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Ⅱ.半妖の巫女
⑮
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「……うー、気持ち悪い……」
翌日の野久保は、二日酔いで青い顔をしていた。
「チューハイを何本か空けたところまでは憶えてるんだけど、そこから先の記憶がない」
「それは良かったです……」
あおいは安堵しつつ席に着いた。
特殊治安係の本部には、いつものメンバーが顔を揃えていた。
坂口昇大副係長――副長と呼ぶ事になった――と猪岡勇也主任が向き合い、野久保智と巫あおいがその横で向き合う。そして、斜め前の席に、石上冴係長。
軽い朝礼を終えた後、はじめに声を上げたのは坂口だった。
「金曜の話――俺の立場だけは、はっきりさせておきたいです」
彼は事務机に両腕を組んで置いた。
「記憶を思い出しながら、俺が子供の頃の事を、親父に聞きました」
眉間に皺を寄せた坂口の表情に、あおいは背筋を伸ばした。
「ダム計画が持ち上がった当時、俺は小学生でした。まだ、今は役場になってる校舎は現役で、複式学級でしたが、ここに通ってました。四年生の時に廃校になり、俺は両親と隣町に引越しましたが……」
ダム計画が持ち上がり、若い世代が村外へ流出した最大の要因は、学校の閉鎖である。
子供を隣町の学校へ通わせるには、毎日、車で片道一時間の距離を送り迎えせねばならず、引っ越した方が合理的だからだ。
村には祖父母の世代が残り、田畑や植林の世話をした。
坂口の家の稼業は林業であったため、年老いた祖父だけでは賄えない。そのため父は、頻繁に村に通っていた。
そんな父は、財産である山を諦め切れないところがあったのだろう。「完全にダムに沈むまでは」と、村へ戻る可能性を捨てず、とりあえず一家は、賃貸住宅に住む事になった。
――それが、坂口の運命を分ける事になった。
「親父の話、ダム計画が潰されて、隣町へ越して家を建てた人たちは怒り狂ったみたいです。でもうちは賃貸住宅だったので、経済的な影響が少なく、親父は冷静に当時の状況を見ていました」
怒りの矛先は、御石神社の宮司に向けられた。
しかし、過激な行動に出たのは、村人のごく一部。村人の半数より多くは、ダム計画反対派だったからだ。……坂口の父もそちら側だった。
しかし、大きな声と過激な行動は目立ち、大多数の穏便な意見を封じ込めるものだ。
やがて村人全員がダム計画に賛成だったように主語が大きくなり、宮司一家は離散させられた。
「……あれは本当に可哀想だったと、親父は言っていました。しかし当時、下手に反論でもしようものなら、村八分どころか家を燃やされかねないと、皆口を噤んだようです。……それを聞いて、もう、何と言っていいか……」
坂口は目を伏せた。
「俺は、何も知らなかった。同級生たちが言っていた、宮司のせいで俺たちは貧乏なんだという言葉を真に受けていました。――申し訳ありません」
頭を下げる坂口に、冴は静かに微笑んだ。
「高校を卒業して、林業を継ぐために村に戻りました。村のために何かしたいという思いもありながら、複雑な気持ちもあったんですが、これでスッキリしました。これからは副官として、係長を精一杯支えていきます」
「ありがとう。これから、よろしくね」
そう言ってから、冴は一同を見渡した。
「ちょっと気になって、これまでにアヤカシが出た地域を、記録に残ってる限り調べてみたの」
冴の指がキーボードを叩く。壁のモニターの画面が動き、禁足地を示す地図が映し出された。
「最初に確認された二十五年前から、先週の猩々まで。これを見ると、広大な禁足地の中でも村寄りに出現地が偏っている事が分かるわ」
地図に、赤い×印が記されていく。それは確かに、御石山周辺の奥地にはない。
「それから、十六台の監視カメラの映像を分析。……といっても、監視カメラが付いたのは去年だから、直近の情報しかないけど。この一年間で現れたアヤカシの数は、先週のを除いて十三体。だいたい月に一回出現してる計算ね。その十三体がどこから現れたのか」
