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── 春の章 ──
(14)五脚目の椅子②
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放課後。
目の前に、「五脚目の椅子」の真相に……いや、この部屋の秘密に最も近いだろう人物と深く関わりのある存在があるのに、触れられない葛藤が私の心を重くしていた。
周防さくらは適当な冊子を手に取り、テーブルの片隅でページをめくっていた。澄ました横顔からは、私の葛藤を知る由もない事が伺われる。
私も本を開きながら、けれど全く読書が進まない。
同好会という形になったのだからこの部屋は安泰だし、来月の講演会まで待っていればいい。そうには違いないのだが……。
それが、さくらに対する欺瞞に思えて仕方ないのだ。
偶然の成り行きとはいえ、事情を隠したまま彼女を巻き込んだのには違いないのだし、第一、彼女の母がこの部屋を見れば全て分かる事なのだ。
それなのに、さくらに私のほんとうの目的を明かさないでいるのは、彼女をガッカリさせるだろう。
もし私が同じ事をされたら、人間不信に陥るに違いない。
……多分、私はさくらと「友達」になりたいんだ。
だから、彼女から見た私という存在に、ガッカリさせたくないんだ。
その日の帰りも、私がバス停を降りたところで悠介と会った。
「従姉妹のねーちゃん」
揃いのジャージ姿の友達にそう紹介され、
「どうも……」
と挨拶すると、彼らは悠介を冷やかしながら、賑やかに去って行った。
「ねえ、……友達って、何?」
突然聞かれた悠介は驚いた顔をした。
「なんだよ、急に」
「何となく」
多分、叔母から私の事情は聞いているだろう……私が誰とも触れ合いたくなくて、図書館通学している事も。
だから茶化さずに、彼なりに真面目に答えてくれた。
「一緒にいて飽きない、とか?」
「他には?」
「楽しい」
「他には?」
「うーん、そう言われると、けっこう難しいな」
夕暮れの商店街を並んで歩く。
しばらく考えこんでいるようだったが、やがて悠介はボソリと言った。
「似てんだろうな、多分」
「…………」
「趣味とか、笑いのツボとか。でも、全部同じじゃないから、違う部分は似せてくんだよ。だから俺は『ジュジュジュ大戦』を読むんだと思う」
⿻ ⿻ ⿻
週末考えた末、私は決めた。
さくらならどうして欲しいかを真剣に考えると。
私と彼女の根っこに似たところがあるのなら、私が納得できる解決法が最適解なんだ、多分。
そう思い、放課後にやって来た彼女に、私は『メアリのために』を差し出した。
「これ、読んでほしいの」
彼女なら、名前を出さずとも、序章を読めば作者が分かるはず、と考えたのだ。
さくらは頭がいい。まともに授業を受けていたら、学年トップクラスだろう。
だから理解力が高くて読書スピードが早い。ものの十分で読み終えると冊子を閉じた。
「どうだった?」
すると、さくらは答えた。
「四部構成のリレー小説。主観がバラバラだから、ひとつの作品としては完成度は低い。素人ならこんなモノかな。作者個別に言えば、序章の作者は文章力はあるんだけど、心理描写がしつこいのが欠点。二章は文章が稚拙で、せっかくのファンタジー世界を表現しきれてない。三章は自己中な恋愛小説。四章は、終わらせ方が強引な気がする。ハッピーなのかアンハッピーなのか、解釈が分かれるところね」
つらつらと彼女が語ったのは、感想ではなく評論。こういう読み方もあるのか……と、私は唖然とした。
とはいえ、私はこの時、大きな思い違いをしていた事にようやく気付いた。
彼女は母が嫌い。
つまり、母の――周防真由美の著作に全く触れていないのだ。
それでは、この物語に疑問を持てるはずもない。
戸惑うどころの話じゃない。この物語の正体を探る取りかかりにと思ったのだが、全く意味がなかったのだ。
そんな私に、さくらは
「これがどうかしたの?」
と尋ねた。
「あ……ちょっと、面白いかなと」
「そう」
さくらはそう言って、次の冊子へ目を移そうとして手を止めた。
「でも、気になる描写があった」
「何?」
少し期待をして彼女を見ると、
「来て」
と、さくらは私の手を引いた。
――向かった先は、礼拝堂の裏。
