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Ⅱ.半妖の巫女
⑪
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その日の午後。
石上冴は早退し、ある場所へと向かった。
――御石神社。
村の外れの高台、禁足地との境界にある。
石の鳥居は健在だった。しかし、石段は草に塗れ木の根に侵食され、足の踏み場を間違えれば危険なほどだ。
そして、石段を上がった先――。
すっかり雑草に覆われた境内の向こうに、屋根の落ちかけた廃墟があった。
「…………」
ここを最後に見たのは、四歳。記憶の隅に残っていてもおかしくはないと思ったのだが。
実際に目の前にしても、当時の思い出が脳裏に浮かぶ事はなかった。
草を踏みながら前に進む。
腐り落ちた賽銭箱の向こうに、朽ちた格子扉が落ちている。その向こうの拝殿の板の間は、苔や茸を生やし黒くぬかるんでいた。
しかし、冴の目的地はここではない。
拝殿を回り、本殿の裏。
雑木林の隙間に、確かにそれは存在した。
落ち葉が降り積もった形ばかりの石段は、その存在を知らなければ、気付きもしないだろう。
――これも、棗から聞いていた。
「本殿の裏にある石段は、妖の里に繋がっている」
彼らを見捨てた一族を、果たして許してくれるだろうか。
雑木林の奥へと消える薄暗い斜面をしばらく見上げた後、冴は傾いた石段へと踏み出した。
石段といっても、参道の石段のように整備されている訳ではない。比較的平らな天然石が、斜面を滑らないで済む程度に置かれているだけ。
だがそれが目印となり、道に迷わずには済みそうだ。
しかしすぐに、道は鉄条網で閉ざされた。
村と禁足地とを隔てる、物理的な結界。
これは、七妖衆を崩壊させた特定外来妖物の襲撃以降に建造された。
村の人々は、七妖衆を構成する妖と、特定外来妖物を同じものと考え、恐怖心を抱いている。
……昔は、禁足地などという概念すらなく、妖と人は、互いの里を行き来していたらしいが、今は心にも、隔たりができてしまった。
この場所には扉もなく、二メートルほどの高さに張られた有刺鉄線が立ち塞がる。それを超える事は困難に見えた――常人には。
冴は周囲を見渡し、鉄条網の近くに生えた木を選ぶと、それに向かって軽く助走を付ける。
「…………!」
その勢いで、枝のない幹を駆け上がる。そして身を翻し、背面跳びの要領で有刺鉄線を飛び越えた。
空中で体を反転させ着地し、平然と鉄条網を振り返る。
幼い頃から、普通と違う事は察していた。
身体能力が人間離れしている事を隠しながら生きてきたが、もうそんな必要はなさそうだ。
ゴツゴツした斜面を、鹿のように軽々と駆け上っていく。
並みの人間なら一時間ほどかかるだろう距離を、十分足らずで跳び抜ける。
すると斜面が緩やかになり、木々の隙間の先に開けた場所が見えてきた。
妖の里はもうすぐだ。
――と、冴は足を止めた。
首筋に、刺すような殺気を感じる。
振り向くまでもない。――彼らの領域に踏み込んだ者への洗礼だ。
「はじめまして。もしくは、お久しぶり――狐天」
気配は木の上を移動し、冴のすぐ後ろにやって来た。
「多分、お久しぶりだろうな。裏切り者の娘よ。何をしに来た?」
「礼を言いに来た。昨日、部下を助けてもらった。ありがとう」
気配は弓を番えたまま、冴の視線の先に姿を現した。
――狐天。
狐族の長であり、現在の七妖衆の頭領。
白い袍衣に朱の数珠を掛け、頭に狐面を付けている。
白い顔は、眉目秀麗な若者であるが、大きく尖った耳、そして背に揺れる九つの尻尾が、彼が人外である事を示す。
朱の縁取りをした目を細めて冴に近付くと、彼は鏃で彼女の頬に触れた。
「あれは、棗のオッサンに頼まれたから手伝ってやったまでだ。おめえの指図と知ってたら、この矢で射殺していただろうよ」
「そうか」
動揺ひとつ見せない冴に苛立ったのか、狐天は牙を剥き出した。
「用が済んだなら、とっとと帰りな。二度とここに顔を出すんじゃねえ」
「そうはいかない。――協力してもらえないだろうか? 特定外来妖物が、どうやってこの森にやって来たのか、調査をしたい」
「あ?」
「奴らが現れ続ける限り、おまえたちは枕を高くして眠れないだろう」
「…………」
「私はこの森から、アヤカシを駆逐したい。そして、かつての七妖衆を取り戻したいんだ」
「……と、言うと?」
狐天の細い目が、舐めるように冴を見据える。
