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【拾壱】悪鬼
⑥
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――その夜。
捜査員総出の捜索にも関わらず、来住野梅子と自称する少女の姿は発見できなかった。
亀乃が昼食を部屋に運んだ時には、その姿を確認している。恐らく、その後の捜査本部の動きを察して、逃亡を図ったのだろう。
しかしだ。彼女の部屋のある増築部分は、先述したように、廊下がカタツムリのような渦巻きになっており、その出口は広間横の廊下としか繋がっていない。その日の午後は、不知火清弥の持ち物からヘロインが発見された騒ぎで、捜査本部のある洋間とも繋がるその廊下には、絶えず捜査員が行き来していた。さらに夕方からは、捜査員の休憩室として貸し出された広間の後方に、夜勤との交代にやってきた捜査員たちが頻繁に出入りしていたのだ。その中に、梅子の姿を見た者はいなかった。
窓も当然調べられた。梅子の部屋には出入りできるような窓がなく問題外であり、竹子の部屋や鶴代の部屋、浴室など全ての窓は、内側から施錠されていた。
つまり彼女は忽然と、煙のように姿を消したのである。
零と桜子も捜索に加わった。そして、ヘトヘトに疲れ果てたところで、零は洋間のソファーに身を投げた。桜子は一足早く、離れに戻っている。
百合園と言わず中庭と言わず、百合御殿の屋敷じゅうに明かりが灯され、前夜祭の晩のように、真昼を思わせる明るさだった。
百々目は状況報告を受けるため、捜査本部で待機していた。正面のソファーに身を据え、しかめ面でじっとテーブルの模様を睨んでいる。
「……どう思いますか? ――彼女は果たして、梅子さんなんでしょうか?」
零が聞くと、百々目は低い声で答えた。
「君は疑問に思ってはいないのだろう」
「……はい。私には、菊岡先生が間違った事を言っているとは思えませんので」
「ならば、嘘吐きは貞吉君という事になる」
「いや、彼の様子からすると、彼もまた、真実を言っているでしょう」
「ならば、これは一体どういう事なんだ!」
苛立った声を上げた百々目は、すぐに気まずい表情を浮かべ、天井に視線を逃がした。
「十四郎さんは、何と?」
「全く話にならん。彼はもう、我々に協力する気はないようだ」
……梅子の失踪を告げた時、彼は蒼白に色を失った頬を震わせながら、
「何も知らん! 私は、何も知らないのだ!」
と、ただそれだけを繰り返すのみだった。
百々目はクシャクシャと髪を掻き回した。
「君に聞いた、菊岡医師の話も確認したのだが、彼は何が何でも、あの双子を見分ける方法を明かすつもりはないらしい」
そこに、この事件の最も重要な動機が隠されているのだろう。零も百々目もそう考えていた。しかし今は、明かせぬ謎よりも、明かせる謎からである。
零は言った。
「捜索しながら考えてましたけどね。……菊岡先生と貞吉さんの言い分、両方を真実とした場合、考えられる可能性はただひとつ。――竹子さんの計画を梅子さんが乗っ取った、という事でしょうね」
「それは具体的にはどういう事かね?」
「つまり……」
午後十一時に、竹子は梅子を天狗堂へ呼び出そうとした。恐らくそれにも、手紙が使われたと思われる。
ところが梅子は、竹子の殺害計画を事前に知っていた。それを梅子は逆手に取る。
竹子に対し、梅子の殺害を諦めさせ、かつ、零時に天狗堂へ呼び寄せられる内容の手紙を送る。
そして、あとは竹子が仕組んだ計画のまま……。
「それならば、自分が組んだ殺人装置ですから、被害者の竹子さんが天狗堂の様子を全く不審に思わなくても当然です」
