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── 春の章 ──

(12)寄生虫②

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 けれど、部員を募集するとして、一番の問題になるのが、「シキガミさま」の五十音表。
 動かせない上、存在感がおどろおどろしいから、何とかしなければならない。
「それだけどね……」
 榛名先生は、どこからか大きな布を持ってきた。
「上からもう一枚、テーブルクロスを掛けちゃう」

 なるほど、そうすれば場所を移動させないで隠せる。
 ……けれど、ココ的にはアリなのだろうか?
 と思ったのも杞憂だったようで、榛名先生の後ろに一瞬だけココが姿を見せ、親指を立てた「グッ」のポーズをした。大丈夫なようだ。

 昼食後から、部員勧誘のポスター作り。でも、掲示するには許可が必要で時間がかかるから、ポスターを持って人が集まる場所で声掛け、というのがこの学校での部活勧誘スタイルらしい。
 一年生の部活動が始まるのは、ゴールデンウィーク後から。四月中に体験入部を募って、そこで誘い込むのだ。

 主戦場は、放課後の昇降口前。
 女子校だから、野球部やサッカー部のようなガッツリ系は少ない。代わりに、それぞれの部活動が趣向を凝らした宣伝合戦を繰り広げる。
「おお、あなたは演劇部に入るというのですか」
 突然の寸劇が始まったり、フラッシュモブ的にブラスバンドの演奏が始まったり。

 自分自身が自画像になった美術部員の横で、私は圧倒されてしまっていた。ポスターを持って立っていても、周囲のパフォーマンスに視線を持っていかれて、私に目を向ける人などいない。
「文芸部に、入りませんか……」 
 小声で言っても、ブラスバンドがかき消してくる。

 結局、「私には無理だ」と結論づけて、引き下がるしかなかった。
「はぁ……」
 図書館に戻った私はため息を吐いた。こんなんじゃ、ココを元の世界に帰すどころか、秘密基地を守る事すらできない。
 自分の無力さが嫌になる。泣きそう。

 すると、
「文芸部の募集をしてるのはここですか?」
 と声がしたから、私は慌てて涙を拭った。

 ――図書館の入口に立っていたのは、周防さくらだった。
「体験入部してみたいんですけど」
 と、彼女は私の方にやって来る。私の醜態を見て冷やかしに来たのだろう。
 彼女は私の横に座ってまじまじと顔を向けた。
「文学が好きなイメージ、なかったよ」
「あ、それは……」
「転校生なんだよね。学校を移っても、文学への情熱は捨て切れない、ってやつ?」

 中途半端なノリで誤魔化すと墓穴を掘りそうな気がしたので、私は正直に彼女を秘密基地に案内した。
「この部屋を失いたくないの」

 榛名先生が掛けた無地のテーブルクロスが、強烈なレトロさというこの部屋のアイデンティティを隠している。
 詳しい事情を話したら引かれるに違いないから、私は表面上の理由だけを彼女に話した。
 この前の地震で現れたこの部屋を、歴代文芸部の部誌の保管庫にしたい。だから部員――いや同好会でいい、会員を集め既成事実を作れば、あとは榛名先生が何とかしてくれる……。

 そんな話をしている間、さくらは本棚の冊子をペラペラと眺めていた。
 そして、私が一通り話し終えたところでこう言った。
「お金にもならないのに、なんでこんなモノに情熱を捧げられるワケ?」
「…………」
「プロになる気はないんでしょ? 小説を書くのにどけだけ時間がかかるか、よく知ってる。それだけの時間をどうして、何にもならない、誰かに読まれもしないモノに費やせるの?」
「それは……」
 そもそも創作に興味がない私に、さくらが納得するように答えられるはずもなく、私は言葉に詰まった。