カトリック系のこの学校は、元々、戦時中の空襲で両親を失った戦災孤児を集めた孤児院だったらしく、修道院が併設されている。
そして、学校と修道院の中間に礼拝堂があり、学校行事でミサが行なわれたり、合唱部有志の聖歌隊によるコンサートが催されたりする。
その裏は低い崖になっていて、学園坂から海へと広がる街並みが見渡せる。
私はこの時、初めてこの場所に来た。
図書館とバス停を往復するだけで、私はこの学校の事を何も知らなかったのだ。
「去年の途中までは真面目にやってて、ボランティア部だったの。ボランティア部は修道院が主な活動場所だから、この辺をよく通って、知ってた」
さくらは吹き上げる風になびく前髪を煩わしそうにかき上げた。
「――序章の、主人公の旅立ちの場面。ここがモデルじゃないかな」
崖に立つ桜は既に花を失い、若い緑が爽やかな色を添えている。
その向こうの、夕日を浴びた慌ただしい街を草原と置き換えると、私の脳内に浮かんだイメージと完全に一致した――『メアリのために』の序章と、『星になる』の序盤の、旅立ちの場面。
ここから海を見ると、どこまでも飛んでいける気がする。両腕を伸ばして翼を広げ、崖を吹き上げる風に身を任せたくなる。
もしかしたら、作者も同じ思いでこの景色を見たんじゃないか。だから、旅立ちの場面にここを選んだんじゃないか――そう思った。
⿻ ⿻ ⿻
とはいえ。
今日は何もできなかった。
さくらにさりげなく気付かせたいと考えた計画が、出鼻から挫かれたから。
まさか、『星になる』を読めと押し付ける訳にもいかないし、映画のDVDを観ようと誘うにもテレビがないし、わざとらしい。
「どうしよう……」
ベッドで寝返りを打った私の目に飛び込んだのは、カーテンの隙間から見える灯台の明かり。
GPSが地球上どこにいても場所を知らせてくれるこの時代でも、アナログな手段で陸地を船に知らせる灯台は現役なのだ。
「アナログ……知らせる……」
ふと私の頭に焦りが浮かぶ。何かを忘れている気がする。アナログ……知らせる……
「…………あ」
思い出した。図書館新聞だ。
榛名先生に、『周防真由美特集』の編集を頼まれてたんだった!
そこで私はガバッと起き上がった。
――さくらに『星になる』を読ませるのに、これを利用できるかもしれない。
目の前に、「五脚目の椅子」の真相に……いや、この部屋の秘密に最も近いだろう人物と深く関わりのある存在があるのに、触れられない葛藤が私の心を重くしていた。
周防さくらは適当な冊子を手に取り、テーブルの片隅でページをめくっていた。澄ました横顔からは、私の葛藤を知る由もない事が伺われる。
私も本を開きながら、けれど全く読書が進まない。
同好会という形になったのだからこの部屋は安泰だし、来月の講演会まで待っていればいい。そうには違いないのだが……。
それが、さくらに対する欺瞞に思えて仕方ないのだ。
偶然の成り行きとはいえ、事情を隠したまま彼女を巻き込んだのには違いないのだし、第一、彼女の母がこの部屋を見れば全て分かる事なのだ。
それなのに、さくらに私のほんとうの目的を明かさないでいるのは、彼女をガッカリさせるだろう。
もし私が同じ事をされたら、人間不信に陥るに違いない。
……多分、私はさくらと「友達」になりたいんだ。
だから、彼女から見た私という存在に、ガッカリさせたくないんだ。
その日の帰りも、私がバス停を降りたところで悠介と会った。
「従姉妹のねーちゃん」
揃いのジャージ姿の友達にそう紹介され、
「どうも……」
と挨拶すると、彼らは悠介を冷やかしながら、賑やかに去って行った。
「ねえ、……友達って、何?」
突然聞かれた悠介は驚いた顔をした。
「なんだよ、急に」
「何となく」
多分、叔母から私の事情は聞いているだろう……私が誰とも触れ合いたくなくて、図書館通学している事も。
だから茶化さずに、彼なりに真面目に答えてくれた。
「一緒にいて飽きない、とか?」
「他には?」
「楽しい」
「他には?」
「うーん、そう言われると、けっこう難しいな」
夕暮れの商店街を並んで歩く。
しばらく考えこんでいるようだったが、やがて悠介はボソリと言った。
「似てんだろうな、多分」
「…………」
「趣味とか、笑いのツボとか。でも、全部同じじゃないから、違う部分は似せてくんだよ。だから俺は『ジュジュジュ大戦』を読むんだと思う」