「しかしだ。そうすると、竹子君は梅子君の殺意を全く意識していなかった事になる。自分が殺されるという発想があれば、自分が作らせた殺人装置へ向かったりしないはずだ。彼女は、梅子君に殺されそうだから助けて欲しいと、君に依頼したのだろう?」
「はい。……そこですけどね、竹子さんはそもそも、梅子さんを全く意識していなかったのかもしれません」
零は顎に手を当て、じっとテーブルを睨んでいる。
「竹子さんが、梅子さんに殺されると言っていたのは、私はどうも、虚言に思えるのです。梅子さんの殺害を正当化するための。そして、悲劇のヒロインを演じる事で、他者の同情を集めるための」
「少女にはありがちなものだ」
「ですから竹子さんは、『妊娠した責任を取る、駆け落ちしよう』という手紙を受け取り、容易に梅子さんの殺害を止めたんでしょう。……不知火清弥さんの名義のその手紙の内容に、心当たりがあったから」
「竹子君が梅子君の殺害計画を立てた動機が、貞吉君の言う通り、天狗の生贄の件だとすれば、屋敷から姿をくらましてしまえば、生贄になる事はないからな」
「……しかし、どうも納得いかないのです」
百々目は細い目を光らせて零を見据える。
「――動滑車の装置を含め、これだけ複雑な筋書きを、たかが十四の少女がひとりで描けるものでしょうか?」
「…………」
「他に、彼女たち二人が得る情報を操っていた人物がいるのではないかと、そう思えるのです」
開け放たれた窓から夜風が吹き込み首筋を撫でる。百々目はゾクリと肩を竦めた。
「君が先程言っていた、『天狗の使い』の老婆の一件も、黒幕による筋書きの一部である、と」
「はい」
「しかし、証拠がない」
「その通り。彼女は決して表舞台に出ないよう、巧妙に彼女らを操ったのだと思います。脚本家として、監督として、大道具として」
「…………」
「しかし、彼女らを操っていたのは、黒幕だけではないでしょう。……これは口にもしたくはないですが」
零は光を失った目をテーブルに据えたまま呟いた。
「彼の餌食となったのは、果たして、松子さんだけでしょうか?」
「…………」
百々目は目を伏せた。……勿論、その考えがなかった訳ではない。しかし頭のどこかで意図的に、その可能性を排除しようとしていたのは否定できなかった。
「水川夢子さんの話です。――松子さんが家出してから、村に天狗が出現しだした。そして四年後、天狗は消えた。……彼女らが六歳になった頃です。話の通じる年頃になった彼女らを操ったのは、むしろ、彼ではないかと」
清々しい風がカーテンを揺らす。だが空気の重さに耐えられずに、百々目は立ち上がった。
「おかしいと思っていました。依頼に来た彼女らの言い分が食い違い、そして、村の人たちの話と嚙み合わない。――その理由は、彼女らが対立するように、情報を操作していた人物がいたから。そのために彼女らは、この屋敷に閉じ込められていたとすれば……」
窓に歩み寄り、大きく息を吸う。眼下に見える村の家々の明かりが、蛍のように冷たく揺れている。それでもこの息苦しさは治まらない。百々目は絞り出すように呟いた。
「……彼女ら二人が、生贄になった、という事か。村を襲った天狗への」
「村の人たちも、その可能性を察していなかった訳ではないと思います。しかし、村の平穏のために見て見ぬ振りをしてきた。だからこそ、何とかしてこの機会に、彼女らを屋敷から逃がそうとしたんでしょう、せめてもの罪滅ぼしに」
零は疲弊し切った様子で大きく息を吐いた。
「……とにかく、悔しいんですよ」
百々目は室内に振り向き、窓枠に腰を預けた。シャンデリヤの明々とした光の下でも、項垂れた零の表情は窺えない。
「私は誰も助けられませんでした。何のために呼ばれたのかも分からず、ただ踊らされていただけです。見当違いの推理に惑わされ、全く真相が見えていなかった。今にしたってそうです。まだまだ真相が解明できたとは、とても言えません」
