百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾参】百合ノ蝕

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「……話を続けましょう」
 唐突に訪れた虚無の中で、零の口だけが動いていた。
「しかし、この事件により、貞吉さんの立場が絶望的になります。もし、貞吉さんが口を割れば、自分が何者であるかを確かめられるかもしれない。それを恐れた梅子さんは、一計を案じます」
 ――十九日のあの晩、貞吉と一緒にいたという証拠をでっち上げる。
「もうお分かりですね。――シーツに付着していた精液は、彼女自身のものです」

 ……生まれて初めての行為だった。
 その感覚は、梅子の頭を真っ白にした。
 気付けば、何度も何度も、疲労でベッドに身を投げるまで行っていた。
 精魂尽き果ては彼女は、絶望の底に落ちた。

「自分で自分が女の子でないと認める行為ですから、どれほど深く彼女を傷付けたか分かりません。しかしその代償として、貞吉さんの疑いが晴れたのです。……ですが、貞吉さんは気付きますよね、身に覚えのない事ですから。そこで彼女は、竹子さんのフリをして、貞吉さんに釘を刺します」

「――この事件が終わったら、私はあなただけのものになってあげる。……愛してるわ」

「貞吉さんは、心の中から疑問を消し去りました。――しかし、状況は彼女をどんどん追い詰めていきます。貞吉さんは、別の方向から逮捕され、動滑車の殺人装置の秘密が明かされる段になって、梅子さんは心を決めました。――死のうと」



 ――今、私は、秘密の通路に身を隠し、この手紙を書いています。
 この手紙が、あなたの手に届く頃には、私は死んでいるでしょう。
 でも、それでいいのです。私はこれ以上、生きていることはできません。
 それでも、私は、あなたの記憶の中に残りたいのです。女の子として。
 あなたの記憶の中にある私には、せめて女の子であってほしいのです。
 わがままだとは承知しております。しかし、私が女の子になった証を、どうかお受け取りください。

       来住野 梅子――



 そう締められた手紙を膝に置き、零は置かれたままの祭壇を見た。
「最期の彼女が、どれほどの苦痛の中にあったのか、私には想像もつきません。――それだけに、私は梅子さんを『彼女』と呼びます。これからも」

 永遠に続くかと思われる沈黙の中を、風が通り過ぎる。はらりと舞った前髪で意識を取り戻したように、零は口を開いた。
「私はひとつ、勘違いをしていました。水川杏子さんが今際の際に言い残した言葉です。
 ……人形を壊して。
 あれは、あなたの境遇を知った杏子さんの希望かと思っていました。しかし、違いましたね。――心を病んだあなたは、親友に、おぞましい願いを託したのです。それは彼女を、命ある限り苦しめました。あなたはもう、お忘れかもしれませんが。そしてそれが、彼女の母である水川夢子さんをも、凶行に走らせたのです」
 前髪の奥の目は、疲れ切った色を隠せない。最後の力を振り絞り、彼は言葉を吐き出した。
「……松子さん、あなたの罪を問う事は、この事件に於いてはできませんでした。しかし、私はそれが許せなかったのです。――あなたの目的は分かっていました。『人形を壊す』。つまり、あなたのお子さんである、竹子さん、梅子さんの両人を殺す事でした。――互いに殺し合わせ、自身の手は汚さずに。
 そこで、梅子さんが生きている事にして、私が囮になって、私に対する殺人未遂罪を、あなたに被って頂く事にしたのです」
「……悪魔ね、あなたは」
 全ての力を失った松子の顔は、何十歳も歳を取ったように見えた。
「あなたは、二人の命を奪う事で、父である十四郎さんの『秘密の桃源郷』を破壊して、彼に復讐しようとしたのですね」
「そう。直接殺すよりも、その方がこの男には堪えると思ったの。地位も、名誉も、家庭も、矜持も、全部奪ってやりたかった。その上で、蔑んでやりたかったのに」
「その目的は、達せられたのではありませんか」
「そうね。……でも、悔しいわ」
 松子は虚無の瞳で零を見た。
「――あなたまで、妹に奪われてしまったなんて」



 ――その後、不知火松子もヘロインを使用していた事が判明した。
 彼女が堕胎手術後、土蔵で気を病んでいたのは、禁断症状だったのである。そして、清弥が持ってきたヘロインを再度使用し、落ち着きを取り戻したのだ。
 しかし、それも一時の事で、彼女は睡眠薬に依存するようになっていった。「劇団の用事で」と言い訳をし、足繫く歌舞伎町の医院へ通い、睡眠薬を購入していた。それを、竹子と梅子にも分け与え、その依存性を利用して、より強く、彼女らを操ったのだ。

