百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【陸】百々目登場

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「……あー、お風呂入りたい」
 離れの四畳半で足を投げ出し、桜子が嘆いた。
「お借りしてはいかがですか?」
「それもちょっとね……」
「村まで行けたら良いのですが。多摩荘の温泉は、非常に良かったです」
 零は思い出した。多摩荘に泊まり、ハルアキを預けてある楢崎家へ電話した時。
「温泉があるのなら、早う言わぬか!」
 キンキン声で、ハルアキは悔やんでいた。
「……まあ、寝間着を用意して貰ったし、お洗濯もできたから、良しとするわ」
 河原の泥汚れが綺麗に落ちたワンピースを、彼女は畳んで風呂敷に置いた。そして、寝間着の襟元を整え、縁側の向こうに目をやった。
「今夜は何も起こらないわよね」
「そう願いたいです」
 夜空は晴れ渡り、満月が高く浮かんでいる。満天の星々は、東京のそれとは比べ物にならない。それが百合園を照らしたさまには、昨日とは違った幽玄さがある。
 警官による警備も一層厳しくなっているため、余所者に覗かれる心配もない。今夜は雨戸を開けて、障子だけを閉めて休む事にした。これなら、何かあっても反応しやすい。
「ところで、さ……」
と桜子は、並べた四枚のワンピースを見比べた。
「明日、午前中に司法解剖があって、夕方、お通夜なんでしょ? 私たちも、お線香の一本は上げないとね。……その時、どれを着ればいいと思う?」
 どれも、弔事には不向きな普段着である。零はチラリと目をやり、興味なさそうに布団に寝転がった。
「どれでもいいですよ。私はこのままですし」
「…………」
 不貞腐れた顔をした桜子は、「おやすみ」と襖を閉めた。



「……今日、刑事さんが来たわ。お父さんとお母さんが陣屋様にお悔やみに行ってる時」
 入浴を済ませた久芳春子は、居間で寛ぐ両親に声を掛けた。……すると二人は、ギクッと身を震わせた。
「……それで、何を聞かれたんだ?」
「昨日の夜、お父さんとお母さんは何をしていたかって」
 空気が凍り付くのが分かった。与志子が正善の湯呑に茶を注ごうとしているのだが、その手が震えて座卓に溢れる。
「で、何と答えたんだ?」
 正善の声は引き攣っていた。
「私は出かけていたので知りません。……勝太くんと、一晩中、……って」
「それは、本当か?」
 見上げた正善の顔には、怯えと怒りが同居していた。
「本当よ。……勝太くんとの事も」
「おい!」
 正善の拳が座卓を叩く。注ぎかけの湯呑がひっくり返り、茶が畳を濡らした。
「あの男とは付き合うなと言っただろう!」
「嫌よ。結婚相手を勝手に決められたくないわ!」
 春子は声を荒らげた。
「知ってるのよ、お父さんとお母さんが、ずぶ濡れで裏口から帰って来たのを。……勝太くんと一緒にいた事にしないと、私、それを言うから」
「…………」
 障子を乱暴に閉め、春子は立ち去った。正善と与志子は引き攣った顔でそれを見送った。
 与志子の持つ急須は、何もない座卓に、ジャブジャブと茶を注いでいた。



 ――七月二十一日。

 広間では、通夜の用意が進んでいる。床の間の前に祭壇が置かれ、白い菊の花輪が立てられる。そして、仏具と焼香台と、遺影。
 あとは、遺影の主を待つばかりである。

 朝起きた零と桜子は、炊事場に向かった。朝食を頂くためである。待てば亀乃が持ってきてくれるだろうが、そのような手間を掛けさせたくないからだ。
 百合園と屋敷を隔てる生け垣に、小さな木戸がある。普段は閉まっているが、警備がしやすいよう、昨日からは開いている。
 そこを入った井戸の横が勝手口なのだが、二人が入ると、その中には誰もいなかった。
「……あら?」
 かまどに火はなく、流しに水も張られていない。桜子は首を傾げた。
「どうしたのかしら?」
 するとそこに、不知火松子がやって来た。彼女は二人を見ると、表情を曇らせた。
「――今朝早く、亀乃が逮捕されたのよ」

 犬神零はその足で洋間に向かった。警官の制止も聞かずに扉を開けると、正面に座る百々目に噛み付いた。
「どういう事ですか!」
「やはり、君が抗議に来ると思いましたよ。しかし、君も感情を激する時はあるのですね」
「当たり前でしょう!」
 百々目はソファーに身を預け脚を組んだ。
「十四郎氏がしつこくてね。今晩の通夜には、与党幹事長殿も来られるというのに、未解決とあっては格好がつかない、とね」
「だからって、亀乃さんとは……!」
「まあまあ、落ち着いてくれたまえ。……まさか、私が彼女を犯人だと、本気で思っているとでも?」
 言いながら、百々目は紙切れを零に見せた。逮捕状だ。しかし、肝心の印鑑がない。
「格好だけですよ。彼女は洋館の方で大人しくして貰っています。……十四郎氏を納得させるのに最も都合の良い人物となると、アリバイの点からも、彼女が最適でしたから」
 百々目は逮捕状を破り、テーブルの横の屑入れに投げ捨てた。
「……どうも気に入らないのですよ。パズルのピースがちぐはぐで。どこかに隠されたピースがあるのではないかと。……トリックという名の、ピースが」
 整えられた口髭を撫でる百々目を、零は唖然と眺める。
「この際、十四郎氏の提案に乗り、犯人を油断させるのも一興かと思いましてね。ですからこの事は、不知火清弥氏と松子氏にしか伝えてありません。……赤松警部補にも。ですからあなたも、秘密でお願いしますよ。まあ、あのお転婆お嬢様は構いませんがね」



