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Ⅰ.特定外来妖物

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 ――だがその叫び声は、唐突な爆音に掻き消された。

 タタタタタタ。

 乾いた単調な、だが激しい音は空気を裂き、アヤカシの群れを無惨な屍へと変えていく。
「…………」
 突然の事に、あおいは銃剣を手にしたまま、呆然とそれを眺めた。そして銃声が一段落したところで、ようやく銃声の発生源へと目を向けた。

 ――視線の先の人影は、サブマシンガンを手に軽い足取りでこちらにやって来ると、あおいにライフル用のマガジンを差し出した。
「よく持ち堪えたわね。ご苦労さま」

 美しい人だった。
 歳は二十代後半だろうか。落ち着きのある雰囲気だ。
 耳に掛けたボブヘアーから覗く肌は色白で、整った顔立ちは芸術品のよう。
 無機質なほどの美貌を飾る長い睫毛の下から、黒真珠のような艶やかな目が、静かにあおいを見つめていた。

 突如現れた見知らぬ美女にあおいは戸惑い、命を助けられた礼を言うのも忘れ問い掛けた。
「あ、あなたは……?」
 そして彼女は気付いた。……この女性は、先程から通信に入っている。でなければ、このように会話をする事は不可能なはずだ。

 美女はあおいの不可解な表情に、イヤホンを示してニコリと笑顔を返した。
「自己紹介は後にしない? まだあちらは、諦めてなさそうよ」

 彼女が振り返った先で、銃撃を免れたモノ、もしくは致命傷を免れたモノが次々と起き上がる。
 あおいは慌てて小銃のマガジンを交換する。それをアヤカシに向けようとすると、だが革手袋をした手がそれを遮った。
「これじゃキリがないわ。……作戦があるの」
 彼女はそう言うと、背負った袋から何かを取り出し、思い切り前方に投げた。

 ……ペットボトル?

 500mlの、どこにでもある飲料用のものだ。水のような透明な液体が入っている。
 それは放物線を描き、二人とアヤカシの中間に落ちた。
 そこに、美女はサブマシンガンを向ける。
 タタタ、と短い銃声が弾けると同時に、ペットボトルが破裂した。
 ……と、漂ってくる匂い。

「……お酒?」
「そう」
 美女は長い睫毛をあおいに向けた。
「あのアヤカシは、猩々ショウジョウ。中国や東南アジアに生息している妖怪よ。お酒が好きなの」

 確かにそのようだった。
 二人の前で、アヤカシたちは一斉に向きを変え、赤い毛皮をなびかせてペットボトルに向かう。
 そこに美女は、蓋を外したペットボトルを数本、追加で投げた。

 すると猩々たちは、斜面に散らばるペットボトルに群がって、奪い合いの喧嘩を始めた。

「…………」

 もうすっかり意識は逸れ、こちらには興味のない様子だ。
 唖然とするあおいに、美女は言う。
「本来猩々は、人語を操るほどの知能を持っている。そして、決して好戦的ではない。あんな風に何も考えず、銃弾の前に出て来たり、人を襲ったりは考えにくい。何かの影響で、理性を失っていたような気がするわ」
「何かの影響?」
「――例えば、薬物」

 その言葉に目を丸くすると、美女はあおいに横顔を向けたまま続けた。
「あなたも気付いたでしょ? これだけの数の『特定外来妖物アヤカシ』がこの場所に現れたのには、何かカラクリがあると」

 ……確かに、今回のアヤカシの出現状況に、誘い込まれたかのような意図を感じた。

 彼女は黒真珠のような目を細め、哀れな怪物たちを眺めている。
「でも今は、それよりもまず、彼らを何とかしなければね。可哀想だけど」

 美女は踵を返し、斜面を上りだした。
 黒のジャケットに細身のスラックスという軽装だが、あおいが驚くほどに身軽な動きで進んでいく。
 サブマシンガンを担いだ背中を追いながら、あおいは眉根を寄せた。――この女性は、一体何者なのか?