⿻ ⿻ ⿻
週末考えた末、私は決めた。
さくらならどうして欲しいかを真剣に考えると。
私と彼女の根っこに似たところがあるのなら、私が納得できる解決法が最適解なんだ、多分。
そう思い、放課後にやって来た彼女に、私は『メアリのために』を差し出した。
「これ、読んでほしいの」
彼女なら、名前を出さずとも、序章を読めば作者が分かるはず、と考えたのだ。
さくらは頭がいい。まともに授業を受けていたら、学年トップクラスだろう。
だから理解力が高くて読書スピードが早い。ものの十分で読み終えると冊子を閉じた。
「どうだった?」
すると、さくらは答えた。
「四部構成のリレー小説。主観がバラバラだから、ひとつの作品としては完成度は低い。素人ならこんなモノかな。作者個別に言えば、序章の作者は文章力はあるんだけど、心理描写がしつこいのが欠点。二章は文章が稚拙で、せっかくのファンタジー世界を表現しきれてない。三章は自己中な恋愛小説。四章は、終わらせ方が強引な気がする。ハッピーなのかアンハッピーなのか、解釈が分かれるところね」
つらつらと彼女が語ったのは、感想ではなく評論。こういう読み方もあるのか……と、私は唖然とした。
とはいえ、私はこの時、大きな思い違いをしていた事にようやく気付いた。
彼女は母が嫌い。
つまり、母の――周防真由美の著作に全く触れていないのだ。
それでは、この物語に疑問を持てるはずもない。
戸惑うどころの話じゃない。この物語の正体を探る取りかかりにと思ったのだが、全く意味がなかったのだ。
そんな私に、さくらは
「これがどうかしたの?」
と尋ねた。
「あ……ちょっと、面白いかなと」
「そう」
さくらはそう言って、次の冊子へ目を移そうとして手を止めた。
「でも、気になる描写があった」
「何?」
少し期待をして彼女を見ると、
「来て」
と、さくらは私の手を引いた。
――向かった先は、礼拝堂の裏。
カトリック系のこの学校は、元々、戦時中の空襲で両親を失った戦災孤児を集めた孤児院だったらしく、修道院が併設されている。
そして、学校と修道院の中間に礼拝堂があり、学校行事でミサが行なわれたり、合唱部有志の聖歌隊によるコンサートが催されたりする。
その裏は低い崖になっていて、学園坂から海へと広がる街並みが見渡せる。
私はこの時、初めてこの場所に来た。
図書館とバス停を往復するだけで、私はこの学校の事を何も知らなかったのだ。
「去年の途中までは真面目にやってて、ボランティア部だったの。ボランティア部は修道院が主な活動場所だから、この辺をよく通って、知ってた」
さくらは吹き上げる風になびく前髪を煩わしそうにかき上げた。
「――序章の、主人公の旅立ちの場面。ここがモデルじゃないかな」
崖に立つ桜は既に花を失い、若い緑が爽やかな色を添えている。
その向こうの、夕日を浴びた慌ただしい街を草原と置き換えると、私の脳内に浮かんだイメージと完全に一致した――『メアリのために』の序章と、『星になる』の序盤の、旅立ちの場面。
ここから海を見ると、どこまでも飛んでいける気がする。両腕を伸ばして翼を広げ、崖を吹き上げる風に身を任せたくなる。
もしかしたら、作者も同じ思いでこの景色を見たんじゃないか。だから、旅立ちの場面にここを選んだんじゃないか――そう思った。
⿻ ⿻ ⿻
とはいえ。
今日は何もできなかった。
さくらにさりげなく気付かせたいと考えた計画が、出鼻から挫かれたから。
まさか、『星になる』を読めと押し付ける訳にもいかないし、映画のDVDを観ようと誘うにもテレビがないし、わざとらしい。
「どうしよう……」
ベッドで寝返りを打った私の目に飛び込んだのは、カーテンの隙間から見える灯台の明かり。
GPSが地球上どこにいても場所を知らせてくれるこの時代でも、アナログな手段で陸地を船に知らせる灯台は現役なのだ。
「アナログ……知らせる……」
ふと私の頭に焦りが浮かぶ。何かを忘れている気がする。アナログ……知らせる……
「…………あ」
思い出した。図書館新聞だ。
榛名先生に、『周防真由美特集』の編集を頼まれてたんだった!
そこで私はガバッと起き上がった。
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