百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【仇】隠シ通路ノ三悪人

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 ――七月二十三日、午前八時。

 配膳室で朝食を終えた犬神零と椎葉桜子は、捜査本部の動きの慌ただしさに気付いた。
 二人が洋間を覗くと、百々目が苛立った様子で、指先でテーブルを叩いていた。
「おや、珍しい。警部殿もそんなにイライラされるのですね」
「寝不足じゃない? 大丈夫?」
 百々目は二人に目をやり、ソファーを示すと肘掛けに腕を置いた。
「――十九日夜から二十日朝、つまり、来住野竹子君の死亡推定時刻の、貞吉氏のアリバイが出た」
「えっ……!」
 百々目は脚を組み、非常に渋い表情を浮かべた。
「来住野梅子君が一緒にいたと証言した」
 これには、零も目を丸くした。
「なぜ、それを今まで黙っていたのですか?」
「乙女の恥じらい、だそうだ」
 そこへ声を上げたのは桜子だ。
「でも、そんなの、どうやって証明するの?」
 すると百々目がまじまじと桜子を見た。
「うら若いお嬢様のお耳に入れるのは憚られるのですが」
「……ば、馬鹿にしないで。私は大人よ」
「では言います。――彼女の部屋の寝具から、精液が検出されました。……一回や二回とは思えないほど、大量の」
「…………」
 聞いて後悔したように、桜子は顔を赤くして俯いた。
「寝具のシーツの交換は、週一回、火曜日だそうです。つまり、直近でシーツが交換されたのが、前夜祭の日の十九日。彼女はその日、真新しいシーツで……」
「そのままこれまで寝てたって事ですか?」
「貞吉氏との交際を知られたくなかったからだそうです。亀乃君なら、気付いても他言する事はないだろうから、次のシーツ交換までやり過ごすつもりだったと」
「ですが、それがいつ付着したかは……」
「二十日以降はずっと、我々が詰めていますから。……彼女の寝室は、広間の横の廊下を通らなければ、行き来できません。夜中に誰かが通れば、就寝中の捜査員が気付くはずです。それに、彼女の部屋には窓がありません。外からの侵入は不可能です。
 強いて言えば、通夜の二十一日ですが、彼女は松子氏と共に広間にいました。長時間席を外す事はなかったと、松子氏の証言もあります」
「……それが、誰のものかは?」
「この屋敷に住む男性は、父の十四郎氏と洋館の不知火清弥氏、そして貞吉氏の三人のみです。十四郎氏、清弥氏の十九日のアリバイは、ご存知の通り。……それに、君は精液が誰のものであるのか、判別できるのかね?」
「…………」
 零も頭を搔いて、口を閉ざさざるを得なかった。
「必然的に、梅子君と貞吉氏は、十九日に梅子君の部屋で長時間逢瀬していた、と、そうなるのですよ」

 ――つまり、



 確かに、百々目でなくとも、苛立ちを覚えずにはいられない状況である。
 重要参考人を上げれば、後出しでアリバイが出てくる。そんな状況が何日も続いているのだ。
 ……そして、もうひとつ。
 来住野十四郎に、百々目は確認したらしい。――どうやって双子を見分けているのかと。
 しかし彼は、
「父親なら分かって当然だ」
としか答えず、具体的なところをはぐらかしたのだ。

 零は桜子と連れ立って、気分転換がてらに村に出た。
 つづら折れを歩きながら、ごちゃごちゃした頭の中を整理する。
「……まず、我々がこの村に到着したのが、七月十八日」
「見事、追い出されたわね。でも、多摩荘に泊まれて助かったわ」
「で、翌日の十九日。村で天狗伝説やら奇妙な男、不気味な老婆の話を聞きました」
「昼から、松子さんがお部屋にいらっしゃって、来住野家の事情も色々聞いたわね」
「そして、前夜祭です。この時、竹子さんか梅子さんの身に何かあるのではないかと、松子さんは心配されていましたが、出てきたのは鼠一匹」
「奇妙な男の正体は、十四郎氏の政敵の、権藤議員の秘書だった、と」
「断定はできませんが。……で、その夜から、我々は百合御殿の離れに厄介になる事になりました」
「そこで、ほうじ茶ね……」
「左様。ほうじ茶で我々と一家が眠らされた隙に、竹子さんが……」
「そして、翌日の二十日。本来なら天狗堂の本祭があった日ね、彼女が発見されたのは」
 そう言って、桜子は零をジロリと見上げた。
「で、あなたが間抜けな小木曽チャンに逮捕された」
「言わないでください」
「それから、赤松警部補が色々捜査をしてたところに、あの警部登場、と」
「ええ。彼が登場してから、捜査の流れが明らかに変わりました」
「次々と容疑者を挙げてくものの、でも結局、全部空振りに終わってるわね」
「無駄ではないと思いますよ。その度に、新たな事実が出てきていますから」
「確かにそうね。……で、翌日の二十一日が、竹子さんのお通夜」
「不知火清弥氏による、一世一代の大芝居により、十四郎氏の権威が失墜しました」
「他人事みたいに言わないの。……そして、その夜……」
「不知火清弥氏が、古井戸に落とされ……」
「……もう大丈夫?」
「一晩寝たら、何とか。――で、翌日、七月二十二日に発見された、と」
「貞吉さんの容疑が濃くなるものの、梅子さんの証言によりひっくり返り……」
「七月二十三日の、今に至る、と」

