される心地で私は、特集コーナーに並んだ自著を手に取った彼女を眺めていた。
「懐かしいわね、『かもめ荘の惨劇』。初めて大きな賞を頂いたのが嬉しくて、サイン本を送り付けたのよね」
「私もこの学校のOGなんですけど、この本、借りさせていただきましたよ。サイン本を読めるなんてすごく贅沢で、両親に自慢しました」
「それは嬉しいわ」
雑談をしながら、榛名先生はあの部屋の話題を出すタイミングを見計らっているようだ。
図書館にいるのは、周防真由美と榛名先生と私の三人。
さくらは
「さすがに無理」
と、保健室に退避している。
やはりここは、榛名先生に任せるのではなく、私が動くべきなんだろう……さくらの『覚悟』を後押しするためにも。
何度か深呼吸をした後、意を決して私は前に出た。そして、特集コーナーの本を一冊手に取った。
すると周防真由美は私に目を移し、
「あ、若宮さんとこの」
と微笑んだ。
私はペコリと頭を下げた。
「娘さんと……さくらさんと一緒に、文芸同好会を始めました」
周防真由美は少し驚いた様子で
「あら、そう。あの子、家では何も言わないから」
と答えた。
これまでの闊達な口ぶりとは違い、その言葉にはくぐもった影があるように聞こえた。
そこで私は、手にした本を彼女に差し出す。
――『星になる』。
彼女は先程、デビュー作であるこの本を避けるように『かもめ荘の惨劇』を選んだ。
やはり、何か思うところがあるのではないか……と、私はそれを彼女に突き付けたのだ。
周防真由美の目が揺れる。
……「盗作」なんて、まさかと思っていたけれど、ひょっとして、彼女の中にもその自覚があるのか……。
心臓に締め付けられるような痛みを感じながら、けれど私は逃げてはいけないと思った。
私はさくらの友達になる――そう決めたんだから。
私は言った。
「――『ますお みゆ』さん、ですよね?」
「星になる」の上に、私は薄黄色の表紙のコピー本を置く。
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