百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾壱】悪鬼

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 文句を垂れつつ小木曽が去った後、痺れを切らしたように桜子が言った。
「ねえ、そろそろ種明かししてよ。気になって仕方がないわ」
「そうですね。……小屋の中を確認しなければ、ただの想像に過ぎませんが」
 零は小屋の前にスタスタと歩いていき、小屋と反対側の畦道の脇に、膝を抱えて座り込んだ。
「草が生えていたら、私は見えますか?」
「見えないんじゃないかしら」
 それから畦道を渡り、小屋の壁を舐めるように見ていく。大小さまざまな板が打ち付けられた粗末な壁は、あちらこちらに隙間のある、いかにも素人作業である。
「これだけ雑に作ってある小屋です。釘が緩い部分のひとつやふたつ、ありそうなものです……」
 そして裏手に来た時に、彼は桜子を招いた。
「ここ、釘が緩んで、ほら、板を引っ張ると、しなって隙間ができます」
 そう言いながら、零は屈んで、反った板の隙間に身を潜らす。
「え! 小屋の意味がないじゃない」
「リヤカーが盗まれないようにするためだけの小屋です。人が通れようが、目的は十分に達せられますから」
 すっかり小屋の中へ身を滑らせて、零は隙間からこちらを覗いた。
「ですが、パッと見、分かりませんよね」 
「確かに……」
 それから、零はゴソゴソと奥へ入って行った。
「ちょっと、勝手に何やってるのよ」
「なら、桜子さんも来たらどうですか?」
「ストッキングが破れるじゃない」
 ムスッとする桜子をよそに、零は満足げな声を上げた。
「……予想通り、ありましたね」
「何が?」
「やっぱり種明かしは、小木曽さんが来てからにしましょう」
 そう言うと、零は同じ方法で外に戻った。釈然としないまま、桜子は口を尖らせるしかなかった。

 小木曽が久芳住職を従えて戻ってきたのは、三十分以上経った後だった。老婆の現れたあの日は、若くて体力のある新造が往復を走ったのだ。それを久芳住職に期待する訳にはいかない。
「……この小屋が、何か?」
 そう言う久芳正善の頬は、零の顔を見る前から引き攣っていた。零は彼に微笑んだ。
「――七月七日に、ここの南京錠を、取り替えましたよね?」
 久芳正善の顔が、みるみる蒼白になっていく。
「その反応だけで十分です。――では、種明かしをしましょう」
 零は正善から預かった鍵で、正面の観音開きに付いた南京錠を開けた。扉を押すと、それは音もなく動いた。
「この扉の蝶番は、内側にも外側にも動くように出来ています。七月七日は、内側に動かしましたよね、住職?」
「……な、何を言ってるんだ」
 小木曽が半ば震えた声を上げる。
「住職はその日、……ここ、当時は腰くらいまでの高さの草が生えていたそうですね。ここにこうして、身を隠していました」
 零は、先程桜子に示した場所に屈んで見せた。
「そして、向かいの小屋に隠れるの合図で、発煙筒を焚いたんですよね? 違いますか?」
「ちょ、ちょっと待って。なんでそうなるの?」
 桜子も目を丸くする。
「前にここを見てから、ずっと考えてました。どうやったら、この場所で、老婆が消えるができるかと。――すると、必要なんですよ、三人。と、ふたりが」
「…………」
「主演女優と黒子ひとりは、既に分かっています。残るは、黒子あとひとり。……鍵の件と、当日の天候に合わせて動ける地の利、そして、この小芝居に参加した理由を考えると、久芳住職、あなたしかいないんですよ」
 久芳正善は、ガクガクと身を震わせて、その場に立っているのがやっとの様子だ。
 零は続ける。
「あなたと、小屋の中の人物が焚いた発煙筒により、濃い煙が畦道に立ち込めます。……片側からだけでは、煙の発生場所が容易に分かってしまいますからね、一気に畦道に煙を充満させるには、両側から煙を焚く必要があった。
 そして、煙が充満した隙に、あなたは小屋の中へ移動しました。そして、老婆役の女優も隠れるんですが、この時、困る事がひとつあります。――鍵です」
 そう言って、零は扉から外した南京錠を見せた。
「この小屋を使う際に、小屋を開けなければなりませんから、当然鍵が必要です。あなたはその鍵を、当日、ここに持ってきていた。ところが騒動の後、小屋の中を確認するのは、容易に想像できます。その際、誰かが鍵を善浄寺に取りに行った時に、鍵が寺にないのは困る。そこであなたは、同じ型の南京錠をもうひとつ用意して、その鍵を、寺の鍵置き場に置いておいたのです。そしてあの日、あなたはここに隠れた後……」
 零は桜子に鍵を渡して小屋の中に入る。そして、粗い造りの扉板の隙間から指を出し、金具に南京錠を引っ掛けると、パチンと掛金を閉めた。
「南京錠は、閉める時には鍵は必要ありませんからね。新しい方の南京錠で、こうやってここを閉めました」
 小木曽は唖然と零を見ている。
「新造さんに聞いてください。鍵を取りに行った時、対応に出たのは誰だったか」
「もう、もういいだろ……」
 正善はそう言って、ヘナヘナと道に座り込んだ。それを見て、小木曽は挙動不審なまでの動揺を見せた。
「し、しかし、本官が小屋の中を見た時には、誰もいなかったぞ!」
「そのトリックは、ここにあります。……桜子さん、鍵を開けてください」
 桜子が慌てて南京錠を開ける。扉を開くと、零はリヤカーの脇に立っていた。
「……小木曽さん、リヤカーの下は見ましたか?」
「覗いたが、誰もいなかったぞ」
「いや、車輪の下ではありません。……この板の下です」
 零の示した、リヤカーの置かれた部分には、ちょうどリヤカーが乗るだけの大きさの、接ぎ木の板が置いてあった。
「これは、車輪のゴムが痛まないように敷かれているのではないのか」
 小木曽は慌ててリヤカーをずらし、板を退けた。そして目を見開いた。
 ……そこに埋まっていたのは、三つ並んだ大きなかめだった。中は綺麗に洗われている。
「今は使われていない、肥溜めの跡ですね」
「…………」
「三人で、ここに隠れたでしょう?」
 確かに、狭いだろうが不可能ではなさそうだ。
「多分、板はリヤカーの車輪から少しずれていたとは思います。そうでなければ、開け閉めできませんから。でもその程度なら、普段見慣れている人にとっては、違和感はなかったでしょう」
「そ、それで……」
 桜子はその先が分かっていた。零は軽くうなずいた。
「小木曽さんによる検分が一通り終われば、あとは誰も来ません。瓶の中に用意しておいた、多分、農作業用の作業着みたいなものでしょう、それに悠々と着替えて……」
 そして、先程桜子に示した、釘の緩んだ壁板から、小屋を抜け出す――。
「小屋の裏も、当時は草に覆われていたはずですからね。ここから出て、さりげなく農作業の光景に混ざってしまえば、誰も気付かなかったでしょう」
 そして零は、畦道にガクリと顔を伏せた久芳正善を見下ろした。
「……なぜ、らに協力したのかは、今ここでは聞きません。――後で、御仏と、奥様に懺悔してください」
 しばらく呆然とその様子を眺めていた小木曽が、やがてボソリと零に言った。
「しかし、それが分かったところで、本官にはどうする事もできんぞ。これは、犯罪行為とは言えないからな」
「はい。ただ謎解きがしたかっただけですから」
 零は、桜子から鍵を受け取ると小木曽に渡し、その肩をポンと叩いて立ち去った。



