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── 春の章 ──

(15)ココとコロッケ①

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 翌日。
 私はテーブルに周防真由美の著作を山積みしてさくらを待った。
 そして彼女が顔を見せるなり、大袈裟に泣きついた。
「ごめん、一生のお願い――図書館新聞を作るのを手伝って」

 榛名先生には「今週中」と頼まれている。焦っているのに嘘はない……すっかり忘れていて、時間を無駄にしただけなのだけど。

「それ、文芸同好会の仕事なの?」
 さくらはサラリとそう言った。
「図書館通学の条件として、榛名先生の手伝いがあるの。だからこれは、個人的なお願い」
「別にいいけど……何すればいい?」

 そこで私は、テーブルの本を示した。
「これを読んで、簡単な紹介文を添えたいの。さくらは本を読むのが早いし、感想も的確だし、力を貸してくれない?」
 本に目を向けたさくらは、あからさまにギョッとした。そして私に冷めた視線を移した。
「本気で言ってる?」
「だから、一生のお願いなの」

 渋々、さくらは席に着く。そして、
「まず、これからお願い」
 と私が渡した『星になる』を受け取った。

 あくまで、『周防真由美』という名は口にしない。
 仕事としてドライに、いち作家の作品の感想を書く。
 それだけの作業と割り切れば、彼女にとってもそこまでの負担にはならないだろう、そう思った。
 案の定、さくらは一時間もすれば本を読み終え、レポート用紙に三行ほどのコメントを用意してくれた。
「はい、これでいい?」
「ありがとう」

 受け取りながら彼女の顔を見た時、酷く顔色が悪い気がして、私は焦った……やはり、無理をさせてしまったのかもしれない。
「ごめん……大丈夫?」
「気にしないで、少し疲れただけ。今日は帰るわ」

 ‪⿻‬ ‪⿻‬ ‪⿻‬

 さくらが書いたコメントは、的確で分かりやすく、かつ人の興味を誘うもの。
 彼女がこの文章をどんな思いで書いたのかと思うと、私は心が痛くなった。
 ――やっぱり、やるべきじゃなかった。
 後悔だけが波のように押し寄せる。

 翌日のお昼。
 私はココに相談した。
「私、謝る。そして、全部打ち明けたいの――ココの事も」
 おにぎりを頬張っていたココは食べる手を止めた。
「そなた、正気か?」
「うん」
「我の存在をどう示す?」
「さくらに紹介する。だから、彼女の前に姿を見せて」
 ココは狐面の奥から、じっと私を見ている。
「私、やっぱり、さくらと友達になりたい。友達がどういうものだか、まだよく分からないけど、さくらの近くにいたいの……見捨てたくないの」

 しばらく私を眺めていたけれど、そのうちココはいつもの様子でおにぎりを食べだした。
「それには、あやつを再びこの部屋に呼び出さねばならんぞ。それができるのか?」

 分かってる。それが一番難しいと。
 きっとさくらは、もうこの部屋には来ない。
 そんな彼女に、ココの存在を知らせる方法……。

 ふと思い付き、私は立ち上がった。
 そして、無地のテーブルクロスを剥ぎ取り、元の花柄を現す。

 そこに置かれた、五芒星の描かれた五十音表はやはり、そのままそこに貼り付いていた。

 私はそれに手を伸ばす。
「これを動かせば、ココは私に取り憑くのね」
「まぁ、そうなるが……」

 それを聞き、私は両手で五十音表を取り上げた。
「おい――!」
 慌てた様子のココに、私はニコリと微笑んだ。
「ココになら、呪われても取り憑かれても構わないし……こうすれば、ココも外に出られるって事よね」

 ココは唖然と私を見上げていたが、しばらくしてからククク……と笑った。
「そなた存外、阿呆あほうだな」
「阿呆でも何でもいい。私は後悔したくない……もう二度と」

 ‪⿻‬ ‪⿻‬ ‪⿻‬

 五十音表は、破損さえしなければ折り畳んでもいいらしい。けれど、濡れて文字がかすれたり破れたりすれば……
「そなたの命が危ういと思い知れ」
「はいはい。でもこれで、ココにもっと色々な『お供え』ができるようになるね……パフェとか、タコ焼きとか、クレープとか」
 ココの喉がゴクンと鳴る。

 それでも簡単に死にたくはないので、丁寧に畳んだ五十音表を防水の袋に入れて、お守り袋に納めて首から提げる。
 これでいつでもココと一緒だ。

「……まぁ、我がこの世界に存在するまでの話だ。我が消えれば、そなたは自由だ」
「ココがココの世界に帰っても、でしょ?」
「まあ、そうだが……」

 その日はやはり、さくらは図書準備室に来なかった。
 彼女の心をほぐすための作戦を冷静に練ろうと、私はココを連れて帰途に着く。

 ココは不思議な存在で、体重がない。かといって、フワフワと浮いてる訳でもなく、普通に歩きもすれば、私の肩に乗っかったりもする。
「誰に対して姿を見せるも姿を消すも、重くなるも軽くなるも自由自在だ……我から見れば、姿形を変えられない人間の方が不便な生き物だ」

 つまり、バス停のベンチで私の肩に座っているこの奇妙な子供は、他の人からは見えないのだ。
 ココは足をブラブラさせて、夕暮れの学園坂を見下ろしている。
「珍しい?」
 私が聞くと、ココは
「人間の世界にはあまり来た事がなかったのでな」
 と答えた。

 そして、バスを見て私の頭にしがみつく。
「な、何だ、この鉄の箱は……動くぞ!」
「大丈夫、私にくっついていれば」
 慣れるまで大変そうだ。

 今日もまた、バスを降りたところで悠介に会った。
「なんか嬉しそうだな」
 並んで歩きながら悠介が言う。
「ちょっとね」
 やはり、私の肩でうつらうつらとしているココの姿は見えていないようだ。

 ココが生きていくのに、食べ物は必要ない。
 けれど、人間の食べ物は美味しいから、食べるのは好きらしい。
 だから、
「最近、お腹が空いちゃって……夜食に」
 と、夕飯の残りのコロッケを分けてもらって部屋に入ると、すぐさまココはかじりついた。
「うむ、芋のホクホク感とトウキビの甘みを包み込むサクッとした衣が絶妙だな」
「ココ、人間の世界、何周目?」

 コロッケがなくなったところで、私はココと向き合った。
「絶対に失敗できない。だから、しっかり作戦を立てなきゃ」
 畳にあぐらをかいたココは、名残惜しそうにコロッケの皿を眺めて言った。
「考えすぎは害であるぞ」
「どういう事?」
「そなた、人付き合いが苦手だな」
「…………」
「人の心は流れる水のごとし。その場になってみねば分からぬ事もある」

 確かに、私は人との付き合いを避けてきた。だから、人と話す時は必要以上に身構えてしまう。
 その自覚はあった。

「なるようになる……今日は早く寝るが良い。朝になれば光はさすゆえ」
 と、ココはゴロンと横になった。一応、夜は寝る習性があるようだ……あれ、妖怪なのに夜は寝るの?

 とはいえ、スヤスヤと寝息を立てだしたココの穏やかな寝顔が可愛くて、私はしばらく眺めてからそっとベッドに運ぶ。
「…………」
 少しベッドは狭くなるけれど、これも悪くない。

 おやすみ……と小声で囁いてから、私は学習机に向かった。
 『メアリのために』――やはりこれが、全ての鍵なのだろう。
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