表情ひとつ変えずに、冴は答えた。
「――鬼族を、復活させる」
「…………」
「私は、半分は鬼の血を引いている。その資格はあるだろう」
しばらく微動だにせず、狐天は冴を睨んでいたが、やがてゆっくりと鏃を下ろした。
「フン。いきなり来たかと思えば、とんでもねえ事を言い出す奴だ。……まぁいい。ついて来な」
狐天は弓を担ぎ、冴に背を向けた。
◇
妖の里は、御石山地の奥深くにある。
種族ごとに縄張りはあるが、そのどれもが、要石のあるとされる御石山を見渡せる位置にある。
狐族の里は竹林の中にあった。
竹を組み合わせて建てられた小屋は、朱の帳に彩られ、風情のある趣だ。
御簾を潜った先に待っていたのは、十匹の子狐たち。モフモフとした尻尾を揺らして、狐天――父にまとわり付いた。
「おかえり、父上」
「遊んで遊んで」
「何だ、オジサンに遊んでもらってたんじゃないのか?」
「オジサン、もう疲れたって」
「つまんない」
口々に言う子狐たちの視線の先、部屋の奥に、もうひとつの影があった。
――狼族の長・狼哉だ。
銀の毛皮に覆われた狼の顔をし、手足には鋭い爪と肉球がある。
ピンと立った耳に金の耳環を付け陣羽織を羽織ってはいるが、体の形や背後に覗くフサフサの尾は、人間に姿形の近い狐天と比べると、狼そのものだ。
その理由は、狐天が人に化けているから、という訳ではない。
妖は、非常に長寿である。
中でも狐天は現在、七妖衆の最長老で、齢千歳を超える。
一方、狼哉はまだ三百歳足らず。
妖は、年齢を重ねるほど、姿が人に近くなるのだ。
……神室課長に化けている狸磨は例外で、彼は人間社会に適応するよう、年齢を重ねた風に変化している。熟練の技である。
「オジサンとね、こうやって遊んでたんだよ」
子狐の一匹が狼哉に駆け寄り、小さな前足で毛深い首筋を掻いた。すると狼哉は首を伸ばし、
「やめてくれ、いい加減にしろ……」
と言いながらも、ハァハァと腹を見せて寝転がり、されるがままになっている。
そこに子狐たちが群がり、モフモフしたい放題だ。
「…………」
狐天が複雑な目で見下ろしていると、ようやく狼哉は冴の存在に気付いたようだ。
「何だ、どうにも臭うと思えば、人間を連れて来たのか?」
「いや――」
狐天は腕組みした。
「半妖の巫女だ」
石上冴は早退し、ある場所へと向かった。
――御石神社。
村の外れの高台、禁足地との境界にある。
石の鳥居は健在だった。しかし、石段は草に塗れ木の根に侵食され、足の踏み場を間違えれば危険なほどだ。
そして、石段を上がった先――。
すっかり雑草に覆われた境内の向こうに、屋根の落ちかけた廃墟があった。
「…………」
ここを最後に見たのは、四歳。記憶の隅に残っていてもおかしくはないと思ったのだが。
実際に目の前にしても、当時の思い出が脳裏に浮かぶ事はなかった。
草を踏みながら前に進む。
腐り落ちた賽銭箱の向こうに、朽ちた格子扉が落ちている。その向こうの拝殿の板の間は、苔や茸を生やし黒くぬかるんでいた。
しかし、冴の目的地はここではない。
拝殿を回り、本殿の裏。
雑木林の隙間に、確かにそれは存在した。
落ち葉が降り積もった形ばかりの石段は、その存在を知らなければ、気付きもしないだろう。
――これも、棗から聞いていた。
「本殿の裏にある石段は、妖の里に繋がっている」
彼らを見捨てた一族を、果たして許してくれるだろうか。
雑木林の奥へと消える薄暗い斜面をしばらく見上げた後、冴は傾いた石段へと踏み出した。
石段といっても、参道の石段のように整備されている訳ではない。比較的平らな天然石が、斜面を滑らないで済む程度に置かれているだけ。
だがそれが目印となり、道に迷わずには済みそうだ。
しかしすぐに、道は鉄条網で閉ざされた。
村と禁足地とを隔てる、物理的な結界。
これは、七妖衆を崩壊させた特定外来妖物の襲撃以降に建造された。
村の人々は、七妖衆を構成する妖と、特定外来妖物を同じものと考え、恐怖心を抱いている。
……昔は、禁足地などという概念すらなく、妖と人は、互いの里を行き来していたらしいが、今は心にも、隔たりができてしまった。
この場所には扉もなく、二メートルほどの高さに張られた有刺鉄線が立ち塞がる。それを超える事は困難に見えた――常人には。
冴は周囲を見渡し、鉄条網の近くに生えた木を選ぶと、それに向かって軽く助走を付ける。
「…………!」
その勢いで、枝のない幹を駆け上がる。そして身を翻し、背面跳びの要領で有刺鉄線を飛び越えた。