「……自分の中にたまり込んだ化け物を、文字にして吐き出す事で少しだけ弱らせる、かな」
 声に顔を向けると、いつの間にか、榛名先生が部屋の入口に立っていた。
「人から受けた刺激は、心の中の化け物に蓄積していくの。それを発散して弱めていかないと、人の心は歪んで、本当の化け物にしまう。発散方法は人それぞれでね。仕事に打ち込む人もいれば、スポーツをする人もいる。歌だったりファッションだったり、人とのおしゃべりだったり。創作活動ってのは、その一環だと思ってる」
「…………」
「その行為は、時に『自分を表現する』って呼ばれる。それはなかなかに勇気がいる事でね。何しろ、自分の心の化け物を……時には心の歪みそのものをさらけ出す事だから。それでも、文章を書く事でしか発散できない人は書くしかないの――自分が自分であるために」

 榛名先生の言葉は、さくらの心に届いたようだ。
 目を丸くして榛名先生を見ていた彼女は、
「私の歪みは、強くなりすぎた化け物のせい、なの?」
 と呟いた。
「……苦しいのね」
 榛名先生がそう言うと、さくらはこれまでに見せた事のない表情をした。
 口を一文字に閉じて震わせ、目を伏せる。
「もう、遅いのかな」
「人生に、遅いなんて事はひとつもないわ。死ぬまでが人生なんだもん」

 それからさくらは、グスンと鼻をすすってから顔を上げた。
「心の化け物、弱らせてみたい……文芸同好会に入れば、この部屋にまた、来ていいんだよね」

 ‪⿻‬ ‪⿻‬ ‪⿻

 その日の夕食は、晴れ晴れとした気持ちで食卓に向き合えた。
「文芸同好会に入る事にしたの」
 そう言うと、叔母は目を丸くした後、ニコリとした。
「素敵じゃない。私も本を読むのは好きよ」
 叔母はニコニコと急須でお茶を注ぐ。
「叔母さんは何部だったの?」
「うちは昔から和菓子屋でしょ? うちの母、厳しかったから、将来役に立つ事をしろって言われてね。仕方ないから茶道部に入ったのよ。でも、すごく楽しかった。そのおかげで、本格的に茶道を習い始めてね。うちの呈茶セットは一味違うって好評なのよ。何がどう役立つかなんて分からないんだから、今をめいっぱい楽しむのが一番よ」

 明るくしゃべる叔母の言葉の影に、自由奔放な姉に対する感情が見えて、私は静かにお茶を飲んだ。

 ――就寝前のベッドの上。
 スマホの投稿サイトを眺めれば、無限に物語がある……誰にも読まれないかもしれない、ただ自分の中の化け物をなだめるだけの物語が。
 一応、私も文芸同好会に入ったんだし、少しはらしい事をしようかと思ったのだけれど、こんなにたくさんの物語にあふれているのなら、私なんかが書く必要はないんじゃないかと思えてくる。

 榛名先生はこうも言っていた。
「創作活動ほどタチの悪い泥沼はないから覚悟しなさいね」
「入る前から脅してどうするんですか」
 さくらが笑うと、榛名先生も笑った。
「でもね、その泥沼が最高に気持ちイイのよ……ここだけの話、実は私、小説投稿サイトに登録しててね。たまに小説を書いてるんだよ。高校を卒業して創作から足を洗ったはずだったんだけど、今は発表する場はいくらでもあるから、またやりたくなっちゃった。あ、収益化してないから、副業には当たらないよ、念のため」

 一歩踏み込めば抜けられない泥沼。
 このサイトはまさにそれを体現しているように思える。
 ペンネームは教えてくれなかったけど、榛名先生はこの泥沼の奥底で、嬉々としてもがいているのだろう。

 一方で、その泥沼から抜け出し見下ろす立場になったのが、周防真由美。
 「利益」という鎖に手足を絡め取られ、引きずり上げられながらも、この鎖が切れて再び沼に落ち、有象無象に飲み込まれる恐怖と……どこかでそれを羨望する心境を抱えながら。

 一体どちらが幸せなんだろう?

 私はふと思った。
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