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Ⅲ.敵

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 冴が軽トラで役場に戻ると、駐車場に三つの人影があった。坂口、野久保、あおいだ。
 彼らは冴を見付けると、手を振って招いた。

「係長!」
「何をしてるの?」
 すると、弾んだ声を出したのは野久保だった。
「監視カメラの届かない地域を調べる方法を考えていました」
 と言う彼の前にあるのは……。
「ドローン?」
「はい。これで空撮すれば、アヤカシの発生源を観察できないかと」
 野久保はそう言いながら、リモコンを動かしてドローンを浮き上がらせた。
「趣味で始めたんですが、せっかくなんで免許を取ろうかと練習中なんです」

 ドローンは瞬く間に役場の屋根を超え、敷地の周りを旋回し始める。
「で、ドローンのカメラからの映像が、こうやって見えるんです」
 あおいの手にあるタブレットに、鮮明な空撮映像が映っている。
「大したものだな。猪猟の追い込みにも使えそうだ」
 坂口が見上げて感心した。

「なるほど、ね……」
 冴も、ブーンと羽音を鳴らす黒い影を目で追う。
「試してみる価値はありそうね。……ただし、危険よ。私が現地で操作して、画像解析はあなたたちが……」
「係長」
 冴の言葉を切ったのは坂口だ。
「危険は承知してなきゃ、この部署にはいませんぜ、俺ら」
「そうですよ。私たちも終わらせたいんです、この災厄を」
 あおいの意思表示を野久保が継ぐ。
「僕まだ、出世コースを諦めてませんから。早くアヤカシを元からやっつけて、県庁に……」
 そこまで言って、野久保は口を閉ざした。……アヤカシが消えた時が、冴との別れでもあると、気付いたのだろう。

 そんな思いを全て受け止めて、冴は笑顔を作った。
「ありがとう。では、作戦を立てましょ」


 ◇


 決行は翌日だった。
 十時頃、軽トラに機材を載せて出発した一行は、いつものように鉄条網の前に到着した。

 今回の作戦の最大の懸念材料は、野久保の足の状態だった。
「大丈夫です!」
 と彼は言うものの、できるだけ負担を軽くするよう、坂口と猪岡が機材を運搬し、平坦なコースを選んで進む。
 先頭に立ち、地図を見ながら道案内をするのはあおいだ。陸上自衛官としての訓練から、地形を考えて移動する能力に長けている。
 殿しんがりを務める冴は、周囲を見渡し、その気配に気付いていた。……狼哉だ。雑木林の木陰に身を隠しながら、こちらに歩調を合わせ観察しているのだろう。

 そして、黒々とした森が目視できる位置まで来ると、準備に取り掛かる。
 ドローンの起動を確認し、カメラとタブレットとの通信状態を確める。
 野久保がドローンを操作、あおいがドローンの飛行コースを確認、冴がカメラからの映像を観察する。
 坂口と猪岡は、武器を携行し周囲を警戒する。

「現在位置確認。GPS、問題ありません」
「ドローンも問題なく動いてます」
「カメラの映像も問題なし。――始めるわよ」

 冴の合図でドローンが飛び立つ。念の為、高度は高めに設定、蟲族の領域に向かう。
 タブレットの画面に、黒々とした森が広がる。隙間のないほどに広がった木々の枝が覆い隠して、その下の様子は伺い知れない。

「…………」
 無駄足だったか、と冴は小さく息を吐いた。アヤカシの出現について、何らかの手がかりがあればと思ったのだが、そううまくはいかないようだ。

 ドローンは雄大な自然を映し出す。
 木々の間に池が見え、翠の水面が日差しを受けてキラキラと輝くさまは、仕事でなければ魅入るほどに美しい。

 ――と、一瞬映った池の畔の草地に、何かがチラリと見えた気がした。
「野久保君、池の周囲をゆっくり旋回して」
「了解」
 そして、カメラの角度が変わった瞬間、冴は確信した。
 ――何かがある。
「そこで高度を落として。もう少し近くで見たいわ」

 ……だが、それは叶わなかった。
 突然、カメラの画像が途切れたのだ。
 ドローンのカメラが何かに覆われたようだった。
 ――羽虫。冴には分かった。

「まままずい! プロペラに絡んだみたいだ!」
「GPSの反応が消えました。多分、墜落……」
「おい! あれを見ろ!」

 坂口の声にハッと顔を上げ、事態の深刻さに冴の背筋が凍った。
 森の上空に、黒いもやがかかっている。それは徐々に、濃さと大きさを増していく。
 ――蟲族を怒らせたのだ。

「即時退避! 装備は放棄して構わない。急いで!」
 冴の叫び声に、あおい、坂口、猪岡がすぐさま反応する。
「野久保君は、私が連れて行く」
「でも……」
「これは命令。身の安全を確保!」

 そう言っている間にも、黒い靄はこちらに迫ってくる。状況を察した三人は、ひとつ頷いて背を向けた。
「行くわよ」
 野久保に肩を貸し、冴は雑木林を駆け出す。既に音で、怒り狂った蟲の群れが背後に迫っているのが分かる。
「頑張って!」
「は、はい!」

 ……しかし、木の根に足を取られた野久保がよろめいた事で、状況は致命的になった。
 腿のホルスターから拳銃を取り出すが、数千、数万の羽虫の大群に効果があろうはずはない。
「…………」
 為す術なく唇を噛んだところで、だが銀色の風がすぐ横へやって来た。

「こいつは俺に任せろ。あんたは走れ!」
 狼哉である。「乗れ!」と銀色の背に野久保を拾い上げ、一目散に駆け出す。
 礼を言う間もなく、冴も走る。
 ……その視線の端に、白い影を見た直後――。

「狐式・陽炎かげろうの術」

 景色が歪む。酷い目眩がして、為す術なく冴は枯葉の上に転がった。
「…………」
 激しい耳鳴り。頭がクラクラして目を開けていられない。

 ……だが間もなく、それは治まった。
 ゆっくりと目を開くと、朱で縁取りした目がギョロリと見下ろしていた。

「――狐天」

「バカかおまえ。あれだけ蟲族にちょっかいを出すなと言っただろうが」
 辺りに虫の羽音はなかった。彼の妖術で、虫たちを退散させたのだろう。
 冴は服の落ち葉を払いながら立ち上がった。
「また借りができたな」
「おめえなんかを助けるワケねぇだろ! 俺は虫が嫌いだから山に帰しただけだ!」
 そう言って、狐天は顔を逸らした。
「今回は運が良かっただけだ。……いいか、次に何かしでかしたら、俺がおめえを殺すからな!」
 狐天はそう言うと、木々を縫って駆け去った。
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