「これだけの複雑怪奇な環境で起こった事件だ。部外者が易々と解けるものではなかったのだ」
「彼女の発見を待つしかないんでしょうかね。……彼女が生きて発見される事を願うしか」
零は頭を搔いた。
「どうにも諦め切れません。全ての真相が解明できなければ、私がここに来た意味が分からないままという事になります」
「君は捜査員ではないのだ。そこまで思い詰める必要はない」
「そりゃそうですけどね。警部殿との賭けがありますので。ご馳走になるまでは」
「そうだったな。忘れていたよ」
百々目は遠い目をしてシャンデリヤを見上げた。
「悔しいのは私も同じだ。……私には、赤松警部補のような執念が足りないのだろう。彼が物置のガラクタから、あれだけの仕掛けを組み上げたのには、正直驚いた。彼は素晴らしい刑事だ」
「左様。しかしあなたには、もっと別の使命があるのではありませんか? ……元凶を捕らえる事。これは、警部殿、あなたにしかできないでしょう」
すると百々目は再び苛立ちを顔に浮かべた。
「そこだよ、最も悔しいのは」
百々目は乱れた髪を掻き上げた。
「古井戸の白骨の件だ。殺人容疑で逮捕状を取れないかと掛け合っているのだが、彼らには与党から息が掛かっている。書類に不備があると、全て突き返された」
仮にも、帝国議会の公認候補として名を上げた人物が殺人犯とあっては体裁が保てない。捜査以上の高い壁が、百々目の前に立ち塞がっていたのだ。それが彼を苛立たせる要因の、最も大きなところであった。
「絶対的な証拠を上げるしかないのだ。だが、あの白骨からそれを探るのは、既に不可能だ。彼が関わったと思われる全ての事件に、一切の証拠がないのだ。……無力なのだよ、私は」
百々目に上目を向けながら、零は呟いた。
「それで諦めるとは、らしくありませんね」
その言葉に、百々目はキッと零を睨んだ。
「ならば、どうすればいい!」
「別の方向から粗を探せばいい。お得意なんじゃありませんか? 別件逮捕というやつ」
「君の過去の逮捕歴に対する嫌味かね?」
「はい。……彼には、それに足りるだけのものは、色々ある気がしますけどね。――例えば、水川夢子さんの隠し通路の話の裏付けとか」
「もう十年も前の事件だ。枝道があったところで、それが証拠になるとは……」
「それだからあなたは、赤松警部補を超えられないんですよ」
零の言葉に、百々目は憮然とした視線を返した。
「私が刑事に向いていないと、君は言うのかね?」
「はい。あなたは、真実から逃げている」
百々目を見返す光のない目には、何の感情もこもっていなかった。
「推理というのは、己の中にある犯人と同じ異常性と、真っ向から向き合う事でもあります。そこで初めて、犯人の行動の理由が見えてくるんです。そこに隠された真実も。それができなければ、この事件の真相には、たどり着けないでしょう」
――その時だった。
ピアノの音が、屋敷に響き始めた。重々しく物悲く、だが鳥肌の立つほどに美しい旋律。それは、洋館の方から流れてくる。
それに気勢を削がれたように、百々目は再びソファーに戻った。そして目を閉じ耳を澄ませ、彼は呟いた。
「――ピアノソナタ『月光』第一楽章」
「さすが警部殿、音楽にも造詣がおありで」
「ベートーヴェン作曲。……彼は後年、音楽家でありながら、聴力を失った。手足をもがれたような苦しみの中で、だがそれが彼にとって生の証であるように、彼は音楽を創り続けた。その旋律は今でも、人々の心を捉えて離さない。
この楽曲は、彼が十四歳である少女に贈ったものだ。彼が心から愛した少女に。身分違いの恋に身をやつした哀れな男の、せめてもの恋文なのだ」
そう言って百々目は、零に目を向けた。