空中で体を反転させ着地し、平然と鉄条網を振り返る。
幼い頃から、普通と違う事は察していた。
身体能力が人間離れしている事を隠しながら生きてきたが、もうそんな必要はなさそうだ。
ゴツゴツした斜面を、鹿のように軽々と駆け上っていく。
並みの人間なら一時間ほどかかるだろう距離を、十分足らずで跳び抜ける。
すると斜面が緩やかになり、木々の隙間の先に開けた場所が見えてきた。
妖の里はもうすぐだ。
――と、冴は足を止めた。
首筋に、刺すような殺気を感じる。
振り向くまでもない。――彼らの領域に踏み込んだ者への洗礼だ。
「はじめまして。もしくは、お久しぶり――狐天」
気配は木の上を移動し、冴のすぐ後ろにやって来た。
「多分、お久しぶりだろうな。裏切り者の娘よ。何をしに来た?」
「礼を言いに来た。昨日、部下を助けてもらった。ありがとう」
気配は弓を番えたまま、冴の視線の先に姿を現した。
――狐天。
狐族の長であり、現在の七妖衆の頭領。
白い袍衣に朱の数珠を掛け、頭に狐面を付けている。
白い顔は、眉目秀麗な若者であるが、大きく尖った耳、そして背に揺れる九つの尻尾が、彼が人外である事を示す。
朱の縁取りをした目を細めて冴に近付くと、彼は鏃で彼女の頬に触れた。
「あれは、棗のオッサンに頼まれたから手伝ってやったまでだ。おめえの指図と知ってたら、この矢で射殺していただろうよ」
「そうか」
動揺ひとつ見せない冴に苛立ったのか、狐天は牙を剥き出した。
「用が済んだなら、とっとと帰りな。二度とここに顔を出すんじゃねえ」
「そうはいかない。――協力してもらえないだろうか? 特定外来妖物が、どうやってこの森にやって来たのか、調査をしたい」
「あ?」
「奴らが現れ続ける限り、おまえたちは枕を高くして眠れないだろう」
「…………」
「私はこの森から、アヤカシを駆逐したい。そして、かつての七妖衆を取り戻したいんだ」
「……と、言うと?」
狐天の細い目が、舐めるように冴を見据える。
表情ひとつ変えずに、冴は答えた。
「――鬼族を、復活させる」
「…………」
「私は、半分は鬼の血を引いている。その資格はあるだろう」
しばらく微動だにせず、狐天は冴を睨んでいたが、やがてゆっくりと鏃を下ろした。
「フン。いきなり来たかと思えば、とんでもねえ事を言い出す奴だ。……まぁいい。ついて来な」
狐天は弓を担ぎ、冴に背を向けた。
◇
妖の里は、御石山地の奥深くにある。
種族ごとに縄張りはあるが、そのどれもが、要石のあるとされる御石山を見渡せる位置にある。
狐族の里は竹林の中にあった。
竹を組み合わせて建てられた小屋は、朱の帳に彩られ、風情のある趣だ。
御簾を潜った先に待っていたのは、十匹の子狐たち。モフモフとした尻尾を揺らして、狐天――父にまとわり付いた。
「おかえり、父上」
「遊んで遊んで」
「何だ、オジサンに遊んでもらってたんじゃないのか?」
「オジサン、もう疲れたって」
「つまんない」
口々に言う子狐たちの視線の先、部屋の奥に、もうひとつの影があった。
――狼族の長・狼哉だ。
銀の毛皮に覆われた狼の顔をし、手足には鋭い爪と肉球がある。
ピンと立った耳に金の耳環を付け陣羽織を羽織ってはいるが、体の形や背後に覗くフサフサの尾は、人間に姿形の近い狐天と比べると、狼そのものだ。
その理由は、狐天が人に化けているから、という訳ではない。
妖は、非常に長寿である。
中でも狐天は現在、七妖衆の最長老で、齢千歳を超える。
一方、狼哉はまだ三百歳足らず。
妖は、年齢を重ねるほど、姿が人に近くなるのだ。
……神室課長に化けている狸磨は例外で、彼は人間社会に適応するよう、年齢を重ねた風に変化している。熟練の技である。
「オジサンとね、こうやって遊んでたんだよ」
子狐の一匹が狼哉に駆け寄り、小さな前足で毛深い首筋を掻いた。すると狼哉は首を伸ばし、
「やめてくれ、いい加減にしろ……」
と言いながらも、ハァハァと腹を見せて寝転がり、されるがままになっている。
そこに子狐たちが群がり、モフモフしたい放題だ。
「…………」
狐天が複雑な目で見下ろしていると、ようやく狼哉は冴の存在に気付いたようだ。
「何だ、どうにも臭うと思えば、人間を連れて来たのか?」
「いや――」
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「半妖の巫女だ」
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