百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾弐】月下ノ告白

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 細い指先が首筋を撫でる。喉元を伝った指は、着物の合わせに滑り込んだ。
「たまたま見掛けた雑誌でね、こんなにイイ男が東京にいるのなら、それは私と結ばれる運命に違いないと、そう思ったのよ」
 零は松子と視線を合わさず、じっと揺れるカーテンを眺めている。
「……私、心がないと言ったでしょ? 心がないって、空っぽって事。……空っぽの体を満たしたいのよ、あなたで」
 松子の頬が零の肩に置かれる。首筋に吐息が掛かる。
「あなたも同じじゃない? 空っぽの心。私には分かるわ。……あなたは、常に飢えている。その乾きを、私で満たしてあげたいの」
 指は胸を這い、腕を這い、節立った指に絡む。
「お互い、空っぽ同士、満たし合いましょ――愛で」
「――それは違うと思いますよ」
 そう答えたのは零だ。彼は松子の指を外し、しなだれ掛かる肩を押して立たせた。そしてまじまじと松子を見据えた。
「これで分かりましたよ。あなたは『心がない』と言っておきながら、不知火清弥さんを『愛していた』と仰った。その矛盾が気になっていたんですけどね。……あなたが認識する『愛』とは、心ではなく、体を満たすものなんですね」
「そうよ。それが何か?」
「そういうのは、私は愛とは呼びません。それはただ、生殖行為を基本とする生物の本能だと思います」
 松子の表情が曇る。……何を言っているんだこいつ、という言葉が、その表情に現れている。
「それに、そういうの、私、飽き飽きしてましてね。あなたも、ご自分の美貌に自覚がおありでしたら、分かりませんか? 全く興味のない人から言い寄られる迷惑さ」
「――迷惑? あなた、迷惑と言ったの?」
 松子の声が裏返った。
「はい。聞こえませんでしたか? こういう顔に生まれてしまったから、ある程度は仕方ないとは思ってますがね、それに蝿や蚊みたいにブンブン寄ってくる人は、全く信用なりません。嫌です。願い下げです」
「…………」
「あなた、昔はチヤホヤされてたでしょう。だからご理解頂けると、こうして話しています。あなたなら、私の気持ち、分かりますよね?」
「……全く分からないわ。私、花沢凛麗よ? その私に言い寄られて、断るの? 私に恥をかかせるの?」
「花沢凛麗という名を、未だに引きずっておられると。ならば、どんな事情があろうと、舞台を降りなければ良かったじゃありませんか。他人の目など関係ない。あなたが新しいスターの生き様を、示せば良かっただけですよね?」
「…………」
「あと、ここには私たちの他に誰もいません。ですから、恥にも何もなり得ません。違いますか?」
 松子の柳眉が逆立つ。唖然とした松子の目に、怒りの炎が燃え上がる。
「……馬鹿馬鹿しい。あんたみたいなのに期待した私が馬鹿だったわ。正論ぶって、心の欠片もない。あんたこそ、出来損ないの木偶の坊よ!」
「言われ慣れてるので全く響きませんね」
「アホ! カス! 間抜け! クソ野郎! とっとと出て行け! このクズ!」
「用件はそれだけですか。なら失礼します」

 ……廊下に出た零の背後で、ガシャンと何かが割れる音がした。フランス人形を床に叩き付けたのだろう。
 その後、全ての憤りをぶつけるように、激しくピアノが喚き出した。それは細かく音を刻み、洋館を抜けて、百合園に響いていく。

 離れでは桜子が、縁側で足をぶらぶらさせて星を見ていた。
「フラれたのねー」
「はい、フラれましたね」
 零も横に並ぶ。満点の星空に、歪な月が張り付いている。
「――ピアノソナタ『月光』第三楽章。不穏な夜の終わりには、ピッタリじゃない」



 ――七月二十七日。

 今日も朝から、来住野梅子の捜索は続いている。
 捜査員の中に混じって埃にまみれる百々目を見付け、犬神零は声を掛けた。
「お珍しい。せっかくの三つ揃いが台無しですよ」
「椅子に座っているのも飽き飽きしてね。……それにしても、暑い」
と、百々目は上着を脱ぎ捨てた。……昨夜、零に言われた事を根に持っているのだろう。零は苦笑した。
「汚れついでに、ちょっと調べてみませんか? ――例の隠し通路を」