「……ちょうどお二人が、勝手口を入られるのが見えて。でも、どうやって誤魔化そうかドキドキしましたわ」
 洋館の居間で、松子、零と桜子、そして亀乃が弁当を囲む。――多摩荘の名入りの仕出しだ。早朝の注文に焦ったのだろう、おかずの品数は少ないが、朝食にありつけただけで満足せねばならない。
 玄関先では、二人の警官が立ち番をしている。カーテンの閉まった庭先を見回る姿もある。きっと彼らは事情を知っており、亀乃の存在がバレないよう見張っているのだろう。
 亀乃は終始、落ち着かない様子だ。
「あの、私までこんな贅沢なお食事を頂いていいのでしょうか?」
「もちろん、遠慮しないで。しばらく亀乃の美味しい煮物が食べられないのが残念だけど、皆さんも、これで我慢してくださいな」
 松子の言葉に、亀乃は涙を浮かべた。
「ありがとうございます……」
「ずっと頑張ってきたんだもん。休暇だと思ってゆっくりして」
 桜子が微笑むと、亀乃は笑顔を返した。
「はい。……ですが、ひとつ心配が」
「何?」
「ぬか床のお世話が……」
「あ、それなら私に任せて。田舎で慣れてるから」
「ありがとうございます。お願いします」

 食事が片付いた頃、百々目がやって来た。
「格好だけでも取り調べをしないといけませんからね」
 テーブルに調書を置いた百々目は、言葉とは裏腹な鋭い目を亀乃に向けた。
「――十九日の深夜から二十日の未明にかけて、あなたは自分の部屋にいたと証言しています」
 その口調に圧されたように、亀乃の目がたちまち震えだす。
「あの部屋は、百合園に向かう際に、犯人が通ったと思われる、勝手口のすぐ横です。誰かが通ったのに、気付かなかったのですか?」
「ちょ、ちょっと待って! そ、それじゃ、このお屋敷に犯人がいるみたいな……」
 桜子が声を上げる。
「現状、そうとしか考えられません。――昨晩、長屋門に警官が詰めていた事を考えると、勝手口から裏門へ抜け、百合園に向かった。そう考えるのが妥当なのです」
 百々目に見据えられた亀乃の顔から、みるみる血の気が失せていく。
 零は目を細めた。……この動揺。何かがある。
 それを百々目が見逃すはずがなかった。
「誰かを見たのか。――それとも、あなたがあの部屋にいなかったのか、どちらですか?」
 亀乃はガクガクと震えだした。涙をボロボロと落としながらも、百々目から視線を外せないでいる。そして、消え入りそうな声で答えた。
「……言えません……言えません……」



「……どうしたものかしら」
 亀乃は洋館から出られない。そのため、百合園をぶらぶらと散策しながら、零と桜子は相談していた。
「何とか、亀乃ちゃんが隠している事を聞き出したいわ」
「はい。でなければあの警部、本当に彼女を逮捕しそうです」
 咲き乱れる百合は、今日も眩しいほどに美しい。かがみ込んでそのひとつを眺めながら、零は言った。
「この屋敷でなぜこんなに百合を育てているのか、言いましたっけ?」
「確か、百合の花の雌しべが天狗の鼻に似てるとか、言ってなかった?」
「はい。長く伸びた形は、確かに似ています。……自惚れ、高慢なところも。それに……」
「…………」
 天狗の隠語の意味するところを思い浮かべたのだろう、桜子は目を逸らした。
「……なぜ亀乃さんが、あれほどまでに頑なに口を閉ざすのか。それを考えた時、もし彼女が自分の部屋にいなかったと仮定する時、どうしても、嫌な連想をしてしまうのです」

 ――女同士なら、話してくれるかもしれない。
 そう言い出したのは桜子だが、彼女は今、顔を上げられないほどに後悔していた。
「……彼女を雇った理由から、それが目的だったみたい」
 離れで零と向き合い、桜子はスカートの裾をギュッと握った。
「あいつ、小さな女の子にしか興味がないのよ。まだ何も知らない、子供にしか」
 零は桜子が絞り出す言葉を、静かに受け止めていく。
「あいつの部屋の隣に、専用の部屋があるの。外からは見えないような、半地下の隠し部屋。――彼女、そこにいたのよ。……両手を縛られて、明け方、必死で抜け出すまで」
 桜子の手の甲を、涙の滴がポタポタと濡らした。
「逃げられない彼女の身の上を分かった上で、この三年間……」
 桜子は肩を震わせ、零の胸に頭を預けた。
「畜生よ、鬼畜よ、悪魔よ。……許せない……許せない……!」
「……辛い役目をお願いしてしまい、申し訳ありませんでした」
 零は震える肩に手を置いた。
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