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── 春の章 ──

(7)二本木坂のミステリー御殿①

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 翌日は土曜日。
 今日明日と近くの公園で桜まつりがあるらしく、花見団子の注文が入っているからと、叔父も叔母も朝から慌ただしかった。
 それでもどうしても気になって、
「叔母さん、何回生なの?」
 と聞いてみる。叔母は少しキョトンとして、
「覚えてないわねえ」
 とだけ言って、店へ向かった。

 すると、悠介が声を掛けてきた。
「母さんの卒業アルバムのある場所、知ってるぜ」

 ――二階の端の物置部屋。
 叔母は跡取り娘だから、子供の頃からの思い出の品をここに納めてあるらしい。
 悠介は私を案内だけして、
「じゃ、俺は部活があるから」
 と出かけて行った。

 古い家にありがちな物持ちの良さなのだろう。揺れる木馬や年代モノのランドセルもある。
 そして、アルバム類は棚に立てられていた。
 幼稚園、小学校、中学校、高校……全て二冊ずつある。
「これは……」

 叔母のものと、母が残していったものだ。

「…………」
 私は一呼吸してから、『聖セシル学園女子高等学校』と印字された背表紙を取り出した。
 年号は、平成七年。
 表紙裏の寄せ書きに「芳子ちゃんへ」とあるから、叔母のものだ。

 平成七年に卒業となると、ココが呼び出された平成三年には入学すらしていない。
 私はアルバムを棚に戻し、隣にある同じ印字のものを手に取る。
 ――平成四年。
 ココが呼び出された翌年。

 表紙を開くと、当時流行ったのだろう、癖のある丸っこい文字で大きくこう書かれていた。

『輝け 星のように』

 母らしい。私は思った。
 そして、ページをめくっていく。
 知ってる先生は当然いないけれど、唯一、シスター・カタリナだけは分かった。ヴェールを被った顔立ちは驚くほど変わっていない。
 それから写真の中に母を追う。
 けれど、母を見つける前に、私を呼ぶ声に顔を上げた。

「ごめんね、雪乃ちゃん。今日、時間あるかしら? 急で悪いけど、ちょっと手伝ってくれない?」

 ‪⿻‬ ‪⿻‬ ‪⿻‬

「ありがとうございます」
 紺色の三角布とエプロン姿で、お客さんに紙袋を渡す。
「おや、バイトなの?」
 常連らしいおばさんが私に聞く。
「姪っ子なんですよ。しばらくうちにいるから、またよろしくお願いしますね」
 叔母がそう言うと、おばさんは「なるほどねー」と納得した顔で、レジの横に掛けられた写真に目を向けた。

 そこに写っているのは、宇宙服を着た母だ。

「お母さんと離れ離れで寂しいねぇ」
 おばさんにそう言われ、
「それほどでも……」
 と、私は小さく答えた。

 桜まつりだけあって、花見のお客さんが次々とやって来る。
「本当は悠介に手伝いを頼んでたんだけどね、試合前の合同練習で休みづらいと断られて。雪乃ちゃんがいてくれて助かったわ」
 そう言いつつ、叔母は手際よく注文を受けて箱詰めしていく。
 私は渡された菓子箱に賞味期限のシールを貼って、紙袋に詰める係。
 それでも、道にまで行列ができて焦る場面が何度かあった。

 やっと一息ついたのは、午後三時過ぎ。
「ごめんね、お昼、食べそびれちゃったね」
 叔母が申し訳なさそうに微笑んだ。
「大丈夫、そんなお腹空いてないし」
「蒸したての赤飯まんじゅう食べるかい?」
 厨房から叔父が顔を出す。
「じゃあ、お茶を淹れるわね」

 厨房の端の、電話や注文票が置かれた小さな机を丸椅子で囲んで小休憩。
 塩味と甘さが絶妙な赤飯を酒まんじゅうの皮で包んだ、若宮鶴梅堂の名物らしい。お腹も満たすし、お茶請けにちょうどいい。そして何より、できたてホカホカは従業員特権だ。

