百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾壱】悪鬼

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 しかし、零は首を横に振った。
「いや、まだ足りません。……私が被害者を発見した時、味噌樽と手桶はありませんでした。――それらは、犯人が片付けたんでしょうかね?」
 零は赤松と百々目に目を向ける。
「この装置を作るには、踏み台となるこの味噌樽が必須です。ですが、装置自体は、天井に吊るされた飾り布や千羽鶴で隠せたとしても、この樽があっては被害者に怪しまれます。ですので、殺害現場にこの樽はなかった、と考えるのが自然でしょう」
 そう言いながら、零は梁に吊るされた滑車に目を移す。
「ですがこの装置は、被害者が発見された時には、既に物置へ片付けられていた。……踏み台もなく、どうやってこの装置を外したのか。犯人は被害者を殺害後、わざわざ物置まで味噌樽を取りに行ったんでしょうか、あの大雨の中を」
 零の言葉に、百々目は首を振った。
「土砂降りの中出入りをすれば、犯人の衣服は濡れ、その痕跡が床に残るだろう」
 そう言ってから、百々目は眉間に皺を寄せた。
「――雨が止んだ後で、この装置は片付けられた、と言いたいのかね?」
「はい。殺害犯とこの装置を片付けたのは、別人ではないかと」
「それならば……」
 口を出したのは赤松だ。
「この装置を組んでいる時、不思議に思ったのです。……ロープの端を固定した屋根裏の鉤ですがね、この味噌樽に乗ったとしても、小柄な女性では、そこまで手が届かないのですよ」
「なるほど。――という事は、、と」
 三人の視線が再び貞吉に集まる。
「犯人はあの晩、によって準備万端整えられた天狗堂に、被害者を呼び出した。は雨が降る前から、天狗堂に身を潜めていたと思います。雨が降った後ではその痕跡が残って、被害者に気付かれるかもしれませんし」
「供物を置くこの台の下なら、隠れられるだろう」
 百々目が、供物台を覆う、家紋を染め抜いた布を上げて見せた。その下の空間なら、小柄な人物のひとりくらいなら身を隠せそうだ。
「犯人は、ここで被害者が来るのを待っていた。恐らく、手紙で呼び出したんでしょう。……例えば、『一緒に駆け落ちしよう』などと」
「妊娠させた責任を取る、という体ならば、被害者も不審には思わなんだでしょうな」
「はい。……その手紙で呼び出された被害者は、雨に濡れた入口の床を避けて、天狗堂に入ったでしょう。足を濡らしたくはないですからね。そしてここで、手紙の主を待った」
「ところが、はなかなか現れない。偽物の手紙であるから当然だ」
「待ちくたびれた被害者は、天狗堂の外を、こうやって眺めたんじゃないでしょうか」
 零は、あの日濡れていた入口付近を避け、少し奥から首を伸ばして百合園を見た。――その位置は、ほとんど動滑車の真下である。その首に、百々目は滑車から繋がるロープの輪を掛けた。
 その輪に指を掛け、零は天狗堂の外を見た。――警官に腰縄を掴まれた貞吉は、口をわなわなと震わせてこちらを見返している。
 零は言った。

「――貞吉さん。あなたは犯人ではなく、この装置の準備と片付けを担った、共犯者ですね?」

 貞吉は目を見開き、しばらく零の顔を眺めていたが、やがて観念したのか、
「へぇ。あっしがやりました」
と答えた。
 百々目はゴシゴシと頭を掻きむしる。
「なぜ犯人だなどと自白を――!」
「あの方をお守りするためでさ。……竹子様を」
 その言葉に、一同は水を打ったように静まり返った。捜査員たちは息を飲み、赤松は言葉を失い、百々目は髪に絡んだ指を制止させる。やがてその手をゆっくりと下ろし、百々目が沈黙を破った。
「説明してもらおう。君がやった内容を」