「――彼女が呼んでいる。君には、それに応える義務がある。……招かれた者として」
捜査員総出の捜索にも関わらず、来住野梅子と自称する少女の姿は発見できなかった。
亀乃が昼食を部屋に運んだ時には、その姿を確認している。恐らく、その後の捜査本部の動きを察して、逃亡を図ったのだろう。
しかしだ。彼女の部屋のある増築部分は、先述したように、廊下がカタツムリのような渦巻きになっており、その出口は広間横の廊下としか繋がっていない。その日の午後は、不知火清弥の持ち物からヘロインが発見された騒ぎで、捜査本部のある洋間とも繋がるその廊下には、絶えず捜査員が行き来していた。さらに夕方からは、捜査員の休憩室として貸し出された広間の後方に、夜勤との交代にやってきた捜査員たちが頻繁に出入りしていたのだ。その中に、梅子の姿を見た者はいなかった。
窓も当然調べられた。梅子の部屋には出入りできるような窓がなく問題外であり、竹子の部屋や鶴代の部屋、浴室など全ての窓は、内側から施錠されていた。
つまり彼女は忽然と、煙のように姿を消したのである。
零と桜子も捜索に加わった。そして、ヘトヘトに疲れ果てたところで、零は洋間のソファーに身を投げた。桜子は一足早く、離れに戻っている。
百合園と言わず中庭と言わず、百合御殿の屋敷じゅうに明かりが灯され、前夜祭の晩のように、真昼を思わせる明るさだった。
百々目は状況報告を受けるため、捜査本部で待機していた。正面のソファーに身を据え、しかめ面でじっとテーブルの模様を睨んでいる。
「……どう思いますか? ――彼女は果たして、梅子さんなんでしょうか?」
零が聞くと、百々目は低い声で答えた。
「君は疑問に思ってはいないのだろう」
「……はい。私には、菊岡先生が間違った事を言っているとは思えませんので」
「ならば、嘘吐きは貞吉君という事になる」
「いや、彼の様子からすると、彼もまた、真実を言っているでしょう」
「ならば、これは一体どういう事なんだ!」
苛立った声を上げた百々目は、すぐに気まずい表情を浮かべ、天井に視線を逃がした。
「十四郎さんは、何と?」
「全く話にならん。彼はもう、我々に協力する気はないようだ」
……梅子の失踪を告げた時、彼は蒼白に色を失った頬を震わせながら、
「何も知らん! 私は、何も知らないのだ!」
と、ただそれだけを繰り返すのみだった。
百々目はクシャクシャと髪を掻き回した。
「君に聞いた、菊岡医師の話も確認したのだが、彼は何が何でも、あの双子を見分ける方法を明かすつもりはないらしい」
そこに、この事件の最も重要な動機が隠されているのだろう。零も百々目もそう考えていた。しかし今は、明かせぬ謎よりも、明かせる謎からである。
零は言った。
「捜索しながら考えてましたけどね。……菊岡先生と貞吉さんの言い分、両方を真実とした場合、考えられる可能性はただひとつ。――竹子さんの計画を梅子さんが乗っ取った、という事でしょうね」
「それは具体的にはどういう事かね?」
「つまり……」
午後十一時に、竹子は梅子を天狗堂へ呼び出そうとした。恐らくそれにも、手紙が使われたと思われる。
ところが梅子は、竹子の殺害計画を事前に知っていた。それを梅子は逆手に取る。
竹子に対し、梅子の殺害を諦めさせ、かつ、零時に天狗堂へ呼び寄せられる内容の手紙を送る。
そして、あとは竹子が仕組んだ計画のまま……。
「それならば、自分が組んだ殺人装置ですから、被害者の竹子さんが天狗堂の様子を全く不審に思わなくても当然です」
「しかしだ。そうすると、竹子君は梅子君の殺意を全く意識していなかった事になる。自分が殺されるという発想があれば、自分が作らせた殺人装置へ向かったりしないはずだ。彼女は、梅子君に殺されそうだから助けて欲しいと、君に依頼したのだろう?」