 ゴツゴツとした斜面を少し行った先。平らになった場所に、今度は大きな焼酎のボトルが置かれていた。
 美女はあおいを振り返る。
「先程の戦闘中に、餌を撒いておいたの。……あなたの小銃の方が狙撃には向いているわ。あれを撃ってくれない?」
「は、はい……」

 狙い定めた一発が透明なボトルに穴を穿つ。そこからこぼれ出る酒の匂いに、猩々たちが次々と集まってきた。
 その様子はまるで、餌付けされる猿の群れのようだ。

「アヤカシとは、その性質を理解すれば怖いものではないの。けれど今は、その存在が秘密裏に置かれている。だから情報は隠蔽され、彼らとの付き合い方も失われた。知らないから、人は彼らを恐れる。……人の方が、よほど恐ろしいのに」

 影を含んだ美女の言葉に、あおいは顔を向けるが、その表情を確かめる前に、彼女は再び歩き出した。
「次に行くわよ」

 同じように設置された焼酎ボトルが四か所。進むほどに、集まる猩々の数も増えていく。

 そして最後に向かったところには、焼酎ボトルが十本ほど積まれていた。
 美女の指示であおいがボトルを撃ったのが合図になったのだろう。これまでのボトルを全て空にした猩々たちが一目散にやって来た。

 先程までの殺気が嘘のように、猩々たちは機嫌よく酒を口にし、中には酔って踊り出すモノもいる。
 あの戦闘は何だったのかと、あおいは呆然とその様子を眺めた。
 その肩にポンと手が置かれ、彼女はビクッと振り向いた。

 ――そこにいたのは、猪岡だった。

「何だ、これは?」
「さぁ……」
 あおいが返答に窮していると、代わりに美女が質問を返した。
「負傷したお仲間は?」
 見知らぬ美女に訝しげな顔を見せながらも、猪岡はすぐに答えた。
「坂口さんと野久保は軽トラに運んだ。坂口さんは頭を打っていたが、意識はある。命に別状はないだろう」
「なら良かったわ。……足を捻挫した彼に、ひとつ頼みがあるの」
「何だ?」
「禁足地内に、アヤカシが残ってないか確認して欲しい」

 すると、すぐさまイヤホンに野久保の返答があった。
「転んだ時、身を挺してタブレットを守って良かったです。画面割れもなく無事でした」
「そんな事はいい。結果を言え」
「すいません……。F地点、お二人がいるその場所です、それ以外のカメラに、アヤカシの姿はありません」

 大量の焼酎に集まった猩々たちは、銃弾の穿ったボトルの穴から酒を吸い、すっかり大人しくなった。
 楽しそうに踊る彼らを眺めながら、あおいは奇妙な思いに囚われていた。

 ――アヤカシとは、怖いものではない。

 彼女の言葉が、どうにも引っかかるのだ。
 共存する方法があるのならば、対話する方法があるのならば、なぜ人は、それをしないのか。

 なぜ彼らは、ここに現れたのか。

「いい頃合いね。――私と彼女で、対象を左右から殲滅するわ。あなたはそこから逃れたモノを狙撃して。一頭たりとも逃してはならない」
 美女の言葉に、猪岡は答えた。
「了解」

「待ってください」
 ほとんど無意識に、あおいは訴えた。
「彼らはもう、我々に敵意を持っていません。捕獲し、本来いる場所へ帰すという方法はできませんか?」

 サブマシンガンの残弾を確認しながら、だが美女は淡々と答えた。
「彼らは、存在を明かしてはならない生き物。この村以外では、その存在を認められていない。存在を隠したまま、どうやって運搬手段を確保するの? 飛行機? それとも船舶? どうやって秘密裏に事を運ぶ?」
「…………」
「駆除するしかないのよ」

 左側を美女、右側をあおい。互いに誤射のない位置と確認すると、猪岡が倒木で銃身を支え、照準を合わせた。
 三つの銃口の先にあるのは、三十頭ほどの酔い潰れた獣たち。

「三、二、一――」
「撃て!」

 サブマシンガンと自動小銃が同時に火を噴く。
 激しい銃声が、哀れなアヤカシを次々に肉片へと変えていく。
 飛び散る血飛沫と、絶鳴。
 弾幕から辛うじて逃れたモノにも、容赦ない狙撃が待っている。

 一分もかからなかった。
 叫び声と銃声の途切れた山林に、死の静寂が満ちた。

 虚脱した心持ちで、折り重なる死骸に近付く。
 強い酒の匂いは、血の匂いに打ち消されていた。
 ――アヤカシのものでも、血の匂いの不快さは、人と変わりないのだ。

 向こうから美女もやって来た。だが途中でピタリと足を止める。

 ――彼女の視線の先には、狙撃銃の銃口。

「何者だ?」
 猪岡の鋭い声が飛ぶ。
 だが美女は恐れる様子なく、ジャケットの中から身分証を取り出した。

「内閣府事務次官付庶務担当、石上いしがみさえ。今日から特殊治安係の係長として配属になったの。よろしくね」
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