百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【漆】通夜ノ晩

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 ――七月二十一日、午後六時。

 重々しい読経が広間に響く。
 警察関係者に貸し出していた広間の後方も開け放たれ、多くの弔問客が集まっていた。
 そこで寝泊まりしていた警官たちは、今晩は追い出された格好だ。長屋門の見張りと、捜査本部となっている洋間の百々目、赤松以外は、今晩のみ、多摩荘の広間で泊まる。
「通夜くらい、静かにやらせてくれ」
という、来住野十四郎の強い意向である。
 そのため、長屋門にのみ警官が集中していた。押し掛けた報道陣が入って来ないよう、足止めをしなければならないのだ。
 裏門は、小木曽巡査ひとりだった。長屋門の警備で事足りる構造になっているため、おまけのようなものだ。誰もいない薮の小道と、時折後ろの百合園を眺めるだけで、欠伸を噛み殺すのに必死だった。
 十六夜いざよいの月が、屋根を白々と照らしている。陰気な読経がなければ、実に風雅な夜である。

 広間には、喪主である来住野家の人々、不知火松子、水川信一郎、来賓である帝国議会関係の面々、水川産業の幹部や取引先、そして村の寄合連中が、それぞれ肩を並べていた。
 彼らの前に鎮座するのが、善浄寺住職の久芳正善である。
 水川夢子と水川滝二郎は、廊下を挟んだ隣の控え室にいた。水川夢子は相変わらず念仏を唱え、息子を捜査本部へ連れて行かれた滝二郎は、頭を抱えている。
 不知火清弥の姿はなかった。最初に焼香を済ませた後、裏庭で煙草を吸っていたのだ。やがて彼は腕時計を眺めると、煙草を捨て、長屋門に向かって歩き出した。そして、「親族の挨拶をする」と警官に道を開かせ、報道陣の前に出た。
「……あれ、義父ちちか妻の方が良かったかな」
 彼は飲んでいるようである。目が据わりニヤニヤと笑顔を浮かべているさまは、気分良く酔っているようだ。
「まあ、そう残念そうな顔をしなさんな。これでも帝東歌劇の元看板スター・不知火清弥だぜ? ほら、そこのカメラ、もっと撮れよ」
 報道陣に笑いが起こる。これはこれで悪くない、そんな空気だった。
 不知火清弥は肩を揺すって姿勢を改めると、顎を上げた。
「えー、本日は義妹の通夜にご参列頂き、誠にありがとうございます。……まぁ、亡くなり方について、質問もあるだろ、どうぞ」
 すると、記者たちが一斉に質問を投げた。
「殺人事件との事ですが、犯人の目星はついているのですか?」
「動機に心当たりは?」
「あー、犯人はまだ逮捕はされてませんが、容疑者は何人かいますね。……かくいうこの俺も、一時容疑者で引っ張られましたから。動機? 動機ねぇ……」
 清弥は意味深に頭を揺すった。
「ここは、下手な事を言うと、怖い警部さんに叱られそうだから、やめときますわ」
「なら、本日ご列席の、与党幹事長ですが……」
 ――来た。清弥は心の中でニヤリとした。
「水川産業から多額の献金を受け取っているという噂がありますが、ご親族として、ご存知の事をお教えください」
「実際のところ、贈賄ではないのですか? 来住野十四郎氏の帝国議会出馬を要請するための賄賂ですよね?」
「どうなんですか?」
「あー、ちょっとストップ」
 清弥は苦々しい顔を作って腕を振った。
「ダメだよー、故人に関係のない質問は。……後でコッソリ教えるから」
 凄まじい閃光フラッシュが焚かれる。清弥は隠し切れずに、ニヤリと口元を歪めた。