 零は百々目、そして力のありそうな警官を三人従えて、東屋の座席の下に潜った。
「……狭いな」
「竹薮で蚊に襲われるよりマシです」
 何とか隠し通路の階段に降りると、それぞれシャベルやすきを手に、階段を下る。
 するとすぐに隠し通路の本道と合流する。そこからしばらく階段を進むと真っ暗な坂になり、鍾乳洞に出る。そこを少し入ったところで、零は足を止めた。
 天窓からの薄明かりの中、彼はある場所を示した。そこは、先にある何かを隠すように、石や砂利で塞がれていた。
「――水川夢子さんの言っていた脇道だと思います。村へ出られるようですよ。ちょっと、掘ってみましょう」
 五人は無心に掘る。地下のひんやりした空気ではあるが、流れる汗を引かせるほどではない。腕まくりをし、首に巻いた手拭いで汗を拭きながら、何とか人ひとりが通れる穴を掘った後には、全員汗だくだった。
 警官のひとりが、ベルトにぶら下げたカンテラを灯し、前方に掲げる。
 ――果たしてそこには、洞窟が続いていた。この先は、明かり取りの穴もなく真っ暗だ。方角的に、百合御殿の下を突っ切っているのだろう。
 カンテラを持った警官を先頭に進む。少々頭を下げれば、零や百々目でも十分に通れる高さはある。時々飛び出す蝙蝠の群れにヒヤリとさせられながらも、先へ行くと……。
「警部! この先が塞がれています!」
 果たして、土砂で閉ざされた突き当たりに出たのである。
「……また掘るしかなさそうですね……」
 再び土砂にシャベルを突き立てる。屈強な警官たちですら足腰が悲鳴を上げだしたところで、突如、穴が貫通した。
「――――!」
 そこから差し込む眩しさに目を細めながら眺めた、その先の光景は、まさしく丸井家の裏手だった。西集落を見下ろす山の麓に出たのだ。
「水川夢子さんのお話の通りですね」
 達成感と疲労で呆然とする零と百々目の背後で、カンテラの警官が声を上げた。
「警部! こ、これは!」
 カンテラの光の中にあった物は、通路を塞ぐ際に一緒に埋められていたのだろう、酷く泥で汚れていた。
 百々目は土砂の中からそれを拾い上げ、目を見開いた。
「これは――!」

 ――そして、捜査本部に戻ると、そのままある人物を呼び出した。
 彼は、百々目の手にあるものを見ると血の気を失った。
「これは、あなたのものですね、――来住野十四郎さん」
 泥に塗れた天狗の面は、虚ろな眼窩を、憔悴しきった顔に向けている。
「これは、あなたと水川夢子さんしか知らない隠し通路の枝道から発見されました。――十年前にこの村を騒がせた天狗の正体は、あなたですね?」
 すると、来住野十四郎はガクリとソファーに身を沈め、……クククと笑いだした。
「梅子が見つかったのかと思って来てみれば、そんな事かね?」
 その言葉に、百々目は眉を吊り上げた。
「そんな事――!」
「君、それでも警部かね。警視総監お墨付きの優秀な捜査員なのかね? ……傷害事件の時効は十年。その事件は、とっくに時効を迎えている。もし、私が犯人だとしても、それがどうかしたのかね?」

 十四郎を見送った後、ガクリと項垂れ、テーブルで頭を抱える百々目を、零は見ていられなかった。
「……参りましたね……」
 もちろん彼も、悔しくない訳はない。しかし法の前に、こればかりはどうしようもないのだ。零は頭を搔いた。そして思いを巡らせているうち、ある可能性に行き当たった。
「駐在所で詳しい事件発生日時を、確認してきませんか? もしかしたら、彼の勘違いの可能性だってあるかもしれませんし」
 そう言って零は、百々目を村に誘い出したのだった。

 廊下を出たところで行き会った桜子が、百々目の姿を見て目を丸くした。
「ちょっと、なんて格好してるのよ。泥だらけじゃないの」
 そして、待ってなさいよと奥に消えると、すぐさま濡れ布巾を持ってきた。
「顔くらい拭きなさいよ。せっかくのイイ男が台無しじゃない」
 そう言って桜子に思い切り顔を擦られた百々目は、幾分かましになった顔で、零に囁いた。
「君が彼女に勝てない理由が、分かった気がします」

 桜子も加え、三人でつづら折れを行く。道中、事情を聞いた桜子が憤怒したのは言うまでもない。
「あの男、クズよ! 最低だわ!」
「何とか逮捕できないかと、ずっと考えている」
 百々目にしては珍しく、噛み付くような声である。
「まあまあ。駐在所の記録に期待しましょう」
 ……しかし、現実はさらに百々目を落ち込ませるものだった。
「最終犯行日時が、明治四十四年の五月二十日。二ヶ月前に、時効は成立してますね……」
 小木曽が申し訳なさそうに、捜査資料を見せた。
「時効の数え方は、最終犯行日から十年ちょうど。こればかりは……」
「いや、まだだ!」
 百々目は立ち上がると声を上げた。
「被害届の出ている事件のうち、最後のものが五月二十日なのだ。君もそれを思って、未だにこの資料を処分していないのだろう。……今日の日付、七月二十七日以降に起きた事件が埋もれている可能性を!」
「いや、処分を忘れていただけ……」
 しかし、百々目は聞く耳を持たない。
「その埋もれた事件を探すのだよ!」
「そんな無茶な……」
 小木曽が嘆く。
 その横で零は顎を撫でて考えていた。この事件は、を生贄に収められたものだとしたら、新たに村人の証言を得るのは不可能だろう。しかし、既に被害が明白になっており、尚且つ、被害届を出していない人物なら、もしくは……。
 そう思い至ると、彼はハッと顔を上げた。
「――天狗を極端に恐れる、当時小学生だった方なら、二人知っています」
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