 青梅街道沿いに、昼だけ営業している蕎麦屋がある。この村では、多摩荘とここしか、外食のできる場所はない。
 そこで遅い昼食を取った零と桜子は、百合御殿に戻った。
 裏門から入ると、百合園越しに見える天狗堂で、何やら大仕掛けな検証が行われているようだった。その指揮を取るのは赤松である。
「何をされているんで?」
 二人が顔を出すと、赤松は迫力のある顔を見せた。
「警部殿の推理で、事態が進展しそうでな。俺も警部殿に負けてはおれん。現場刑事の意地だ。何としても、竹子君を吊るした方法を見つけ出してやる」
 赤松は、水車小屋の隣の物置から持ってきた様々な道具を天狗堂の前に並べ、色々と試しているようだった。しかし、壊れた釣瓶の滑車やら古ぼけた味噌樽やら、ガラクタのようなものばかりである。これらをどう殺人に使ったのか。零は腕組みをした。
「確かに、もし犯人が道具を使ったとすれば、物置の物を使った可能性が高いでしょうけどね。――がこの屋敷にいれば、ですが」
 彼の言葉に、赤松は伸び放題になった髭をゴシゴシと撫でた。
「やはり君も、貞吉が犯人ではないと考えているのかね?」
「はい」
 桜子は声を上げた。
「え、そうなの?」
「前から言ってたじゃありませんか。……彼には、竹子さんと清弥さんを殺す動機がありません」
「じ、じゃあ、例の隠し通路から……」
「昨日あれだけ探したが、その痕跡は見付からなかった。それに、ひとつ、証拠が出たのだ。……少なくとも、小木曽巡査を襲った犯人は、この屋敷の者に違いない」
「えっ……、その証拠って?」
 桜子が目を丸くすると、赤松はニヤリと目を光らせた。
「手毬だよ。あれは、鶴代夫人の持ち物だった。今朝、夫人に確認した」
「…………」
「当日、通夜だ何だで出入りがあったとはいえ、鶴代夫人の部屋にあった物を、不審がられずに持ち出せるのは、この屋敷の者しかおらんだろう」
「……という事は……」
 赤松は二人に鋭い目を向けた。

「全ての犯行が同一犯だとすると、この屋敷の者に、犯人が限定されるのだ」

 その言葉の意味を察して、零と桜子は、色を失った顔を見合わせた。
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