冴がモニターの前に移動し、ボールペンでとある地域を示す。
「その十三体出現の第一報は、隣接するF、G、H地点の監視カメラに集中している。ここと出現地とを結ぶ導線を繋げれば、アヤカシは、南西のこの方角から現れてると推測できる」
坂口がジロリと野久保を見る。
「あー、ええと、……その、監視システムと通信システムの安定化に手一杯で、情報の解析にまで手が回らず……」
おどおどと言い訳をする野久保を冴が庇った。
「人手不足だもの、仕方がないわ。……となると、地形から考えるに、出現地点は、だいたいこの辺り」
と冴のボールペンが、崖下の森林を指した。
そこで、恐る恐るあおいは手を挙げた。
「……すいません。そもそも、『特定外来妖物』って、何なんですか?」
部屋がしんと静まり返る。あおいは、タブーを踏んだのかも、と首を竦めた。
だがすぐに、猪岡があおいを援護する。
「俺も聞いておきたい」
冴は、腕組みをして壁にもたれた。
「いい機会ね。……とはいえ、私も全てを知っている訳じゃないけど。どの辺のところまで把握してるの?」
「二十五年前に突如現れだした、本来ここら辺にいるはずじゃない妖だと」
坂口が答えると、冴は頷いた。
「そう。これまでのデータを見ると、全て海外にルーツを持つモンスターの類と一致するの。窮奇、タクヒ、化蛇、九嬰……そして猩々。――問題は、それらがどうやって御石山地に現れたのか。そして、何のために村を目指していたのか。それが分からない」
嫌な沈黙が一同を包む。
意識のどこかで、疑問に持たなかったはずはない。
だが少なくとも、これまではそういう部分に気を配る余裕がなかった――もしくは、探ってはいけないと思っていた。
ただ、目の前にある駆除対象を、いかに効率良く狩るのかを、努めて他に意識を向ける事なく、考えていただけだった。
あっけらかんと、冴が当然の疑問を口にした事で、これまでの考えこそが異常だったのだと認識させられたのだ。
冴は続けた。
「その根本を絶たなければ、危機は終わらない。あなたがたには、それに協力して欲しい。お願いできるかしら?」
翌日の野久保は、二日酔いで青い顔をしていた。
「チューハイを何本か空けたところまでは憶えてるんだけど、そこから先の記憶がない」
「それは良かったです……」
あおいは安堵しつつ席に着いた。
特殊治安係の本部には、いつものメンバーが顔を揃えていた。
坂口昇大副係長――副長と呼ぶ事になった――と猪岡勇也主任が向き合い、野久保智と巫あおいがその横で向き合う。そして、斜め前の席に、石上冴係長。
軽い朝礼を終えた後、はじめに声を上げたのは坂口だった。
「金曜の話――俺の立場だけは、はっきりさせておきたいです」
彼は事務机に両腕を組んで置いた。
「記憶を思い出しながら、俺が子供の頃の事を、親父に聞きました」
眉間に皺を寄せた坂口の表情に、あおいは背筋を伸ばした。
「ダム計画が持ち上がった当時、俺は小学生でした。まだ、今は役場になってる校舎は現役で、複式学級でしたが、ここに通ってました。四年生の時に廃校になり、俺は両親と隣町に引越しましたが……」
ダム計画が持ち上がり、若い世代が村外へ流出した最大の要因は、学校の閉鎖である。
子供を隣町の学校へ通わせるには、毎日、車で片道一時間の距離を送り迎えせねばならず、引っ越した方が合理的だからだ。
村には祖父母の世代が残り、田畑や植林の世話をした。
坂口の家の稼業は林業であったため、年老いた祖父だけでは賄えない。そのため父は、頻繁に村に通っていた。
そんな父は、財産である山を諦め切れないところがあったのだろう。「完全にダムに沈むまでは」と、村へ戻る可能性を捨てず、とりあえず一家は、賃貸住宅に住む事になった。
――それが、坂口の運命を分ける事になった。
「親父の話、ダム計画が潰されて、隣町へ越して家を建てた人たちは怒り狂ったみたいです。でもうちは賃貸住宅だったので、経済的な影響が少なく、親父は冷静に当時の状況を見ていました」
