奇談屋「獄楽堂」

山岸マロニィ

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CASE1 菅池しおりの場合

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 そこまで語ると、しおりは獄楽に目を向けた。
「おかしいですよね。そんな場所にいる、姿も見えない存在を信じて、友達になっちゃうなんて」

 しかし獄楽は、薄笑いを浮かべたまま答えた。
「お話の内容に感想を持つのは、私の仕事ではありませんからな。私はただ、あなたのお話に買い取るだけの価値があるのか、見極めているだけです」

 ビオラの音色のような落ち着いた声は、だが淡々と答えた。
 ――本当に不思議な人だ。

 しおりは知っていた。
 同情などというものは、語り手の、そして聞き手の自意識を一瞬満足させるだけで、何の価値もない事を。

 だから今のしおりにとっては、今までに会ったどんな人物とも違う、獄楽のそんな姿勢が心地好かった。

 少し温くなったニッキ水を口にする。しかしピリリとした味わいは、口に強烈な清涼感をもたらした。

「……さて。そしてあなたは、それからどうなさったのですかな?」
 獄楽が促す。
 透き通った緑色の液体が揺れる瓶を両手で包み、しおりは口を動かした。

「私はその声と約束をしました。その日の放課後、必ずまたここに来ると。すると声は、ならば、早く教室に戻りなさい、いつまでもここにいては、秘密がバレてしまうからと、そう言いました――」


 ***


 授業が終わるチャイムを確認してから、しおりは教室に戻った。
 クラスメイトたちの視線が、一斉にしおりに注がれる。けれど、怖くはなかった。
 私は何も、悪い事をしていないのだから。

 するとすぐに、担任の先生に呼ばれた。
 職員室の端の面談用の椅子で、しおりは先生と向き合った。
「一体どうしたの? あなたが授業をサボるなんて」
 ……サボる。確かにしおりは、授業をサボった。それは悪い事だろう。
 けれどそれには理由があるし、その理由をただせば、しおりは決して間違ってはいない。

 けれどしおりは分かっていた。
 大人は、結果しか見ていない。その原因なんてどうでも良くて、結果が間違っているように見えたら、それは悪い事にされる。

 だから、どんなに言い訳をしたところで、機嫌を損ねるだけだ。本当の事なんて、言わない方がいいと思った。
 しおりは答えた。
「一時間目の国語のテストが、全然できなかったから、それで……」
 先生は自分の席からテストの束を持ってきて、パラパラとめくる。そしてしおりの答案用紙を抜き出して、テーブルに置いた。
「しおりちゃんらしくないじゃない」

 ――私らしさ。
 先生が、私の何を知ってるというの?
 何も分かってないくせに、私を型に嵌めないで。

 そう思ったけれど、反論するのも面倒で、しおりはペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい」

 ……教室に戻ると、嫌な空気がしおりに襲い掛かった。
 ヒソヒソと遠巻きに囁く視線。いつもは大声を上げている圭人も、窓際で取り巻きと集まり、小声で何か話している。

 だがしおりは淡々と、机から本を取り出し、読みはじめた。
 そんな視線はもうどうでも良くて、今のしおりはただ、業が全部終わるまで、静かに自分らしく過ごせれば、それで良かった。

 そして、六時間の授業が終わり、やや薄らいだ日差しの中を、より濃度を増した影を通り抜けて小屋に向かった。
 ささくれ立った木の扉を開けるのに、躊躇はなかった。

 すると、それはすぐに目に入った。
 黒ずんだ小便器の前。
 竹箕が置かれ、その上に瑞々しい木蓮モクレンの大きな葉が、何枚か重ねられている。
 それに丁寧に包まれるように、しおりの消しゴムが置かれていた。

 そっと手に取る。
 しおりの大好きなキャラクターの描かれたケースは破れ、まだ少ししか使っていなかった白い角は真っ黒に削れている。
 それに悲しい気持ちになりながらも、しおりは消しゴムの下面、鉛筆で黒く塗り潰された面を指で擦った。

 ……すると、鉛筆の汚れは薄くなり、現れたのは、青い油性ペンのママの文字。

「やっぱり私、間違ってなかった……」
 目に溜まった涙は頬を伝い流れ落ちた。
「ありがとう……」
 震える言葉に、薄黄緑のペンキが剥がれた扉の奥から声がした。
「良かったわ。しおりが喜んでくれて」

 ――その時、ふと疑問が浮かんだ。
 教室に戻ってから、しおりはトイレくらいしか教室を出ていない。
 圭人の席は、しおりの席の斜め後ろ。
 クラスメイトでない人がそこにいれば、気付かないはずがない。

 それにどうして、一度扉から出たにも関わらず、またこうして個室に籠っているのか?

 その疑問を打ち消すように、声は明るく続けた。
「私たち、友達だもんね」
「う、うん……」


「私の友達を悲しませる奴には、バチが当たるよ」



 ――その後、しおりは逃げるように帰宅した。
「ただいま」
 精一杯明るい声でそう言ってから、しおりは自分の部屋に入った。

 そして、筆箱から取り出した消しゴム。
「…………」
 お気に入りだったはずのそれは、しおりの手の中で、極めて不気味なもののように見えた。

 けれど、今ある消しゴムはこれしかなく、また買ってもらおうとすれば、失くしたと言い訳しなければならない。そんな事をすれば怒られるのは目に見えている。

 仕方なく、しおりは破れたケースをテープで補修し、汚れを丁寧に擦り取った。
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