 ――竹子は、男の存在がなければ駄目なであった。
 たかが十四の少女でありながら、男の体を知り尽くし、快楽の全てを貪るであった。
 竹子は男の体を求め、不知火清弥だけでなく、貞吉にも手を出していた。
 薄暗い長屋門の小部屋の藁の上。真珠のように美しい体で貞吉を弄びながら、竹子は彼に囁いた。
「……私、怖いの」
 甘い吐息が貞吉の耳をくすぐる。
「梅子が、私を殺そうとしてるのよ」
「そ、そんな……」
「知ってるでしょ。……天狗の生贄の話」
「…………」
「あの子、生贄に選ばれる前に、私を殺しにくるわ」
 竹子の体が、貞吉の快楽を刺激する。切ない呻きを楽しむように、竹子は彼の顔を見下ろした。
「……ねぇ、その前に、あの子を殺しちゃわない?」
 さすがに貞吉も、その言葉にはおののいた。
「そ、そんな事したら……」
「自殺に見せかけるのよ、自分から天狗の生贄になったように。――いい方法があるの」
 言いながら、竹子は貞吉を急き立てる。
「私の言う通りにすれば、絶対にバレないわ。――私は梅子になるの。可愛いドレスを着て、猫を被って、みんなに愛される、特別な子になるのよ。……そうすれば、私は自由になれる」
 竹子は動きを緩め、彼の欲求を焦らす。快楽を求める本能が、彼の僅かな理性を削り取っていく。
「どうする? やるの? やらないの?」
「……や、やろう。殺そう」
 限界を迎えた貞吉がそう喚くと、竹子は彼の快楽を絶頂に導く。茫然自失とした貞吉の頭を、竹子の胸が抱き寄せた。
「いい子ね。……じゃあ、こういうのを用意してちょうだい」



「……それが、ここにある装置、ですか」
 百々目は氷のように冷たい視線を貞吉に送る。
「へぇ。あっしが装置を用意だけしたら、後はやるからと」
 そう答える彼の口調はだが、拍子抜けするほどにあっけらかんとしていた。
「で、君はあの日の早朝、被害者の遺体がここにあるのを発見。竹子氏が犯行に及んだと考え、この殺人装置を片付けた」
「その通りでさ。手桶の水を捨ててロープを外して、全部物置へ戻しました」
「一本歯の下駄の跡は?」
「あれは、物置へ行く時に、足跡が付かないように誤魔化したんでさ」
 貞吉は説明した。石垣の真下は、あの古井戸の周囲と同様、百合が植わっておらず短い草が生えている。そこを一本歯の下駄で通れば、足跡を残さずに水車小屋の横の物置まで行き来できると。
「しかし、下駄の足跡は一方通行になっていました。君の話では、味噌樽を取りに行く時と装置を片付ける時、の二往復をしなければなりません。そこはどうやったのですか?」
「味噌樽は下駄と一緒に、前の日にあっしの部屋に置いといたんでさ。使う事ぁ分かってましたんで。だから、物置に行くのは、片付ける時だけで良かったんでさ。……それに、一本歯の足跡とか、そういうのあった方が、天狗っぽいでしょ。竹子様は梅子様が自分で、天狗の生贄になった風にしたかったんですから」
「そして、証拠隠滅のため、下駄は……」
「薪にして燃やしました」
 そこで零は溜息を吐いた。
「自殺に見せかけたいのなら、首を括る時の踏み台として、樽をこの場に置いておかなくてはならなかったのではないですか?」
「それに、天狗の足跡も余計だ」
 そこで初めて気付いたように、貞吉の顔から血の気が引いた。百々目は咳払いをして続ける。
「計画の時間は?」
「前夜祭の夜の、十一時でさ」
「…………」
 百々目は赤松と顔を見合わせた。――死亡推定時刻と合わない。
 零も眉を寄せ、顎に手を当てた。これはどういう意味だ?
 ……それに、死んだのはだと、菊岡医師が断言している。彼の言葉に間違いはないだろう。ならば、貞吉がと呼んでいるのは、一体誰だ?
 百々目も同じ事を考えていたのだろう。しばらく険しい顔をした後、貞吉に厳しい目を向けた。
「君が遺体を発見した時、履物や雨具は残されていなかったのかね?」
「へぇ。竹子様が片付けたんだと思います」
「――君を誘惑し、殺人の手伝いをさせたのは、確かに竹子君なのかね?」
「竹子様でさぁ。いつも着物を着てましたから」
「着物を脱いだ時の、竹子氏と梅子氏の区別を、君は知ってるのかね?」
「…………」
 貞吉は愕然と目を見開いた。百々目は大きく溜息を吐いた。
「しかし、今方がどちらであれ、最重要容疑者である事は間違いない。至急、身柄の確保だ」

 ――ところがである。
 梅子の部屋から、彼女は忽然と姿を消していたのである。
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