怒りの矛先は、御石神社の宮司に向けられた。
しかし、過激な行動に出たのは、村人のごく一部。村人の半数より多くは、ダム計画反対派だったからだ。……坂口の父もそちら側だった。
しかし、大きな声と過激な行動は目立ち、大多数の穏便な意見を封じ込めるものだ。
やがて村人全員がダム計画に賛成だったように主語が大きくなり、宮司一家は離散させられた。
「……あれは本当に可哀想だったと、親父は言っていました。しかし当時、下手に反論でもしようものなら、村八分どころか家を燃やされかねないと、皆口を噤んだようです。……それを聞いて、もう、何と言っていいか……」
坂口は目を伏せた。
「俺は、何も知らなかった。同級生たちが言っていた、宮司のせいで俺たちは貧乏なんだという言葉を真に受けていました。――申し訳ありません」
頭を下げる坂口に、冴は静かに微笑んだ。
「高校を卒業して、林業を継ぐために村に戻りました。村のために何かしたいという思いもありながら、複雑な気持ちもあったんですが、これでスッキリしました。これからは副官として、係長を精一杯支えていきます」
「ありがとう。これから、よろしくね」
そう言ってから、冴は一同を見渡した。
「ちょっと気になって、これまでにアヤカシが出た地域を、記録に残ってる限り調べてみたの」
冴の指がキーボードを叩く。壁のモニターの画面が動き、禁足地を示す地図が映し出された。
「最初に確認された二十五年前から、先週の猩々まで。これを見ると、広大な禁足地の中でも村寄りに出現地が偏っている事が分かるわ」
地図に、赤い×印が記されていく。それは確かに、御石山周辺の奥地にはない。
「それから、十六台の監視カメラの映像を分析。……といっても、監視カメラが付いたのは去年だから、直近の情報しかないけど。この一年間で現れたアヤカシの数は、先週のを除いて十三体。だいたい月に一回出現してる計算ね。その十三体がどこから現れたのか」
冴がモニターの前に移動し、ボールペンでとある地域を示す。
「その十三体出現の第一報は、隣接するF、G、H地点の監視カメラに集中している。ここと出現地とを結ぶ導線を繋げれば、アヤカシは、南西のこの方角から現れてると推測できる」
坂口がジロリと野久保を見る。
「あー、ええと、……その、監視システムと通信システムの安定化に手一杯で、情報の解析にまで手が回らず……」
おどおどと言い訳をする野久保を冴が庇った。
「人手不足だもの、仕方がないわ。……となると、地形から考えるに、出現地点は、だいたいこの辺り」
と冴のボールペンが、崖下の森林を指した。
そこで、恐る恐るあおいは手を挙げた。
「……すいません。そもそも、『特定外来妖物』って、何なんですか?」
部屋がしんと静まり返る。あおいは、タブーを踏んだのかも、と首を竦めた。
だがすぐに、猪岡があおいを援護する。
「俺も聞いておきたい」
冴は、腕組みをして壁にもたれた。
「いい機会ね。……とはいえ、私も全てを知っている訳じゃないけど。どの辺のところまで把握してるの?」
「二十五年前に突如現れだした、本来ここら辺にいるはずじゃない妖だと」
坂口が答えると、冴は頷いた。
「そう。これまでのデータを見ると、全て海外にルーツを持つモンスターの類と一致するの。窮奇、タクヒ、化蛇、九嬰……そして猩々。――問題は、それらがどうやって御石山地に現れたのか。そして、何のために村を目指していたのか。それが分からない」
嫌な沈黙が一同を包む。
意識のどこかで、疑問に持たなかったはずはない。
だが少なくとも、これまではそういう部分に気を配る余裕がなかった――もしくは、探ってはいけないと思っていた。
ただ、目の前にある駆除対象を、いかに効率良く狩るのかを、努めて他に意識を向ける事なく、考えていただけだった。
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