 一同が広間を出ると、赤松が待っていた。百々目からの連絡を受け、松子を迎えに来ていたのだ。
 長屋門の外には、報道陣が詰めかけている。青梅署の動きを追って来たのだろう。
 それを見ると、松子は足を止めた。
「――最後のわがままを、聞いてくれない?」
 零に目を向け、ニッコリと微笑む。
「あの子のわがままも聞いてあげたんだもの、私のわがままも聞いてくれるわよね? ――ねぇ、私、花沢凛麗で、この屋敷を出たいわ」
 百々目と赤松は顔を見合わせた。少し考えた後、百々目は答えた。
「いいでしょう。ただし、着替えの部屋に監視を付けさせて頂きます」
「レディーにそれは失礼よ」
「……私なら、いいですか?」
 そう言ったのは亀乃である。
「良かったら、私も、お着替えのお手伝いをさせてください」
 桜子も前に出る。松子は悠然と微笑んだ。

 ――三十分後。
 深紅のドレスを身にまとい、長屋門を出る彼女は、目を見張るばかりの美しさだった。

『花沢凛麗 殺人未遂の現行犯で逮捕』

 その見出しを添えて、翌日の新聞の紙面を、彼女の一世一代の晴れ姿が彩ったのである。



「――疲れました。精魂尽き果てました。満身創痍です」
 多摩荘の客室で、布団に身を投げた犬神零は、枕に顔を埋めて声を上げた。
「情けないの。それでも探偵か」
 その横で、ハルアキが西瓜をかじっている。それに横目を向けた零は、ふと思った。
「……もしかして、六壬式盤で、全部占ってました?」
 ハルアキは答えず、種を吐き出すと、零の分の西瓜に手を伸ばした。
「ここの西瓜は美味い。もう一週間ほど、泊まっていっても良いぞ」
「勘弁してください……」

 ……その夜の宴は、百々目の奢りだった。楢崎夫人とメイド姉妹、ハルアキまでも加わったのだが、
「この程度の出費で、私の懐が軽くなるとでも?」
と、百々目は零を睨んだ。
「警部殿も一杯いかがです?」
 零がお銚子を勧めるが、百々目は首を横に振った。
「いや、私はこれから東京に戻る」
「東京に?」
 その鋭い視線で、零は察した。……明日、鶴代を迎えに行く。つまりそれは、十四郎の逮捕状を持って行く、という意味なのだと。
 百々目は以前言っていた。――血筋や家柄というのは、無意味なものではあるが、利用価値は高い。
 そのを、ここで使う気なのだ。零は目を細めた。
「そんな事をすれば、あなたの立場は……」
 皇族である父の名を使い、与党からの圧力に屈する裁判所を動かす。それはすぐに警察上層部に知れるだろう。そうなれば、彼は公私共に、全ての立場を失う。
 だが百々目は悠然とポケットに手を入れた。
「私は約束は違わない男でね。……では失礼」
 ニヤリと零に向けた彼の目は、執念に燃える刑事のものだった。

 百々目以外の警察関係者は広間で泊まるようだ。――十四郎に、屋敷を出て行くよう強く言われたのだ。
「事件は全て解決したのだ! おまえたちが残っている理由はないだろう!」
 桜子は、亀乃だけでも連れ出そうとしたのだが、彼女は微笑んで断った。
「今晩一晩、鶴代様のお世話をさせてください。……明日、鶴代様を見送ってから、多摩荘へお伺いしますから」

 ――こうして、十四郎、鶴代、亀乃の三人が、百合御殿に残ったのである。

 ……その事が、彼らにとって、心を抉られるほどの後悔となるのだった。



 ――深夜。
「大変です! 大変です!!」
 数人の警官と共に、百合御殿を遠巻きに監視していた小木曽が、多摩荘に駆け込んで来た。そして叫んだ言葉が、広間の全員の血を凍り付かせた。

「――百合御殿が、燃えています!!」



 騒ぎで目を覚ました零も加わり、すぐさまつづら折れへ駆け付けたのだが、とても近付ける状況ではなかった。周囲の薮をも巻き込んで、山一帯が炎に包まれていたのだ。――まるで、かつてここにあった城が、一揆衆によって焼き討ちされたように。

 ――翌朝。
 若い衆を中心とする消防団の活躍により、火事は消し止められたのだが、屋敷の焼け跡からは、三体の焼死体が発見された。
 最も小さな一体は、死因も分からぬほど炭化しており、大人の女性のものからは、胸に弾創が発見された。
 ――そして、火元と思われる部屋から発見された、成人男性の焼死体は、後頭部が吹き飛ばされており、近くに焼け焦げた猟銃が転がっていた。

 早朝、東京から引き返してきた百々目は、来住野十四郎の逮捕状を破り捨てて叫んだ。
「クソッ! クソーッ!!」
 ――貞吉の猟銃。
 事件に直接関係がなかったため、押収の対象とならず、屋敷に残されていたのだ。
 頭を抱えて座り込む百々目に掛ける言葉を、零は持ち合わせていなかった。
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