 その時、つづら折れを下り、前夜祭の晩、水川咲哉が丸井勝太と会ったと証言した場所に出た。
「……ここ、善浄寺とまるいやの住まいの中間なんですよね」
 零が月原山道を見渡す。
「……それ、どういう意味?」
「もし、水川咲哉君の話が真実だとすると、勝太君は一体、どこで何をしてたんでしょう?」
「それは、人に明かせないような事のはずよね」
「でしょうね。……彼が赤松警部補のうっかりで口裏合わせをした状況を考えると、久芳春子さんと関係があるのは間違いないかと。年頃の男女、何かと隠し事は……」
「ちょっと待って、逆なのよ。――あの二人、一晩じゅう一緒にいたって証言したんでしょ? って事は、乙女のみさおよりも隠さなきゃならないものがあった、って事よね」
「……なるほど、桜子さん、冴えてますね」
 零は月原山道の北側、ずっと先に見える寺の石段を睨んだ。
「行ってみましょうか」

 石段を上ると、例の天狗伝説の説法中のようで、境内には誰もいなかった。
「……せっかくなので、裏にある資料館を見てみましょう。桜子さん、見てないですよね?」
「ええ、興味があるわ」
 本堂の裏手の資料館は、コンクリートの白い壁に木漏れ日の模様を映していた。
 中に入ると、桜子は興味深そうに絵巻を眺めだした。
 零は一度見ている。少々暇を持て余し、資料館の中を見渡した。
 ――とそこで、床の汚れに気付いた。白いモルタルの床に、泥の足跡がくっきりと付いている。乾いてはいるが、この資料館まで見に来る参拝客も少ないのだろう、踏まれて薄れた感じはない。それは、入口から窓に向かい、そこで留まっているようだった。零はハッと顔を上げた。
「桜子さん!」
「どうしたのよ!」
 鑑賞に集中していた桜子は、驚いた顔を彼に向けた。
「……最近で一番最後に雨が降ったのは?」
「そりゃあ、前夜祭が終わった、十九日の夜……」
「あの日の午前中、私はここに来ました」
「それがどうしたの?」
「――このような足跡は、その時、ありませんでした」
「…………」
 桜子も寄ってきて、屈んでそれを眺めた。
「長靴みたいね。男物の、ゴム長靴」
「長靴を履いて参拝に来る人っていますか?」
「…………」
「この村で、長靴を履いている人……」
 この時、二人は同じ人物を連想した。
 ――丸井兄弟。それも、この寺との関わりを考えると、弟の勝太。
「……彼は、十九日の午後十時過ぎから地面が乾くまでの時間に、ここに入った可能性があります」

 一度下山し、再び善浄寺に戻った時には、説法は終わり参拝客の姿は消え、本堂の中まで静寂に包まれていた。
「…………」
 丸井家の軒先で農具の手入れをしていた丸井勝太を連れて来た時、彼の顔は蒼白になった。
「あなたは、十九日の夜、ここに来ました。――間違いありませんね?」
「どうかなさいまして?」
 そこに顔を出したのは、久芳与志子だった。彼女もまた、その足跡を見ると顔色を変えた。
「そ、そんなはずはありません。ここは、夜は施錠しますから、入れる訳がありませんわ」
「しかし……」
「お帰りください! さっさと帰って!」

「――あの扉、鍵は付いていません」
 零は着物の袖に両手を突っ込んで、月原山道を歩いている。
 桜子は、零と勝太が下りてくるのを、石段の下で待っていた。少々歩き疲れたのもあるが、万一勝太が逃げ出した場合の保険でもあった。
 桜子は、石段から俯いたままの丸井勝太と並んで零に続く。
「……本当の事を、教えて貰えませんか?」
 零が振り向くと、勝太はビクッと足を止めた。そして、
「ぼ、僕は、何も見ていないんだ!」
と叫んで、その場を走り去った。



 善浄寺の居間では、久芳与志子が震えていた。
「……あの子、私たちを見てるわ」
 妻の呟きに、久芳正善も落ち着かない様子だ。
「なぜ、あんなところに……」
「春子の部屋から帰ろうとしたところで私たちを見掛けて、あそこに隠れたんですわ」
「それを、あの探偵に気付かれたのか」
「どうしましょう。私たち、どうすればいいの?」
 何度か大きく息をすると、久芳正善は彼女の肩に手を置いた。
「――あの方に、相談しよう」

 ……その会話を、部屋の外で聞いていた久芳春子は、両親に見つからないように廊下を回ると、履物をつっかけて駆け出した。
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