「――はぁ、いいお湯ね」
 椎葉桜子は思い切り腕を伸ばした。
「多摩川も、東京で見るのと全然違うわね。まさに清流って感じ。河原の蛍が綺麗だわ」
 祭りが終わると、多摩荘は閑散としていた。週末はそれなりに予約があるそうだが、平日はこんなものらしい。今日の露天風呂は、桜子の貸し切り状態である。
 ひのきの湯船に頭を乗せて、桜子は目隠しの竹壁を眺めた。
「ねぇ、聞こえてるんでしょ。そっちもあなただけ?」
 すると、間延びした返事があった。
「はい。私だけですね」
 この竹壁の向こうは男湯なのだ。犬神零も湯船に浸かっているのだろう。
「……それにしても、ね……」
 桜子は満天の星を見上げる。
「あんな事して、本当に大丈夫?」
 不知火清弥の件である。……あれは、来住野十四郎の行為に腹を立てた零が、けしかけたのだ。
「――帝国議会への出馬、なくなるでしょ」
「でしょうね」
 零の声はあっけらかんとしていた。
「私がやらなくても、いつか、そうなっていたとは思いますよ。――清弥氏、あの屋敷で立場がないじゃないですか」
 ……確かに、同じ敷地に住んでいるとはいえ、婿養子でもなく、跡取りでもない。何のためにいるのか分からないような存在だ。
「不知火家を言う時、皆さん松子さんの名を先に出されます。それだけ存在感が薄い彼です。……赤松警部補に聞きました。彼、女性関係が相当なようです。屋敷に居場所のない裏返しでしょう」
「でも、そんな風なのに、なんで出て行かないの?」
「居心地がいいんでしょうね。松子さんが奥方であるという立場が。……松子さんにしたって、なぜ跡取りでないにも関わらず、あのお屋敷にいるのか。……それは、財産目当てとしか思えません」
「…………」
「思惑が一致したんでしょうね。跡取りとはなれなくても、あの屋敷にいれば、生活に困る事はない。松子さんは来住野家に依存し、清弥氏は、そんな松子さんに依存している。夫婦関係など、どうだっていいんですよ」
「でも、松子さん――花沢凛麗なら、女優でやっていけるでしょ? 父親に寄生するような事しなくても」
「花沢凛麗が引退する時、噂がありませんでしたか?」
「どんな?」
「――彼女、妊娠していたって」
「嘘!?」
「もし、それが本当だとすると、彼女、流産をし、その後、妊娠できない体になってしまった。……世間の目に晒され続けるのに、耐えられなかったのかも知れません。……あくまで推測ですが」
 しばらく黙って、多摩川に浮かぶ月を眺めた後、桜子はハァと大きく息を吐いた。
「……でもそれなら、不知火清弥が来住野家を貶めるような事をして、何も利点はないんじゃない?」
「恨みですよ。長年の、積もりに積もった恨み。……十四郎氏の彼への態度、見ました? まるでゴミ屑でも見るような感じです。そこを相当、彼は腹に据えかねてました」
 零が不知火清弥のところへこの話を持ち掛けたのは、この日の午後、ちょうど丸井勝太が捜査本部を訪れた頃だった。清弥は零の思惑を知ると、実に愉快そうな笑みを浮かべた。――この時を待っていた、と。
「積もり積もったものが、あなたの提案で火を噴いた、って訳かしら」
「彼、銀座に通ってたでしょ? そこで、与党幹事長殿と水川信一郎氏が昵懇じっこんにしてるのを見てます。その他多くの証拠を、彼独自に集めてましてね。こうする機会を、伺っていたようです。……私も、水川産業と与党幹事長の噂は、新聞の記事で読んだ事はあります。そこを少し突っつこうかと思った程度でしたが、不知火清弥氏があそこまで証拠集めをしていたとは、驚きでした」
「私も人の事は言えないわ。あなたにこの計画を聞かされるまで、どうやったらあの男をギャフンと言わせられるか、ずっと考えてたもの」
「亀乃さんを傷付けずに、十四郎氏に一発食らわせる。これしかないと思いました。……しかし、この一発は、少し強烈すぎたかもしれません」
 その現場を桜子に見せず、わざわざこの時間に風呂へ誘ったのは、零の気遣いだろう。それを理解する程度に、桜子の心にも、チクリと痛いものがあった。
「……でもね、あの男、人間性は最悪だけど、村の発展には、なくてはならない人だった訳でしょ? 村の人たちに申し訳ないな、ってね」
「大丈夫ですよ。水川滝二郎氏や咲哉君がいます。彼らはああ見えて、相当逞しいですから」