「はい。……そこですけどね、竹子さんはそもそも、梅子さんを全く意識していなかったのかもしれません」
零は顎に手を当て、じっとテーブルを睨んでいる。
「竹子さんが、梅子さんに殺されると言っていたのは、私はどうも、虚言に思えるのです。梅子さんの殺害を正当化するための。そして、悲劇のヒロインを演じる事で、他者の同情を集めるための」
「少女にはありがちなものだ」
「ですから竹子さんは、『妊娠した責任を取る、駆け落ちしよう』という手紙を受け取り、容易に梅子さんの殺害を止めたんでしょう。……不知火清弥さんの名義のその手紙の内容に、心当たりがあったから」
「竹子君が梅子君の殺害計画を立てた動機が、貞吉君の言う通り、天狗の生贄の件だとすれば、屋敷から姿をくらましてしまえば、生贄になる事はないからな」
「……しかし、どうも納得いかないのです」
百々目は細い目を光らせて零を見据える。
「――動滑車の装置を含め、これだけ複雑な筋書きを、たかが十四の少女がひとりで描けるものでしょうか?」
「…………」
「他に、彼女たち二人が得る情報を操っていた人物がいるのではないかと、そう思えるのです」
開け放たれた窓から夜風が吹き込み首筋を撫でる。百々目はゾクリと肩を竦めた。
「君が先程言っていた、『天狗の使い』の老婆の一件も、黒幕による筋書きの一部である、と」
「はい」
「しかし、証拠がない」
「その通り。彼女は決して表舞台に出ないよう、巧妙に彼女らを操ったのだと思います。脚本家として、監督として、大道具として」
「…………」
「しかし、彼女らを操っていたのは、黒幕だけではないでしょう。……これは口にもしたくはないですが」
零は光を失った目をテーブルに据えたまま呟いた。
「彼の餌食となったのは、果たして、松子さんだけでしょうか?」
「…………」
百々目は目を伏せた。……勿論、その考えがなかった訳ではない。しかし頭のどこかで意図的に、その可能性を排除しようとしていたのは否定できなかった。
「水川夢子さんの話です。――松子さんが家出してから、村に天狗が出現しだした。そして四年後、天狗は消えた。……彼女らが六歳になった頃です。話の通じる年頃になった彼女らを操ったのは、むしろ、彼ではないかと」
清々しい風がカーテンを揺らす。だが空気の重さに耐えられずに、百々目は立ち上がった。
「おかしいと思っていました。依頼に来た彼女らの言い分が食い違い、そして、村の人たちの話と嚙み合わない。――その理由は、彼女らが対立するように、情報を操作していた人物がいたから。そのために彼女らは、この屋敷に閉じ込められていたとすれば……」
窓に歩み寄り、大きく息を吸う。眼下に見える村の家々の明かりが、蛍のように冷たく揺れている。それでもこの息苦しさは治まらない。百々目は絞り出すように呟いた。
「……彼女ら二人が、生贄になった、という事か。村を襲った天狗への」
「村の人たちも、その可能性を察していなかった訳ではないと思います。しかし、村の平穏のために見て見ぬ振りをしてきた。だからこそ、何とかしてこの機会に、彼女らを屋敷から逃がそうとしたんでしょう、せめてもの罪滅ぼしに」
零は疲弊し切った様子で大きく息を吐いた。
「……とにかく、悔しいんですよ」
百々目は室内に振り向き、窓枠に腰を預けた。シャンデリヤの明々とした光の下でも、項垂れた零の表情は窺えない。
「私は誰も助けられませんでした。何のために呼ばれたのかも分からず、ただ踊らされていただけです。見当違いの推理に惑わされ、全く真相が見えていなかった。今にしたってそうです。まだまだ真相が解明できたとは、とても言えません」
「これだけの複雑怪奇な環境で起こった事件だ。部外者が易々と解けるものではなかったのだ」