「そういえばさっき、私が何回生か気にしてたよね」
 叔母に言われ、私はハッと思い出した……初めての接客で気を張っていて、すっかり忘れていた。
「あっ……ちょっと、平成三年頃の事を知りたくて」
「平成三年? どうしてそんな?」
 と言われても、ココの話をするわけにもいかない。私は咄嗟に、
「母が学校にいた頃、どんな風だったのかな、と……」
 と答えた。
「そうね、生徒会長をやったり、英語のスピーチコンテストで優勝したり、優等生だったわよ。部活は、確かテニス部だったかしら。下手クソだけど部長をしてたわ」

 分かる気がする。
 頭はズバ抜けていいけど、スポーツ的な才能となるとちょっと疑問な、そういうタイプ。

「でもね、家だと全然優等生じゃなくてね。いつもギリギリまで寝てるから、よくバスに乗り遅れて、自転車で学校まで走ってくのよ。配達用の大きな箱の付いた自転車で」
 ここから学校まで、バスの停留所六つ分。自転車でも通学不可能な距離じゃない……学園坂がなければ。
 あの急坂を自転車で、と考えただけで息切れがしてくる。
「鬼の形相で漕いでくから、『若宮の鬼娘』なんて呼ばれて、妹の私が恥ずかしかったわ」
 その様子を想像して、私は不覚にも笑ってしまった。

 すると、店の方で声がした。
「すいませーん、いいですか?」
 慌てて赤飯まんじゅうをお茶で流し込んで、叔母が
「はーい」
 と店に出て行く。そして、
「あら、先生」
 と言うものだから、私は暖簾のれんの隙間から外を覗いた。

 そこにいたのは、叔母と似た年代のおばさん。
 ただ少し違うのは、シルバーヘアに青のメッシュを入れて、エスニック柄のターバンを巻いているところ。かなり個性的だ。
 すると、叔父が小声で囁いた。
「二本木通りの先生……作家の周防真由美さんだよ」
「えっ……!」
「お得意さんでね、よく買いに来てくれるんだ」
 そう言って叔父も出て行くので、私も恐る恐る顔を出す。

 ショーケース越しに叔母と話しているのだが、叔母が残念そうに声を上げた。
「あら、赤飯まんじゅうは、ついさっき売り切れてしまって……」
 まあ、私たちで食べたのだが。
「それは残念ね。今晩、編集さんがうちに来るからお茶請けとお土産にと思ったんだけど。この前、出版記念のご挨拶に持って行ったら大好評だったから」

「いくつご入用で?」
 叔父が聞くと、周防真由美は指折り数える。
「お茶請けに十個と、お土産用に二十個……なんて、予約もしないで買える数じゃないわよね、ごめんなさいね」
「何時に使われるので?」
「編集さんが来られるのが、夕方の六時ね……」
 すると、叔父がパチンと手を打った。
「今から作れば間に合うから、お宅まで持って行きますよ」
「あら、そんな……」

「お得意様ですもの、そのくらいの融通はさせていただきますよ」
 叔母はそう言って叔父に目配せする。早く仕事に取り掛かれと言いたいのだろう。

「本当、無理をお願いしてしまってごめんなさいね」
「いいえ、いつもお世話になってますから」

 すると、叔母の後ろに立っていた私に、周防真由美は顔を向けた。
「その制服、セシル学園?」
 ……ちゃんとした服がなかったから、制服のブラウスとスカートで接客をしていたのがバレてしまった。
 周防真由美はフフフと笑う。
「うちの娘も通ってるの。どこかで会ったらよろしくね」

 彼女はそう言うと、店を出かかったところで足を止めた。
「……もしかして、千佳ちかちゃんの娘さん?」
「えっ……はい」
 彼女は振り向き、まじまじと私を見る。
「千佳ちゃんにそっくりだもの」
「そう……ですか?」
「今は石見って苗字だっけ? でも私の中じゃ、いつまでも若宮の鬼娘よ――高校の頃、同級生でね。よく一緒に遊んだわ」
「…………」
「長話しちゃってごめんね、お母さんが地球に戻ってきたら、周防真由美が会いたがってたと、伝えてくれるかしら?」

 個性的な、自信に満ちた後ろ姿を見送り、私は小さくため息を吐いた……ここまで来ても、母の娘という立場から逃げられないと思うと、気が重い。
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