「……嘘だ! まるいやの勝太の奴、嘘を言ってる!」
 水川咲哉はテーブルを叩いた。
「僕は、しっかり、奴の顔を見たんだ。それに奴も、僕が泥だらけだったから、変な顔をしたんだ!」
「しかし彼から、その証言は取れませんでした」
「何でだよ、どうしてだよ……」
 咲哉は頭を抱えた。
「村長である父上を困らせたくないのは分かります。しかし、正直に白状した方が、父上の傷も浅くなりますよ」
「違う! 違う! 僕じゃない。僕はやってない!」
 とうとう泣き出した咲哉に対し、百々目は冷静だった。一枚の書類をテーブルに置く。
「君、子供の頃、大怪我をしたね。この屋敷の石垣で遊んでいて落ちたとか。青梅の病院に運ばれ、輸血を受ける大手術をしたそうじゃないか。これは、その時の診療記録だ。……ここに、君の血液型がある。輸血には、同じ血液型の血液を使わなくてはならない。だから調べたんだね。――君は、B型だ」
「…………」
「そして、来住野竹子氏のお腹にいた胎児も、B型だった。……君、竹子君と関係を持った事があるね?」
 涙でぐしょぐしょの顔を上げ、咲哉は肩を震わせた。
「迫られたんだ……女がこうして求めてるのに、男が及び腰になるなんて情けない、と……。だから、一回だけ……」
「それはいつ?」
「正月過ぎだから、半年前……」
「胎児の月齢と合ってますね」
「で、でも! ……ぼ、僕、初めてだったから、その、うまく入らなくて、ほとんど、外に……」
「しかし、可能性はゼロではない」
 咲哉は再び泣き出した。
「下手クソだって罵られて、早漏だって馬鹿にされて、それから怖くて、竹子さんとは会ってません……。本当に一回だけだったんです……!」
「状況や回数は関係ありません。――あなたはあの晩、彼女に妊娠をしたと告白された。その際、再び罵られ、カッとなり……」
「違いますよおーッ!!」
 咲哉はテーブルに突っ伏して号泣しだした。百々目は肩を竦めた。



 久芳与志子は居間で呆然としていた。
 導師として参席する正善を送りながら、焼香のみしてきたのだが、その際、水川咲哉が取り調べを受けていると聞き、血の気が引いた。
 ――警察の捜査対象は、あの屋敷の者たちだけではなかったのか――!
 心を鎮めようと淹れた茶は、座卓ですっかり冷めている。
 ……娘の春子は、あの晩、彼女ら両親が屋敷におらず、本堂裏の「あれ」を使ったのを知っている。――もしそれが警察に知れたら、全てが終わる。
 与志子たちは、安全地帯にいるものとばかり思っていた。警察の捜査の手が彼女らへ伸びる可能性を知った時の動揺は、心臓を締め付けるほどのものだった。
 夫とは相談した。……とりあえず、事件が一段落するまで、総本山から婿を迎える話は取り止めという事にしよう。……そして、彼らの秘密を守る事で、幼馴染みの勝太との交際を認めるように求めている春子の要望を飲もうと。
 その砦すら、警察の捜査網の広がりの前に、風前の灯なのだ。
 ほとんど無意識に、与志子は湯呑を手に取った。手の震えが冷めた茶を溢れさせ、座卓を濡らす。
 ――その様子を、開け放しの障子の外から、久芳春子はじっと見ていた。
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