「彼女の発見を待つしかないんでしょうかね。……彼女が生きて発見される事を願うしか」
零は頭を搔いた。
「どうにも諦め切れません。全ての真相が解明できなければ、私がここに来た意味が分からないままという事になります」
「君は捜査員ではないのだ。そこまで思い詰める必要はない」
「そりゃそうですけどね。警部殿との賭けがありますので。ご馳走になるまでは」
「そうだったな。忘れていたよ」
百々目は遠い目をしてシャンデリヤを見上げた。
「悔しいのは私も同じだ。……私には、赤松警部補のような執念が足りないのだろう。彼が物置のガラクタから、あれだけの仕掛けを組み上げたのには、正直驚いた。彼は素晴らしい刑事だ」
「左様。しかしあなたには、もっと別の使命があるのではありませんか? ……元凶を捕らえる事。これは、警部殿、あなたにしかできないでしょう」
すると百々目は再び苛立ちを顔に浮かべた。
「そこだよ、最も悔しいのは」
百々目は乱れた髪を掻き上げた。
「古井戸の白骨の件だ。殺人容疑で逮捕状を取れないかと掛け合っているのだが、彼らには与党から息が掛かっている。書類に不備があると、全て突き返された」
仮にも、帝国議会の公認候補として名を上げた人物が殺人犯とあっては体裁が保てない。捜査以上の高い壁が、百々目の前に立ち塞がっていたのだ。それが彼を苛立たせる要因の、最も大きなところであった。
「絶対的な証拠を上げるしかないのだ。だが、あの白骨からそれを探るのは、既に不可能だ。彼が関わったと思われる全ての事件に、一切の証拠がないのだ。……無力なのだよ、私は」
百々目に上目を向けながら、零は呟いた。
「それで諦めるとは、らしくありませんね」
その言葉に、百々目はキッと零を睨んだ。
「ならば、どうすればいい!」
「別の方向から粗を探せばいい。お得意なんじゃありませんか? 別件逮捕というやつ」
「君の過去の逮捕歴に対する嫌味かね?」
「はい。……彼には、それに足りるだけのものは、色々ある気がしますけどね。――例えば、水川夢子さんの隠し通路の話の裏付けとか」
「もう十年も前の事件だ。枝道があったところで、それが証拠になるとは……」
「それだからあなたは、赤松警部補を超えられないんですよ」
零の言葉に、百々目は憮然とした視線を返した。
「私が刑事に向いていないと、君は言うのかね?」
「はい。あなたは、真実から逃げている」
百々目を見返す光のない目には、何の感情もこもっていなかった。
「推理というのは、己の中にある犯人と同じ異常性と、真っ向から向き合う事でもあります。そこで初めて、犯人の行動の理由が見えてくるんです。そこに隠された真実も。それができなければ、この事件の真相には、たどり着けないでしょう」
――その時だった。
ピアノの音が、屋敷に響き始めた。重々しく物悲く、だが鳥肌の立つほどに美しい旋律。それは、洋館の方から流れてくる。
それに気勢を削がれたように、百々目は再びソファーに戻った。そして目を閉じ耳を澄ませ、彼は呟いた。
「――ピアノソナタ『月光』第一楽章」
「さすが警部殿、音楽にも造詣がおありで」
「ベートーヴェン作曲。……彼は後年、音楽家でありながら、聴力を失った。手足をもがれたような苦しみの中で、だがそれが彼にとって生の証であるように、彼は音楽を創り続けた。その旋律は今でも、人々の心を捉えて離さない。
この楽曲は、彼が十四歳である少女に贈ったものだ。彼が心から愛した少女に。身分違いの恋に身をやつした哀れな男の、せめてもの恋文なのだ」
そう言って百々目は、零に目を向けた。
「――彼女が呼んでいる。君には、それに応える義務がある。……招かれた者として」
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